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第4回 BL小説アワード「再会」

わかりにくいオトコ

こじらせ受×思いこみ責め/ハッピーエンド

息が顔にかかった、と思った瞬間、やわらかい感触がためらいがちに純一の唇に触れた。それは鳥が啄むように、軽い音をたてて、すぐに離れた。

椿有海
グッジョブ

 幸せそうな花嫁姿の妹を見つめて、純一は満足そうに目を細めた。そんな純一の元へと幼なじみの広樹がビールを片手にやってくる。
「おめでとう。おまえの妹が結婚すると聞いた時は驚いたけど、なかなかお似合いだ。それにしても、よくここが取れたな。何年先も予約がうまっているという噂じゃないか」
 純一は得意げに少し胸を反らした。
「仕事の取材でここのオーナーと知り合いになって。たまたま今日だけキャンセルが出たと聞いたからすかさず予約を入れたんだ。妹も義弟も仕事が忙しくて式場探しができないってボヤいていたからな」
 純一は料理関係の雑誌の編集の仕事をしている。
 ミシュランガイドに載らないのが不思議なくらい、おいしいレストランが、このホテル蒼雲閣の中にあるという噂を聞いた。
 さっそく取材を申し込んだ。人のよさそうな初老のオーナーには会えたが、チーフコックは極端な人嫌いとのことで面会すらできず取材はできなかった。せめてディナーでもと思ったが、安月給の純一には敷居の高い値段で諦めた。
 だから結婚式の予約が取れたときにはうれしくて、親類の者には結婚式の報告よりも蒼雲閣で行うと宣伝しまくったものだ。もちろん妹と義弟は大喜びで感謝をしてくれた。
 料理は和洋折衷。箸を入れるのが惜しいくらい美しい盛り付けで、変に作りすぎていない調理法が素材のよさを引き立たせている。ミシュランガイドからオファーがあったが、チーフコックが「それなら辞める」と言ったので仕方なく取り下げたのだ、とオーナーが淋しそうに言った。
 広樹は食べ過ぎたのか、テーブルクロスの下でベルトをそっと緩めては、また皿に手を伸ばす。
「本当に旨いなあ。苦しいけどつい箸が止まらなくて。――ところで、同窓会を年明けにするけど。おまえ、来るよな。今回はおれが幹事だから頼むよ」
 都心まで車で一時間くらいの街で育った純一たちの同級生は、半分以上が地元に残っていて毎回の出席率は悪くない。
「ところでほとんどは連絡が取れたけど、由良の居場所を知らないか? あいつは一回も同窓会に来たことがない」
 由良という名前に、純一の頬がピクリとした。
「いや、知らない。高校を卒業して就職したんだよな。いや、専門学校だっけ」
 おぼろげな記憶をたどる。予備校や進学塾には行かなかったはずだ。
「学校の事務所にきけばわかるかなぁ。けど個人情報が云々とか言って教えてくれないだろうなあ。家も引っ越したらしく更地になってるし」
 由良、由良……。口からその名前が出てくるたびにイライラ感が増してくる。
「……いいじゃないか、連絡が取れないならしかたないだろ。そもそもそんなに仲が良かったわけじゃないし」
 やや強めの言い方に広樹は驚いたようにまばたきを止めた。それをみて純一はバツが悪くなり、あわてて恩師はどうしているのとか憧れのなんとかちゃんは結婚して子供ができたのと話題をすり替えた。
 結婚式を終えてマンションに向かった。実家には兄夫婦が暮らしているので、大学に入学したのを機会にアパート暮らしを始めた。そして数年前にローンを組んでマンションを買ったのだ。


 マンションへと向かうタクシーの中で由良のことを思い返していた。
 背の高さや筋肉のつき具合を争っていた男子の間で、由良は浮いていた。体質なのかほっそりと女のような体つきをしていて、運動部には入っていなかった。顔立ちは忘れてしまったけれど、男にしてはかわいらしい二重の目もとが印象的だった気がする。たしか友人は少なかったと思う。いつも一人で休み時間は読書をしている物静かな男だった。
 純一はよく由良の視線を感じた。何かと見返すと慌てて目を反らされた。行儀の悪い言葉で言うと『ガンをつけられた』気分になる。そんなことは一度や二度ではなかった。だからたまりかねて「おれに何か用か」と目をのぞきこんで言ってやったら「べつに」とニコリともせずに返事をして、ふいと背中を向けてしまった。
 ある日、体育館の裏でボヤ騒ぎがあった。原因はタバコの火の不始末。担任は生徒指導部のはりきっている若い教師だったので、ホームルームで意気込み声を上げた。
「心当たりがあったらどんな小さなことでもいいから知らせてくれ。犯人を見た、なんて有力情報も頼む」
 そう言って担任は教室の隅から隅へと視線を走らせた。悪い事に、その時も由良の視線の先に純一があった。まるで「犯人を知っています」と言わんばかりの冷ややかな表情で。放課後、生徒指導室に呼ばれた。担任は由良の視線に気づき純一を疑ったのだった。誤解は解けたがクラブに遅刻した純一は、その週のスタメンを外された。
 赤く染まった教室で帰り支度をしながら、純一は涙をにじませた。あいつだ。由良がおれを視線で犯人に仕立て上げたからこんなことになった。
 ガタンと音がして振り返ると由良が立っていた。スタメンを外されてしょげているのを笑いに来たに違いない。殴ってやりたかったけど、そんな暴力沙汰がばれたら今度こそスタメンどころか退部をさせられてしまう。
「――、――。」
 由良の唇が動いて何か言ったが、下校の音楽に消されて何も聞き取れなかった。元々、由良は無口だし声も小さい。
 純一は聞き返す気にはなれなかった。思いっきり目を見開き、口を堅く結んで由良を睨みつけ、精一杯の憎しみの感情をぶつけた。


