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第1回 BL小説アワード

甘い命令

エロほぼなし

キスをしているときのユキの表情が好きだ。中性的なユキの容貌はアンドロイド独特の表情の硬さとあいまって常に冷たく冴え渡っている。

柏木結衣
30
グッジョブ

「もっと口開けて」
「……はい」
 おずおずと開かれたユキの唇の間に、和希はそっと舌を忍ばせる。
 怯えたようにたわむ舌を追いかけ、絡めるようにして吸い上げると、反射的に閉じたユキの瞼の上で美しくカーブした睫毛が微かに震えた。
 キスをしているときのユキの表情が好きだ。中性的なユキの容貌はアンドロイド独特の表情の硬さとあいまって常に冷たく冴え渡っている。けれど、こうして唇を重ねている間だけは、その静まりかえった凪の海に、微かなさざ波が生まれる。息を乱して眉をわずかに寄せたユキのこの艶めいた表情や潤んだ瞳が、単に呼吸を阻まれたことによる生理的反応だとしても、その僅かな乱調が、決して消えない2人の間の大きな隔たりを、ほんの一瞬だけ、忘れさせてくれる気がする。
 だけど、本当は知っている。ユキにはキスの意味なんて解ってやしない。
 初めてキスをした時も、ユキは和希の腕の中で、ただじっとその唇を受けとめていた。柔らかく溶けていくユキの唇を味わいながら、長い間の渇望が癒されていく歓喜と安堵の陶酔に和希は浸った。けれど次第に奇妙な違和感を覚えるようになる。唇を塞げば喘ぎ、舌を絡めれば絡め返す、和希の行為に身を委ねるだけのユキは、肩を押せば椅子から転げ落ちる人形の姿を彷彿とさせた。
 最新式アンドロイドのユキは、生体はほぼ人間と等しく、感情プログラムも万全だ。笑ったり怒ったり、映画を観て泣いたりもする。だから和希はユキにも心があるのだと錯覚していた。でも後にそれは人間社会の中で不適切な感情表現をせず、適切な行動をとるための共感機能に過ぎないのだと知った。プログラムされた反応になんて、何の意味もない。
 ユキの中はこんなにもやわらかく湿っていて、絡み合わせた舌も、唇の柔らかな感触も、和希と何ひとつ変わらない。その全てがここ数十年で飛躍的に進んだアンドロイド設計技術の賜物だと思うと、和希はやりきれない気持ちになる。機械だというなら、いっそ旧時代のロボットのように無骨な金属の塊のままでいてくれた方が良かったとさえ和希は思う。
 いつまでも届かない熱がもどかしい。
 和希はユキの髪に指を差し入れ、掌で拘束すると、噛みつくように深く唇を塞いだ。
「……っ!……和希さんっ、……んんっ!」
 溺れる魚のように肩を震わせ、たどたどしく息を継ぐユキの姿は女のように肉感的ではなかったが、普段ストイックで楚々としている分、扇情的だった。もっと乱してやりたいという本能的な衝動が込み上げる。
 命令したら何でも従うアンドロイド。これ以上を望んでも、ユキはきっと「はい」と頷いて従うのだろう。だけど、それで何が手に入るというのだろうか。
 いつまでも熱くならないユキの肌が全ての答えのような気がして、シャツのボタンに伸ばしかけた指を和希はギュッと握りしめた。
「……もう行けよ」
「はい」
 ユキは乱れたシャツの襟元を片手で抑えたまま、淡々と夕食の予定時間を告げると、階段を下りていった。

 ひとりになった部屋の窓を、夕方から降り出した雨が叩いている。和希は溜息をつきながら、美しく整えられたベッドに腰を下ろした。
 サイドテーブルの写真立ての中では、まだ若い両親とユキそして幼い和希が幸福そうに微笑んでいる。この写真を撮ってすぐに母は事故で他界し、父の目尻には深い皺が刻まれた。出会った頃にはユキの腰の辺りまでしかなかった和希の背丈は、もうユキをゆうに頭一つ分は追い越している。なのに、ユキだけが時を止めたようにあの頃のまま何ひとつ変わらない。
 従順に命令をきいているにもかかわらず、眉をしかめて苛立ちをぶつけてくるこの頃の和希の理不尽なふるまいを、ユキはどう感じているのだろうか、と考えはじめて、和希の口元にまた苦い笑みが広がった。いや、きっと何も感じてはいない。ただ、WHY?という疑問を記録し、答えを本部のコンピューターに問い合わせるだけだ。本部のばかでかいメインコンピューターはその問いに一体なんと答えるのだろう。
 横になって目を閉じていると、肉を焼く香ばしい香りが階下から立ち昇ってきた。
 きっとユキはもうさっきのキスなど無かったかのように、微笑みながらフライパンを揺らしている。アンドロイドが故のユキの強固な穏やかさを、和希は静かに憎んだ。
 幼い思慕が明確な恋へとゆるやかに変化してきたこの数年の内に、和希はどんなに願っても叶わないことがあるということを知った。出口のない袋小路に迷い込んでしまったようなジリジリとした焦燥や孤独に焼かれた年月の分だけ、和希は早く大人になってしまった気がする。この頃、年上の女性から声をかけられることがやけに多い。誰を抱いても満たされないことは解っていたが、こうして昏い思考に沈んでいるよりはいくらかマシに感じられて、和希は家のキーをつかんで立ち上がった。

