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第1回 BL小説アワード

感情の上限値

エロなし/三角関係

 頭の中で警告音をこだまさせながら、ユキは数日前の和希の言葉を思い出していた。 ――男同士のエッチのしかた、分かる?和希。あいつがお前の、そうなりたい相手なのか。

村崎樹
9
グッジョブ

 ピピピ、と電子音が聞こえた。ユキの脳内で鳴ったそれは、感情の数値に対する警告音だった。
 木製のプレートに、紙袋の中から取り出した焼き菓子を並べる。もうすぐ和希が帰宅する時間だ。粉末のココアがまだ十分残っていることを確認しつつ、ユキは先日の出来事を思い出していた。
「お、男同士のエッ……チのしかた、分かる?」
 視線を泳がせ、額に汗を浮かべた状態で、和希は尋ねてきた。これにはさすがにユキも面食らった。面食らった風の、動きをした。
 一応データを検索してみたが、家庭用アンドロイドのユキには同性同士の性行為の方法など記録されていなかった。無線LANが内蔵されているため、「ネットで検索しようか?」と提案してみたものの、案の定却下された。
「機械みたいなことすんなっていつも言ってんだろ」
 和希が膨れる。
「機械ですけど」とユキが返すと、露骨に顔を顰めた。
「そうだけど、そうじゃない」
 拗ねたような調子で唇を尖らせながら、次の瞬間にはふっと表情を緩める。こんなときに和希が何を言うのか、十一年の付き合いの中でユキは十分理解している。
「ユキは俺の特別なんだから」
 特別、というのは、和希がユキを評するときの口癖みたいなものだった。
 ユキが高梨家で初めて起動したのは、和希が小学校に上がる頃だった。当時のユキは「八歳型」であった。
 家事手伝い用アンドロイドは好きな年齢のフォームを注文できる。一生同じ姿のままでいることも可能だが、子供型のアンドロイドを購入した家庭では、数年おきにフォームチェンジをする場合が多い。人間の子供が成長していくように、アンドロイドも「型」を変えて外見を成長させていく。
 ユキは三年前に十四歳型から十七歳型にフォームチェンジした。直後は和希よりも年上だったユキも、いまや和希の一歳年下だ。最近になって二センチほど身長を追い抜かれてしまった。今年もそろそろフォームチェンジの時期がやって来る。
 顔を動かすと、癖のない髪が目にかかった。指先でそれを退ける。オレンジに近い明るい茶髪は和希が選んだ色だった。「ユキもそろそろお年頃だろ」と言っていたが、校則に引っかからない程度の明るさにしか染められない彼の願望が、強く表れた色なのだと思う。和希にとってユキは、親友であり、兄弟であり、半身なのだ。
(あの子は本当に素直に育った)
 和希の質問に答えられなかったあの日、リビングから立ち去ろうとした和希が言った。
「この話内緒な」
「うん。言わない」
 即答する。セクシャルマイノリティに関する話題を不用意に他人に言いふらすアンドロイドなどいない。良心の問題ではなく、そう設定されている。けれど和希は嬉しそうに、「だよな」と笑った。
 たとえ和希が多少の間違いを犯しても、正論で正したりせず、寄り添うことで良い方向に導く存在であること。ユキを購入するときに、高梨家の両親が設定した性格だ。設定どおりの性格を、和希は「いい奴だ」とよく褒めた。特別だと言い、全面の信頼を置いた。
 自室に向かう和希の背中を目で追いながら、ユキは和希の質問を再生した。一時的に同性愛に興味を持つことは思春期にはよくあることだ。性行為への興味が飛躍して、同性同士の内容を知りたくなったのかもしれない。
 けれど、と映像記録を見返す。頬の紅潮や、途切れ途切れの声。面白半分に尋ねているのとは違う気がした。
 誰か相手がいるのだろうか。そうなりたいと望む相手が。男側と女側の、和希はどちら側を想定して聞いたのだろう。
 考えた瞬間、ユキの感情の数値が上がった。ピピピ、という警告音に驚いて確認すると、悲しみ・苦しみ・緊張……そういった感情のいくつかが上限に近い値を示していた。「動揺」の状態だ。
 原因を探ってみるが判明しない。そうこうしているうちに数値は上がっていく。上限に到達した瞬間、瞼が重たくなり、唐突に頭の働きが鈍った。
 あれは間違いなく強制停止だった。
 アンドロイドに設定された感情には上限値が決められている。過度な愛憎が生まれれば、人間への反乱を起こしかねないと危惧されたためだ。値を越えた場合は、この間のように警告音が鳴り、強制停止がかかることになっている。
 以前あの警告音が鳴ったのは、和希が近所に住んでいる子供に苛められているのを見たときだった。
 今度はどうしてあのタイミングで……と考えていると、ピンポン、とチャイムが鳴り響いた。顔を上げ、玄関に向かう。
「ただいま」
 扉の先には、いつもと同じ笑顔を浮かべる和希がいた。その隣に、見知らぬ男が立っていた。
「今日は友達連れてきたんだ。上野、こいつがさっき話してた……」
「初めまして、上野です。高梨の友達のユキくん、ですよね」
 上野と名乗った男が、ぱっと表情を明るくする。一八〇センチ以上あると思われる長身の、黒髪が似合う爽やかな子だ。和希とは異なる制服を着ている。
「ユキです。……和希とは違う高校なんだ?」
「はい。友達が高梨と同じ学校で、学祭に遊びに行ったときに知り合ったんです」
 はきはきとした声音。上野は、ユキのことをアンドロイドではなく友達と言った。瞳孔のない、虹彩のみの眼球を見れば、人間でないことは一目瞭然なのにも関わらずだ。良い子なんだろうな、と思う。
 何気なく和希に目をやる。その瞬間、感情の数値がまた跳ねた。
 ただ友人を紹介しただけのはずだ。それなのに、和希の頬は赤く染まり、落ち着きなく視線をさまよわせている。ユキと目が合うと、ぎくりと肩を揺らした。
「ほら、上野。中入ろう」
「うん。お邪魔します」
 和希に促され、上野が靴を脱ぐ。ユキの隣を通り、二階に向かって廊下を進んでいく。咄嗟にユキは振り返った。自室に向かう後ろ姿に声をかける。
「いつもの店でマドレーヌ買ってきたけど、あとで飲み物と一緒に運ぼうか?」
 階段の途中、上野の影から顔を覗かせた和希が、焦った様子を見せる。
「……自分で取りに来る!」
 頬を上気させつつ言った。それからすぐ後ろに立つ上野をちらりと見る。和希は彼に視線を向けたまま、なぜかおかしそうに、幸せそうに、柔らかく笑ったのだ。
 ピピピ、という電子音が聞こえる。ユキの脳内でのみ鳴る音に、和希は気付かない。上野と二人で階段を上っていく。二階から扉を閉める音が聞こえるまで、ユキは動くことができなかった。
 初めて見る顔だ、と思った。十一年の月日をともに過ごしてきたが、和希はあんな表情を見せたことがなかった。
 頭の中で警告音をこだまさせながら、ユキは数日前の和希の言葉を思い出していた。
 ――男同士のエッチのしかた、分かる?
 和希。あいつがお前の、そうなりたい相手なのか。
 前回の会話と、今日の和希の様子を照らして、結論付ける。その瞬間、感情の数値が跳ね上がった。思考力が急激に低下する。瞼が重たくなるのを感じた。