 修学旅行を控えて、準備が始まった。班わりは仲のよい者同士で班を作る。案の定、由良は一人余った。だれも由良を誘おうとはしなかった。嫌われているわけではなかったし、いじめもなかった。特に仲のいい友人がいなかっただけだ。きっと誰かが誘うだろうと思っていたのと、ふだんつるむことのない者とグループ行動するわずらわしさから逃げたかった、そんな程度の理由だと思う。
 由良は一人あぶれても困った様子をしなかった。まるで他人事のように本を読み続けていた。
 その時、広樹が純一の肩をつついた。
「おい、声をかけてやれよ。おれはかまわないし、他のヤツらもいいって言っている。せっかくの修学旅行だ」
 クラス委員の広樹は人がいい。それでいて人と人との微妙な空気を全く読まない。大雑把な人情家だと純一は思っている。
「嫌だよ。なんでおれなんだよ。誘いたければ広樹が声をかけたらいいじゃないか」
「だって由良は誰にもなつかない。けど、おまえにだけは心が向いているような気がするんだよね」
 そんなことあるものか。由良はみんなには無関心で、純一のことは嫌いに決まっている。
「何度言っても嫌だ」
 きっぱりと断ったのに、結局のところ広樹から借りているゲームソフトや攻略法を餌に言わされた。
 由良は本から目を上げることなく、小さな声で「わかった」とだけ返事をした。広樹は勘違いをしている。おれは由良から嫌われているのだ、と純一は心の中でつぶやいた。
 年が明けての同窓会に由良は来るのだろうか。広樹は連絡がつくように頑張ると笑顔で言っていたが、純一は連絡がつかなければいい……と祈った。

