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予想外のシリーズ着地点

この作者さんのこのシリーズは、濡れ場が濃厚過ぎて、正直途中でお腹いっぱいという感じもあったのだが。今回の同時収録作品『華の柩』は、個人的にシリーズ最高傑作だと思う。とても余韻のある素敵なお話だった。
表題作『子爵と冷たい華』は、このシリーズのカップルとしては、健全というか、まずまず穏当な二人。
勿論、この作者さんらしく、その手のシーンはそれなりなのだが、主人公二人の性格設定諸々は、シリーズの中ではかなり健全だと思われる。
多分にこれは、彼らの年齢や社会的地位が、シリーズの他の登場人物たちに比べ、それほど高くないせいだろう。
攻受ともに、年相応の若さや青臭さ、傲慢さや一途さはあるものの、彼らが背負っているものがそれほど大きくはないため、とごか可愛らしささえ感じられるカップルであり、攻の執着具合はかなりのものがありつつも、全体的には甘酸っぱく可愛らしい話だった。
対して、同時収録の『華の柩』。
これは、何というか。いってみれば二人の男の数十年に渡る至上の純愛なんだけれども、ただそれだけでもなくて。
登場人物(主に受け?)の傍迷惑さ、自分勝手さは、このシリーズを通じてピカ一かもと思われるが、その根底にあるものが、ただの淫欲や独占欲ではなく、冷徹過ぎる理性ってところが、何とも悩ましく萌えてしまう。
思うに、この貴久さんって、清潤寺シリーズの存在感ありありなご当主三人(貴久・冬貴・和貴)の内でも、もっとも自らの身体に流れる清潤寺の呪われた血に対して、絶望的ともいえる諦観を抱いているのではなかろうか。
冬貴はそもそも淫欲の意味や穢れた血筋自体を頓着していないし、和貴はどうにかしてそうした血の呪縛から逃れよう逃れようと喘ぐのだけれども、この貴久さんは最初からすべてを諦めている。
清潤寺の「千年の孤独」の呪いからは、自分達一族はけして逃れられない、自分は生まれながらに禍々しい存在だと信じていて、そんな自分の望みは末世、この世を混乱と恐怖に彩られた世界にすることだと頑なに信じ込んでいる。
だから、貴久は嵯峨野に向かって、自分には人の世の情も理も判らない、端から自分の中にはそんなものは存在しないと嘯く。その身を案じる嵯峨野の想いなど知らぬげに、混迷を極める幕末の京都で、喜々として自分の淫蕩な身体を餌に討幕派佐幕派双方の陣営で暗躍するのだ。
そんな貴久に対して、当初は驚愕と困惑、そして焼け付くような独占欲しか感じられなかった嵯峨野だが、やがて貴久の中に巣くう諦観の深さを憂い、自らの一生を賭けて、貴久に人としての情を感じさせてやりたいと希うようになる。
その為に、異形である貴久が心穏やかに生きていける箱庭=貴久の為だけの新しい世を作ってやると決心した嵯峨野は、見事その目標を達成。明治の御代では、押しも押される老獪な政治家としての地位を確立するに至る。
激動する時代のうねりの中でただの一度も身体を重ねることなく、化生でありながらも聡明すぎるがゆえに自らの破滅の欲望にも溺れられない愛する者(貴久)のため、此岸の戯れの遊び場を作ってやろうという、嵯峨野の懐の深さ。これには本当に参りました。
そして、シリーズ通して濡れ場がちょっと濃い過ぎるよな~とおもっていたけれど。どうしてどうして。外伝とはいえ最後の最後で、この究極なプラトニックラブ。
最期の貴久の死の床でのシーンでさえ、互いに手を握り合うだけという、究極の純愛っぷりが、切なくて胸を衝かれる。
死の淵に至り、自分がこれまで好き勝手に翻弄してきたと思っていた相手から、実は自分こそが掌中の珠の如く愛され守られてきたと悟る貴久。その貴久の、嵯峨野を残して身罷らねばならないことへの未練、それでも愛しい者には少しでも長く、彼(嵯峨野)が自分(貴久)のために作ってくれた箱庭を見守って欲しい、一族(冬貴ら子孫たち)の行く末を見届けて欲しいと願う一途さに、涙腺決壊。
外伝とはいえシリーズの見事な着地点。本当に素敵でした。恐れ入りました。