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愛に不器用な不遜カメラマン×従順で一途な青年、淫らなイノセント・ラブ
初めて読んだ時は、
あまりひとつひとつが印象に残らず、
話があまりよく解らず、
そんなに面白かった印象が残りませんでした。
本当、無色透明。
絵も派手ではない分、こんな感じ〜の世界で終わっちゃった。
でも今回、続編購入にあたり、
改めて読み返した時に祐仁を中心に読んでみたら、
こんなに面白くて、丁寧に書かれてる漫画だったのかと。
この無色透明な世界を壊さずに、
自分でもどうにもならない、貪欲で虚しいやるせない恋愛の世界が広がってました。
翻弄していくつもりが翻弄されていく隆一と、
彼に翻弄される事をけなげに受け入れながら
成長していく祐仁の関係が、面白いです。
最初は嫌な奴だった隆一の虚しさや焦り、
また、最初まったく魅力を感じなかった祐仁の
無意識な内に出てくるなんとも言えない魅力が、
じわ〜っと無意識の内にこっちの胸にも広がってきて、
最後、なんか悲しい恋愛をしてる時の、
なんとも言えない感じが出てます。
別に悲しさを感じる背景がない関係なんですけどね。
別に相手も自分の事好きだし、周りに隠す必要もないし、
隆一の我儘が通る関係なのに、なんでだろ。
結局は自分のものにならない虚しさがある。
こういう感覚を感じる恋愛って実際にある。
理屈ではよく解らないこの感覚。
それが見事に書かれてると思います。
正直絵もお話も派手ではないので、
ぐいぐい引っ張っていくタイプの作品ではないと思います。
でも無色透明な世界に見える中、
翻弄されていく隆一が面白いです。
じっくり味わって読む事、おすすめの作品です。
「彼が僕を殴ったらいけないんですか?」
道で拾った青年の瞳にのめり込んで離せなくなる、小説みたいな雰囲気だった。
隆一が裕仁との出会いと瞳のことを繰り返し反芻するのだけど、肝心の瞳の描写が超小ざっぱりしてて拍子抜けというか、伝わってこないのが勿体ない。だけど後半になるにつれて裕仁が周りの人と会話をするにつれ、彼自身の立ち位置の認識や隆一への執着(言いなりの仕方)に面白さが出てくる。
カメラマン隆一が裕仁を飼ってやってるつもりで、女を持ち帰って見せつけてみたり、裕仁の写真を撮っても写真展には出せなかったり(その写真が良いんだよ!)、裕仁に詰め寄ってきた男スタッフに犯れって言って抵抗させないようにしたり、自分の気持ちに気付かないフリを必死にして、結局毎回失敗して深いとこまで落ち求めるのが最高でした。世間体気にして同居解消したとたんハメ外れちゃうとこも。
小説みたいな雰囲気や90年代ドラマ、お互いが執着し合う関係が好きな人にはお勧めです。
Kindle Unlimitedより。
先月発売の「下衆とあばずれ」の特典が「無色透明」の小冊子、今月発売の「無色透明」の特典が「下衆とあばずれ」の小冊子。
これ、「2カ月連続発売記念フェア」なんだそうで。
まーたまた随分とあざといフェアを、と苦笑い気味だったんですが、実際「無色透明」を読んでみると、この2作、敢えて対比させながら読んでみるのも面白いなと思い始めました。
というのも、「下衆とあばずれ」と「無色透明」とは、一種対象形の物語なんですよね。
「無色透明」の本来の意味での関連作品は2009年発行の「恋っていうのは」ですが(この作品にはその後の祐仁が登場しています。)、登場人物や舞台背景は全く違っているものの、どちらもS×ビッチMのカプを描いているという意味で、「下衆とあばずれ」と共通項を持つ作品でもあります。
ただし、「下衆とあばずれ」がMにリードされる関係なのに対して、「無色透明」はSがリードする関係。
一対として読むことでそれぞれの面白さが引き立つ、という一面は、確かにあると思うのです。
カメラマンの手塚は、恋愛に囚われたくない、あるいは、恋愛感情というもの自体を拒絶して生きている男。職業柄女性関係は華やかですが、すべてセックスフレンドの域を出ません。
そんな彼が、ある日、雨の中ずぶぬれでうずくまっている少年・祐仁(ゆうじん)を拾います。
祐仁の無垢な(「無色透明」な)瞳に惹かれ、彼を汚したいという衝動にとらわれる手塚。
祐仁を「飼い」、支配していく手塚に、祐仁はされるがままに従属していきます。
SとMと言っても、「下衆と~」のような正真正銘のSMカップルではありませんが、手塚が望んでいる関係が支配・独占と所有物としての従属であることを考えると、2人の関係はやはり一種のSとMなのだと思います。
しかし、祐仁を支配し独占すればするほど、囚われ、支配されていくのは自分自身の側だということを思い知り、その事実に戸惑う手塚。
祐仁が、愛すること、愛されることの喜びを知っていくのに対して、手塚は愛情を自覚しながらも、一方でその感情に縛られたくないという想いも抱いています。
もし愛に縛られてしまえば、手塚の支配者=Sというアイデンティティーは崩壊してしまうわけで・・・
手塚にとって祐仁への愛情が重みを増すにしたがって、逆にそれが2人のバランスを壊す要因になっていく――そんな二律背反の悲しい顛末を予期させるラスト。
2人のその後は、「恋っていうのは」を読んだ人は既にご存知でしょう。
読後に附属の「下衆とあばずれ」小冊子を眺めると、何故同じS×Mでありながら「下衆~」の2人は安定した関係が保てるのかがよく分かります。
個人的には、祐仁を独占し支配したいはずの手塚が、何故彼に写真家を目指すことを許したのか、という部分に納得のいく導線が欲しかったり、絵の粗さがかなり気になったりという面はあったものの、ストーリーは大当たり。トータル大満足でした。
先月、「下衆とあばずれ」の附属小冊子を開いたら「無色透明」だった時には正直怒りしか感じませんでしたが、今や、たまには特典商法に釣られてみるのも悪くないな、なんて思ってる私。
御しやすい読者ですね(笑)
yoshiakiさま、おはようございます!