 純一のマンションはエントランスを入ると暗証番号を入れないと、そこから先の部屋にはいかれないセキュリティになっている。
 エントランスの中に入ると、冷たい北風がパタリと止むが、かわりに冷蔵庫の中のごとく深々と冷えが足元からのぼってくる。エレベーター横の大きな植木鉢の近くに人が座りこんでいるのが見えた。床のタイルは氷のように冷たいはずだ。この寒い季節にそんなところに直に座っていたら体が冷えてしまう。
 近寄ってみたが膝を抱えて俯いたまま微動もしない。まさか、と不安になる。救急車をよぶべきか、とりあえず声をかけた。
「あの……大丈夫ですか」
 頭がゆっくりと角度を変えた。長い前髪に隠れた口がゆっくりと「――純一?」と、うごいた。
「え、あ……ああ。はい」
 見知らぬ男が自分の名前を口にした気持ち悪さ。借金はないし、仕事でのクレームもひと段落澄んだばかり。女関係はここ数年仕事に追われて風俗しか行っていないから美人局でもないだろう。
純一が答えると、男はのそっと立ち上がった。長時間座っていたのだろう。冷えとしびれでふらついている。男は確認するように純一の顔をじっと見つめた。
「――由良。由良だよ」
「え? ええっ!」
 数年ぶりとはいえ確かに由良の顔だった。相変わらず何を考えているのか表情に乏しい。それよりどうしてここに由良がいるのか、悪い夢ではないのか。そんな純一の戸惑いを無視ずるように、由良はエレベーターに向かって歩き出した。
「どこ? 純一の部屋」
「八階の801号室」
 答えてしまってから、しまったと思った。由良は純一の部屋に来る気だ。その証拠にエレベーターの扉の前で純一が暗証番号を押すのを待っている。けれど、断る理由がとっさに浮かばなくて、つい部屋に入れてしまった。
「どうやっておれのマンションがわかった?」
「――人に聞いた。見た、というか……」
 ボソボソとした口調で要領を得ない答えしか返ってこない。会話も弾むはずもなく、すっかりコーヒーが冷めきったころ由良がとんでもないことを言いだした。
「今日からここに住まわせてほしい」
「は……あ?」
「空いている部屋でいい。なければ玄関でもいい」
「ま、待ってくれ。おれは仕事が不規則で人と生活をするのは性に合わない。それに由良だって仕事とかあるだろ」
 必死で断りの言葉を探した。だいたい男と同居するなんてありえない。それも由良とだなんて。
「仕事はちょっと、辞めた……だから住むところがない」
 ならば実家に帰れよ、と言おうとして広樹の言葉を思い出した。たしか実家のあった場所は更地になっていると言っていた。
「どこか行くところはないのか? 女のところとか、親戚とか」
 転がり込まれたら迷惑なので、必死に断る理由を探す。が、由良は無言で首を振るばかりだった。その後は何を言っても聞き入れず、頭をさげたまま黙ってしまった。
 ついに根負けした。暴れて騒ぐやつでもなさそうだし、部屋の中の物をいじくりまわして壊すようでもないし……たしか物静かな男だった、と自分に言い訳をした。
 玄関わきに三畳ほどの空き部屋がある。段ボールの荷物が二つほどあるだけで掃除もしていない部屋だったが、そこを貸すことにした。簡単に埃を払ってマットレスを敷いてやった。狭いかなと思ったが、由良の荷物はリュックと手提げ一つだけで居候としては充分だと思った。
 由良は空き部屋の大きな窓が気に入ったようで、目を見開いて嬉しそうに空や町並みを眺めていた。
「さっきも言った通り、おれは仕事が不規則だからかまわないでくれ。疲れて帰ってくるから声もかけないでほしい。由良は仕事が見つかるまでいていい。足りないものがあったらメールしてくれれば帰りに買ってくる」
 業務連絡のような言い方しかできない自分が情けない。けど、嫌いな男のマンションに転がり込む由良の神経の方が理解できない。きっと遠慮なく利用してやれとでも思ったのだろうか。
 仕事が見つかるまでいていいと言ってしまったが、あまりにも図々しく占拠するようなら追い出してやる、と思った。
 由良にスペアキーと暗証番号を伝えて、居間のソファに沈んだ。妹の結婚式というめでたい日だというのにヘンな物を背負いこんでしまった。
 冷蔵庫から冷酒とショットグラスを取り出し一気に煽ると、どっと疲れがでた。眠ろう――。由良も寝たのだろうか。部屋からは物音一つ聞こえなかった。


 朝、なんともいい匂いに誘われて起きると、朝食が作ってあった。
 毎朝食べたいのは理想で、現実は寝起きに作るのが面倒で、コーヒーだけ飲んで出勤していた。焼き魚に卵焼きと言う定番の朝食はとてもおいしそうに盛りつけられていた。思わず腹が鳴るが、どういう気持ちで由良が作ったのかと思うと、食べる気になれず生ごみのバケツに捨てた。皿ごと捨てたい気分だった。
 その後、由良は声をかけるなと言った純一に遠慮をしているのか、純一のいない時に一人でそっと食べているようで、いつも一人分の食事が用意されている。
 夕食は肉ジャガと、豚汁。あまりにも食欲をそそる匂いに鍋を覗くと、割烹料理店で出しても恥ずかしくないくらいキレイにカットされた野菜にだし汁が浸みこんでいて、おもわず腹の虫がグウと鳴った。一口くらい、と思って気持ちが負けそうになるが、やはり手をつけずに捨てた。
 そうして外食や、コンビニで弁当を買ってすませ続けた。
 料理関係の出版物の仕事をしているから、ありあわせでサッと作ったものか、手間暇をかけて心のこもった料理かはすぐわかる。由良の料理は後者だ。
 たとえば今夜のビーフシチューが朝からコトコト煮込んで作ってあるとか、朝食の干物がベランダで何日かかけてできあがったものとか、そういう違いがわかる。それらを横目で素通りして自分の部屋へ引きこもって、買ってきた弁当を広げる。由良の気持ちを踏みにじった後悔と満足感が入り混じった不思議な気持ちは、純一の胸にぽっかりと黒い穴をつくっていく。
 すっかり冷めて間延びしたコロッケを舌で潰しながら、ため息をついた。
 生ごみのバケツを見れば純一が一口も食べずに捨てていることはわかっているはずだ。けれどそれを全く見なかったかのように由良は手のかかった料理を作り続けている。
 台所は、由良がそこで料理をしたかと思うと使う気になれなくて、お湯を沸かすときと由良の作った食事を捨てる以外は入らなかった。


