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第3回 BL小説アワード「怪談」

首なしオネエと生意気ショタと

オネエ/ショタ/エロなし

 どんな慰めの言葉をかければいいのかも分からず、約束だけを呟くと、ちょうど時間が来たのか、その日の彼は姿を消した。 放っておけない。その感情が行きつく先を、幼いぼくはまだ知らなかった。

小魚飯田
グッジョブ


 市立鎌原小学校では、長年、ひっそりと、けれども確実に伝わり続けている噂があるらしい。
 ぼくこと西園寺小春は、ぼんやりとそれを聞くともなく聞いていた。耳に入ってきたという方が正しいのかもしれない。
 授業終了の合図であるチャイムは先ほど鳴ったばかりで、休み時間に入ったばかりの教室は、耳障りな他人の声がよく響く。せめて視覚的な情報だけでも遮断しようと机にうつ伏せになる。するとますます聴覚が研ぎ澄まされる。それがぼくにとっての休み時間だった。
 怪談? 伝説? 七不思議?
 どう表現すればいいのかも微妙な話が、耳から入っては抜けていく。
 曰く、鎌原小学校に伝わる首なし男伝説。
 ここから北に十分ほど歩いた先に立ち並ぶオフィスビル。その内の一棟に、首なし男は現れる。場所は屋上。時刻は午後四時四十四分。屋上に上がって少し一服といった最中のサラリーマンの前に現れ、「アタシ、キレイ?」とだけ尋ねた後、靄のようになって消えたという。
 よくある話かどうかは分からない。けれど少なくとも首なし騎士と口裂け女を混ぜた逸話であることだけは分かった。
 そもそも、どうして首なし「男」なのに「アタシ、キレイ?」と尋ねるのか。そして首がないのにどのように美醜を判断すればよいのか。スタイルだろうか。筋肉のつき方や、身体の引き締まり具合?
 おそらく、人から人へ、伝わる内に尾ひれがつくだけではなく、あちらこちらの怪談と混ざり合い、今のような矛盾だらけのへんてこ話に落ち着いたのだろう。
 ぼくは各地の小学校に伝わる様々な怪談を知っている。怪談マニアというわけではないが、刺激的な話が嫌いではないのだ。
 それに、転校に転校を重ね、短期間のうちに「はい、次の学校へ」を繰り返していたこと、さらにはあまり社交的ではない性格が相まった結果、気づけば自分は「遠巻きにされる噂の転校生」ポジションからどう足掻いても抜け出せないところまで落ちていた。
 その状況に飽き飽きしつつ、結局はこうして誰かの噂話に耳を澄ますことしかできない。すると、どんどん大人が「ばかばかしい」と顔をしかめるような話に詳しくなっていく。
 ぼくが顔を上げると、噂をばらまいているクラスメイトの一人とばっちり目が合ったけれど、会話の中に混ざるよう促されることはなく、むしろ思いっきり目が合ってしまったことに気まずさでも感じたのか、彼らは連れ立って廊下へと出て行ってしまった。
 欠伸をひとつしてから、再び机に突っ伏す。休み時間は残り十分。でもさっき聞いた話のおかげで、退屈はせずに済みそうだった。
 首なし騎士。プラス、口裂け女。
 伝聞に伝聞が重なった末の荒唐無稽な創作物。それでも、この噂をくだらないなんて思えなかった。興味がないと一蹴することもできなかった。
 友達のいない退屈な学校生活の中で、いつしか、ぼくには「刺激的な噂を聞いたら自らの目で確認しないと気が済まない」という癖がついてしまったのかもしれない。