「和希さん、夕飯は?」
 階段を下りて玄関にまっすぐ向かう和希を見たユキは慌てて声をかけてきた。
「いい、外で食べてくる」
 玄関の重いドアを開けると、思いのほか強い雨の匂いがした。秋の終わりの雨は濡れて歩くには冷たすぎるが、傘をさすのも億劫だった。
 かまわず早足で歩き出した和希の背後から傘を持ったユキが追いかけてくる気配がする。ユキは今も昔も変わらず優しい。でもそれは和希がユキにとって特別だからでも何でもなく、ただそうプログラムされているだけなのだ。
無視して歩く和希の前に、息を切らしたユキが周りこんできて、強引に傘を差し出す。
「そのまま出かけたら、風邪をひいてしまいます」
 困ったように眉をひそめて、ユキはいう。
 今では和希の方がずっと体格が良く、こうして一つの傘の下で向き合うと和希の肩にユキが額を寄せる形になる。なのに、まるで子供にでもするようにユキの手は和希の上着の水滴を撫でるように優しく拭っていく。その屈託のない優しさが悲しい。何度もキスをして、ユキの中の何かを乱したつもりでいても、結局いつまでも何も変わらないのだ。
「いいから、帰れ。これは命令だ」
「命令……」
 ユキはその言葉に一瞬たじろいだ様子を見せて、しばらくの間、視線を宙に彷徨わせた。
 命令に従うアンドロイド。そう、ユキはアンドロイドなのだ。永遠に交わらない線。それはユキを抱いても、揺らしても、きっと何も変わらない。どうにもならない苛立ちが和希の中に立ち昇る。
 思わず傘ごとユキの手を振り払うと、指から離れた傘が風に飛ばされてふわりと舞い上がった。その行方を視線で追うように、ユキが天をふり仰ぐ。ユキの瞼の上に小さな雨粒が落ちて、睫毛が一瞬、瞬くように震えた。突如、甦ったさっきのキスの生々しい感触が和希の胸を締め付ける。体の奥に燻ったその熱から目を逸らすように、和希は再び歩き出した。
「和希さん、待って」
 あれだけはっきり命令したにも関わらず、ユキは和希を追ってくる。この時になってようやく和希は、おかしいと思いはじめた。
「ユキ……お前、どっか壊れたのか?」
「いえ、どこも」
「じゃあ、なんで命令を聞かない」
「僕たちはオーナーの命令に100%従うわけじゃないんですよ。もしそうだとしたらオーナーの人格次第でこの世はアンドロイドによる犯罪だらけになってしまいます」
 思ってもみなかったことを言われて、和希は戸惑った。
「受けた命令を実行するか拒否するかの判断は僕たち自身にまかされているんです」
「拒否することも、できるのか?」
 これまでユキが命令に背いたことは一度もない。だから和希はこれまで、ユキに拒否権があるなんて考えたこともなかった。
「ええ。これまでにも2度ほど、あなたの命令を拒否したことがあります。1度目は13歳の和希さんが熱があるのに学校へ行くと言ってきかなかった時、僕はあなたの意志に反して、学校に休みの連絡をいれました。2度目はつい先日、あなたがキスの最中に僕の服に手をかけた時です。あれは僕の意志ではなかったのですが、咄嗟にその手を払いのけました。18歳未満との性行為はこの国では犯罪に当たりますので、セーフティプログラムが自動で立ち上がったみたいです」
 どちらの時も心身に余裕がなかったせいで、記憶がひどく曖昧だった。自分の考えに囚われて、振り払われた腕にも気づいていなかった。
「犯罪など絶対に従うことのできない命令に関してはセーフティプログラムが管理していますが、その他の命令については、僕たちに搭載された人工知能がその都度判断しているんです」
「どうやって判断するんだ?」
「参照するのは、主に記憶の蓄積データです。人間でいうところの経験に近いと思います。命令に関連する記憶を抽出して、判断に有益な情報や根拠を導き出します。ついでに言っておきますが、僕はダッチワイフ型ではないので、性的な命令に強制的に従う理由は存在しません」
「性的な命令って……」
「先日からしきりに和希さんが求めてきた行為。キスを含めた、その他の性行為全般を指します」
 ずばり言われて言葉が出なかった。ユキはいたずらっぽく微笑むと、状況を把握しきれないままの和希に、そっと体を寄せてきた。濡れたシャツから透けるユキの肌が妙に艶めかしく感じられて、和希は思わず目を反らす。