 営業に出かける前にデスクでコーヒーを飲んでいたら、編集長が声をかけてきた。
「先月は妹さんの結婚式で蒼雲閣をつかったそうだね」
「はい。急な休みを入れてしまってすみませんでした。キャンセル待ちがあいたので急遽、式の予約を入れたのでご迷惑をおかけしました」
「いや、いい。おめでたいことだしな」
「……はあ」
 編集長はいつもまわりくどい。本当は何を言いたいのか考えあぐねていると、
「ところで蒼雲閣が最近ランチを始めたのを知っているか」
「ええ。今日明日にでも取材にいくつもりでした。ランチをやるとディナーの食材の仕込みがおろそかになるから、との理由で断っていたのですがね。オーナーは以前からランチに乗り気だったですが、チーフコックがなんとも偏屈でダメと言ったらダメだと断っていたそうですよ。どういう風の吹きまわしですかね」
「まあ、客は喜ぶな。あの蒼雲閣の味をランチとはいえ予約なしで食べられるなら行列にもなるさ。けど――」
 編集長はグッと声を落とした。
「大きな声では言えないけれど、味が落ちたという噂だ。いや、不味くなったわけではないが何かが違うらしい。あそこのオーナーは昔からの知り合いだから気になってな。取材、よろしく頼んだよ」


 蒼雲閣のランチは値段の割に豪華でおいしかった。
 雑誌で評判の店がランチを始めたとのことで、レストラン入り口の通路から路上にはみ出すくらい行列ができあがっていた。
 運ばれてきたカニクリームコロッケと付け合わせのマリネを食べながら、純一は結婚式で食べた時の感動がうすれていることに気づいた。確かにその辺の店よりもおいしい。けれど言葉では言い表せない何かが足りない。たとえば素直な感動とか、ちょっとした愛情とかそういう類の。技術ではないものが違っている気がした。
 それでも周りの客をみわたすと、みな笑顔で食事をしている。蒼雲閣は老舗のわりに家族的なあたたかさが自慢の小さなホテルで、その雰囲気は変わっていない。コンビニ弁当で過ごしている純一は、久々においしいランチで満たされた。
 そう言えば、今朝はテーブルの上にもコンロにも皿や鍋はなかった。さすがに純一が箸をつけないことにあきらめて料理を辞めたのだろう。
 会話すらなく、むしろ同じマンションにひと月も同居しているのにほとんど顔を合わせることすらない。トイレや風呂は純一の留守の時間に済ませているようで、ひっそりとしている。
 物置部屋の戸の向こうで何をしているのかと思ったが、知ったところで興味もない。それよりも料理なんてする暇があったら就活でもバイト探しでもいいから、さっさとマンションから出て行ってほしい、というのが本音だ。
 終電に載ってマンションに着くと中は真っ暗だった。いつもなら食事の支度がしてあるキッチンだけは灯りがついているのに、今夜はそれさえもない。
 出かけているのか、それとも眠っているのか。物置部屋の戸をノックすれば確認できることなのに、そうする気持ちになれなかった。もし万が一、由良が眠っていて戸を開けることによって起こしてしまったら、掛ける言葉はない。
 そもそも互いにいい年をした大人なのだからかまうことはない。そう思ったのと、翌日からの新しい企画に追い立てられて由良のことはすっかり忘れていた。


 数日後、やっと休みが取れた。ゆっくりと昼まで寝過ごして空腹で目が覚めた。
 あいかわらずキッチンは静かで、陽の光がテーブルを照らしている。買い物帰りに近くの土手で手折ったのか、コップに飾られたススキがすっかり枯れてテーブルに残骸を散らしていた。
「料理を捨てない日が来たと思えば、草の始末か」
 悪態をつきながら掃除していると、テーブル全体にうっすらと埃が積もっていることに気づいた。
 そういえば……風呂場での水滴、トイレを使う音など生活の気配全てが途絶えていることに気づいた。
 静かすぎるマンション。耳をすませたが人の気配はしない。玄関を調べると由良の靴は――あった。
 急に目の前の物置部屋の戸が得体の知れない世界への入り口に見えてくる。
 開ければ疑問は解決する。けど気が咎める。そもそも自分を嫌っている男との同居は気が進まなかったくせに、気配がないのも気になる。
 純一は物置部屋の前に立つと、深呼吸をしてから戸を開けた。
 外は太陽が眩しいくらいに照っているのに、厚いカーテンで覆われた窓のせいで夕暮れ時のようだ。三畳ほどの場所にマットレスがあって部屋の中は閑散としている。もとより荷物はリュックと手提げだけだったから、そんなものかもしれない。
 窓しかないこの部屋で由良は何を考えて過ごしていたのだろう。
 もぞ……布ずれの音がしてあわてて飛びのいた。うす闇の中、マットレスの上に塊があって、ゆっくりと動き始めた。
 ――由良だ。同居しながらほとんど顔を合わせることがなかった由良がここにいる。こんな薄暗い所にいて生活の気配を消しているなんて不気味すぎる。
 立ちすくんでいると、塊の中から腕がゆるゆると伸びて純一の足首を掴んだ。
「ぎゃっ」
 あわてて振り払うと、塊の中から青白い顔が出てきた。
「――に――ぼく――、か」
 かすれていて聞き取れない声。気が進まないけど由良の口元に耳を近づけようとしてハッとした。
 ムッとする熱い体。汗で光る額。かすれた声。思わず声をかけた。
「ゆ、由良? 具合が悪いのか?」
 思いもよらぬやつれた姿。もしこのまま由良が倒れたらどうなるのだろう。広樹を始め知り合いは同居していることを不思議がるだろう。なんとか元気になって出て行ってほしい。由良よりも自分の体裁を心配した。
 冷たい濡れタオルを額にあてがうと由良は気持ちよさそうな表情をした。買い置きの風邪薬を探して飲ませた。 
 しばらくすると、息づかいが落ち着いてきたので自分の部屋に帰ろうとしたが、由良が袖をつかんで離さない。
「……ない……で。ここにいて……」
「おれがここにいた方がいいの?」
 ちょっと意地悪な言い方かなと思ったが、
「……うん」
 消え入るような声で「ここに……」と布団を掻い出してめくる。泣いているような必死な笑顔の由良に気持ちが揺れた。それは多分、弱い者への情――だ。
 

