12/19 「魂炸裂♥ハピエン・メリバ創作BLコンテスト」結果発表!
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2025/11/07 16:00

あらすじ
松木大地はレンタルショップの本屋で働く冴えないアサラー男。松木は常連客である男子高校生の青山昴のキラキラとした可愛いさにいつも翻弄されていた。
そんな昴とうっかりデートの約束をしてしまう。
昴の可愛いさと天然殺し文句で翻弄される松木と、冴えないと思っていた松木の意外な大人の魅力にドキドキする昴。
歳の差があって同性だけど、それでもお互いに惹かれていく──そんな二人のお話し。
平日の夕方の店内は、仕事帰りと学校帰りの人で一番混む時間帯だ。しかも今日は人気コミックの新刊の発売日で、レジが途切れる事がない。
松木大地 (まつきだいち)はレジで同じ文言を繰り返し、いい加減口の中が渇き始めていた。
DVD・CDレンタルと本の販売ショップ《MIMIYA》
松木は三ヶ月前、県北の店舗からこのM市の店舗に異動してきた。松木の担当はレンタルだったが、ブックの人手不足でこの店舗ではブック側に異動になってしまった。ブックの仕事はひと通りできるとは言っても、慣れない返品作業や品出し作業に未だ悪戦苦闘していた。まともにできる作業といえば、せいぜい本のカバー付けくらいだろう。
客もひと段落し、大地は荒れた雑誌コーナーの商品整理をしていた。行き交う客へ機械的に、「らっしゃいませー」と怠そうに挨拶をする。
その時、右肩をポンポンと叩かれ振り返ると、ぶにゅっと頬に何かが食い込んだ。指だった。誰の指かは顔を見ずとも分かる。
「また古典的だな、昴くんよ」
制服姿のその相手は、してやったりな顔をし悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべている。
「お疲れ、まっつん」
ひと回り以上年上の自分に向かって、まっつんとあだ名呼びするこの少年は、この店の常連客である高校生、青山昴(あおやますばる)。長めの黒い前髪を女の子がするヘアピンで止め、意味があるのか制服の裾を脛までまくり上げている。白いスクールセーターが少し焼けた肌に似合っており、今風の少しチャラついた印象の高校生だ。
「その古典的なのに引っかかってんじゃん。てか、ヒゲ……ジョリってなった……」
ヒゲの感触が気持ち悪かったのか触れた指を見て顔をしかめている。
「今日剃ってねぇからな」
「やる気ありますかー?店員さーん?」
「んー?あるよ、あるある」
昴が言うように、松木のその見た目からはお世辞にもやる気のある店員には見えない。後頭部にはいつも寝癖がついていて、剃り忘れの髭、垂れ気味の目はいつも眠たそうであった。
「ぜってーねぇし」
松木のやる気のない返しに、ぷっ……っと可愛らしく吹き出している。
(今日もキラッキラしてんなー)
そんな昴の爽やかな眩しさに松木は思わず目を細める。
松木は顎を撫でながら制服姿の昴を見やる。
「学校帰りか?」
それにしては少し遅い。店内の時計を見れば、既に八時を過ぎていた。
「部活やって、友達とマック寄って話してた」
そう言いながら目の前のサッカー雑誌を手に取る。
昴はこの近くにある、M男子高に通っている現役の高校ニ年生だ。サッカーの強豪校だというM高のサッカー部に所属し、しかもレギュラーだという。
「寄り道しないで帰りなさい」
「はーい、まっつんせんせー」
「なんだ、そのまっつんせんせーって」
その時、レジのヘルプを告げるチャイムが鳴った。
「やべ……そうだ、定期のコミック入荷してるぞ」
「うん、後で行く」
昴は笑みを浮かべ、ヒラヒラと手を振った。
「昴少年、いらっしゃい」
「ちわー、豊橋さん」
カウンターに昴が来ると、バイトの豊橋が声をかける。
「定期、取り来た」
「ご用意しておりますよ」
そう言って豊橋は後ろのカウンターに置いてあるコミックを手にし、
「はい、まっつん」
豊橋はそのまま会計をするのかと思えばそれを松木に手渡した。
「なんで、俺に渡すんだよ」
「昴くんの担当はまっつんだからね」
敬語もなければあだ名呼びしている豊橋だが、彼女も自分より五つも下だ。この店で自分に敬語を使う人間はいないのだ。そもそもまっつんとあだ名を付けたのは豊橋で、それがいつの間にか浸透し、昴からも《まっつん》と呼ばれるようになってしまった。
仕方なくレジに入ると昴は文庫本もレジに置いた。
「買うの?」
「うん、カバー付けてね」
表紙を見れば、それは時代小説だった。
「随分渋いの読むな」
「この前、この人の新撰組の本読んだら面白くて」
見た目や言葉を使いは今時の高校生でチャラチャラとした印象だが、こう見えて小説から異世界もののラノベ、コミック、時には人文、経済の本にもまで手を出す、所謂本の虫だ。
会計をしていると、豊橋が紙袋を持って寄ってきた。
「あと、これ。頼まれてた例のブツ」
その紙袋を昴に手渡す。
「わっ、こんないっぱい」
「何冊か適当に持ってきた。返すのはゆっくりでいいよ」
「ありがとう〜! 豊橋さん!」
嬉しそうに紙袋を抱えた。
会計が終わると、
「じゃあ、またねー」
そう言ってヒラヒラと手を振りながら、昴は帰って行った。
「何? なんか貸したの?」
「うん、漫画を」
「漫画って、まさか……BL本貸したのか?」
ギョッとし、見開いた目を豊橋に向ける。
豊橋は所謂『腐女子』だ。
「大丈夫っす。ちゃんと十八禁じゃない健全のやつっすよ」
「問題はそこじゃねぇだろ!」
昴がうっかりその道に目覚めたらどうする、そう言いたかったが豊橋には伝わらないようだった。
「昴くん、来てたんだね」
パートの酒井が品出しから戻ってくると言った。
「おお」
「自動ドアのとこで会って、手振られた。今日もキラキラしてたー」
そんな事を言って少し頬を染めている酒井だが、年はアラフォーで昴と年の変わらない息子がいるはずだ。
「可愛いっすよね、昴くん」
「うちの息子もあのくらいイケメンだったら……」
昴の人懐こさと顔の良さが相まって、店では昴はアイドル的存在になっている。
「きゅるるん、とした笑顔が堪んないっすね。ああいう受けっぽい子がベッドでクズクズに泣かされてるのとか、エロくて萌えますねー」
豊橋が何を想像しているのか、視線を天井に向けている。
「受け?」
「BLでいう、ネコ役です」
豊橋がドヤ顔で言い放ち、松木はその言葉にギョッとする。
「まっつんが攻めで昴くんが受け、とかどう?」
酒井も面白がって話に加わる。
「いいっすねー、歳の差カプ、冴えないおっさん攻め×イケメン高校生受け。やべ、一つネタできたわ」
「冴えないおっさんって……俺はまだ三十二だぞ。そうやってすぐ脳内で創作するのやめろ。俺はおっぱいが好きなの! 巨乳が好きなの! 《びーえる》にはなりません!」
レジの点検をする為に松木は引き出しからコインカウンターを取り出した。
「でも、まっつんじゃ、昴くんにはもったいなくない?」
「まぁ、それも一理あるかな」
「いい加減その変な妄想やめなさい」
「じゃあ、その変な妄想されないように、早く彼女作ったら?」