♢♢♢

 地方のオフィスビルなんて、大都会のそれに比べたらセキュリティもおざなりだ。受付の人が、暇そうに頬杖をついているだけ。ちょっとした隙をついてかがんでそこを通り抜ければ、もう中に入れてしまう。
 あとは大人に見つからないよう、エレベーターに乗り込んで最上階へ。そこからこそこそと非常階段への扉を開けて屋上へ。
 屋上に上がると、柔らかな風が頬を撫でていった。柵の方へ駆け寄る。あまり高くないビルだから、決して眺めがいいわけじゃない。周辺に立ち並ぶオフィスビルがちらほらと見え、さらにその先には、田んぼや畑、そして一軒家がぽつぽつと見えた。
 安っぽい自分の腕時計で確認する。現在の時刻は午後四時四十三分。タイミング的にはほぼジャストだ。
 暇潰しになる物なんて何もない場所で、ぼくはひたすらに目的とする存在の登場を待った。
 五……四……三……ニ……一……。
 さっきの微風なんて可愛いもの。そう思わせるほど激しい風が屋上に吹き渡る。目も開けていられないどころか立っていられるかも怪しい暴風だった。
 しかし、その風も一瞬で止む。おそるおそる目を開けようとした途端、全身がぞくりとした悪寒に苛まれた。周囲の温度が一回り低下したような感覚だ。
 うっすらと目を開けると、目の前には誰かがいた。噂通り、彼には首から上がない。
 転校した先々で、ぼくは学校の怪談や七不思議というものを検証してきた。しかし、そのほとんどが「幽霊の正体見たり枯れ尾花」で、いったんもめんは風に飛ばされたビニール袋だったし、くねくねは新種のカカシだったし、カッパはオオサンショウオだったし、ぬえは肥満気味の猫だった。
 初めて目撃する怪異というものに、いくらか気が動転していたことは否定できない。
 妙に野太い声で「アタシ、キレイ?」と訊かれ、小春は思わず素でこう答えてしまっていた。
「首から上がないので判断しかねます」
 ヤバい。これでは裂けた口から食われてしまう。違う。彼には口(というか首から上)がないのだから、包丁で刺されるパターンだ。ヤバい。
 互いに硬直したまま、一瞬一瞬が過ぎていった。
 先に動いたのは怪異の方で、首から上、すなわち声を発するための口がないというのに、くすくすと笑う音が聞こえた。聞こえたというよりは、脳に直接響いてきた、という感じだ。
「ふふ、それもそうよねぇ……顔がないのに『アタシ、キレイ?』なんて、自分でもおかしいと思ってるのよ。思ってるのについ聞いちゃうの。習性って怖いわぁ……」
 笑いながら話す彼の声は、想像以上に野太かった。野太いのに、なぜか口調だけは女性だった。
 この首なし男は、オネェなんだ……。
 有名な怪談話を混ぜ合わせてよく分からないことになっていたあの噂は、真実だった。
 この事実にぼくがますます動揺してしまったことは、言うまでもない。