 やつれて儚く見える由良に温かい情が湧いてくる。ガンをつけるような視線さえなつかしく感じる。
「じゃあ、由良が寝つくまでいる」
 そう言って狭いすきまにもぐりこんだ。
 由良とひとつの寝具に入る日が来るとは予想もしなかったけれど、冷えでかじかんだ爪先が、由良の熱で暖められていく。
 由良も純一の冷え切った体が気持ちいいのか、体をすり寄せてくる。
 やがて規則正しい寝息が聞こえてくる。寝付いたようだからと、そっと寝具から出ようと体を動かすと純一の服の裾を握ったまま寝ていることに気づいた。
 仕方ないな、と苦笑して再び寝具にもぐりこむ。
 目の前に眠っている由良の顔があった。初めて由良の顔を真面目に見た気がする。
 男にしては線の細い壊れそうな顔。嫌いな顔ではない。むしろ好きな顔だ。
 学生時代、どうして由良に嫌われていたのか未だにわからない。けれど由良があんな態度をとらなければ、いい友人になっていたかもしれない。
「部屋がない」と転がり込まれても、あんな物置部屋に押し込むようなことをせず、ルームメイトとして楽しくやれたかなと思う。
 由良に抱いていた固くて冷たい感情が、ゆるやかに溶けていくのを感じて、純一は由良の体を引き寄せた。