酒井の言葉に松木はグッと言葉を詰まらせる。
「う、うるせーよ……」
前に彼女がいたのは三年前。五年付き合った彼女で松木自身は結婚を考えていたが、プロポーズをしたらあっさり振られてしまった。その心の傷は思ったより深く、未だ恋愛に対して臆病になっていた。
豊橋が望むようなBL展開にはならないが、素直に昴の事は可愛いとは思う。少なくとも彼が来るのが楽しみだと思うくらいには、昴を可愛いとは思っている。
豊橋と酒井はそれでもBL妄想話に花を咲かせており、
「豊橋さんは点検! 酒井さんはもう上がりでしょ!」
「「はーーーい」」
二人は間延びした返事をし、そこでやっと雑談をやめた。
昴は、週にニ〜三回は店に顔を出す常連客だ。家も近くの住宅地とあり、暇さえあれば店に顔を出し、人見知りしない人懐こい性格と見た目の可愛らしさからすっかりこの店のアイドルと化していた。
元々、よく店には来ていたようだったが、ある事がきっかけで松木は昴に懐かれた。
それは松木がこの店に異動してきて間もない頃──。
その日、夕方の掃除当番で風除室を出て、外の掃き掃除をしていた。
店内に戻ろうかと思った時、三〜四歳の男の子が一人、自動ドアを抜け外に出てきた。
「?」
周りには保護者らしき大人はいない。
目の前には大きな道路。左に行けば駐車場だ。
(あっぶねーな。親はどうした)
松木は目の前を通り過ぎようとした男の子を抱き上げた。
「うわー! たかーい!」
一八〇センチ越えの松木に抱え上げられ、その景色に感動している。
「ママかパパは一緒じゃねえのか?」
「にーたん」
「にーたん? にいちゃんときたのか?」
コクリと男の子は頷く。
松木は一緒に来ているであろう兄を探す為、店内に入ろとした時、
「慎之助!」
高校生くらいの少年がこちらに駆け寄ってきた。
「にーたん!」
「どこ行ってたんだよぉ!」
少年は泣きそうな声を漏らしている。
「にいちゃんか? 外まで出てたぞ」
「嘘!──ありがとうございます!」
そう律儀に頭を下げた。
松木は男の子を下ろそうとすると、
「いや! 抱っこ!」
そう言ってイヤイヤと首を振っている。
「おっちゃんは仕事中だから、また今度な」
ぽんぽんと頭を撫でてやると、可愛らしく頬を膨らませた。
「ちゃんと目離さないでいてやらないとダメだぞ」
「はい……ほんと、ありがとうございました。ちょっとだけ、本に夢中になっちゃって……」
そう言って少年は申し訳なさそうに下を向いた。
その姿を見て、無意識に少年の頭に手を乗せていた。
「しっかりな、お兄ちゃん」
顔を上げた少年の顔は朱色に染まっていた。
それが昴と顔見知りになったきっかけだった。
「まっちゅーん!」
品出しをしていると、足に何かがぶつかっててきた。下を向けば昴の弟の慎之助だった。
「よお、チビ助」
「チビ助じゃないもん! 慎之助だもん!」
「やっほー、まっつん」
その後ろには、昴が手を振って現れた。
あれ以来、すっかりこの兄弟に懐かれ、四歳の慎之助にすら《まっつん》呼びされていた。
週末になると時折、昴はこの年の離れた弟を連れ店に現れる。
「なんだ、またグスッたか?」
「うん。絵本読むってきかなくて。困った時は《MIMIYA》だね!」
この店の児童書コーナーは、見本の絵本も豊富に揃え、備え付けのTVで児童向けのDVDも流している為、格好の子供の遊び場となっている。
「にーたん、早く! 絵本読んで!」
そう言って慎之助は昴のパンツの裾を引っ張っている。
「分かったよ」
兄弟は一番奥にある児童書コーナーに消えていった。
「今日も始まるんじゃない?」
カウンターに戻ると酒井が言ってくる。
「かもな」
暫くすると、児童書コーナーが賑やかになっていた。
様子を見に行けば、昴は備え付けの小さな椅子に座り、絵本をテーブルに広げ、その周りには子供たちが昴を囲んでいた。
時折、こうして昴によるセルフ朗読会が開催される時がある。慎之助に読んでいるはずが、いつの間にか他の子供たちも聞き入っているのだ。昴も満更でもない様子で、楽しそうに読み聞かせしている。その姿に松木の顔は緩む。
親たちはそんな昴に子供たちを託し、その隙に買い物を済ませているようだった。
レジでは、その母親たちからいつも昴に対してお褒めの言葉を頂く。松木がしているわけではないのだが、昴を褒められるとまるで身内が褒められている気分になり、自分も誇らしい気持ちになった。
売り場に行くと雑誌を立ち読みしている昴がいた。
「朗読会、終わったのか?」
「うん、今日も大盛況だった」
そう言って得意げな笑みを溢す。
「チビは?」
「機関車トーマス見てから帰るって」
児童書コーナーに設置されているTVを見ているのだろう。
昴が手にしている雑誌を覗き込むと、県内のグルメやレジャースポットを紹介している情報雑誌だった。
「ここ、俺んちの近所だわ」
「え? どれ、どれ?!」
「これ」
そこは地元で有名なハンバーグ屋で、そこで出すハンバーガーがボリュームがあり人気だと書いてある。松木が地元にいる頃はよく世話になっていた店だ。
「ここのハンバーガー、こんなデカイの」
どれだけ大きいのか、手で大きさを表してみる。
「まっつんの地元N市なんだ」
「しばらく帰ってないけどな」
「じゃあ、たまに帰ってみたら? そんでこれテイクアウトしてきてよ」
「無理に決まってんだろ。そういうのは出来立てがうまいんだよ」
「ちぇー」
そう言って昴は可愛らしく口を尖らせている。
「せめて、行った気になろう」
どうやらその雑誌を買うことにしたようだ。
「食いに行くか?」
咄嗟にそんな言葉が出ていた。
ハッとして、口元を手で塞いだが、
「行く!」
昴の嬉しそうな顔を見たら、その言葉を撤回する事はできなかった。
昴は松木のシャツの胸ポケットに入っているメモ帳とボールペンを素早く取ると、何やら書き込み松木に渡した。
「俺のID。連絡してね」
昴はメモ帳とボールペンを再び胸ポケットに押し込むと、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
なんであんな事を言ってしまったのか。ただ単純に、あのハンバーガーを食べさせてやれたら──そう思ったら、自然と口から出ていたのだ。
そうこうしているうちに、とんとん拍子で日取りが決まってしまった。昴とのデートの日は昴が春休みに入っている事もあり、松木の休みに合わせて平日となった。
待ち合わせは、さすがに店とはいかず店の前のコンビニに十時に待ち合わせ。
愛車の黒のSUV車をコンビニの駐車場に頭から止め、中を伺うと昴が雑誌コーナーで立ち読みをしていた。顔を上げ松木の存在に気付くと、パッと顔を輝かせ、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
(クソカワ……)
松木の心臓を鷲掴みされたように、ぎゅっとなる。
昴が運転席側に来ると、
「これ、まっつんの車? かっこいーね」
そう言って愛車を見回している。
(今日の為に洗車しましたよ)
この日の為に昨日、夜中にも関わらず洗車場で車を洗ってきたのだ。
