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第3回 BL小説アワード「怪談」

鈴のおと

エロあり/バッドエンド

 鈴のくすんだ音は、普段なら気にも止めないが、暗闇に響く鈴の音に奇妙な気味悪さを覚えた。

スピカ
グッジョブ


「テル、勘弁してくれよ。一体ここって何十年前の建物だよ……」
「ヨウはビビりすぎだ。この建物教室の窓から見えるんだよね。だからおれ、ずっと気になってたんだ」
 テルは人の言葉にはちっとも耳をかさないまま怖気づいているヨウのことを鼻で笑ったあと、持っていた懐中電灯で入口を照らした。
「あんまり長くぬけだすと先輩たちにバレるよ」
「大丈夫。大貴のヤツに適当な言い訳よろしくって頼んどいたから」
 今はバスケット部の合宿の真っ最中で「ちょっとつきあって」とテルに誘われた時は、コンビニにでも行くのかと思っていた。
 まさかこんな古い廃屋につれてこられるとは思わなかった。
 連れて行かれた先は学校の裏山に立つひと目で誰も住んでいないとわかる古い廃墟で、山の中腹あたりに背の高い木々に隠されるようにひっそりとたっている。
 細長い箱に似た建物は外から見ると等間隔に小窓が並んでいるだけで、そっけないシンプルさは寮か何かかもしれない。
 懐中電灯に照らされた入口のドアは傷んであちこち腐りかけ、どす黒く変色している。
「こんな場所の何が面白いのかが、さっぱり分からない」
 中学の頃から何かにつけてヨウをまきこむ、テルのマイペースぶりは慣れているし、確かに単に学校に寝泊まりするだけの地味な合宿に退屈していた。
 だからといってこういうのはなあ……と、ヨウがこれみよがしにため息をつくと、テルは誤魔化すようにハハッと、笑った。
「まあまあ。さ、ドア、そっち側押してくれよ。戻ったら今日女子からもらったさしいれ、好きなもんやるから」
 背も高く真面目でバスケットひと筋のテルは、女子から見ると清々しいスポーツマンに見えるらしい。
 無意識に他人に構えてしまうおれとは正反対な、人の懐にスルリと入りこめるテルの性格もあいまって、しょっちゅう差し入れだのなんだのをもらっている。
 ヨウがのろのろと汚れたドアに手をかけると、テルはにやりと笑った。
「こういうのもツンデレっていうんだろうな。だってヨウはそっけなくても頼めば一緒に来てくれるし、ぶすくれた顔しながらもこうして手伝ってくれる」
「ぶすくれって……! アホいってろ。おれは人見知りなだけ、あと、差し入れにあったろ、あれ、食べたいだけだからっ!」
「あ、あれはね、本当はヨウに渡してって頼まれたんだ。ヨウには話しかけづらいんだって」
「それを先にいえよ……」
 ガタガタと音をたてるものの、開き戸はすぐには開かなかった。
「んだよ……カギでもかかってんのかよ」
 この裏山には木の生い茂る里山が残されており、国有林らしいので、誰かが管理していてもおかしくはない。
 開かない木戸に、テルも諦めて帰ろうといいだすだろうとほっとした。
「テル、帰ろうぜ。ここって普通の家じゃないだろ? 何だか刑務所みたいで、おれ、気味が悪い」
 いかにもその手の好奇心をそそりそうな建物ではある。
 ただヨウにとってはほったらかしの廃屋なんてまるで興味はなく、途中の山道においてきた自転車まで早く戻りたかった。
 テルはしばらくムキになってドアをガタガタいわせていた。そのうち 何かひっかかってでもいたのか、急に滑りがよくなり引き戸が開いた。
「変な臭いするな」
 湿ってすえたような匂いがドアの向こうから一気に外へと流れてきた。
 古い家のもつ独特の匂いに顔をしかめたテルが廊下へ一歩踏み出すと、床がギシリと鳴り、静かな異空間に迷い込んだようだ。細長い廊下の先には闇が落ちている。
 外は夜風が心地よいのに、中はぱたりと無風で、体中がじっとりと汗ばんできた。