♢♢♢

 気が動転するのを通り越してもはや呆然とするしかないぼくの肩を掴んで揺さぶり、「アンタ大丈夫なの!?」と呼びかけ、通常モードに戻してくれたのも、首なしオネェだった。
「アタシね、本名は東郷明音っていうのよ」
 それから完全に逃げるタイミングを失ってしまったぼくは、屋上に例のオネェと一緒に座り込んで、和やかに談笑する羽目になってしまった。
「はあ……明音さん……」
 妖怪にもちゃんと名前ってついてるんですね。そう言えば呪いのビデオに出演する髪の長い彼女にも立派な名前がありますから、首のないオネェにも名前くらいちゃんとありますよね。
 声に出さず一人でうんうんと頷いていると、「やっぱりオンナノコみたいな名前よねぇ……」と明音さんがひとりごちた。ぼくとしては、オンナノコみたいな名前であるよりも、お化けにも名前があるんだということに驚いていたのに。
「それにしても、アタシの姿を見て逃げない子は久しぶりだわぁ……本名にしても、こうして誰かに呼んでもらえるのも数年ぶりだもの。普段は皆、アタシを見る度に化け物か珍獣のような扱いしかしてくれないんだからっ! 悲鳴なんて上げてさ、失礼しちゃうわっ!」
 ぷりぷりと怒っているらしい(顔がないから声音で判断するしかないのだ)明音さんに対し、ぼくが「いや、珍獣はまた違うベクトルでしょう」と思ったのは言うまでもない。
「逃げるも何も、ぼくは完全に放心してただけです」
「あらあら、随分としっかりした喋り方をする子なのね」
 生意気でカワイイ! とよく分からない法則をでっちあげて、明音さんはぼくに抱き着き頬ずりをしようとしたが、そもそも首も実態もないので、明音さんはぼくの身体にひんやりとした感覚を残しただけですり抜けていき、失敗してしまった。
「家庭環境の都合上、しっかりしなくちゃいけなかっただけです。中身は普通の十一歳児ですよ」
「家庭環境……?」
 いけないことを聞いてしまったのかなと、少しだけ明音さんの雰囲気がどんよりしているように見えた。ぼくはそのどんよりを振り払うように、さっぱりとした声色を装って言う。
「父が転勤族なんです。なのであちこち転校を繰り返している内に、敬語を使えた方が新しい担任へのウケがいいということに気がつきまして、それ以来この喋り方で通してます」
「予想以上に生意気な理由だったわ……」
「この喋り方のせいか、クラスメイトにもそう思われてるみたいなんですよね」
 話したことはないので実際のところは分かりようもないが、「都会から来た生意気な奴」という目で既に何度か見られている気がする。とはいえ、ぼくが東京の小学校に通っていたのは一度だけで、それ以降は地方を点々としているから、決して都会育ちのお坊ちゃんというわけではないのだけれど。
「そうよねぇ……普通、こんな怪談話の舞台にたったひとりでは乗り込んでこないわよねぇ……」
 そうぼやく明音さんの声は、遠回しに「友達がいなくて暇なのね」と言っているようで、小春は少しむっとした。
 この大人(?)も周囲の大人のように、もっとクラスに溶け込む努力をしなさいと残酷に言い放つのだろうか。
 しかし、ぼくの予想とは少しずれたところに明音さんの思考はあるらしかった。
「じゃあさ、アンタ、アタシと友達になりなさいよ!」
 そうそう、それがいいわと、ぼくの同意も得ずに一人で勝手に話を進めていく明音さん。
「アタシ、午後四時四十四分から三十分くらいはここにぼけーっと突っ立ってるんだけど、やっぱり暇なのよね」
 このビルが閉鎖されるのが午後七時。無難に入ってくることができたのだから、何事もなかったかのように出ていくこともできる。
「噂話を確かめに来ようかな~なんて思える程度には、アンタ、怪談が好きなんでしょう? だったらアタシの話し相手になるくらいなんでもないことよね?」
 そうして半ば強引に、ぼくには転校して初めての友達(ただし、首が無い)ができたのだった。