 和希が上野を連れてきた日以来、ユキは度々感情面での不調を感じるようになった。和希が誰かと電話をしていたり、メッセージのやりとりをしているのを見ると、感情の数値が上がっていく。頻繁に強制停止になっては仕事に支障が出るため、上昇した数値を自主的に下げなくてはならなかった。
 数値の傾向は大概「動揺」の状態だったが、時折名前がつかない状態も見受けられた。名前がつかない、というのはつまり、アンドロイドには不適切な感情だということだ。
「ユキ? ユキ、聞いてる?」
 後ろから呼ばれ、フライパンを拭く手を止めた。和希がダイニングテーブルに体を向けたまま、首だけを捻ってこちらを見ていた。両親ともに残業で、和希と二人で食卓についた夜だった。
「ええっと、次のフォームチェンジのことだろ」
「そう。来週の日曜に注文しに行くから、どんな外見にするか大体決めておけよな」
 フォームチェンジか……。カレンダーに目をやる。注文後、一ヶ月もすれば型が仕上がる。秋が終わる頃にはこの外見ともお別れだ。
 次のフォームチェンジで、ユキは二十歳型になる予定だった。水道の蛇口にうつる自分を眺める。今度は黒髪がいい。身長は和希よりも高くしてもらおう。
 そこまで至ったところで、自分の発想に当惑した。外見についての要望など今まで考えたこともなかった。すべて高梨家の人々に任せていた。どうして今回は、注文をつける気になったのだろう。
 ユキの動揺には気付きもせず、和希が使用済みの食器を持ってやって来る。
「皿洗い手伝うよ」
「お。ありがと」
 吐水口を和希の手元に向ける。ユキが食器をスポンジで擦り、隣に渡す。和希がそれを受け取って、水で流していく。昔と変わらない手順。並んで立つシンクだけがどんどん小さくなる。
 排水溝に吸い込まれていく泡を見つめながら、和希がぽつりと言った。
「今週の土曜、晩御飯いらないから」
 ユキが顔を上げる。和希の視線は相変わらずシンクに落ちたままだ。けれど手は完全に止まっていて、皿の上を水が滑り続けている。
「友達の家に泊まりに行く」
「……誰の?」
 反射的に聞き返していた。髪の隙間から覗く和希の頬は赤く染まっている。
「上野」
 その名前を認識した瞬間、ピピピ、と警告音が脳内に響いた。
 どういった信号が出たのか分からない。気付いたら、ユキは和希の手首を掴んでいた。泡だらけの手に捕らえられ、和希が目を丸くする。
 驚き、不安、悲しみ、苦しみ、それから矛先が分からない怒り。マイナスの感情がユキの中を駆け巡る。数値はますます上がり、ユキにしか聞こえない警告音も音量を上げる。
 瞼が重くなる。けれど、目を閉じそうになるのを懸命に堪えた。
 和希に言わなくてはならないことがある気がした。名前がつけられていないこの感情を、知りたいと思った。警告音の先にあるものが見たかった。
「い…………」
 絞り出すように喉奥から声を漏らす。ほぼ同時に、熱を持った中枢部が堪えきれずに活動を停止した。唐突に視界が暗転した。