セコい特典商法を逆手にとっての対比レビュー、大変興味深く読ませていただきました(*^.^*)
ユージンって誰?から早一ヶ月。
ようやく彼の素性が分かりましたねw
自分のアイデンティティを曲げてまで愛を優先できるか?
関係が対等に近づくことは本当に二人の幸せに繋がるのか?
など意外と深遠なテーマを含んだ作品だったように思います。
ほんと、もう少し絵や展開が書き込まれていたら良かったですね。そこがちょっと勿体ないな~と思いました。
私も両カプを比較しながら読み直してみます(’-’*)♪
傍若無人なカメラマン・隆一が、行き場を失った裕仁を拾って飼い始めます。
気まぐれで拾ったけれど懐かれて怖くなり、捨てようとしますが捨てきれず。
自分の心の闇と向き合わざるを得なくなり、深みから抜け出せなくなっていく隆一。
精神的・肉体的暴力をふるわれながらもまっすぐに隆一を見つめ返す裕仁。
虐待されても親を慕う健気な子どものようにも見えましたが、言いなりになるだけではなく、強い意志を持って隆一を愛していきます。
自分は他の女を渡り歩きながら裕仁の事は束縛し、傲慢な言葉を吐く隆一の事は許せませんでしたが、「最低」と思われた人間が愛されて少しずつ変わって行く様子、誰からも愛されないであろう隆一を愛してくれる裕仁の姿に心打たれました。
「プライドが高い人は無条件の愛を知らず自分を愛せないので他人を傷つける事で自分を護ろうとする」という説が隆一にも当てはまるのであれば、裕仁が無色透明の強さで与えてくれる「無条件の愛」に癒され、今後も快方に向かって行けるのではないかと思います。
シリアス&ダークな雰囲気でしたが、間に挟まれている同人誌発表作品の「interval1&2」と描き下ろしの「scene5」は甘く切ない雰囲気。
まだ自信が持てない様子の隆一ですが、きっと大丈夫。自信を失くした時に読むと癒される、そんな物語でした。
「恋っていうのは」の祐仁と、彼の最初の男・手塚の過去。
傲慢で俺様なフォトグラファー・手塚が、雨の日に男の子を拾った…
…と始まるこの物語。
あれこれ女を連れ込んでもあくまで仕事(写真)優先だった手塚が、祐仁と出会って、何もかも支配的に振舞いつつ、祐仁の透明な従順性に絡めとられる様が描かれる。
いつでも手塚に従い、手塚しか見ていない祐仁を理不尽に「淫売」と罵り、誰かの目に止まる事さえも嫌がる手塚。
手塚は祐仁の存在に、というより祐仁に執着する自分、祐仁に依存する自分の姿に怯えるのだろうか。祐仁の所有を確かめるように殴ったり、暴言や無理矢理な性交、それでいてどこにでも祐仁を連れて行き、有能ではないのに助手にし、写真の撮り方を教え、関係を隠さなくなり…
ただ、自分の中で何かが変わり、それに自分が適応できないであろうことを手塚は予期している…
…とここで「無色透明」は終わります。
執着して支配的な手塚と、健気で従順な祐仁の、少しいびつな関係性。
ただ、この2人がのちに「恋っていうのは」の再会に至るまでに、どんな恋情のこじれ、または一方的に捨てられたのか、手塚しか見ていなかった祐仁が男にも女にも誠実に向き合わなくなった過程、手塚にも別れの後何があったのか、祐仁を黒歴史にして封印していたのか、別れを後悔したのか、そんな事を考え始めるとこの物語が一気に面白くなる。
ぜひ「恋っていうのは」とのループ読みをおすすめいたします。