♢♢♢

 それからというもの、ぼくは学校帰りに毎日、明音さんに会いにやってきた。
 ぼくが屋上に上がると、たいていの場合は彼が先に待っていて、ぼくの気配を察知した途端、嬉しそうにこちらに近づいてくる。
 二人して一緒に寝転がったり、座ったりしているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。話の内容は他愛ないことが多かった。くだらない話をしながらも、言葉の端々に現れる互いの寂しさには気がつかないふりをした。
 今日は明音さんが勉強を教えてくれるというので、教科書とノートとえんぴつを広げたまま、二人でうつ伏せになっていた。
 知らない内に日本の首相が十五人以上交代していたなどと驚いていたことを除いて、明音さんはぼくが驚くくらいたくさんのことをよく知っていて、とても頭がよかった。
 教えている問題が小学生レベルということもあるだろうけれど、教え方が上手く、一日三十分だけという制約があるものの、ぼくが納得してくれるまで根気よく続けてくれる。おかげで、この場所に来ると勉強がしたいとまで思ってしまうほどだ。
「明音さんって、頭いいですよね。そつなく正解にまでもっていってくれるし、楽しい教え方してくれるし」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない? 教師冥利に尽きるってもんだわ」
 まあ、この人は学校の教師じゃなくてむしろ学校の怪談にあたる人なんだけど。
 これだけ頭も良くて、おまけに顔の造りは分からないものの、その所作を見るにつけ、育ちもいいことが窺える。
 そんな人が、どうして学校の怪談に出てくるような首なし男なんてやってるんだろう……。
 そもそも、どうして首なし男なのに国語や算数だけでなく、理科や社会や英語まで分かるのだろう。長くこの地にとどまっている分、知識が豊富なのだろうか。
「それはね、私が元人間だからよ!」
 ふふん、となぜか誇らしげに宣言された。
「もしかして、読心術まで心得てるんですか?」
「アンタが声に出して呟いていただけよ」
 それより宿題を終わらせちゃいなさい、そしてさっさとアタシの話し相手になりなさいと、今日もオネエは強引だった。
 けれど、ぼくの手はなかなかノートに文字を書こうとしない。
「……どうして、首なし男なんてやってるんですか」
 彼と会話を重ねるうちに、気になってはいたのだ。けれど、一日三十分という限られた時間の中で、問いかける機会がなかった。今日このタイミングでなければ、尋ねられないだろうとも思っていた。
「仕方ないわね……」
 明音はひとつ溜息を吐いて、渋々と言った風に答えた。
「アンタは私を妖怪の類だと思ってるみたいだけど、正確には地縛霊よ。ジ・バ・ク・レ・イ。分かる?」
「はい。最近では猫の地縛霊がクラスで流行ってるので」
「そう。流行ってよく分からない変遷を辿るのね。アタシの時は水色のぷにぷにしたモンスターだったわよ……なんて話じゃないわね、今は。まあ、ようするに幽霊なんだけど、首が無いのは文字通り勤めてたこのビルにオフィスを構える会社をクビになったからよ。勉強を頑張って、いい大学に通って、エリートコースで入社できた給料のいい所だったのにね。で、それをショックに屋上から飛び降りちゃった。それ以来ずっとここで地縛霊してんの。こっちもまさかそんな言葉遊びで死後にまでクビ斬られるとは思わなかったわよ、アハハ」
「……いや、ちょっと話が重くて笑えないです」
 それから、明音さんがリストラされた理由も少しだけ聞いた。彼が社内で付き合っていた男性に裏切られる形で、会社に同性愛者であるという噂を振りまかれ、今ほど開放的な社会ではなかった当時に、半ば差別的な理由でクビになったのだそうだ。おまけに、彼の恋人で、よく明音さんのことを「綺麗だ」と褒めてくれた男性も、周囲の同僚と一緒になって、明音さんを「キモチワルイ」と罵ったのだという。
 これが、彼に首がない理由と、初対面で美醜を尋ねる理由だった。
「どう? これでアタシに同情して、もっと仲良く話し相手になってやろうかなーとか思った?」
「……想像以上に話が重くて、そんな風に軽いこと考えられないです」
「軽くないわよ! 私にとっては大事なことなの! 今のアタシの生き甲斐は、アンタが一身に背負ってるんだからね! っつってももう死んでんだけど!」
 それから、明音は小春を慰めるように頭を軽くぽんぽんしてくれた。
「……悲惨な状況なのに、明音さんは元気ですね」
 成仏もできずに、もうここにはいたくないと思って死を選んだ場所に縛られているというのに。
「そうねぇ……生きていてもいいことないって飛び降りたものの、死んでからはもっとろくなことがなくって、最近だと開き直るしかなくなってきたのよ。当時のアタシにも、ホモだのオカマだの差別用語吐かれても開き直って裏路地でバーの経営に乗り出すくらいの度胸があれば良かったのにね」
 女は愛嬌、オネエは度胸なのよ、と締めくくった声に、どんよりとした雰囲気は微塵も感じられなかった。
 でも、本当はまだ吹っ切れていない過去の話だったんじゃないだろうか。地縛霊なんてしているくらいだ。きっとまだ現世に何か感情を残しているに違いない。
 彼に顔なんてないのに、顔が見たいと思ってしまった。もし顔があれば、今、泣きそうな顔をしているんじゃないか、泣きそうになりながら気丈に笑っているのが分かるんじゃないか、なんてふと思ってしまった。同時に、そんな彼を放っておけない、とも。
「……ぼく、明日も来ます」
 どんな慰めの言葉をかければいいのかも分からず、約束だけを呟くと、ちょうと時間が来たのか、その日の彼は姿を消した。
 放っておけない。その感情が行きつく先を、幼いぼくはまだ知らなかった。