 得体のしれない雰囲気に怖気づいたヨウは、すぐにでも外へ飛び出したくなったけれどもテルが躊躇なく進むので仕方なく後を追った。
 廊下にポツポツと等間隔でドアが並んでおり、それぞれの個室へつながっているようだ。
「入るのか……?」
「もちろん、何のために来たんだよ」
 簡単に開いたドアの先は小さな部屋で、四角い小窓には湿気と埃をたっぷり吸ったカーテンがかかっていた。
 床にはところどころ変色の跡があり、床板のなく土がむき出しになっている部分もある。
 部屋のすみの小さな洗面台の蛇口が懐中電灯に鈍い光で反射した。
 奇妙なことにどのドアもドアノブのところに鈴がぶらさがっており、ドアを開くたびにチリリンと鳴った。
 鈴のくすんだ音は、普段なら気にも止めないが、暗闇に響く鈴の音に奇妙な気味悪さを覚えた。
「宿舎か寮かってとこかな……ヨウ、おれたちの高校ってさ、高校が建つ前はGHQの施設があったって知ってる? その関係かなあ」
「何だっていいけどさ……おれこういう空き家とか苦手。あ、別に怖いとかじゃないよ、ただ、なんていうかこう……背中が寒くなるっていうの?」
「まあ、もう少しつきあえよ。どうせ学校にいたって先輩たちの怪談話につきあわされたんだから。だったらこっちでホンモノを味わった方がスリルあるじゃん」
「おれ、スリルなんていらない。テルももう満足だろ? 脱け出したのが先輩にばれたらマズイよ」
 テルは好奇心のままにカーテンにさわり、壁を懐中電灯で照らしながら部屋の中を歩き回った。
 カビの付着した床の上に突っ立っているだけのヨウにテルはうっすらと笑った。
「ヨウってほんと怖がりな。あ、まさかお前って見える人とか?」
「……」
「えっ? なんで? まじに?」
 テルがいきなり懐中電灯を向けてきた。
「バカッ! まぶしいっ! んなわけない! 見えたらこんな場所絶対来ない」
「ま、そうだよな」
 見たことはなくても、ヨウは昔からこの手のことは苦手だ。
 心霊写真とかは絶対に見ないし、怖い話しは極力避ける。
 古い家独特のピシリという家鳴りが聞こえるたびに身がすくむような思いになるし、懐中電灯の光が柱にあたると、恐ろしい目玉模様のように見える。
 今も学校へ戻ったら、バスケ部の仲間たちとやかましいくらい馬鹿騒ぎをしよう、と内心で考えている。
「でもさ、見えないけど、金縛りにならあったことある。テルはある?」
「金縛りかあ。ない。おれ、そういうの今までにない。ぐっすり眠っちまう」
 廊下を進むとどの部屋もやはり同じたたずまいのからっぽな部屋だった。
 ドアを開けると同じように鈴の音が鳴るので、もうずいぶん長い間この建物にいるように思えた。
 どこが入口でどの部屋から回り始めたのか、迷いはじめていた。
「受験勉強してた頃は眠りが浅いせいか特にひどくてさ。多分疲れてたんだろうな。耳鳴りがしはじめるとああくる、って思うんだ。それから身体が浮くような感覚。一度だけ体の上を動物が歩きまわってることがあった。ネコみたいな小さな動物の四本足を体に感じた」
「へーええ、それで?」
「……本気にしてないだろ。おれ、とっさに首に噛みつかれたらヤバいって思った。なんか分かんないけど、その時は首を狙われてるような気がしたんだよな」
「ヨウ、それ寝ぼけてるだけ」
「……かもね」
 家ではずっとネコを飼っていてもう何匹も見送っているのは、この場では口にしたくなかった。口に出せばますます心臓が縮んでしまいそうだ。
「テル、この部屋で最後だろ。終ったら帰ろう」
 廊下の一番奥にある部屋まできたので、テルの袖を引っ張った。
 どこからか見られているような妙な感じに、早くここから出たくて仕方なくなっていた。
 けれどもテルは平気な顔をしてズカズカと部屋に入っていく。
 角部屋のせいか広さは他の倍ほどあり、ダブルサイズのベッドがマットレスとともに残されていた。
