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……僕は大人の女性を愛せません。 僕の好きな人は、大人でも女性でもないんです。
木原先生の非BL作品。あらすじ、表紙、そして木原作品という事で痛い作品なんだろうな、と想像しつつ読みました。
この作品は小児性愛をテーマにした作品なので、子どもを性的な対象にする、というのが地雷な方には全力で回れ右をお勧めしたい。子どもを性的に嬲るシーンが割とがっつり描かれていますので、(こういう言い方はアレかもしれませんが)胸糞悪いシーンが多く出てきます。
という事でレビューを。ネタバレ含んでいます。ご注意を。
この作品は3つのストーリーから構成されています。
精神科の個人医院に勤務する看護師の町屋と、彼の勤務するクリニックに患者として訪れた久瀬の話を描いた、表題作『ラブセメタリ―』。
孤独死を迎えたホームレスの伸さんを描いた『あのおじさんのこと』、『僕のライフ』の二編。
『ラブセメタリ―』
町屋の勤務する精神科に暗い目をして訪れたのは、身なりもよくイケメンの久瀬。彼の相談の中身は「性欲を減退する薬を処方してほしい」というもの。
精神科医で院長の飯田は彼の訴えを根気よく話を聞くが、彼の悩みのそもそもの根源は「自分の愛する人は、大人でも女性でもない」という事。
つまり、久瀬は小児性愛者である、という事。
久瀬が想い人と身体を繋げるという事は、すなわち犯罪になってしまう、という事。
そんな彼を、初めは理解することができなかった町屋ですが、ある日偶然彼を助けたことから友人という関係に。久瀬が助けを求めたクリニックの看護師であることを告げることができないまま、二人は良い友人関係を築きはじめるが…。
町屋はゲイ。自身の性癖に引け目を感じつつ生きている。
そんな彼が出会った、「子どもしか愛せない」という久瀬。
久瀬に恋愛感情を抱き始めた町屋は、自分の恋が成就することがないことを知っている。なぜなら久瀬の恋愛対象は「子ども」だからだ。
町屋はゲイではありますが、この話は「小児性愛」がテーマになっているため、BLとしてストーリーが展開することはない。BL的な萌えはない。
もし彼らが違う形で出会っていたなら、二人の結末はまた違ったものであったのではないかと思うと胸が痛かった。
『あのおじさんのこと』
『ラブセメタリ―』で、町屋のゲイ仲間であり良き友人でもある大輝に、町屋が小児性愛について質問するシーンがありますが、そこで大輝が話してくれたホームレスの「伸さん」が登場します。
その伸さんのことを、とあるきっかけで調べ始めるのが、『ラブセメタリ―』の久瀬の、かつての想い人であった彼の甥っ子の伊吹。
元々は小学校教諭で、子どもたちにも同僚の先生たちにも慕われていた人望のある先生だった伸さん。その伸さんがホームレスになった経緯を調べて行くうちに、伸さんが小児性愛者だったことが分かり…。
そこで伊吹が知る、小児性愛者という存在。
そして自身の過去の回想とともに、子どもだった頃自分を可愛がってくれた伯父さんである久瀬に思いを馳せる。
主人公は伊吹でありながら、このストーリーで描かれているのは、彼の目を通して徐々に分かってくる伸さんと、彼のおじさんの共通点。
小児性愛という性癖。
『ラブセメタリ―』とは全く異なる話かと思いきや、絶妙にリンクしたストーリ展開が素晴らしい。
『僕のライフ』
伸さん視点のお話。
「僕のライフ」というタイトル通り、彼の回顧録。
昔から小さい子どもに性的に興奮する性癖。
そして良き教師であるという顔と、外国に赴いては小さな子どもを買うという二面性。
彼が小さい子どもに性的に接触する行為が頻繁に出てきて、正直胸が悪くなりました。そういう描写が苦手な方にはかなりきついと思います。
教師という職を辞してからは、彼が自身にかけていたストッパーが外れ、どんどん転落していく。良き教師であったはずの伸さんが、ホームレスへ、そして子どもに手を出す犯罪者へと堕ちていく。人は、理性があるからこそ「人」でいられるのかもしれないな、と。
犯罪を犯さないよう悩みもがく久瀬。
箍が外れ自身の欲望を抑えきれず子どもに手を出してしまう伸さん。
この対照的な二人のストーリーを描くことで、より一層読者に訴えるものがあったように思います。
本来、人が人を愛するという事は優しく温かいものであるはず。
けれどその対象が子どもであるというだけで、それが苦しみを産む。
でも、子どもを性的な対象にしていいわけがない。
何が正解で、何が不誠実なのか。
このご時世に、あえてこのテーマで切り込んだ木原先生の心意気に拍手を送りたい。
エピローグで、久瀬と伊吹のその後の話が描かれています。
このエピローグも非常によかった。というか読み手によってどうにでも取れる終わり方だったと思います。
久瀬の、「過去の切ない失恋」は町屋との恋の事ではないだろうか、とか。
伊吹が海外に目を向けるようになったのは、貧困ゆえに身体を売るしか手段がない子どもの存在を知ったからではないだろうか、とか。
どれが正解なのか、答えが出せない。
救いがないといえば救いがなく、けれど、今まで怒りと嫌悪感しか抱くことができなかった「子どもの性的被害」という事柄に、目を背けるだけでなく加害者にも目を向けるきっかけになった作品でした。
伊吹が伸さんについて調べて行く過程で感じた、「服の表と裏の様だ」という感想が良い得て妙だな、と。人に見せる綺麗な面と、ツギハギだらけの、裏の面。人はだれしもそういう所があるんじゃないのかな。