♢♢♢

「今日はアンタの話をしてくれる?」
 次の日、仁王立ち待ち構えていた明音さんに、ぼくはそう言われた。
「昨日はアタシの話をしたんだもの。友情は平等にしましょ」
 それから、いくつかの疑問をぶつけてきた。家のこと、学校のこと、勉強のことに、将来のこと。その大半をぼくは「普通」「分からない」としか答えられなかった。
「アンタに友人がいないのはよく分かっていたつもりだけど……じゃあ、どうして、アタシに会いに来てくれたの? だって首なし男よ。普通、友達との肝試しでもない限り、自発的に会いに来ようとは思わないでしょ」
 おそらく彼が真っ先に思いついたであろう質問に、ぼくは正直に答えた。
「一度、妖怪に食べられるのも悪くないかなって」
「一度食べられたらもう死んじゃうじゃないの」
「それもそうなんですよね。ぼく、刺激的なことが好きで、今よりもっと幼い頃は、死ぬなら雷に打たれて死ぬか虎がライオンに食べられて死ぬかのどっちかがいいと思ってました」
「それ、無関係の虎が可哀想に思えるやつよね……そんなに毎日には刺激がない? 毎日がつまらない?」
 明音の言葉に、ぼくはしぶしぶながら、それでも真面目に頷いた。
「でもね、そんな理由で死んだら、死んだ後はもっとつまんないのよ」
 あなたに何が分かるんですか。そう言いたかったけれど、彼にはきっと分かっている。他ならぬ経験者の言葉なのだ。
「父さんや母さんや先生は、友達を作ればつまらないなんて思わなくなるって言います。ぼくもそうかもしれないって思う。でも、転校を繰り返す内に作った友達とはどうしても離れちゃうし、最近では作り方すら分からなくなりました」
「友達なんて無理矢理作るものでもないからね。アタシ達もそうだったじゃない」
 いや、現在のこの関係はかなり強引な始まり方をしたような気がする。
「ただ、友達になるためのきっかけを作ることはできるのよね」
 それから、明音さんはぼくにもっと色んなことを尋ね、ぼくはまた少しずつ自分のことを話していった。円周率が七十五桁まで言えることだとか、ホラー漫画が好きで、自分でもたまに描いたりしていること。よく図書館で日本の都市伝説や怪談について調べていること。そのおかげか、小学生にしては雑学知識がマニアレベルにまでついていること。
 それらを聞いて、明音さんは「よかった」といいように頷いている。
「じゃあ大丈夫そうね。アタシがコツとやらを教えてあげようとしたのに、その必要もないみたい」
 アンタなら、友達くらいすぐできるわよ、と明音は言う。
「アタシ達みたいに相性が合えばすぐ友達になれるけど、人間同士が友好関係を抱くにはそれなりの時間が必要なのよね。時間をかけて個性を知っていけばいいの。そしたらきっと、アンタには円周率を何桁まで言えるかでライバル視する子とか、ホラーに限らずオールマイティに漫画を読んだり描いたりする子とか、オカルトマニアとか、小学生雑学王とかいう友達ができるわよ」
 頑張ってちょうだい、と明音さんが軽くぼくの背中を押す。「毎日がつまらない」と言った後からこの方、彼は遠回しに友人の作り方というものを教えてくれようとしていたらしい。
 遠回しだけど優しい人だなあなんて考えていたら、予想以上に明音さんがぼくの近くに来ていた。
「なんなら、初恋のレッスンもしてあげちゃうわよ? もちろん、実地研修ね」
 彼は優しくて寂しい人(?)だけれど、その優しさが遠回しだったり、寂しさを冗談で包み込んでしまうことが儘あった。
 けれど、その時のぼくはそのことにまで気が回らず、「初恋」という言葉に脳内を侵食され、思わず真っ赤になって後ずさりをしてしまった。「初恋」というパステルカラーで彩られた文字と、目の前の明音さんの姿が、点滅して交互に頭の中に現れて来る。
「真っ赤になっちゃって、カワイイ」
 明らかにからかっている言葉だと分かっているのに、ぼくは本当にそうしてほしいような、もっとちゃんと自分を見てほしいような気分になって、「今日はもう帰るっ!」と意地を張ってしまっていた。敬語を繕うことなんて忘れて。
「同い年の友達ができたら、ちゃんとアタシに報告するのよ~!」
 立ち去るぼくの背後では、呑気な明音さんが寂しそうに笑っていた。