 浮浪者が寝泊まりしたのか、あちこちにゴミが散らばり、シミだらけのマットレスの上には汚れた毛布が残っている。
 腰高窓があり他の部屋よりも明るいが、何かいやな感じのする部屋だった。ヨウは身体をぶるっと震わせた。
「テル?」
 テルも何か感じたのか、さっきまでの悪戯っぽい様子は見えない。
 どこか頼りなげな足取りでふらふらと汚れたマットレスの上に座りこんだ。
 自分がどこに座っているのか、不自然なほど、テルは気にしていない。
「テル……よくそんなところに平気で座れるな」
「そう? それよりもなんか気分わりい……」
 テルは力ない声をだし、マットレスの上にごろりと寝ころんでしまった。
 そっと額をさわると汗でべたべたしているので、湿気と熱さのせいで気分が悪くなっているのかもしれない。
辛そうに顔をゆがめるので、窓を開けてみると、ゆるやかな生温かい風が部屋に流れ込んできた。
水が出ないだろうかと、蛇口をひねった時、背後に気配を感じて息をのんだ。
「バッカ、脅かすな! 心臓止まっちまう」
 突然背中から抱きつかれて、悪態をついた。
 背中に感じるテルの体は違和感を感じるほど熱い。
「テル? やっぱ熱あるよな?」
テルは黙ったままだった。問いかけは闇に吸い込まれて消えた。
「テル……?」
深い海の底に閉じ込められたように、辺りは虫の音一つ聞こえずにしん
としていた。
ほの暗い部屋の中、背後にたつテルがハアと息を吐き出すのが聞こえた。
「なっ……」
 やけに冷たい指が突然シャツの中にするりと入りこみ、素肌を撫でまわしてきた。
 凄まじい力でマットレスの上に押し倒され、わけも分からずに面喰っているとシャツを引っ張るように脱がされて、そのまま胸に唇をつけられる。
「テルっ! 正気かよっ?」
 乳首に舌が伸びてきて、淫わいに肌の上を這いまわる。
 激しい渇きに襲われた人間のように身体を激しく舐められた。
「ヨウ、おれ……何か変だ……すっげえ身体、熱くて……」
 切なげな声でテルは何度もヨウ、と呼びかけてくる。
 指先は忙しなくヨウの腰の周りを探り、熱い唇は小さな乳首を甘くかんでは愛撫してきた。
「うっ……くっ……やめっ……」
 テルとは中学生の頃に初めて同じクラスになった。
 人見知りのせいで周囲につっけんどんな態度をとりがちなヨウにも、 出席番号が近く、一緒にいる機会が多かったせいか常に笑顔で接してくれた。
 テルのお陰でできた友人も多く、その人懐っこい笑顔はヨウを安心させ、すぐに親友といえる関係になった。
 そんなテルと他の奴らとの決定的な違いに気づいたのは高校へあがる直前だ。
 笑いかけられると、なぜか鼓動が早まった。
 話しかけられると、うれしくて妙に浮き足だった。
 単なる友だちに対する感情ではなく、特別なものなんだと認識した。
 とはいえどうすることもできずに何度も諦めようとした。
 思いきれずにくすぶっていた感情には、簡単に火がついた。
「ヨウ……おれ、したい、セックスしたくてたまんね」
 テルは熱で浮かされているかもしれない。普通の状態じゃないのは明らかだったが、太もものきわどいところを撫でられ、薄い皮膚を強く吸われると、完全に迷いは消えてしまった。
 気持ちに正直になると、身体は急劇に熱くなりはじめた。
 乳首を吸っているテルの背に腕を回し、テルの身体を実感する。
「ああ……テル……おれ……」
 ペチャペチャとうなじのラインをなめあげられ、鎖骨のくぼみに舌をつっこまれる。えりあしを甘く噛まれて、艶めいた吐息をもらした。
「おれもしたい……テル……しよう、セックスしようよ」
 テルは熱を冷ますように頭をぶるりと振った。
 欲望のままに胸に吸いついてきて、もう一方の乳首を指先でなぶる。
 何をされても異様に感じてしまい、両足の中心で性器はビクビクと先走りを吐き出した。
