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求めてるうちは、指先にもかすらない
「amato amaro」に収録されていた短編の続編。
1冊通して、タイトル通り、Gadという人物のお話。
前半、ガッドに想いを寄せる人、セフレ関係にある人の話がきて、あれ?誰かとくっつくとかではないのね、と読み進めると、表紙絵のエピソードがきて。
次の話で、ガッドの過去が語られる。
ガッドは元々とても繊細な子だったんでしょうね。
だから義父に亀のタトゥーを彫られた。
「地にしっかり足をつけろって」
「お前 飛んじまいそうだからな」
その後も、ベランダに立ち、飛びそうになるも、その亀のせい(おかげ)で踏みとどまっている。
(義父以外には)誰にも心を寄せることもなく。
アレッシオはいつまでも義父を思っているガッドに嫉妬して、あんなひどいことを言ったんでしょうね。
「ガッド "スフォルトゥナート"」と。
結局、ガッドは義父からの電話を受けることはなく、クリスマスにいろんな人(これまで登場した人物たち)に声をかけられても乗り気でなく「(毎年)バルコニーでひとりだよ」と答える。
このシーン、大切な人と過ごす時期に、いろんな人に声をかけられながらも、ガッドはひとりだとまざまざと自覚していく気がして。
で「そういう歯車」と思っているんだろうな、と感じていたら、そのセリフを言った相手(小説家)が再登場。
この後、大家との関係も清算することに。
そこでも「そういう歯車だったんだ」←この言葉、誰のせいでもなく、誰を責めることもなく、そういうものとして受け止める、ある種達観した境地ですよね。
バルコニーから飛びたくても飛べないガッドが、生きていく上で得た人生観。
そして、ガッドが居候先に選んだのは、冒頭と同じようにバイクでやってきたピエリーノ(友人)
これまで登場した人物が、終盤で次々と集約されていく構成が気持ちいい。
ラスト、ピエリーノ宅のバルコニーは物が溢れていて出られない。そこで2人でピザを食べる(これも冒頭にあったシーン)なのが、お見事でテンション上がりました!
ガッドに気があるとか、体の関係とか、そういうのではない純粋な友人と、飛べないバルコニーでピザを食べる。それこそが平穏な日常と言わんばかりに。
タイトルの "Sfortunato" の、Sが薄い色なのは、合ってもなくてもいい、または、ガッドはあると思っているけど、そんなものはない(ラストシーンが平和)という意味にとれるかなと思いました。
カバー下が、表紙と反転して、暗闇に浮かぶ窓バルコニー(ガッドの姿はない)のもおもしろい。
ガッドが部屋を出て行った後、もうここから飛ぼうとするこもはない、という表現なのかなと感じました。
しかし、絵が更にいいですね。
線が気持ち太くなった?
どのコマをとっても、一枚のイラスト、一枚絵として成立する。額に入れて飾りたいくらいの完成度とかっこよさで、全ページずっと惚れ惚れしていました。
ちるちるのCP表記の、ガッドの知人多数って面白いですね。事実だけど身も蓋もない笑
結局はガッドと寝たら、ガッドと寝た人の1人、大勢の中の1人になってしまうんですよね。ピエリーノ(友人)だけが一緒のベッドでただ眠ることができる相手だと思うと、そんな相手がガッドにいることに嬉しくなる。ピエリーノの家にはバルコニーすらないんですもの。
ガッドも、彼を求めているうちは会うことはおろか電話を取ることすら出来ないのでしょう。そういう歯車だから。
このページ数の中でこれだけの人間模様を描いて、かつガッドの過去や人となりも伝える、すごい一冊です。
いろんな男性を引き寄せる刺青師ガッドの物語。地に足着けた生き物である亀の刺青を背中に入れながら、その性生活は地に足が着いているとは到底言い難いものです。来る者拒まず去る者追わずな人生。ただし、快楽好きのビッチなのかと問われれば、それとはまた違うような。孤独を埋めるための行為にも思えないし、彼は一体何のために、不特定多数の男と関係を持つのか。
私には彼は不幸でありたがっているようにも見えました。名前の通りにしか生きられないと思い込んでいるような、そんな印象を持ったんです。自分に言い寄ってくる男達を受け入れながら、「どうせお前も一時的なものに惑わされているだけだ」「すぐに他の本当に愛すべき人の元へ帰っていくだろう」「ほらな」と思うことに、自分は不幸だと感じながらもどこか安心しているんじゃないか、そう感じました。