今日の昴は当然私服だ。黒い細身のパンツにチャコールグレーのオーバーサイズのスウェット。スウェットの裾からは白いシャツが見えている。
華奢な体つきだとは思っていたが、私服になるとその細さが目立つ。サッカーをしているわりに、あまり筋肉が付かないと嘆いているのを聞いた事がある。
「飲み物買っていこうか」
松木が車を降りると、今度は私服姿の松木を見入っている。
「私服のまっつん、新鮮〜。意外とオシャレだね」
「意外とってなんだ」
仕事で着用しているいつもの黒シャツ黒パンツ姿ではない。松木自身、ちゃんとした私服を着たのは何ヶ月ぶりか。昴にはこの日の為に服を新調したとは言わないでおく。
とは言っても、紺色のマウンテンパンツに胸ポケットがある大きめの白いTシャツ、上着はアウトドアブランドのウィンドブレーカーと至ってシンプルだ。
「晴れて良かったね」
「今日は暑くなるらしいぞ」
中に入り缶コーヒーを一本手に取りレジに向かう。後ろにいた昴が手にしているペットボトルとお菓子も一緒に会計した。
「あ、ありがとう」
「いーえ」
コンビニを出ると二人は車に乗り込む。
「お邪魔しまーす」
キョロキョロと見渡し、
「まっつんの匂いがする」
そう言って少し笑った。
「タバコ臭くて悪いな」
「別に気にしないよ。俺に気にせず吸っていいからね」
にこりと笑みを向けられて、松木は無意識に頭をポンポンと撫でていた。
ナビの設定を完了させ、
「じゃ、出発しますか」
松木はギアをリバースに入れ、昴が頭を置いている助手席のヘッドレスに手を置き、車を方向転換させた。ドライブに入れたところで昴を見ると、固まったまま顔を赤くしている。
「? どした?」
「う、ううん……なんでもない!」
その様子に不思議に思いながらも、まずは高速に乗るべく高速道路の入り口を目指した。
「どのくらいで着くの?」
「んー、ナビだと一時間ってとこか」
「N市って何気に遠いよね」
「そうなんだよな。だから、実家帰るの面倒臭くてなー」
松木の地元であるN市は観光地としても全国的にも有名で、春や秋は観光客で賑わう街だった。
「幼稚園の時に牧場行ったきりだなー」
「ああー、あの牧場な。あそこのソフトクリーム美味いんだよな」
「食べたい!」
「了解しました」
行きの車で二人の会話は途切れる事はなく、話しても話しても話しは尽きる事はなかった。
「まっつんって今彼女いないの?」
そんな質問が出た時には、口に含んでいたコーヒーを吹き出すところだった。
「まぁ……今はいないわな」
「いつまでいたの? なんで別れちゃったの?」
「随分とぐいぐいくるねぇ」
呆れた様子で昴を見ると、
「だって、知りたいじゃん」
なぜ? とは問い返す事はできず、うーんと一つ唸った。
「三年前に別れた。五年付き合ってたし三十路になるし、まぁ、この辺りで結婚かな、って思ってプロポーズしたら──振られた」
「何で振られたの?」
「俺とはない、って言われた」
「えー? なんで?」
「さあな……まあ、俺って結構面倒くさがりだし、ダラしないから、我慢してたのかもな。あとは仕事とか? じゃねえのかな」
「まっつん、可哀想……」
そう言って流れてもいない涙を指で拭って大袈裟な演技を見せている。
「やめろ……惨めだろうが」
松木は軽く拳を作り、コツンと昴の頭を叩いた。
「で、その彼女は?」
「あー、なんか公務員だか銀行員と結婚したって聞いたな……つーか、そういうおまえはどうなんだよ」
「えー? 俺? 俺はずっとサッカーばっかりやってきたから、彼女作る暇なんてほとんどなかったなあ」
両手を頭の後ろで組み、口を尖らせている。
「高一の時、一瞬いたけど結局すぐ別れたし」
「なんで?」
「私とサッカー、どっちが大事なの?! って」
そのセリフに思わず苦笑が漏れる。
「そんなドラマみたいなセリフ、本当に言う人いるんだってびっくりした。人とサッカーって、比べる対象じゃなくない?」
「確かにな──じゃあ、童貞か?」
ニヤリとイヤらしい笑みを浮かべ、横目で昴を見ると昴は顔を真っ赤にし、両頬を膨らませている。
「言わない! その発言はセクハラだと思いまーす!」
「ハハハ……! そう怒るなって! ま、昴くんはこれからじゃないんですか?」
そう──きっと昴にはこれから楽しい事がたくさん待っているはずだ。
大学に進学したらきっと大学での出会いもあるだろう。卒業して就職でもすれば、また更に出会いは広がる。そんな風になれば、こんな三十路過ぎの冴えないおっさんの存在など忘れてしまうのだろう。自分でそう自己完結すれば、胸の奥がチクリと痛んだ。
願うなら、頭のほんの隅っこでもいい。自分という存在を少しでも昴の記憶の片隅に残してくれたら、と思う。
N市を示す案内板が目に入ると高速を降りた。
「店の予約まで時間あるし、少し観光でもするか」
車内の時計をチラリと見れば、十一時になろうとしていた。店の予約は十二時で、今いる場所から店までは二十分の所にある為、時間を潰す必要があるようだ。
「予約してくれたの?」
「そりゃするだろう」
「そっか……なんやかんや言っても、まっつんって大人って感じするよね」
珍しく声のトーンが低いように思えた。
「伊達に年は取ってません」
「三十路のおっさんだもんね」
「否定はしねえけどな──雑貨とか好きか?」
「うん、好きだよ。どっかある?」
「アジアンテイストの雑貨屋がこの通りにあるんだけど、そこでいいか?」
「うん! 行ってみたい!」
目的に到着すると昴は目を輝かせて店内を見渡している。
「何ここ! おもしろーい」
まるでそこはバリのリゾート地のような作りで、広い敷地には雑貨屋がひしめき合い、奥にはカフェも併設しているようだ。
「このお面、まっつんに似てる」
そう言って売り物でもあるお面を松木に向けている。手に取りお面と自分の顔を並べてみる。
「俺こんな厳つい顔してるかあ?」
「あ! 写真撮りたい!」
昴は携帯を斜め掛けしているウエストバックから取り出し、お面と顔を並べている松木の姿を写真を撮る。
「ウケる」
そう言って携帯を見て笑っている。
そこから昴はせっせと写真を撮り始め、せっかくだからとカメラをインカムにして二人での写真も数枚撮った。
灰皿の置いてある喫煙場所を見つけると、「タバコ吸ってきていいか?」そう昴に断りを入れ、一服することにした。その間、昴は雑貨を見ると言って店に入っていった。
タバコに火を点け、深く吸った。
(ヤバい……思いのほか楽しい)
ひと回り以上の歳の差があるのに、一緒にいる事が全く苦痛ではない。むしろ居心地がいい。女性とのデートでさえこんな風に楽しいと感じた事はなかった。同性だからなのか、それとも昴だからなのか──。おそらく後者なのだろうと思う。
タバコを消し、ついでにトイレに寄ってから昴の元へ戻ろうと昴を探した。
すぐにその姿を見つけ、名前を呼ぼうとした。昴は普段は見せないような、少し悲しげな目をしていた。視線を追えば、カフェの入口でカフェのメニューを見ている男女のカップル。恋人同士であろう二人は隙間なく寄り添って、恋人繋ぎをしているのを羨ましそうに眺めているように見えた。
(手……繋ぎてえのかな……え?俺と?)