 今にも爆ぜてしまいそうだったが、猛烈にテルを感じたくなって、テルの腰にすりつけた。
「テル、テル」
 唾液まみれの上体を起こし、夢中になってテルのハーフパンツを引き下ろした。
 カチカチになった性器が目の前に飛び出してきたので、口を大きく開いた。
 丸のみする勢いでテルの欲望に口をつけると、テルは獣のように熱い息を吐き出した。
 熱くなった体をからめながら、互いの股間に顔を突っ込む。  
 テルは興奮しているヨウの乳首を指先でひねるようにいじりながら、ヨウの性器を激しく唇でしごいてきた。
「ヨウ……すっげえ……いい」
「テルの好きなようにしていいから……」
掠れた落ち着きのないテルの声に煽られる。
 体中に痺れるほどの快感があふれだし、全身が性器に変わってしまったようだ。
 おかしくなっているテルにつけこんでいるという自覚は、とうに消えていた。
 頭の中はテルと愛し合うことでいっぱいになっており、大胆になってテルに腰をおしつけた。
「テル……良すぎるよ」
 ほの暗い部屋の中は身体を舐め合う音でいっぱいで、合間をぬってにハアハアと獣のような熱い息づかいが響いていた。
「ヨウ……ごめんな。おれ、止まんねー……」
 同姓とのセックスの経験なんてもちろんなかった。
 けれどもさっきからテルが身体の奥につながる部分を指で刺激するので、テルが何を求めているかは予想できた。
 互いの性器をたっぷりと味わったあと、テルはヨウに四つん這いにし、背後から本格的に身体の奥深い部分を探ってきた。
「あ、あ、ああっ……」
 次第に増やされていく指に、ぞくぞくと背筋が震えた。
 初めはむず痒い感覚が、じんわりと広がっていくだけだった。
 やがて切ない高みへと押し上げられていき、たまらなくなって額をシーツにこすりつけた。
「……あっ、テ、ル、もぉっ……お前とつながりたい」
 テルは自身の先走りとヨウの唾液でベタベタになった欲望を、足の間にこすりつけてくる。
 受け入れる恐怖よりも一つになりたいという渇欲が上回っていた。はちきれそうな欲望と思いの両方におされて思いきってテルの腕を催促するように引っ張った。
「はやくっ……おれ、いっちまうよ……」
 テルはヨウのベタベタになっている性器をしごきながら、挿入してきた。
「はあ……くっ……ああっ……」
「ヨウ……お前、すごい悦んでるな」
テルはヨウが落ち着くのを待つかのようにじっとして動かないので、強い違和感を感じながらも、ヨウは身体をゆすった。少しでもテルに気持ちよくなってほしい、ただそれだけの思いだった。
「テル……あっ……ああっ」
 額から汗が伝い、シーツにポタポタと伝い落ちる。
 痛みよりも喜びで体中の血液が沸騰しているようだった。
 どこからか風が流れてきて、開け放したままのドアが揺れチリリンと鈴が鳴る。  
 テルの放り投げた懐中電灯の光の筋の中で、方向を見失った蛾がくるくると旋回していた。
「もっと……テル……もっときて」
 夢心地のまま、シーツを強くつかんでいると、「ヨウ……ヨウ」と、苦しげに名前を呼ばれた。
 くり返し突き上げられ、次第に頭の芯がとろけてくる。
 かん高い声があげて太ももをガクガクとけいれんさせた。
「そんな締めつけられたらヤバいって……ああ、もう我慢できねー。はめまくるからな。ガンガン突いちまうぞ」
「ひ……っ、あっ、あっ」
 激しさを増す突き上げに腰をおしつけて激しく喘いだ。
 甘ったるい声が止まらなくなり、背をそらして狂ったようにテルに求める。
「あっ、ああっ、いいっ……?」 
 自分を戒める声には、この一瞬だからと言い聞かせた。
 みだらで浅ましいと思いながらも、右手を自分の股間に伸ばした。
「ダメ、おれがイかせてやりたい」
 テルは妨げるように腕を掴み、グイグイと奥を抉ってくる。
 スタート直前のリレー選手のように尻を高く掲げられると、古いベッドは大きく軋んだ音をたてた。
