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元作品にリスペクトはあったか

下巻で作品内容のレビューは書いたのですが、やはり別途モヤモヤして問題では?と感じた部分をこちらに書きます。この作品、また過去作の『心を殺す方法』が好きという人にとってはネガティブな意見になると思いますので、ご注意下さい。

本当はネガティブ側の意見も読んで欲しいという気持ちはありますが、自分が好きなものを否定された=自分まるごと否定されたと感じてしまう人もいるかと思うので(全くそんなことはないのですが)、無理して読むことはないと思います。

では本題ですが、下巻のレビューで、この作品の元ネタは『太陽がいっぱい』の映画化作、『リプリー』だというのは指摘しましたが、『太陽がいっぱい』の原作者、パトリシア・ハイスミスは同性愛者で、ハイスミスが生きた時代は同性愛者が今よりずっと肩身が狭い、禁忌とされる立場にあり(同性愛と分かると精神科に通院させられることもあった)、そんな中匿名で女性同士の恋愛小説を書いたり、公でも同性愛とははっきり書かず、男性同士の複雑な心情をサスペンスの中で書いてきた作家でした。

好きな人に成り代わり、好きな人の全てを手に入れたいという『太陽がいっぱい』の主人公の心理は、その時代背景や環境から書かれたものではないかと言われてます。今では間違った方向ですが、当時は同性愛の表現方法をそうするしかなかったという事情があったのかと思います。

で、何がモヤモヤするかというと、今のBLの主流はポルノ的(性器や結合部や体液をしっかり描く)セックスシーンを含むもので、そこは私もBLを読んでいる中で楽しんでいる部分なので、大きな口は叩けませんが、同性愛者の生き辛さを内包した作品を元ネタとし、ポルノ要素をぶち込んだ、火サス昼ドラエンタメBLとして消費して良かったのか?というのが、個人的には今作の最大のモヤモヤポイントです。

リメイク映画の『リプリー』は、個人的には今となっては良くないなと思うラストですが、同性愛が禁忌だったから、同性愛者は不幸な末路を迎えるというラストになってしまったのは時代設定的なこともあったと思うので、『リプリー』に関しては多少仕方ない部分はあるのかなと思いますが、現代でわざわざ『リプリー』の方を元ネタにしたのもモヤモヤしました。原作は決して晴れやかではないけど、救いのないラストではないですし。

これは『心を殺す方法』でも言えることですが、『心を〜』の元ネタと思われる『残酷な神が支配する』は、性暴力に遭った主人公の少年の心の回復の困難さを描きつつも、ひとつひとつ、失ったものの中でも取り戻せるものは取り戻していく話でした。しかしそれを元に、何の解決もせず、性暴力を容認する話にしてしまったのは、個人的には元ネタに対するリスペクトが著しく欠けてないかと思い、読後引っかかっていたのですが、今回この作品を読んで、やはりオンブルーでのカシオさんの諸作品は、人の褌のセンセーショナルな部分だけ切り取って、相撲を取る感じなのだなという思いに至りました。

『太陽がいっぱい』も『残酷な神が支配する』も、衝撃的な部分だけに目を向ければ、「罪を犯した同性愛者が孤独に追い込まれる話」「義父から酷い性虐待に遭い、実母もあてにならず、苦しんだ末に或る事件を起こす少年の話」になってしまい、恐らくその部分だけを切り取ったのだと思いますが、両作とも、話の本質はそこではないと私は思ってます。
もちろん読み方は人それぞれなので、両作を読んでも不幸なサスペンスやレイプ部分にしか興味が向かないという人もいるとは思います。ただ、元ネタがショッキングな性質だけしかないとか、発案がオリジナルなら、倫理観云々をあんまり言うのも野暮だなとは思うのですが、元ネタがあって、その元の作品の本質を無視し、衝撃的な部分だけを消費するのは問題では?というのが私個人の意見です。

まあ、オンブルー自体がレイプを扱った作品に関しては、問題意識が希薄ではという気はしているのと、編集部というのは結局は話題になることと売り上げしか気にしてないので、倫理観や意識は作家さんの裁量によるものだと思います。
そんなのBLはファンタジーなのだから、どうでもいいという人にとっては、このレビューはどうでもいいことだと思います。

でも、『ディレッタント』や『心を殺す方法』をただただ盲信的に支持することは、『太陽がいっぱい』や、『残酷な神が支配する』を読んで、ストレートに表現することは叶わずとも、同性愛を何とか表現し、時代や環境からの抹殺から逃れた話や、レイプによって魂を殺されても、どうにか辛くも回復に向かい、家族間での支配性に言及した話に感銘を受けて、救われたと感じた人を足蹴にする危険性もはらんでいるのではと思い、書いた次第です。

長々と失礼致しました。ここまで読んで下さりありがとうございます。

オンブルー2作に個人的に問題があると感じていて、それ以外の過去作には良いなと思う作品もあるので、当然ですが、作者さんや著作全般を否定するつもりで書いた訳ではないことをご理解下さい。