♢♢♢

 恋愛ドラマでよく見る場面がある。冴えない男が、惚れた美女のために、自分がかっこよく見えるように頑張るという場面だ。たいていはコメディドラマによく見られ、ぼくは生意気にも「くだらないことだ」なんて考えていた。
 でも、今ならそんな彼らの気持ちがよく分かる。
 あれから、ぼくはしばらく明音さんに会いに行こうとしなかった。友達ができてから、「毎日楽しいよ」という報告をしたいと思っていたのだ。明音さんはきっと、嬉しそうに聞いてくれるだろう。「頑張ったわね」と褒めながら頭を優しく撫でてくれるかもしれない。
 結果として、ぼくには何人かの友達ができた。明音さんの予言通り、クイズが大好きな女の子と、怪談が大好きな男の子だ。
 さっそくそのことを報告しようと、友達と一緒に帰るのを断って、一度家に帰り、オフィスビルへ行こうとしたところで、ぼくはお母さんに呼び止められてしまった。
「久しぶりに会えたと思ったら、随分と暗い顔してるじゃないの。生意気なアンタのことだから、かっこつけて良い報告をしに来てくれると思ってたのに、その仏頂面はなあに?」
 心配の裏返しで質問を畳みかける明音さんに、ぼくはたった一言、「転校することになった」とだけ答えた。それだけで、彼にはすべて分かってしまったみたいだ」
「……そうね。確かにここでできた友達と離れるのは寂しいかもしれないわね。でもいいじゃない。次に行く場所があるって幸せなことよ。ここみたいに、今はつまらなくても次は面白いだろうって……ううん。ここでも面白かったんだから次も面白いだろうって希望が持てるわ」
 それはなんとなくぼくにも分かっていた。けれど、そのことを教えてくれたのも明音さんだ。そして転校するということは、ぼくがそんな明音さんと離れなければいけないということだ。
「もし、転校先で友達になりたい子との話題作りに困ったら、アタシのことをネタにしてくれてもいいのよ? 出血大サービス、転校するアンタへの餞別代わり、どう?」
「……ぼくは、好きな人をネタになんか、できません」
 ネタにするって、どういうことだ。『前にいた学校での都市伝説なんだけど』『オネエの地縛霊が出るんだよ』『マジオモシレー』なんて、言えばいいのか。そんなのはごめんだった。だって、そんなの、明音さんを首なし幽霊に追いやってしまった元恋人と、同レベルじゃないか。
 でも、今のぼくには、それ以上にごめんこうむりたい現実があった。
「……明音さんと……好きな人と、離れたくない」
 気がつけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
「嬉しいこと言ってくれるわね。アタシも好きよ、アンタのこと」
「そういう好きじゃないかもしれない……」
「……そう」
「否定はしないんですね」
「否定はしないけど、初恋が首なしのオネエっていうのはどうかと思うわ」
「僕も最初はそう思いました」
「……そこは考えたのね」
 どうやら、明音さんはガキの戯言だと思って、否定はしないでいてくれているけれど、本気にもしていないようだった。
「どうしたら信じてくれますか? ぼくが一流の大学を出て、明音さんを死に追いやった企業に入社して、当時明音さんをリストラした重役を奈落の底へ引きずりおろす復讐劇を演じ切ればいいですか?」
「……重いわ」
「だって、ぼくが寂しかった時、初めて優しくしてくれた人が明音さんでした。だから僕も明音さんに優しくしたいと思って、でもかっこつけたい気持ちもあって……会いたいのに会いたくなくて……この気持ちを他になんて呼べばいいのか分からないんです」
 それから、ぼくは拙い言葉ながら、自分の中にあるありったけの想いを言葉に……しようと思ったのだけれど、残念ながら、かっこわるくも途中で泣きじゃくってしまい、それができなかった。
 明音さんから、溜息を吐くような音が聞こえる。呆れられたのかもしれないと、ぼくは少し怯えた。
「……んもう、しょうがないわね」
 しかし、呆れたというよりは絆されたみたいだった。
「いいわ。最後のお願いくらい、アタシの可能な範囲で聞いてあげる」
 ぼくから明音さんへのお願いは、たくさんあった。ぼくのことを忘れないでいてほしいと思うのに、はやく成仏して生まれ変わってぼくの年下の恋人になってほしいなんていうことも考えてしまって、混乱した頭で、ひとつだけ、なんとか絞り出すように願い事を口にした。
「……キスしてほしい、です」
「可能な範囲じゃないじゃないの。このマセガキ」
 それから、明音さんはぼくをきつく抱きしめようとしてくれた。それでもやっぱりその腕はぼくの身体をすり抜けてしまって、ぼくはさらに泣きじゃくった。

小魚飯田
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