「あ、ああっ、ああん……あーっ」
「好きだよ、大好きだ、ヨウ」
 激しく肉を打つ動きに必死でいるとき、おかしな感覚に気づいた。
 もつれあっているうちに二人の体がふわりと浮いてしまいそうに思えたのだ。
 気のせいだったかもしれない。
 けれどもその感覚は以前金縛りのときにあった、自分の体があてどなくどこかに彷徨ってしまいそうなあの心細さとそっくりだった。
「テッ……テル!」
 テルは何も気づかないようで、ヨウの身体をもちあげ体勢を変えた。
 姿勢を変えたせいかその感覚はふっと消えてなくなり、あぐらをかいたテルの上に向かい合わせに座らされられると、考える間もなく激しく突き上げられた。
「あっ、あっ、ああっ……うっ……あんっ」
「ヤバいよ……ヨウ、嬉しくっておれ、頭ぶっとびそう……」
 大きく股を開き両手両足をたくましい身体にからませ、だらしなく口をあけた。
「テル……一度だけでいいから……キスしていい?」
 細い声でテルに哀願すると、喰いつかれるような勢いで唇を奪われ、ゆるゆると舌を味わわれる。
「ヨウ、出したい、そのまま出していいか?」
「んっ……んんっ……ふっ、ああ……」
 ……今のテルは何かに憑かれたような熱い目をしている。
 明日になれば何もなかったふりをするかもしれない。
 どうかするとすぐに冷えてしまいそうな頭を、激しい情欲と甘い幸福感へと追いやった。
「いいよ、いいっ……全部出せよ……んっ……」
 甘く喘いで腰を揺らしたとき、ビュクビュクと白濁が噴きだした。
「はっ、あっ、あああぁ――――」
「うっ……」
 テルは射精をしながら奥へ奥へと腰を突き上げた。
 出しきったあとも、テルは何度もけいれんをし、全てを出しつくすような勢いだった。
 息を乱しているヨウに軽くキスをしてくる。
「……ヨウ、もっとくれよ」
 再び求められてヨウは身体がバラバラになるんじゃないかと思えるほどの喜びに、身を震わせた。

 





 ぼんやりした頭に電子音が聞こえてきた。
 はじめに教室の高い天井が見え、頭を動かすと同じバスケ部の大貴が身体をまるめて携帯ゲームに夢中になっているのが目に入った。
 早朝の薄い陽射しの中で、ヨウはバスケ部の同じ一年たちとともに、教室に雑魚寝していた。
「ヨウ、なんかブツブツいってたぜ。夢見てた?」
「夢……?」
 大貴の問いかけにぼんやりと宙を見つめた。
 夢だったのだろうか。いや、違う。下半身には今もまだ昨夜の熱がハッキリと残っている。
「大貴……今、何時だ?」
「もうすぐ四時。早朝練習まではまだ大分時間あるぜ」
 大貴はゲームをしている手元から目をそらさずに、そのままのんびりとあくびをした。 
「……大貴、昨日の夜って、おれ何してたっけ?」
「お前なにいってんだ」
 大貴はゲームをさかんにプッシュしながら、呆れたような声を出した。
「お前とテルは昨夜はどっかいってたろ。二人とも帰ってくるなり死んだように眠ってたぞ」
 いい終わると突然大貴は「ああっ」と声をあげて、布団の上に突っ伏した。思う通りにゲームを進められないらしい。
「そうだ……大貴、お前、地元こっちだよな。裏山にある昔の建物、あれって何なのか知ってる?」
「お前ら……昨夜いないと思ったら肝試ししたんか? おれも昔行ったけど特に何もないだろ、つまんねー空っぽの空き家」
「一部屋だけベッドのある部屋あるよな……」
「ベッドなんてあったか?」
 大貴はだるそうに体を起こし、再び指を動かし始めた。
「鈴がドアについてて……」
「鈴?」
 覚えてねえなあと、大貴は首をかしげた。
「ばあちゃんがいってたけど、あそこには娼婦たちが大勢住んでたんだってよ。戦争で身寄りのなくなった女を集めてあの建物でGHQの外人相手をさせたらしいぜ。無理やり集めたとかで自殺した女も多かったらしいんだけど、戦争のあとだから墓も作らずに床下に埋めたとかなんとかって。おれ子どもの頃から絶対行くなっていわれてたぜ。連れて行かれちまうって。あれだ、年寄りって大げさだよな」