街へ出かければ、困ったことが起きれば、何人もの男から朗らかな声がかかるガッド。でも、彼はきっと孤独であり続けたいのでは。愛し愛されるという一般的に幸せな関係は、彼にとっては不安が多く落ち着かないものなのかもしれません。彼に言い寄らないピザ好きの友人といる時が、一番彼がありのままでいられているような気さえしました。萌えは多くなかったけれど、そんな複雑な人間の心を見事に描いていたと思います。
「amato amaro」内の一編「tattuagio」の彫師・ガッドの物語。
アパートの一室でタトゥースタジオを営むガッド。
決まった恋人は作らずに、話しかける勇気も無く水漏れを装う階上の作家や(「macchia nera」 黒い染み)、妻もいるアパートの大家や(「il mio lavoro」私の仕事)、「tattuagio」の日本好きの元恋人がイタリアに日本人のタトゥー職人と一緒に帰国してきて、彼らと3Pしたり(「esitanza」躊躇…?)、その元恋人に未練がありつつガッドが好きな男とも(「sfortunato」不運)。
気持ちの無い相手たちと何となく関係はする。
みんなガッドは本気にならない、って思ってるけど、ガッドにしてみれば相手がいずれ飽きて離れていく、と思ってるふしがある。
12の時、母の男、つまり義父(日本人彫師!)に恋したガッドは、腕に「和」と腰に亀を刻まれて、だがついに想いは届かず。
この永遠に実らない初恋が、彼の諦めのような遍歴につながっているのかな。
最終話「ingranaggio(歯車)」にて、ナターレ(クリスマス)前の弾んだ街角で次々知り合いと行き会うガッド。
みんなに声をかけられて、それでも自分はひとり、と思ってただろうけど。
そしてガッドの日常の歯車が切り替わる時が。
それまでのアパートを出て、唯一セックスしなかった友人のアパートへとりあえず向かうガッド。ガッドはひとりなんかじゃない。だってウチに来てって引く手あまた。
亀の重りでかろうじて飛び降りなかったバルコニー。今度の部屋のバルコニーには荷物がいーっぱい!だからもう飛び降りないよね。
表紙からも感じられるガッドの孤独感、捉えどころの無さ、生に投げやりな感じのガッドだけど、自分が思ってるよりもずっと温かい想いに包まれてた…そんな人間礼賛の1編だったのかな…
S、の使い方も秀逸。
タトゥー大好きだから、ということもあって点も甘くなるけど、文句なしの「神」で!
bassoさんの作品はオノナツメ名義の作品も含めて、自分にはちょっと難しいというか感じ取りにくい印象があって一読してピンと来なければ諦めてしまうのだけど、本作は彫り師が主人公になっているのとテーマ的に自分の好きな分野だったことも手伝って今のところ唯一読み返し出来た作品。
彫り師〔ガッド〕の周りに集まる人物たちを通して、ガッドの内面に踏み込んでいくお話。
ガッド自身が自分語りをすることはなくモノローグがないから、ガッドと登場人物たちの会話だけが作品を読み取る頼りとなる。
そんな手法は漫画を読むという意味では読み甲斐があるし、bassoさんのこのオシャレな雰囲気には合っているのだけど、なかなか難しい。
上手く読み取れない読者にとってはただの雰囲気マンガになってしまう。
私はたぶんまだきっとそっち寄り。
正直よく分からない。
ただ、ガッドに向けられる何気ない言葉の中に時折ナイフのように鋭く切り裂くようなものが混じっていて、それがガッドを孤独な夜のバルコニーへと追いやっているんだろうなと思う。
ガッドと関係した周りの人たちは自分のことを「ガッドにとっては通り過ぎていった大勢の1人」と思っているのだけど、ガッドにとっては自分こそが「誰にも立ち止まってもらえない、大勢に通り過ぎられる1人」な訳ですよね。
その孤独感は想像するだけで辛い。
ラストのこれは、孤独の闇から掬い上げられたと解釈してもいいのかな?
出たくても出られないバルコニーのお家に引っ越す、か。
なるほどと思いました。
評価の萌2は今の精一杯。
そのうち神を付けられる日が来るのか来ないのかはどうだろうね。
付けられないままでいられる方がもしかしたら生き方としては幸せなのかもしれない。