 純一の朝の寝起きはベッドでゴロゴロと転がり手足を軽くストレッチしてから起きるのが習慣だ。が、今朝は寝返りさえ打てない。腕の中には抱き枕のように由良が丸くなって眠っている。熱が下がったのか呼吸が楽そうだ。
 由良が「うう……ん」と甘い声とともに眠りから目覚めた。純一はなぜかあわてて目を閉じて寝たふりを続けた。
 由良が純一の顔を覗きこんでいるのが、マットレスのへこみ具合と寄りかかってきた体重のかけ具合でわかる。
(……なっ、なんだ?)
 必死に目を閉じて寝ているふりを続けると、由良の長い髪が顔にかかる。近すぎる! 近い距離に胸の鼓動が高鳴る。
 息が顔にかかった、と思った瞬間、やわらかい感触がためらいがちに純一の唇に触れた。それは鳥が啄むように、軽い音をたてて、すぐに離れた。
 頭の中が真っ白になった。キス……だった。ありえない。男に、それも嫌いな男にキスをするなんて、おかしい。
 由良の「おはよう」の声で起こされたかのように、純一は眠そうなフリをして目を開けた。
「朝ごはん、つくるよ」
 そう言って由良が立ちあがりかけたのを、とっさにひき止めた。勢い余って、ドン、と音をたてて細い体が壁にぶつかる。
「いらない、そんなの作らなくていい」
 肩をさすりながら、由良は優しい笑顔を純一に向ける。
「……ぼくの作るご飯、おいしいってよくいわれる。だから純一にも食べて欲しくて」
元気になった由良の顔を見たら、安心したくせに溶けかけた感情がこわばっていく。由良は自分のことが嫌いなはずだ。だからいつも鋭い視線を送っていたし、遠慮なく部屋に転がり込んできた。――でもキスをしてきた。もうわけがわからない。
「おまえ、おれのことが嫌いでいつも睨んでいたよな。いや、今も嫌いだろ。そんな奴の作る食事が食えるか。毒か何か入ってそうで食う気になれない」
 ぶわーっ、と由良の目に涙が溢れた。
「どうして……一体どこからそんなふうに食い違ってしまったのだろう……。嫌いだなんて思ったことは一度もない。むしろ男らしくてスポーツマン純一に憧れていたというか好きで、友達になりたいとずっと思っていたのに」
「――――え?」
 想像していた答えから一番遠い答えが返ってきた。
「純一が好きだ。ずっとずっと前から純一が好きです。純一が――」
「――わ、わかった。わかったから」
 壊れたレコーダーのように繰り返す由良。生まれて初めての男からの告白に、戸惑い動揺する。確認のため話を掘り下げてみる。
「ずっと前って、いったいいつからだよ」
 由良が顔をあげた。泣きすぎたのか鼻が真っ赤だ。
「修学旅行の班に誘ってくれた時。その前から気になっていつも見ていた。けど、それが好きだという気持ちだと気づいたのが『一緒に京都の町で遊ぼう』って言ってくれた時。純一と泊りで過ごせると思ったらなんだか幸せな気持ちになって。ああ、ぼくは純一が好きなんだと思った」
 あれは広樹に無理やり言わされたことだとは言えなかった。
 修学旅行の班への誘い――純一と顔を合わせるのが嫌だったのではなく、恥ずかしくて本から顔をあげられなかった由良の純情がわかって、背中がズクリとした。
 要領が悪く自己表現の苦手な人見知りだと理解すると、冷たく固まりかけていた感情が再び溶けていく。純一の口元がゆるむと、由良は安心して笑った。やはりこの顔は好きな顔だなと思った。
 由良の作ったご飯はとてもおいしかった。同じ炊飯ジャーで炊いたとは思えない炊き上がり。だし巻き卵も魚の焼き具合も素人の域を超えていた。なにより盛り付けがキレイだ。ありふれた日本の朝食が雑誌の撮影時のようにきちんとしている。
 これを今まで捨てていたのかと後悔した。これだけのものを作る手間を知らないわけでもないのに、一瞥しただけでためらわず捨てていた自分を殴りたくなった。
「……すごく、おいしい」
 由良が笑った。恥ずかしそうに唇をかんだ。
「よかった。ぼく料理を作ることしか取り柄がないから」
「もしかして料理を作る仕事をしていた?」
 仕事はやめたと以前言っていた。どんな仕事か興味がなかったから聞きもしなかったが、今は知りたい。それに由良が働く姿は厨房以外に想像がつかない。
「うん、そう」
「旨いって評判だっただろ」
「うん。予約の人がいっぱいいて、みんなが喜んでくれて楽しかった。いつか純一にも食べてもらえたらってずっと思っていた。そうしたら――」
 由良は一瞬口をつぐんでためらいを見せた。
「予約のなかに純一の名前を見つけた。だから張り切って作った。厨房からそっと純一の姿をさがしたら広樹と一緒に、おいしそうに食べていた」
「ちょっと待て。も、もしかして由良のいたのって蒼雲閣? あの予約で一杯の」
「そうだよ」
 編集長の言葉を思い出した。「最近、蒼雲閣は味が落ちたようで……」それは由良が純一のマンションに転がり込んでからではないか。
「もしかして蒼雲閣のチーフコックって、由良?」
「べつにチーフなんて偉くはないけど。ぼくより年が上の人だっているし。でも味や盛り付けはぼくの思う通りにさせてくれたよ」
 はあーっ、ため息をつきながら由良の手を取る。妹の結婚式で食べた料理がよみがえる。この手からあれだけの素晴らしい料理が生まれたのだ。予約が取れないと評判になるくらい舌を堪能させる料理が。
「――由良はばかだよ。蒼雲閣でそこまで料理で成功するのにどれだけ苦労したと思っているんだ。それをふいにしてまでここへ来た理由はなんだ」
「だって……」
 由良は涙をぬぐおうともせず純一を見上げた。
「だって、ずっと会いたかったんだ。同じ東京にいれば会えるかもしれないって思ったけど、全然会えないし。だから予約帳で純一の名前を見つけた時、うれしかった。これで会える、ぼくの料理を食べてもらえる。それで式の後の片づけを終えてから飛び出してきた」
 その言葉通り由良は純一のために料理を作り続けていた。由良は新しい仕事を探すこともなく、食材の買い物以外はマンションにいたようだ。そうして純一の留守に料理を作り、風呂やトイレを磨き上げていた。まるで甲斐甲斐しく夫の留守を守る妻のようだ、と思った。
 ふと学生時代、夕焼けに染まる教室で由良が何か言ったことを思い出した。心の奥にずっと引っかかっていた小さな疑問。今ならそれが純一を傷つける言葉であったとしても笑い過ごせる気がした。
「あの時、教室でなんて言ったか覚えている?」
 由良は少し怒ったように見えた。「なんで今さら」とつぶやく声がした。
「由良は声が小さいから、下校の音楽に消されて聞き取れなかった。あの時、おれは嫌われていると思いこんでいたけど、本当はずっと気になっていた」
 由良はいきなり、ぷいっと向こうを向いてしまった。やはり純一にとって悪い言葉だったのかと思った時、小さいけれどはっきりとした声が聞こえた。
「ぼくは純一が好きだよ――って」
 思わず細い肩をつかみ、振り向かせた。真っ赤に染まった頬をした由良が、ためらいがちに語る。
「あの日、下校時にめずらしく純一が一人で帰り支度をしていた。夕日が差し込んだオレンジ色の教室の中の純一は絵のようにカッコよかった。――思いきって告白した。――好きだよって」
「……」
「いつも純一のことを目で追っていた。純一を見ていると幸せだった」
 いつも感じていた視線の、正しい正体を知って言葉を呑んだ。
「純一はいつも友達に囲まれていて、ぼくもその一人になりたかった。純一と一緒に泣いて笑って怒って……互いの人生に思い出を刻み込む、そんな存在でありたいと」
 由良が純一を嫌っていると感じていたことが、オセロのように音をたててパタパタと裏返っていく。全て逆のサインだった。それならば、いつも感じていた鋭い視線も、目が合うと反らされていた理由がわかる。純情ゆえのテレだったのだ。ボヤ事件の時も、いつもの癖で純一を見つめていただけだった。なんてわかりにくいオトコなのだろうとため息がでる。