 大貴の話しに急に息苦しくなって辺りを見回した。テルの姿が見えない。
「……テルは?」
「知らねえ。おれが起きた時はもういなかった。ヨウ、外行くなら飲み物買ってきて」
「……ああ」
 鈴の音がどこかから聞こえたように思えた。
 胸騒ぎを覚え、急いで教室を出てテルの姿を探した。
 廊下を駆け出し踊り場にさしかかった時、テルの背中を見つけてほっと肩をなで下ろした。
「テル……!」
「ヨウか、その……昨夜は悪かった」
「なんで謝るんだよ……」
 隣に立とうとして立ち止まった。見慣れたはずのテルの大きな背中に、ヨウは全身が緊張で強張るのを感じた。
「こうなったら白状する。ヨウのことがずっと好きで、同じ高校を選んだ。昨夜ヨウにしたことはおれの本心だから」
 チリリンと今度ははっきりと鈴の音が聞こえた。
 これは一体どこからどこまでが現実なのだろうと、うれしいはずなのに、気持ちが重く沈んでいくような、説明しがたい違和感を覚えた。
 寂しそうに見えるテルの背に手を伸ばしたかった。
 けれども、ふれないほうがいいと、何かに頭の奥で警告されて思いとどまった。
 鳥のさえずりが聞こえ、空にはぶ厚い雲が流れ、何の変哲もない、いつもと変わらぬ夏の朝のはずだった。
「おれも……その……ずっと好きだった」
 ヨウは感情を極力おさえた声でつぶやいた。どうして過去形で話してしまうのか、自分でもよく分からない。
 テルは決しておれの顔を見ようとはしなかった。だからおれも見てはいけない気がした。
「ありがとう……すっげえ、すっげえ、うれしい。おれ、向こうから見てるからよ。ずっと見てる」
 片手をあげて、階段を下りはじめるテルにすがる思いで手を伸ばしたが、空しく宙を切った。
 その背からは輪郭が失われはじめ、校舎の汚れた壁がくっきりと透けて見えた。
 どうすればいいのか、分からなかった。
 追いかけたい、という気持ちとは裏腹に、両足はその場にぬいとめたようにピクリとも動かない。
 階段の先はぽっかりと口を開けたような闇が広がっていた。昨夜見たのと同じ闇だ。
 「テルッ……」
 のどをひきつらせながらやっと名前を口にした時には、すでに遅すぎた。
 話をしている間中、どうすれば引き留められるのか、ずっとそのことを考えていたのに――――。
 闇とともにテルの姿は消えていた。
 耳に入ってくるのは、自分のせわしない呼吸の音だけで、テルのいなくなった場所をしばらくの間見つめていた。
 とてつもなく長い時間が過ぎたように思えた頃、肩をたたかれた。
「ヨウ、どうしたんだよ。こんな場所に突っ立って。おれ、のどかわいてんだよ」
 その場に立ちつくしていると、大貴は不思議そうな顔をした。
「テルを探すなら早く探した方がいいぜ。もうすぐみんな起きてくるから――――」
 いいかけて大貴は息を飲んだ。
やがて途切れ途切れにヨウに呼び掛けた。
「ちょっと……来い」
 何も考えられず、いわれるままについていくと洗面所に連れていかれた。
 脱力したままでいると鏡の前に立たされた。
「……見ろよ」
「え?」
 鏡に映るおれの首には、くっきりと指の跡がつけられていた。
 首を絞めた跡がアザのように赤黒く十本の指の跡になっている。
「……よく見ろ」
 首の横にも後ろにもびっしりと指の痕が残されていた。
 指の向きも一定ではなく、逆さまや横向きになっており、まるで大勢の人間に一斉に首を絞められたようになっている。
「こ……れ……なに」
 笑顔が顔に張りついた。
 チリリンと再び鈴の音がして、体中の血がざわざわと音をたてた。

 

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