そう勝手な解釈を松木はするが、全く検討違いの可能性はある。そんな事を聞いて確認する事もできない。
天気予報で言っていた通り、気温はぐんぐんと上がってきている。堪らず松木は上着を脱ぐ。
「昴」
昴は松木の姿を見ると、パッと顔を明るくした。
昴も着ていたスウェットを脱ぎ、白いTシャツ姿になっている。偶然にも、松木が着ているTシャツと昴が着ているTシャツのデザインが似ていた。大きめで胸ポケットが付いており、まるでペアルックのように思え、そんな風に思う自分に恥ずかしくなる。
「おかえり」
「何か買ったのか?」
手にした袋に目が止まる。
「うん、ここ面白いのたくさんあって飽きないね。あっ! 俺が着てるのと似てる!」
昴もそこに気付いたようだ。
へへへ、と少し照れた笑みを溢すと、
「ペアルックみたいだね」
嬉しそうにそう言った。
トスッ。
松木の心臓に何かが刺さった気がした。
(本日一発目……)
昴の微笑みがあまりに無垢で眩しく、松木は思わず目を細めたのだった。
「わっ! なんかあるよ!」
そんな松木の心中など分からない昴は変わった椅子を発見し無邪気に駆け寄って行く。
「あの子かわいいー」
「高校生かな?」
近くにいた三人組の観光客だろうか、昴に反応している。
「ナンパしちゃう?」
「どうせ彼女と来てるんだよ」
「まっつーん! 何してんの! 写真撮ろうよ!」
その時、昴がこちらに向かって手を振った。
三人組の女性観光客は驚いた様子でこちらに視線を向け、コソコソと何やら話している。
言っている事は、だいたい予想できる。
(すいません、こんなおっさんと来てます)
心の中で謝罪した。
「そろそろ出るぞ」
腕時計に目を落とし、時間を確認する。
「うん」
自分に駆け寄って来る昴に、無意識に手を差し出していた。昴の動きが一瞬止まり、その差し出された手の意味を理解しようとしている。
松木はハッとし、差し出した手をどうしようか悩んだが、昴は嬉しそうに松木の手を握ってきた。
ここにいる人に見られたところで、もう会う事もない、そう半ば強引に自分を納得させ昴の手を取った。
男女のカップルを見ていた昴が手を繋いでいる事を羨ましいと思ったのならば、少しでも叶えてやりたいと思った。その相手が自分でいいのか疑問ではあったが──。
車内に戻り一度手を離すも、どちらともなく二人は手を繋いだ。その後も車では、二人は手を繋ぐのが決まり事のように自然と手を握った。
お昼に巨大ハンバーガーを堪能し、牧場に行ってソフトクリームを食べた。時刻も夕方に差し掛かり、渋滞する前にこちらを出ようと松木は考えていた。
「そう言えば、まっつん実家に顔出さなくていいの?」
N市の一番大きい道の駅に寄り、昴は今日何個目か分からないソフトクリームを頬張っている。
「今日はいいよ、まぁ、GWにでも帰るさ」
その時、
「大地?」
自分の名を呼ばれ、振り向く。見覚えのあるその顔は、中学の同級生だった、飯田ゆかりだった。
「ゆかり?」
「久しぶり! 何? こっちいるの?」
ゆかりが近付いてくるのが分かると松木は腰を上げた。
「いや、違う。ちょっと観光」
「観光ってあんた、自分の地元じゃん」
そう言って笑った。
「いや、連れのさ」
そう言って昴をチラリと見る。昴の表情は珍しく硬っているように見えた。
「弟……? っていたっけ?」
「いねーけど……」
「甥っ子、とか?」
なぜそんなに気にするのか、苛立ちを感じた。年の差は歴然だ。それでも友達と言えばいいのか、そう言って彼女は信じるのか、妙な勘ぐりをされるのが目に見えた。
「こんにちはー。こう見えて俺たち友達なんですよ」
「そうなんだあ! こんな若くてかわいい友達なんてうらやまなんだけど」
ゆかりは昴の答えに意外にもあっさり受け入れ、松木は逆に面食らった。
「おっさんに誑かされないようにね」
昴はゆかりの言葉に口を継ぐんでいる。ゆかりはそんな昴に気付かない様子で尚も話しかけてきた。
「おまえの連れは? 待ってんじゃねえの?」
「あ、忘れてた。今度同窓会やる時は来なよ! じゃあね!」
そう言って嵐のように散々喋り倒し、彼女は去っていった。
「──悪い」
「……元カノ、とか?」
「違うから! 中学の同級生だよ」
「ふーん……下の名前で呼び合ってたから」
「俺らの中学は人数も少なくて兄弟みたいなもんだったから、皆んな下の名前で呼び合ってたんだよ」
「じゃあ……俺も下の名前で呼ぼうかな?」
「あ?」
昴の顔が近付いてきたかと思うと、
「大地さん」
小首を傾げ、そう可愛らしく松木の名前を呼んだ。
心臓を鷲掴みされたように、胸がギュッっとなる。
(こ、これは……)
その破壊力は今日一番であった。
動揺を隠す為、一つ息は吐く。
「こういうのを付けながら言われても説得力ありません」
昴の口元には、先程まで食べていたソフトクリームのコーンの食べカスが付いているのが目に入り、松木はそれを親指で拭った。途端、昴は顔を真っ赤にさせている。
(子供だねえ)
そんな子供に何度も翻弄されている自分の事は棚上げだ。
「さて、行くか」
大きく一つ伸びをし、もう一度時計を見た。四時になろうとしていた。
「お腹すいた」
昴はそうポツリと呟き、腹をさすっている。
「あんだけ食って、もう腹減ったのかよ」
「食べ盛りですから!」
そうドヤ顔を向けられた。
少し遠回りにはなるが、食べ放題の焼肉屋に寄ることにした。ドヤ顔をキメることだけあり、目の前の肉はどんどんと消えて行く。
(よお食うな……)
呆れながらも、その食いっぷりの良さは見ていて気持ちがいい。
きっと、昴はもっと成長していくのだろう。今はまだ成長期の途中で伸び悩んでいる身長も付きにくいと悩んでいる筋肉も、これからまだまだ発達していくのだろう。
「あー腹いっぱい! ご馳走さまでした!」
「満足して頂けて何よりです」
車内に乗り込み、エンジンをかけそして、自然に互いの手を取った。
外はすっかり暗くなり、時計は七時を回ったところだ。帰路につく為に高速に乗ると、電光掲示板が渋滞を告げていた。
「少し渋滞してるな」
「みたいだね」
心なしか昴のテンションが低い。
(眠いのか?)