 自分は、由良は……どこから訂正が必要なのだろうか。
 純一は後悔した。どうしてあの時、聞き直さなかったのだろう。いや嫌われていると思いこんだ頑なな自分のせいだ。
 自分で自分を殴りたい気分だった。
「由良、おれを殴れ。おれはずっと由良のことを誤解していた。殴ってくれ」
 冷たい床に正座をすると目を閉じた。由良に殴られることで、なかったことにできるわけではないが、そうすることで前に進める気がした。
 どれだけ本気で殴られてもいいように唇をギュッと噛んだ。肩に手の感触を感じた。痛みが飛んで来る、と思った瞬間、唇に由良の唇が重なった。それはさっきと同じ唇の感触だった。やがて由良の熱い舌がそろそろと遠慮がちに侵入してくると頭の中が真っ白になった。離したくなくて、その舌を激しく吸い込む。
「うっ……ん、んん」
 由良が苦しがって鼻を鳴らした。


 昼下がりの薄暗い物置部屋は淫らな熱気に包まれていた。
 由良とのキスを引き金に、血液が引き潮のように逆流する。気がついたら夢中で由良を押し倒し、膨らみのない胸をさらけだした。桜色に縁どられた突起を甘噛みする。
「あ、ああ。んんっ……ん」
 花のような甘い声にゾクゾクしてくる。男に欲情するとは思いもよらなかった。ベルトをしていないスエットは引っ張ると簡単に脱げた。骨ばった腰回りに似合わない屹立が勢いよく天を向いていて、ためらうことなく口に含んだ。ズルズル、チュパといやらしい音をたてて口を動かした。食べてしまいたいくらい愛おしい。
「だ、だめぇ。純一やめて……」
「嫌だ、嫌だ。やめない」
 夢中でしゃぶりながら答える。恥ずかしがって抵抗する由良の姿に、欲情が炎をたてて燃え上がる。そうして蜜口にグリッと舌を突き刺した。
「だって。で、でちゃう。でちゃうから――あっ、あああああー」
 あっけなく由良は果てた。熱があって衰弱していた由良は今度こそ死んだように眠った。


 その日から由良は純一の部屋のベッドへと引っ越しをした。物置部屋は再び物置となり、純一が仕事に行っている間に由良は家事と料理をして過ごす。
 仕事から帰ると湯気のたつ料理を二人で囲んで、会話をしながら食べる。主に話すのは純一だが、食材の買い物途中の出来事をポツポツと喋る由良。元が料理人だけあって、由良の話の内容は食材や調理法など料理に関する話が多い。
 ある時、家にこもっている由良のために料理関係の本を数冊買って帰った。世界の料理が載っている雑誌を選んだ。葉っぱのお皿に手でつかんで食べる料理から、宮中晩さん会に出てくる料理まで幅広く紹介されていて、由良は夢中になって眺めていた。あまりにも熱心に見ているので、かねてから蒼雲閣から編集長経由で預かっていたメッセージを伝える潮時かと思った。実は編集長にだけ由良と同居していることを知らせてある。
 それは二人の別れを意味していた。だから由良に言いだせずに純一の胸に秘めていた。あんまり返事を待たせすぎたので先日、編集長から催促をくらったばかりだ。「由良のために一番いい選択」そう心の中でつぶやいてから、由良を膝の上に呼びよせた。