話の骨子が『太陽がいっぱい』

貧乏青年と、性格に問題のある金持ちの息子と、その恋人の成り代わり三角関係BLというあらすじを読んだ時に、パトリシア・ハイスミス原作の『太陽がいっぱい』とその映画化作品2作に似てるな。設定を借りてきたのかなと思ったのですが、本編を読んでもやはり似ているなと感じました。

そういえば、『心を殺す方法』も萩尾望都先生の『残酷な神が支配する』を所々思い起こすシーンがあったなと思い出しました。
個人的な見解ですが、作中、『残酷な神が支配する』の重要局面の元ネタと思しき『悲しみよこんにちは』も出てくるので、他の想起させる部分を含め、そうではないかなと思っております。

ただ、『心を殺す方法』は『残酷な神が支配する』の支配欲と愛の違い、義父から性虐待に遭った主人公の丁寧な魂の回復の過程、対話を諦めないという骨子の逆張りで、キャラクターの設定を変えた作品という風だったので、想起させるぐらいの印象でした。が、今回は読書中、『太陽がいっぱい』(99年リメイクの映画『リプリー』の要素が1番多いと思いますが)がそこかしこにチラつく、パロディというか焼き直しという印象です。

もちろんそのままではないですし、あらゆる作品が何かのパロディといえばパロディなのですが、『太陽がいっぱい』や『リプリー』を知ってると、たぶんこの作品の要であるサスペンスの大筋が予測ついてしまったので、初めて読む作品なのに、読んだことあるみたいになり(BLジャンルにはあるあるで、そこを求めて読むこともありますが)、この話においては先の展開がどうなるかのサスペンス部分が重要だった気がするので、もうちょっと既視感のないものが読みたかったな…となってしまいました。また、やはり『太陽がいっぱい』及び『リプリー』の時代背景と舞台設定ならスルーされるストーリー運びも(特に事件後の展開)、現代だと厳しいものがあるのも気になりました。ここを現代でも無理のないものに変えていたら、もっと印象は変わった気がします。
いくら別荘地とはいえ、防犯カメラに何一つ引っ掛からなかったのかなとか…。

逆にそこ変えてしまうのかと思ったのは、太陽がいっぱいは主人公が金持ち息子に嫉妬や憧れを抱き、彼が好きで(60年の映画はこの同性愛要素がなくなってますが)、仲違いをしたことをきっかけに、彼の全てを自分のものにしようとして成り代わる話なので、好きな人と間違った方向に一緒になりたいという心理がゾワゾワしていいのですが、本作は鉄馬に嫉妬や憧れはあるが、好きではなく、成り行き上、成り代わるので、あまり成り代わりに伴う心情の旨味がないと感じます。ただ、リメイク版の『リプリー』の方は事の成り行き上、成り代わるので(主人公が金持ち息子に好意を持っているのは原作と同じです)、こちらに倣ったのかもしれません。

そもそも新しさを求めて読んでいる作家さんではなく、作者さんの作品に昔のジュネっぽさへの憧れや、懐古趣味的なものを感じる時があり、個人的にはそこを期待して読んでおりますが、やはり今作は読後の第一感想が「ずっと『リプリー』がチラつくな…でも『リプリー』の方が色々納得できるし巧みだったな…」と、ついいちいち比べてしまったので、個人としては評価しにくいです。
あとこれは筋とは関係ないのですが、猟銃の保管法が現実だったら完全にアウトだな…と思いました。ガンロッカーに入れておかないと、所持許可取り消しになると思います。
ちょっと元ネタに頼り過ぎて、おざなりになっているところが多々あるというのが本作の総評です。

不穏な心理描写や、綺麗な色っぽさがあるところや、表情の描き方は好きなので、そこは変わらず良かったです。

知らない人にとっては何のことやらなレビューで申し訳ないのですが、気になった方は『太陽がいっぱい』、または『リプリー』で検索すると、映画版のあらすじは割と詳細に出てくると思います。
原作小説、映画の筋は同じでも、それぞれに違う面白さがあるので、実際に読むか観て、本作と比較しても面白いかと思います。

ザッと一部の比較を紹介すると、三角関係、リンゴが罪の果実のモチーフは60年映画版に近いと思います。

また、学生に間違われたことがきっかけで、どんどん成り行きで嘘をついていく、相手の興味があるものを勉強して相手に近づく、金持ち息子の過ちを自分がやったことにしようかと主人公が持ちかける、こめかみ殴打、探偵が出てくる、乗り物のシーン、金持ちの父親が息子に愛想を尽かし、主人公に目をかける、嘘を重ねることに苦しむ主人公のキャラ、金持ちDV息子のキャラなどは99年リメイクの『リプリー』に近いです。(作中の夏原の「すごく優しかったと思ったら〜」や鉄馬の「本当にうちの大学の学生かどうか賭ける」などの台詞は『リプリー』に出てきたのとほぼ同じなので、やはり本作は『リプリー』の要素が多いです)。

物語の最後は本作の夏原が気付いた感じと(『リプリー』でも金持ち息子の恋人があることがきっかけで気付く)、その前に象徴的に出てくる首を絞めるシーンから、『リプリー』の最後を想定されているのかなと思いました。
本作では、その寸でで止めているような終わり方ですが。