「つまり、僕はあなたの命令に強制的に従っていたわけではないということです。僕の記憶データが、和希さんに触れられることを……、その……、好ましい、と判断しました」
 和希にはそれはまるでユキからの愛の告白のように聞こえた。混乱した頭で必至に思考を巡らせる。
 記憶に基づいて判断して行動する。それは人間と何が違うのだろうか。人がひとりひとり違うのは、遺伝子の違いと後天的な経験の差によるものだ。これまで生きてきた年月の記憶や経験に磨かれ、育てられて、和希は今の和希になった。
 もしユキにもこれと似たことが起きていて、ユキ自身の記憶や経験が次の行動の判断基準となるというなら、それはもうユキの個性や価値観、人格といえるのではないだろうか。ユキの中の俺に関する記憶の蓄積が、俺がユキに触れることをYESと判断するならば…、それは愛と何が違うのだろう。
 ぐるぐると思考を巡らせて黙り込んでしまった和希の肩に、ユキがこつんと額をぶつけてきた。
「だから……、和希さん」
 まだ茫然としている和希を、潤んだような瞳が、焦れたように見上げてくる。街灯に照らされたユキの目元は、微かに赤く染まっているように見えた。
「僕に、命令して」
 雨音にかき消されないように、耳元に唇を寄せて、ユキが囁く。その声を甘いと感じるこの感覚は、希望的観測が誘い込んだ錯覚かもしれない。そんな不安はまだ消えない。だけど……。
 和希は仕舞い込もうとした想いを、そっと胸の奥から取りだして、言葉に変えようと試みる。
「ユキ、俺は」
「あっ、ひとつ、大事なことを忘れていました。18歳おめでとうございます。7分ほど前に僕のセーフティプログラムは解除されました」
「え……?」
 そこでようやく和希は、今日が誕生日だったことを思い出した。
 やたらとユキが今日の夕食にこだわってた理由は、そのせいだったらしい。
「ディナーとケーキは用意しましたが、他に何か欲しいものはありますか?」
 欲しいものはもうずっと昔から、たったひとつしかない。
「ユキ」
「はい?」
「ユキが欲しい」
 和希は両掌でユキの頬を包みこんだ。まっすぐに和希を見上げるユキの瞳は、出会った頃のようにただ美しく澄んでいるだけではなかった。共に過ごしてきた年月分の時を映し込み、記憶を湛えて揺れている。
「わかりました」
 ユキが目を細めてふわりと微笑んだ瞬間、頬に一筋の水滴が零れ落ちた。それは雨の雫だったのかもしれない。けれど和希には、ようやく身を結んだ時の結晶のように感じられた。吸いよせられるように、ユキの頬にそっと唇を這わせる。
 それから和希は思いつく限りの願いを口にした。命令というよりも甘い願い、淫らな願い、ユキにしたいこともしてもらいたいことも山ほどあった。セーフティプログラムが解除された今、ユキがその願いを聞いてくれるかどうかはユキと俺のこれまでの記憶にかかっている。
 そして、これから先、ユキが和希の願いをどこまで聞いてくれるかは、二人が紡ぐ未来の在り方に。
 望む未来を創るために、幸せな記憶を積み重ねていくこと。
 それは、全ての恋人たちに等しく課せられた、神様からの命令なのだ。

柏木結衣
30
グッジョブ
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史香 15/10/23 23:02

和希のユキへの気持ちが思慕から恋心に変わり、しかしアンドロイドであるが故に2人の想いには温度差が。和希の葛藤に切なくなりましたが、ラストは想いが通じあったので良かったと思いました。
この2人の続きのお話、読みたいです。

くまのぷーさん 15/10/25 10:19

雨の匂いや雫といった情景描写が和希の片想いから両想いへの移り変わりをそっと静かに引き立てていて、とても素敵でした。短いお話ながら、和希とユキの共に過ごした過去やこれからの未来に想像をかきたてられ、思いを馳せずにはいられない広がりがあり、もっともっと読みたいと思ってしまいました。

デュボネ 15/11/15 01:58

アンドロイドであるのに生身の感情が見え隠れしていく表現が秀逸!晴れて18歳になったこれからを見てみたくなるような余韻がいいですね!

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