チラリと横目で昴を見れば、反対車線の車のヘッドライトを目で追っていた。
大人びた綺麗な横顔をしていると思った。
「眠ければ寝てていいぞ」
「うん……大丈夫……」
少し舌足らずな声で言うと、ギュッと手を握ってきた手は熱かった。
(こりゃ眠いんだな)
内心で笑いを零す。
ずっと賑やかだった車内が静まり返り、小さくかかっていた曲が耳に入ってきた。その時になって、このバンドの曲流していたのだと思い出す。先程まで、昴との会話は途切れる事はなかったからか、音楽など気にもしていなかった。
渋滞に嵌り、車が思うように進まなくなる。
ふと繋いでいた昴の手の力が抜け、それと同時に規則正しい寝息も聞こえてきた。昴を見れば、無防備に可愛らしい寝顔を曝け出している。
(髪、食ってる……)
毛束が昴の口にあるのが目に入り、繋いでいない手でそれをそっとよけてやる。指先に触れた昴の肌はスルリとした滑らかな感触で、その触り心地に思わず頬に触れてみた。その時、無意識なのか昴はその手に頬を擦り寄せてきた。親指で昴の形の良い唇に触れると、ぷっくりとしたその感触の良さに思わずその唇を指でそっと撫でていた。
松木の中で、キスしたい衝動に駆られる。そう思うと松木は昴に顔を近付けていた。
添えている指を唇に変えようとしたその瞬間、
ガブッ!
寝ぼけているのか昴は親指を噛んできたのだ。
「──いっ!」
寸でところで声を飲み込み、慌てて手を引っ込めた。
昴は何か食べている夢でも見ているのか、モゴモゴと口を動かしている。
(あ……っぶね……!)
完全に今、自分は昴に対してキスしようとしていた。
体を起こし前を見れば、前の車が進んでスペースができており、慌てて前の車との車間距離を詰めた。
ビクッと昴の体が大きく跳ねた。
「あっ……俺、寝てた?」
「ああ、ヨダレ垂らしてな」
松木の言葉に昴は慌てて口元を拭った。
「ここどこ?」
「もうM市入ってる」
「そっか……」
不意に自分の右手を見つめている。手を繋いでいないことに気付いたようだ。
あの後、松木はそっと手を離した。未遂とはいえ、ひと回り以上年下の男子高校生にキスをしようとした罪悪感で、とても手など繋いでいられないと思ったのだ。
「寝なければ、もっとまっつんと話せたのに」
そう残念そうに言いながら、まだ自分の右手に目を向けている。
「家まで送る。どの辺?」
「いいよ、待ち合わせしたコンビニで。歩いて帰るから」
「ダメだ。もう、こんな暗いのに高校生一人で夜道歩かせられるわけねえだろ」
結局、大渋滞に嵌り、帰るのに二時間半もかかってしまった為、現在時刻は九時近くになろうとしていた。
「めっちゃ近いよ?」
「近いなら尚更送るって」
言われた道順で車を走らせれば、コンビニからほんの三分程で着いてしまった。
「マジちけーな」
「だから、言ったじゃん」
住宅街の中にある昴のその一戸建ては、紺色の外観で今風の四角い洒落た家だった。
玄関前に車を止め、ハザードを点ける。
「まっつん、今日はありがとう。凄く楽しかった!」
「俺も予想外に楽しかったよ」
「何、その予想外って!」
昴は頬を膨らませている。
「──いや、普通に考えて、男子高校生と出掛けるなんて、どうなるかと思ってたけど、すげー楽しかったよ」
そう言って昴の頭をぽんぽんと撫でた。
「今日、色々奢ってもらったじゃん。で、これお礼ってわけでもないんだけどさ……」
昴はウエストバックから小さな紙袋を取り出し、松木に渡した。
「午前中行った雑貨屋?」
「うん」
袋から中身を出すと、親指ほどの大きさの黒いフェルト人形のキーホルダーだった。
「なんか……怖い人形だな」
お世辞にも可愛いとは言い難い、ホラーなマスコットだ。
「見た目こんなんだけど、幸せを運んでくれるんだって。俺もお揃いで買っちゃった」
同じキーホルダーを松木に見せた。
「サンキュー、じゃあ、ここに飾ろうかな」
松木はキーホルダーの紐の部分をルームミラー引っ掛けた。
少し不気味なマスコットがクルリと一周した。
「まっつん……また、どっか連れてってって言ったら……」
珍しく歯切れ悪く言い淀んでいる。
「ああ、そうだな。行きたいとこ考えおけよ」
自然と口角が上がり、昴の毛並みの良い頭をひと撫でした。滑らかなつるりとした感触はしっかりとキューティクルがされている事を物語っていた。
その手が離れると、不意に昴の顔が近付いてきた。チュッと音を鳴らし、頬にキスをされたのだと知る。
条件反射で思わず頬に手をあてた。
「な、何して……!」
見開いた目で昴を見れば、悪びれる様子もなく、
「デートの締めはやっぱりキスかと思って」
そう言い放った。
鍋の締めはうどんでしょ、くらいのテンションと同じに聞こえる。
「おま……! 何言って……!」
動揺のあまり、言葉にならない。年甲斐もなく顔が熱くなるのを感じた。
「外国ではほっぺにチューなんて挨拶じゃん」
昴はそう言って軽く笑うと、松木の肩をポンポンと叩いた。
(違う……そうじゃない……)
昴は男からキスをされた事に動揺していると思っている。だが、そうではない。自分はキスをするのをなんとか理性を抑えて我慢したというのに、目の前のこの少年はそんな松木の気持ちもお構いなしに、それをサラッとやって退けてしまった。
「じゃあね、まっつん、おやすみ」
昴は尚も動揺している松木を尻目に車から降りた。
「──ったく」
