• 電子書籍【PR】
  • 紙書籍【PR】

表題作花馨る雨の名を

長谷部一穂 大学後輩で製薬会社MR
入谷友紀 中国茶専門店の店長

その他の収録作品

  • あとがき

あらすじ

入谷友紀の自慢の店『水華茶荘』は中国茶専門のカフェだ。
客足は少ないけれど、好きなものばかりを揃えた店は居心地がいい。
ある雨の日、客もいない店で
お気に入りの中国茶を淹れたところにひとりの客が訪れた。
精悍な顔立ちのスーツを着た青年、長谷部だ。
どうやら長谷部は入谷のことを知っているようで……
それから、雨の日になると現れる長谷部と親しくなるうちに、
入谷は自分の気持ちが友情ではないことに気付きはじめて──
恋に臆病なふたりの不器用な恋の物語。

著者 :千島千鳥

作品情報

作品名
花馨る雨の名を
著者
千島千鳥 
イラスト
宝井理人 
媒体
小説
出版社
大洋図書
レーベル
SHY文庫
発売日
ISBN
9784813041092
2.3

(28)

(5)

萌々

(2)

(3)

中立

(7)

趣味じゃない

(11)

レビュー数
9
得点
49
評価数
28
平均
2.3 / 5
神率
17.9%

レビュー投稿数9

うっとりと吸い込まれる

宝井理人さんの素敵な表紙と、タイトルに惹かれて購入しました。

ストーリーとしては、ある港町にひっそりとある中国茶カフェ(どちらかというと喫茶?)を舞台に、以前ある種の事故のように関係を持ったことのあるふたりが出会い、想いが通じ合うまでが丁寧に、ゆっくりと書かれています。
そのときのことが忘れられず、ずっと想いを胸に秘めていた長谷部と、酒に酔っていてそのときのことは覚えておらず、初対面のように接する入谷。
しかし、入谷もだんだんと長谷部に惹かれていって…

他の方が書かれていたように、確かに少し文章が分かりづらく、言い回しも独特かも知れません。
でも、雨や魚、水、水槽、そして馨り。
それらの言葉が作中何度も繰り返されて、どこか幻想的な世界観を与えるこの作品においては、それもありなのでは?と思いました。
どちらかというと、お話にそれほどアップダウンもなく、ふわふわとつかみ所のないような文章が好きな私としては、ものすごくストライクな作品でした。

雨の日に、ゆっくり中国茶とは言わずとも、好きな飲み物をそばに置いて読みたい作品です。
デビュー作と言うことですので、次回作にも期待します。

4

好きなものが詰め込まれていた作品だが惜しい!!!

雨の情景、中国茶専門のカフェ。どちらも私の激・好きなものです。
あれ、この作者さん私の分身?という冗談はさておき。

作品の最初に雨の情景や濡れた体などの様子が丁寧に、雰囲気たっぷりに書いてあるんですね~。
こういう表現大好きだからいいんだけど、読めば読むほど惜しいっ!!実に惜しい文章です!!
以下、辛口注意です。

作品全体を見渡すと、表現が少しくどいかな、と。
雰囲気を醸し出すための言葉・表現が多用されると、「分かりやすさ」を欠く文章になりがちなんですよね。装飾美に凝った文章ってやたら長く感じて、肝心な部分が文章の中に埋もれてしまって、読む側はどこに注意して読んでいいか分からなくなります。そして読み落とされたり伝わらなかったりで、「で?結局なにが言いたいの?」ってなりますよね。そういう現象を起こさせちゃう文章だな~と思いました。

あと、人によっては、()の使い方が気になる人がいそうだと思いました。心の声を表す時に()を多用していらっしゃって、微妙な使い方だなと思いました。
人気作家さんや文章がお上手だと言われる人たちはこんな()の使い方をする人、一人も居ませんよねぇ。まぁ何かの効果を狙ってやったのか、作者さんが自然にやっていることなのか知りませんけれども、使わなくて済むものは使わないほうがいいんでは、と思いました。

それから、ある形容詞をものすごく多用されています。癖なのかな?
その形容詞が何度も出てくるんですが、それを省いても文章自体になんの影響もないので、その形容詞省けばいいのにと何度思ったことか・・・。

あと、脱字を発見してしまいました。初めての書籍なのに、こういうの可哀想。編集で誤字脱字ってチェックしますよね?どうしたのかしら。セリフの部分だったので、雰囲気ぶち壊しになるので、私自身は気にはしませんでしたけど、何となく作者様が可哀想に思えました。

更に、内容は二人の今の心情に焦点を当てているので、二人の背景がほとんど語られておらず、いわゆる雰囲気系の小説にありがちな、雰囲気で終了している作品になってしまっていました。
攻めも受けも実在する人物のように感じられないので、感情移入ができませんでした。

でも雨の表現は好きでしたよ。中国茶のカフェも好きだし。
この閑散とした空気感、むしろ好きでした。新人の方ということもあって、激励評価をつけました。
過剰表現を抑えて、あと、同じ形容詞の多様をやめて、もうすこしすっきりした文章や表現にすれば、確実に良い書き手になられると思います。次回作からが本当の評価になると思います。

4

移りゆくシーンの魅力。

表紙が宝井さんだったので目がいき、タイトルの詩的な流れに惹かれました。

唐突な冒頭シーンにびっくりしました。その時の”先輩”とその後再会の”店長”がとっさに結びつかなくてちょっとまごつきましたが、不器用なふたりの不器用な近づき方を読んでいるうちにこのお話しが好きになりました。
随所にちりばめられた、やさしい中国茶のおかげも多分に。きっと。
癒し、思いやり、やさしさ、それらに見え隠れする臆病さまで、いいなぁと思う物語でした。