もう一度書きますが、地雷の方が多い作品かと思います。けして万人受けする作品ではない。読んでいて気分が悪くなる描写も多い。
けれど、非常に考えさせられる、素晴らしい作品だったと思います。
非BL作品なので「萌え」はありませんが、一つの作品として読んだ時に文句なく素晴らしい作品でした。
非常に感想を書き辛い。
落としどころがない。
子供しか愛せない=子供にしか欲情しない。
欲望を満たす時=犯罪を犯す時。
これは当事者は地獄だろうと、予測で語るにも重すぎる。
人の親として、かつては子供だった者としての真っ当な意見はあるけれど、そんなのは語っても仕方ない。
こういうマイノリティもある。
常識では絶対に認められないけど、こういう嗜好を持って生まれてきた人がいて、倫理観と欲望との狭間で死ぬほど苦しんでいるんだと、それを知ることができました。
久瀬さんの幸せには、子供の犠牲が伴う。
常識人でもあるから、自分の罪にも苦しむ。
生き地獄だなぁと。
今はこんなことしか書けません。
電子書籍版を購入。
前知識なしに、非BLということさえ知らずに読み始めました。
さすが、木原作品。
話の運び方というか、見せ方が自然で巧みです。
作中のセリフ
『子供に手を出す奴は、まとめて牢屋に閉じ込めちまえ』
と私も思っていました。
それは、今も変わらない。
でも、
『愛する人の変化を受け入れられない自分と、継続しない愛情。』
という苦悩まで考えが及びませんでした。
例え、思いが通じあったとしても……プラトニックだとしても、その愛は続かない。
だって、子供は成長する。
こういった性嗜好の人達は、永遠にハッピーエンドを迎えることは出来ないのでしょうか。
だとしたら、悲しすぎる。
どういった結末だったらハッピーなのかと考えてみましたが、その答えはでないままです。
何度読み返しても、モヤモヤとした感想しか湧いてこない。
幼児性愛が生まれつきの変えようのない性嗜好なら、どうしたらいいのだろう。
性欲は食べ物と違って無くても死なないのだから、薬とかで鎮めるしかないんじゃないか?と冷たく思ってしまう。でも、それは今の日本ではとても難しいのだろう。久瀬が精神科のクリニックで懇願しても、そういう薬を処方してもらえなかったみたいに。
久瀬のセリフが心に突き刺さる。
「子供を愛するというだけで、永遠に理解されないんだ。だってそんな不愉快に感じることをわざわざ理解しなくたって、変態ってカテゴリーに収めて排除してしまえば楽だからね。」「犯罪に走るものが出てこない限り、誰も僕たちのことを理解しようとはしない。逆に言えば、理解しようとしないから犯罪が起こるんだよ。」
もし自分自身やわが子が当事者だったら、久世のように、助けてほしい!何とかしてほしい!と叫びたくなるだろう。
でも一方で、久瀬の言う「愛する」は性愛だけの愛で、精神的な愛は感じられない。究極の期間限定の見た目愛。大人の体になったら終わり。エロス限定の愛。それってなんだか寂しい。
久瀬は自分の性嗜好を知りながら好意を寄せてきた町屋に「可哀そうだと思っているんだろう」と攻撃しながら、実は自分自身を憐れんでいるように感じた。だから、町屋を辱めて傷つけても痛みを感じない。久瀬はエロスを抱く対象にしか心からの優しさを向けられないのかな。甥の伊吹に優しく接したように。満たされないからこそ、強く性愛に囚われてしまうのかな。
ホームレスの伸さんは、久瀬のように踏みとどまらず、一線を越えて開き直っていく。真面目に教師をして得たお金で海外に子供を買いに行く。「金を支払って気持ちのいい思いをさせて、お菓子をあげて喜ばせて、他には何も悪いことをしていない。」と言うけれど、ブローカーが子供にきちんとお金を渡しているとは限らないし、需要があるから供給があるわけで…。悪いことはしていないと、きっぱりと言い切ってしまうところがもう怖い。公園で幼い子供たちにいたずらを繰り返すことにも、何の痛みも感じない自己中心的な人間になり果てたのは、彼の人間性なのか、幼児性愛に執着するからなのか、何度読んでも分からない。
伊吹は久瀬の甥で、久瀬の過去の想い人。その伊吹が伸さんのことを調べるうちに久瀬の性嗜好に気付いていく過程が、たまらなく残酷だと思った。
傷ついた町屋を慰める大輝が優しくて、この作品の中で唯一ホッとした描写だった。
最後まで読んで、答えも救いも見えないこの作品。なぜ木原さんは書こうと思ったのか。
ひょっとして、伊吹のセリフ「自分が感じたこの胸糞悪さを多くの人と共有したい。」、こんな気持ちもお持ちだったのかもしれない、と想像した。
何と言ったら良いのかわからなくなる。
子供しか愛せない。子供しか性的対象としかみることのできない、
身なり 外見は完璧な主人公、久瀬の話。
子供しか愛せない、いわゆるペドフィリア。
現代でも後を絶たない子供を性的対象とした犯罪。
いつ自分の欲望に負けてしまうのかわからない。暴走してしまうかもしれない。
そんな恐怖と戦っている。
普段ニュースなどで耳にしては耳を塞いでいる
欲望がおさえられなかった人たちの心の本当の叫びかもしれない。
久瀬だって望んでいなかった、生まれたときから子供
しか愛せなかった。そのせいで誰からも理解されない、密かに想うことしか
できない。
自分の欲望に負け、欲望が満たされるときは自らが犯罪者になるとき、そして
まだ幼い子供が性行為を行うとき。
確かに救われた話ではない、「萌え」というものもない。ただただ考えさせられる。