そんな昴に苦笑を漏らしながらも、ドライブにギアを入れた。助手席のウインドウガラスを開けると、
「またな、おやすみ」
そう昴に告げ、アクセルを踏み込んだ。ルームミラーを見れば、昴の姿が目に入る。どうやら松木の車が見えなくなるまで見送っているようだ。そんな健気な昴の姿が酷く愛おしいと感じた。
松木は知らない。その行動に昴は、どんなに勇気を振り絞ったのかを──。
その日、夕方から急な大雨に見舞われた。店内には、BGMをかき消すほど雨の音が響いている。
「雨、凄いっすね」
豊橋が店内からガラス越しに外に目を向けている。
「春の嵐ってやつか」
風も強く吹いており、店内の客も外に出たくても出れないようで、足止めを食らっているようだった。
この春の嵐で、せっかく満開になった桜は散ってしまうのだろう。
松木はトイレに行ってくると声をかけ、用を足してトイレから出ると、風除室に駆け込んで来た客とぶつかりそうになった。
「うおっ!」
思わず慌ててぶつかってきた客の肩を掴んでしまった。
「す、んませ……あっ、まっつん!」
ぶつかってきた客は、昴だった。
この急な雨に不運にも遭遇してしまったのか、びっしょりと濡れている。
「昴か! びっしょりじゃねえか! タオルあるのか?」
「大丈夫、大丈夫! あるよ」
そう言ってブレザーを脱いでいる。
「家まであとちょっとだったんだけどなー」
リュックから取り出したタオルで顔を拭いている。
その時、松木は昴の胸に釘付けになった。
(ち、乳首が透けてる……)
昴はシャツを直に着ているのか、雨で濡れたシャツがベッタリと肌に張り付いており、乳首が透けて見えてしまっていた。しかも、いやらしくぷっくりと中心は主張している。白いシャツ越しにでも、彼の乳首は綺麗なピンク色をしているのを知ってしまった。
(マジかぁ……)
信じられない事に、自分の下半身が反応し始めている。松木は、思わず天を仰ぐ。
「お店入らないから、少しここにいてもいい?」
そう言って昴は縋るような上目遣いで松木を見つめてきた。上背のある松木を必然的に見上げる形になる。雫が滴り落ちる黒い前髪の隙間から下がった眉を覗かせ、泣きそうな困ったような目で見つめてくる昴。
ドキリ──
「あ、ああ……もちろん」
そう平静を装うも、普段は見る事のない色っぽい表情の昴に、落ち着いたと思った下半身が再び反応しかけている。そのくせ松木の視線は懲りずにまた、昴の透けている乳首に視線を向けてしまう。
「ちょっと待ってろ!」
松木は事務所に駆け込むと、椅子に掛かっているパーカーを手に取り再び昴の元に戻った。
「これ、着てろ」
手渡そうとするも、
「いいよ! 濡れちゃうから!」
そう言って押し返されてしまった。
松木は無理矢理パーカーを昴の肩にかけ、ファスナーをきっちり首元まであげた。
こんな姿を人の目に晒してはいけない、そう本能的に思った。
「まっつん……く、苦しい……」
ミノムシ状態の昴は裾から手を伸ばし、それを捲り上げるとファスナーを大きく下げた。が、松木はそれを再び上げた。さすがに首元までは上げ過ぎだと思い今度は鎖骨辺りで止めると、ミノムシ状態の昴はモゾモゾと中で腕を動かし、器用にアームホールに腕を通した。
「止むまでここにいなさい」
「うん」
コクリと素直に頷き、へへへ、と笑いを溢し、
「まっつんのおっきいね」
余った袖口をブラブラとさせている。
トスッ──
胸に矢でもが刺さったような感覚。
更に、袖口を口元につけ、
「まっつんの匂いがする」
そう言って昴は頬を染めている。
トスットスッ──
再び胸に何かが刺さった。
松木はふーっ、と大きく息を吐く。眉間を摘み、キツく目を閉じると再び天を仰いだ。
この姿を見て、可愛くないと思う人間がいるのか? いるなら、逆に問いたい、なぜ可愛くないと思うのかを──。
心と下半身を何とか鎮め、
「じゃ、俺、店戻るな」
昴に声をかけた。
「うん、ありがとう」
店内に戻ろうと踵を返し、チラリと横目で昴を見た。
相変わらず長い袖口を口元にあて、止みそうにない雨空を見上げている。その表情はいつも無邪気に笑顔を振りまいている昴よりも、少し大人っぽく見えた。
店に戻ると、
「随分と長いトイレでしたね。うんこっすか」
豊橋のツッコミが入る。
「うんこじゃねえわ。昴がいた」
「そうなの? なんで入ってこないの?」
「雨で濡れちまったから、止むまで風除室にいさせてほしいって」
そんな会話をしていると、小太りの中年男性がカウンターに商品を置き、別のスタッフがレジ対応している。
《ショタコンおやじ》とあだ名が付いている常連客だ。あだ名の通り、アイドル雑誌を買い漁っている客で、おそらくそういう性癖なのだと予想できる。会計を済ませ自動ドアを出て行くのが目に入った。
不意に昴が心配になる。あんな姿の昴を見たら、この客はよからぬ事を考えるかもしれない。
「もう一回、トイレ!」
「またぁ⁉︎」
豊橋の声を振り切り、大股で自動ドアに向かった。
風除室には昴の姿はなく、外に出てみれば雨は小雨になっていた。
(帰ったか)
そう思いふと、駐輪場に目を向けた。
昴が先程の《ショタコンおやじ》に声をかけられている。昴はキョトンとした表情を相手に向けている。
何言ってんだろう、このおっさん、とでも言いたげな表情だ。そしてその表情は段々と怯えたものへと変化していく。
(あんのおやじ!)