「い、嫌だ。一年も外国へ行くなんて長すぎる」
 細い体が膝の上で暴れる。純一は落ちないようにギュッと強く抱きしめた。
「でも由良は、本当は料理を作ることが何より幸せだろ?」
「作っている。毎日純一のために作って、おいしいって言ってもらってる。これでいい。ぼくは純一のために作りたいんだ」
 捨てられる子犬のように必死な顔に胸が痛む。けれどミシュランガイドに載ってもおかしくないほどの腕が、主夫で終わっていいのか。由良の輝かしい未来を奪っているのではないかと苛まれる。
「由良、こんなチャンスは二度とない。蒼雲閣のオーナーが全部持ってくれて、帰国後にもう一度迎えたいと言っている」
「……だって……」
 鼻水をすすりながら由良が、痞えながら喋る。
「離れたくないもん。やっと純一と再会できて暮らせたのに……」
 細い肩が腕の中で震える。純一もこの可愛い生き物を手放したくはなかった。
「待っている。由良が帰ってくるまで待つから。安心していって来い。由良だって本当は自分の気持ちに気づいているはずだ。おまえは料理を作って大勢の人に食べさせたい――そうだろ」
 返事の代わりに細い指が純一の肩に強く食い込んだ。


 明日は出発の日だというのに、黙ってベッドでずっとページをめくっている。由良にとって初めての外国暮らしが始まるかと思うと、心配になってくる。修行先は蒼雲閣の紹介のレストランだし、下宿先も決まっていて安心だけど、内気な由良が言葉や生活習慣の違いを乗り越えられるか不安だ。由良も不安なのだろう。だから料理の本を見て不安を紛らわしているのかもしれない。
「まだ寝ないのか?」
 由良は慌ててスタンドの傘の向きを変えて、純一に闇を提供した。
 電気スタンドに照らされた由良の横顔はキレイだ。
 そう言えば前にもこんなことがあったな、と思う。熱を出した時だ。あの時思ったのだ。――むしろ好きな顔だ、と。
 純一の視線に気づいたのか、由良が正面から純一を覗いた。
 由良の顔が近づいてくるのを、純一はそっと目を閉じて迎えた。温かい唇が純一の唇をふさぐ。すっかりなじんだこの熱ともしばらくお別れかと思うと淋しい。
「純一……」
 由良の手が、純一のパジャマの中へおねだりにくる。
「しかたのないやつだ」
 言葉とは裏腹に純一は勢いよく由良を組み敷いた。電気スタンドに照らされた由良の体はいつもよりも妖艶に揺れている。夢中で由良を抱いた。
 終わることなく執拗に責めたてた。由良もいつになく熱くきつく純一の雄を包む。明日から会えない日が続くかと思うと頭も心臓も爆発しそうだ。
「絶対に浮気するなよ、ここに入るのはおれだけだ」
 双丘に指を突きたてると、グイと押し開いて最奥まで責めた。
「これがっ――おれのかたちだ。ふ……むんっ」
「あああ! あっ、あ……あああー」
 ひいひいと喉を鳴らして由良がうなずく。喘ぐ口も噛みついてふさいだ。
 休む間もなく激しく突き立てられ、呼吸困難にまで責めたてられた由良は,水槽から飛び出た魚のようにぐったりとしていた。
 冷たいタオルで体を拭き、水を飲ませてもまだ肩で息をしている。
「ゆ……由良?」
「……ん……」
「ごめん。つい……夢中になって」
 由良の目が笑う形に開いた。
「……純一、大好きだよ」
 その晩は手をつないで寝た。由良の手は暖かい。由良の夢が叶いますように、そう祈って握る手に力をこめた。


 出発の朝、寝坊した純一が飛び起きると由良はすでにいなかった。パスポートがはいっているトランクケースが、申し訳なさそうに部屋の隅に置き去りに立たされている。
 まさか行くのが嫌になって逃げたのか? 由良は普段のおとなしさからは想像がつかない突飛な行動をするときがある。あの蒼雲閣でのキャリアをあっさり捨てて純一の元へと転がり込んでくるような男だ。
 ドアを開けて由良を探しに飛び出した。せっかくのチャンスをふいにするなと、首根っこをつかんででも飛行機に押し込まないと純一の気が済まない。
 エレベーターホールに向かったが、途中の楷で止まったままだ。純一はすぐに非常階段へと向かい螺旋階段を駈け下りた。一階のエントランスを出てどちらを探そうか息を弾ませながら通りを観察した。
 純一の視線が一点に止まった。
 見慣れた服の男がこちらへと歩いてくる。純一に気づくと、犬が尻尾をぶんぶんとふるように手を振ってくる。
「由良、お、おまえ一体どこ……へ……」
 言いかけた口が開いたまま止まった。
 早朝、床屋に行ってきたのだろう。肩まであった長い髪がバッサリとなくなっていた。髪を短くした由良からかわいらしさが消え、いつのまにか精悍さがにじみ出ていて、大人の男の色気さえ感じられる男になっていた。純一は言葉を失って立ちつくした。



 旅立ちにぴったりの晴天がどこまでも広がる。
「……いってきます」
 今にも泣きそうな顔に淡い笑みをうかべて、由良が手を振った。
 出発ゲートへと去っていく後姿を見送りながら、純一は帰国が待ちきれず会いに行ってしまうに違いない、少し先の自分の未来が浮かんだ。

椿有海
グッジョブ
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