★作品発表★ 著者:伊佐治 祝
「ありがとうございました! メリークリスマス!」
最後のケーキを買ってくれたお客を明るい声で見送りながら、シンゴは今にも雪が降ってきそうな夜空を見上げ、白い息を吐き出した。
「はぁ……」
幸いなことにクリスマスケーキは完売し、あとは片付けをして帰るだけだ。
しかし、クリスマスイブでにぎわう街の路上で、ケーキを売り終えたサンタの表情は暗い。
街を行き交う人たちはみな幸せそうで、独りぼっちのシンゴは余計に悲しくなる。
「ずいぶんと辛気臭いサンタだな」
背後から聞こえた深みのある声に振り返ると、そこには高級そうなコートをまとった長身の男が立っていた。
「あなたは……」
「片付けを早くすませろ。おまえのためにとっておきの夜を用意した」
困惑して立ちすくむシンゴをよそに、男(アツシ)は不敵な笑みを浮かべ手を差し伸べた。
「行くぞ」
「ひとり勝手に決めないでくださいよ。ぼくにだって都合があるんですから」
強引な男を、シンゴは言葉で制した。
「これから何か予定でもあるとでもいうのか?」
「ここを片づけて、この薄っぺらいサンタ服を着替えて、売上計算して、銀行の夜間金庫に入金して、家に帰るに決まってるでしょう」
「その後は?」
「一風呂浴びて冷え切った身体をあたためてから、ふとんで寝る」
「それなら、家に帰る前にわたしに付き合ってもいいだろう?」
断られるとはまったく思っていないことが、よくわかる。傲慢な物言いだが、この男にはそれが似合っていた。
「…わかりましたよ」
シンゴはそういうと、手際よくテーブルの上のものを片づけ始めたのだ。
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シンゴが二年ほど前からバイトをしているケーキショップの男性客。
週に何度も現れる時もあれば、一ヶ月以上やってこない時もある。だが、来店した時は必ずカフェでケーキセットを食べていくという見栄えのいい男のことを、周囲が気付かないわけがない。
男が来店する度に、誰がオーダーを取りに行くのかバイト仲間の女の子たちがバトルを繰り広げていた。
それが店長の目にはいり、彼女たちの仲をこれ以上波立てないようにと、男性バイトが優先してオーダーを取りに行くというルールが出来たのだ。
ある日、シンゴがピッチャーを手にテーブルを見回っていた時のこと。男のグラスの中の水が減っているのに気付いた。
「失礼します」
ひとこと断りをいれ、グラスに水を注ぐ。
男のオーダーは、ミルフィーユ。パリパリとしたパイ生地と甘さを控えめの生クリームとカスタード、そして甘酸っぱいイチゴという取り合わせは人気が高い。
ただし、ミルフィーユはとても食べにくい。食後の皿を下げに行くと、パイやクリームが飛び散っていることが大概だ。デートで食べない方がよい、といわれるのにも納得がいく。
だが、男の皿はキレイなものだった。これだけ美しくミルフィーユを食べられる人はなかなか居ない。
「きみ」
「はい?」
ついっと目の前に差し出されたフォークの先には、最後のミルフィーユ。シンゴは思わず口を開いた。さくっとして美味しい、と感じた途端に我に返る。お客さまの前なのに!
青い顔をしてフリーズするシンゴに、男はくすりと笑っていった。
「名前はなんていうの?」
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着替えたシンゴを、アツシは車で待ちかまえていた。途中で銀行の夜間金庫に売上を預け、その後はアツシの運転に任せる。
あの時の男性客が、アツシだった。それから言葉を交わすようになり、アツシのバックグラウンドを知ることになった。
「今日はコンサートだったんですよね?」
「ああ、無事終わったよ」
アツシはピアニストだった。その世界では有名なようで、何枚もCDを発売しているらしい。活躍の場も国内外に渡るということを知り、店に現れるサイクルに波があるのはそのためだと悟った。
「わたしの招待を受けてくれればよかったのに」
アツシからコンサートに来るよう誘われる度、シンゴはなにかと理由をつけてはぐらかしていた。今回は特に強く誘われたが、クリスマスは稼ぎ時だからといって、首を縦に振らなかったのだ。
「あなたがぼくを誘う理由がわからない…」
「クリスマスに好きな相手と過ごしたいと思うことの、どこが悪い?」
アツシは時折好意を匂わせる言葉を口にし、シンゴを戸惑わせる。
「さあ、到着したよ」
そういってアツシは助手席のドアを開けてくれた。連れてこられたのはシンゴでも知っている、一流ホテル。
アツシが差し出した手の爪は綺麗に磨かれ、よく手入れが行き届いている。乗っている車も身に着けている服や時計も何もかも上質な男。
「どうかした?」
車から降りるのをためらうシンゴの顔を、アツシは覗き込む。
「このホテルの最上階のバーに、いいグランドピアノが置いてあるんだ。どうしてもおまえにわたしの演奏を聴いて欲しくてね、貸し切ったんだよ」
「ぼくはこんな格好だし…」
ジーンズにスニーカー、ダウンジャケットというのはシンゴの年齢相応の格好だったが、ホテルの格にはそぐわないことくらい容易に想像できた。
「第一、ぼくみたいな素人にあなたの音楽がわかるとは思えない」
「…こんな時、自分がピアニストだということが、イヤになる」
「?」
「もし、わたしがヴォーカリストだったら、いつでもその身ひとつでおまえに自分の一番いいところを見せられるのに、わたしはピアノがなければただの人だ」
「そんなことないでしょう?」
世の中の人がたくさん、アツシのことを認めているではないか。
「自分が好きな相手にこそ自分のことを知って欲しい、というのが人間だろう?」
アツシはシンゴに語りかける。
「もっと素直に考えて欲しい。わたしはおまえに専門家ような批評を求めているわけではない。演奏に耳を傾けて、気に入ったら『いいね』といってもらいたいだけだ」
アツシがシンゴに求めるものは、ごくごくシンプルなものだった。
「あわよくばという下心はあるけど、ね」
茶化すように付け加えるアツシのことを、誠実な人だと思った。
いままでずっとはぐらかして逃げてばかりいたけれど、自分は一度真っ向から考えて受け止めなければいけないと感じた。
「なら、少しだけ…」
シンゴはおずおずとアツシの手をとった。アツシは優雅にシンゴを導く。
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きっと、初めて生で聞くアツシの演奏は、いままで頑なに拒んでいたのがバカバカしくなるくらい、素晴らしいものだと感じるだろう。
もしかしたら、ふたりの関係に新たなキッカケをもたらすかもしれない。
あのひとかけらのミルフィーユのように。
おわり