松木はカッと頭に血が昇るのを感じ、考えるよりも先に体が動いていた。昴に近付くと、グイッと昴の肩を掴んだ。腕を掴み引っ張ると、昴の姿を相手に見せないように自分の後ろに移動させた。
そのまま昴の手を握る形になってしまった。だが、昴はその手をぎゅっと強く握り返してきた。
「お知り合いですか?」
語尾の口調を強めにして言うと、
「い、いや……雨に濡れてたから……」
ゴニョゴニョと何か口の中で言いながら、男は逃げるように去って行った。
「大丈夫か?」
繋いでいた手を互いに名残りおしそうにそっと離し、
「うん……」
昴が小さく頷く。
「なんて声かけられた?」
「──車で送ってこうか? って」
「〜〜!」
車で送った後、何をしようとしたのかと想像すると怒りで隣にあった自転車を蹴り飛ばしたい衝動に狩られ、寸前のとこで思い止まる。代わりに、湿気でいつもよりうねっている髪をガシガシと荒っぽく掻いた。
「雨、小雨になったし、もう帰れるだろ」
苛立ちで少し口調がキツくなってしまった。
「うん──くっちゅん!」
昴は可愛いらしいくしゃみを一つし、鼻をズズッとすすった。
「風邪ひくなよ」
そう言って昴の頭をくしゃりと撫でた。
俯く昴の顔は見えなかったが、耳が赤く染まっているのが分かった。
昴はのろのろと自転車に跨ると、じゃあ、またね、そう言って帰って行った。昴が見えなくなるまで見届け、松木は店内に戻った。
昴は無事に家に帰っただろうか、すぐ風呂に入って暖かくしただろうか、そんな事を考えているうちに退勤の時刻になった。
その日は久しぶりの中番で、松木は九時に退勤するとレンタルコーナーに足を運んだ。迷いなく、アダルトコーナーの十八禁の暖簾を潜る。
(お、この子可愛い)
面陳列されているパッケージが目に入り、手に取ってみる。黒髪のショートカットの女優が指を咥えてこちらを誘っている。胸は小さいが好みのタイプだ。あと二枚は適当に選び、アダルトコーナーを出た。新作の洋画を二枚追加で借り、レジへと向かった。
「はい、宜しく」
カウンターにDVDを置くと、女性スタッフの富田が顔を上げた。もう十年も働いている、ベテランのスタッフだ。年は確かアラフォーだと聞いた。
「ぬるっとアダルト借りてくのやめてよー」
「明日休みだからよ、観賞会だ」
「あたしだからいいけど、他の若い子じゃ、セクハラって騒がれるから」
「へいへい」
松木は適当な返事を返す。
(よく言うぜ。アダルトのマスターバックもアダルトの中古作りも平然とやる連中のくせに)
この店舗は、男性スタッフが自分と店長、大学生のバイトのたった三人しかいない。なので、必然的にアダルトのマスターバックを女性スタッフがやる事になる。最初こそ文句を垂れていたが、今では素知らぬ顔であの十八禁の暖簾を潜るのだ。
アパートに帰り、コンビニ弁当を食べ一緒に買ったビールとつまみをテーブルに用意する。レコーダーにDVDをセットし、ソファに腰を下ろした。隣人に音が漏れないよう、ヘッドフォンを装着し再生ボタンを押す。
確かオフィスもので、上司に犯される設定だった気がする。
白シャツに短いタイトスカート姿の女が、上司の男と絡み始める。お硬いOLキャラ設定なのか、女は恥ずかしそうな上目遣いで、こちらに視線を送っている。
それがアップになった瞬間、
ドクンッ!
松木の心臓が大きくなった。
どこかで見たような場面だと思った。
今日の大雨で店に避難してきた昴。上目遣いで自分を見つめてきた昴と、上目遣いで奉仕をしている女優の姿が完全に一致してしまったのだ。短いショートカットの髪と涼しげな切れ長の目元が似ている気がする。
一度女優が昴に似ていると認識してまうと、女優が昴にしか見えなくなってしまう。
ダメだ……ダメだ……!!
そう思うも、女優が着ている白シャツは今日見た昴の制服のシャツを、そして透けた乳首を思い出せた。
その瞬間、松木は自分の汚れた右手を呆然と眺めた。
「やっちまった……」
AV女優と昴を重ね完全に昴で抜いてしまった事と賢者タイムも相まって、松木は酷い罪悪感に陥る。
女子高生ならまだしも、同性である昴とAV女優が被るなんて、自分はどうかしてしまったのだろうか……。
その時、携帯からメッセージを告げる音がした。
昴からだった。
『まっつん、今日はありがとう♡おやすみ♡』
可愛いスタンプも添えられていて、無邪気な昴の顔が浮かぶ。ハートなんて高校生にしてみたら深い意味などなく、装飾の一つの感覚なのだろう。しかし、相手によってはこんな事でも期待してしまう輩もいるのではないかと心配になる。
「そんな安易にハートとか使っちゃダメ!」
いない相手に突っ込みを入れても声は届きはしない。
今日のショタコンおやじと今の自分は変わりないのではないか、そう思うと更に凹んだ。
(すまん、昴……俺は汚れたおっさんだ……)
罪悪感に苛まれつつも、その後そのアダルトDVDをもう一度見てしまった。
休みは終始ダラダラと過ごし、結局、例のアダルトDVDを封印した。また、昴と重ねてしまいそうで、休み明けに早々返却してしまった。
ところが──
週に二度は顔を出していた昴が、この一週間一度も姿を現していない。
昴には部活もあるし当然勉強もある。春休みも終わり昴は三年に進級、受験生という身になり、学校が忙しいのかとも思った。
それが二週間も顔を出さず、連絡もないとなるとさすがに何かあったのではないかと心配になってきた。いつも用もないのに送られてくるメッセージすらない。考えてみれば、松木から連絡をする事は一度もなかった。連絡せずとも日を置かず昴から連絡から連絡がきていたからだ。
「最近昴くん、来ないっすね」
豊橋が松木の心情を察したように言った。
「学校が忙しいんだろ」
そう自分に言い聞かせるように言葉を漏らした。
昴に対して松木は、恋愛感情に似た想いを抱いているのを認めざる得なかった。可愛いというだけでは済まない感情。それよりももっと強い感情だ。可愛くて愛しくて、例えるなら、《宝物》のような。
男性に恋愛感情を抱いた事は過去なかったが、少なくともキスをしたいと思った時点でそういう事なのだと確信した。更に、AVの女優を昴と重ね、致してしまうという。
自分が思うように昴も同じ感情を抱いているのだろうか。そう思う時もあれば、違うのではないかと思う時があり、正直、昴の気持ちの真意を測り兼ねた。とにかく昴の気持ちが読めないのだ。掴み所がないというか、何を考えているのかが分からない。もし、互いに同じ気持ちだったとしても、男同士でどうすればいいのか──。
グルグルとそんな事ばかり考えるも、答えは一向に出ない。
それより今は昴と会えない事にモヤモヤする。
(高校生に振り回されてるおっさんって……)
そんな自分が惨めに思えてくる。
──はぁ。
無意識に大きくため息を一つ吐くと、モップ掃除を開始した。
今日は数少ない中番だ。アダルトでも借りて帰ろうかとも一瞬思ったが、そんな気分にもなれず、また一つため息を漏らした。腕時計を見れば、退勤の時刻まであと十五分と迫っている。急いで児童書コーナーのモップ掃除をし、商品整理をした。
「まっつん……」
聞き覚えのある声に呼ばれ、振り向けば私服姿の昴が立っていた。
「──昴!」
昴の無事な姿を見て、酷く安心している自分がいる。モップを放り投げ昴に近寄った。
「全然顔見せないから、心配したぞ。学校忙しかったのか?」
松木の言葉に昴は俯きながら、無言で首を振った。
「──これ、返しにきた」
そう言って昴は紙袋を差し出す。中を見れば、先日の雨の日に貸したパーカーだった。
「わざわざ洗ってくれたのか。悪いな……そうだ、俺もう上りだから飯でも……」
先程から昴は下を向いたまま顔をあげようとしない。
「昴?」
俯く昴の顔からポタポタと水滴が落ち、昴の足元を濡らした。
(泣いてる……!?)