2

雨の情景と馨りが二人を結びつける

読みはじめの感想としては詩集を読んでいる感じでしょうか、冒頭から主人公たちの
心の声がにじみ出るような文章で始まる作品みたいでした。
簡単に言えば長文の文章としては大変読みづらい、軽快にサクサク読める作品では無い。
でも、読み進めると味わいがあると思える内容でもあります。

出会いは大学生の時で、コンパで泥酔した受け様を親しくもない後輩の攻め様が
雨の中を送ったことが出会いで、その時に酔った受け様相手に、雨と馨りに誘われるように
ただ、身体の熱を分け合うようなふれあいをしてしまう。
でもそれは、その一時だけの関係で、受け様は酔っていて忘れているし、
攻め様は二度と会わないようにしていて、卒業してしまう展開。
それがこの二人の根底にあるプロローグ的な感じでしょうかね。

そして、受け様は中国茶を扱う店を一人で切り盛りしていて、併設されたようなカフェは
お客があまり来ないような趣味的な感じなのですが、やはり雨の日に二人は再会。
攻め様はあの日の事を鮮明に覚えているようで、驚きながら受け様を見つめるが
受け様は・・・全然覚えていない。
始めはよく似た人と人違いしたと思っていた攻め様ですが、偶然知った名前はあの時の
受け様で、でも受け様が何も覚えていない事に落胆しながらもそのように見せない攻め様。
後輩だと名乗ることも出来ずに、その日から何度も受け様の店に立ち寄る事になる。

再会した時に攻め様から馨りは記憶を呼び覚ます的なことを言われた受け様は
攻め様が何を思い出すのだろうと、ホントは忘れたいと思っているように感じる記憶が
なんなのか、尋ねる事は出来ないが気になってしまう。
受け様が、忘れている記憶と言うか酔いつぶれていた時の記憶が呼び起こされるような、
忘れたい、でも思い出して欲しいとせめぎ合うような攻め様の葛藤や落胆。
それでも、少しずつなにか目に見えない感情が育っている二人。
雨の日にだけやってくる攻め様の心情が切なく仄かに伝わってくる内容です。
そして、罪づくりな受け様、かなり天然入っているきがするのです。

攻め様が一所懸命過去の二人の間にあった出来事を思い出すきっかけをさり気なく
出しているのに気が付かない受け様、それに気が付かない受け様だけど、攻め様への
思いは確実に育っている、不器用で遠まわりしているような恋なのですが、
じっくり読みこめば読み込むほど心に残るものがある作品のようです。
ただ、読みにくいということは、途中で挫折してしまう可能性も多々ある作品かも。

4

文章が気になって話しに入れなかった一例

よく「つかみはOK」と言って導入部分の引き込まれでその作品に対する印象が左右されることがあるのですが、最初読み始めた時、あからさまな雰囲気を匂わす文章が、実にわかりにくく、言葉の使い方とか、選び方とか、そんなものにイラ立ちを覚えて最後まで読んだものの、気に入らなくて放り投げてしまいました。
再再読でなんとか冒頭が理解できたものの、最初に力を入れすぎているのか、中盤から後半が息切れしたように感じました。

大学の学部飲み会で酔った先輩と一度だけ関係した後輩。
後社会人になって、偶然入った中国茶の店で再会するのですが、先輩は彼を覚えておらず。
しかし通い続けて常連になるうちに、彼と先輩の間のラインは縮まりを見せ、先輩はとまどいを見せ逃げたり、思いこみによるスレ違いがあったり、と、そんな遍歴を重ねながら思いがつながるというお話。

結構な厚みがあるのですが、進展は実に亀の歩です。
多分雰囲気と時間を大切にしているのだと思います。
キーワードは、その過去の一度にまつわる”雨”と茶葉だったり空気だったりその人だったりの”馨”です。
どうして、わざわざ「馨」という漢字をつかうのか?
中国茶を扱う店で、頻繁に登場する、そして主人公たちをつなげる重要なポイントであるその漢字は多分、”かぐわしい”という意味で、この漢字をもってきたのかと推測するのですが、
その香り表現が、自分の脳内に立ち込めるような表現まで今ひとついってなくて、それはあくまで登場人物の記憶と感情を引き起こす為の表現でしか使われていないのが、惜しいと思いました。
あと、文章が雰囲気を重視するあまり、ぎこちなくなっている箇所が、特に前半部分で多く見受けられ、梅雨の季節の湿った感じと、季節が移り夏~エンドにかけての表現や文章にも変化があるのは、それは二人の関係が変わっていったから?
そんな不安定さも見られるような気がしました。

主人公たちについて、過去とか経緯とか一切ありません。
ただ学生時代初対面でたった一度の熱の放出があり、しかもそれを入谷は覚えていない。
長谷部は覚えていたのだが、彼が覚えていないことで恐る恐るとジョジョに接近をして言って、
丁寧にゆっくりと、色々な日常の様々があって時々抑えきれない熱の発熱があって、そしては怯えてしまう主人公たちという、不器用な姿が延々と綴られるのに、ちょっぴり飽きてしまったのは事実だ。

以前もどこかに書いたが、文章が気に入らないと、全部を受け入れにくくなるそんな前例を周到してしまった作品の一つとなりました。
漫画的のストーリーの雰囲気的には、槇えびしさんの「きみにあげる」、井上ナヲさんの「雨音の唄」をイメージさせ、文章だと・・・誰かな?
情景が多いので映像的というよりは漫画的なんだと思います。
いっそ、漫画のほうが入りやすかったのでは?とおもえるようなお話でした。
萌えは・・・申し訳ない!

11

この作品が収納されている本棚

マンスリーレビューランキング(小説)一覧を見る>>

PAGE TOP