 瞼を開けると、和希がユキに縋って泣いていた。その光景を、どこかで見たな、と思った。すぐに類似映像が検索される。以前ユキが強制停止の状態に陥ったときだ。
 十一歳型のユキは、和希を突き飛ばした子供に向かって駆けて行ったが、途中で瞼が重くなり身動きが取れなくなってしまった。あのときも、目を覚ますと傍で和希が泣いていた。「ユキが生きてて良かった」と言って、大粒の涙を落とした。
 震える背中をそっと撫でると、和希が勢いよく顔を上げる。
「ユキ!」
 動き出したユキを見て、和希は大きな声を上げた。ユキの首に腕を回し、ぎゅうぎゅうとしがみつく。自分はソファに寝かされているらしい。和希がくっついて離れないので、首が動く範囲でしか確認できない。
 肌の表面に和希の体温を感じる。ユキにとってその温度はただの数値でしかないのだが、今は「心地良い」と認識していた。幸福感や安堵の感情が計測されている。
「ユキが死んじゃったらどうしようかと思った」
 和希がぼろぼろと涙を落とす。濡れた頬を指の腹で拭い、ユキが薄く苦笑した。
「人間じゃないんだから、そう簡単に死なないって」
 すると、しおらしく泣いていたはずの和希が眉を寄せる。
「だから、そういうこと言うなってば。ユキは俺の特別なんだから」
 もう何度も聞いた台詞だった。それなのに、どうしてかまた感情が昂っていく。今度はその数値の先を追おうとはしなかった。強制的に抑える。数値はまた平常値に落ち着いて、ほんの少しの悲しみだけがユキの中に残る。
 ユキにとっても、和希は特別だった。和希だけが特別だった。
 けれど和希は違うのだろう。枠組みが異なるだけで、きっと様々な種類の「特別」がある。ユキにはユキの、そして、上野には上野の「特別」が。
 親友であり、兄弟であり、半身であるユキは、決して上野とは同じ枠組みにはなれないのだろう。そうなのだとしたら、
「特別になんて、なりたくなかったよ」
 和希が驚いた顔でこちらを見る。ユキは静かに笑んで、首を横に振った。感情の数値が、またいくつか上昇するのを感じた。

(了)

村崎樹
9
グッジョブ
3
りんこ☆RINKO 15/10/23 21:45

ユキの切ない気持ちが流れ込んでくるような、そんな素敵なお話でした!

68 15/10/27 00:44

切ない。ユキの最後のセリフに胸がぎゅっとなりました。

きなこchun 15/10/28 08:04

切なかったです(>_<)
あっという間に読んでしまいました!

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