ギョッとし、周囲を見渡す。日曜日の客の引きは早い。客の数も既に疎らで、幸い今いる児童書コーナーにも人はいない。
「ど、ど、どうした?! 何で泣いてる?!」
オロオロとみっともなく取り乱し、昴の肩を触れると顔を覗き込んだ。
一度、堰を切ったように流れ出た涙は止まる気配はなく、次から次に落ちる雫で床を濡らした。
松木はポケットにあったハンカチを取り出し、昴に渡そうとするも、
(これ、昨日から入れっぱだ……)
そんな事に気付いてしまい、それを渡すのを一瞬躊躇う。クンクンと匂いを嗅ぎ、大丈夫そうだと分かるとそれを昴の目に当てた。
「匂ったら悪い」
そう言って流れ出る涙を拭ってやると、昴はハンカチごと松木の手を握った。
「俺……俺……変に、なっちゃ、た……」
ヒクヒクと子供のように嗚咽を漏らしながら、何とか声を絞り出す。
「変? 何が?」
「お、おれ……お、れ……うぅっ……う……っ……」
更に泣いてしまい、話にならない。腕時計を見ると既に九時を回っていた。
「俺もう上りだから、ここで待ってろ」
な? そう子供をあやす様に言うと、昴は小さく頷いた。
(何があった?まさかイジメ?それとも家で何かあった?)
そんな思考を巡らせながら急いで退勤を済ませ、荷物を引っ掴み、昴がいるであろう児童書コーナーに向かった。
小さな椅子にちょこんと座った昴は、松木が渡したハンカチをじっと見つめていた。
「──昴」
呼ばれてこちらに顔を向ければ、目が真っ赤だった。松木の顔を見た瞬間、再び顔をくしゃりと歪ませた。
「大丈夫か?」
昴が腰掛けている椅子の横にしゃがみ、昴の髪をそっと撫でた。
「まっつん……」
「とりあえず、店出よう」
誰にも見られないよう素早く店を出ようとしたが、事務所に続く扉が開き豊橋と遭遇してしまった。
「あれ……?」
松木の横にいるいつもと様子の違う昴に、豊橋は口を閉じる。豊橋と目が合い、松木は昴に見えないよう口元に人差し指をあてると、彼女は小さく頷いたように見えた。
駐車場に止めてある自分の車の鍵を開け、昴に乗るよう促す。エンジンをかけ、さてどうするか、そう思考を巡らせ、メシは? そう尋ねれば、首を振る。ひとまずコンビニに寄り、自分にコーヒーとサンドウィッチ、昴にカフェオレを渡した。ファミレスにでも入れればいいのだが、こんな状態の昴を人目に晒したくはない。コーヒーでサンドウィッチを流し込み、
(どこ行くかな……)
思考を巡らす。
どこか人目もなく、車を止められる所はないかとナビ検索をした。自分のアパートとも思ったが、高校生を連れ込むのはいかがなものかと思った。それ以前に、人を招き入れる状態の部屋ではない。ナビでここから程近い所に運動公園があるようだ。そこに向かうべく車を走らせた。
その間、昴は一言も言葉を発していない。
一体何があったのだろうか。いつもあんなにも明るく元気な昴を、こんなにも泣かせてしまう事とは一体なんなのか。もし、泣かせた相手がいるのなら、こんな可愛い昴を泣かせるなんて──そいつをぶん殴ってやろうか、そんな物騒な考えも過ぎる。
運動公園は店から十分ほど走らせた場所にあった。周囲には民家の灯りはなく、真っ暗な公園は不気味さすら感じる。無駄に広い駐車場の端に車を止め周囲を見渡しても、自分の他に止まっている車は見当たらなかった。
少し窓を開けタバコに火を点け、このタバコが吸い終わったら聞いてみようか、そう思ったが半分程吸ったところで火を消した。
「落ち着いたか?」
コクリと頷く昴の手には、松木が買い与えたカフェオレのカップと松木のハンカチを両手で包む様に持っていた。コンビニからずっとそうしてきたのか。
昴はやっとカフェオレを目の前のジュースホルダーに置くと、ハンカチを顔にあて「うぅ……」と、また嗚咽を漏らし始めた。
「泣いてちゃわかんねえだろ?」
堪らず昴を抱き寄せた。軽く背中を叩き、赤ん坊を宥める様に背中を摩った。
「俺ね……俺、男なのに……まっつんを、オカズに……一人でし……た……あのパーカー……まっつんの匂いがして、パーカーの匂い嗅ぎな……がら……しちゃったんだ……」
途切れ途切れで、支離滅裂だったが、言っている事は充分伝わってきた。
驚きで言葉を失うも、
「──そっか」
そう一言溢した。
「俺も、まっつんも男なのに……変だよね……。この前出掛けた時だって、まっつんと手繋げて……凄く嬉しかった」
言葉に吐き出して少し落ち着いたのか、口調がハッキリしてきた。
「まっつんがさ……女の人と話してるの見て、凄くムカついたし、名前で呼び合ってるの見て羨ましいって思った……そういう事は、女の人に対して思うことのはずなのにね……」
思わず昴を抱き寄せる腕に力が入る。
「男同士なのにこんな気持ちになるの変だって思ったら──なんか、混乱しちゃって……」
そこで言葉を切ると、
「でも今日、まっつんの顔見て実感した。俺、男だけど、まっつんの事を好きなんだって。俺って変? 気持ち悪い?」
震える声でそう尋ねられれば、松木は何度も首を横に振った。
「変じゃない、気持ち悪くなんてない……」
言って良いものか、一瞬言葉を飲み込むも、
「安心しろ──俺も同じだから」
そう口に出ていた。
昴の気持ちを知り、自分の事でこんなにも悩ませてしまっていたのだと酷く自己嫌悪になる。殴られるべき人間は自分だったのだ。本当は、安易に答えを出すべきではないと思ったし、ひと回り以上年も離れている上に、ましてや男同士だ。
「まっつ……」
何かを言いかけた昴の唇を塞いだ。それは無意識だった。理性など考える余裕もなく、昴にキスをしていた。昴の小さな頭を抱え込み、角度を変えては啄むように触れるキスを何度も繰り返した。
「昴……」
一度唇を離し昴の顔を見ればトロリと顔を蕩けさせ、潤んだ目で松木を見つめている。
堪らずもう一度唇を重ねれば、今度は舌を差し入れた。無音の車内に舌を絡め合う水音だけが聞こえてくる。深いキスには慣れていない様子の昴の舌は、それでも必死に松木の舌を追い、応えようとしている。
(ヤバい……このまま続けてたら、勃つ……)
そうなる前にやめないといけない。そう思いながらも、昴の柔らかい唇の心地良さに離す事ができない。それでもなんとか理性を焚き付け唇を離す。名残惜しむように互いの舌先から透明の糸が引いた。
昴を強く抱きしめれば、昴も松木の背中に手を回し抱きついてきた。松木は昴の背中を何度か撫でると体を離し、昴を見れば松木の深いキスにすっかり力が抜けてしまったのか、ぼうっとしている。離れたくない、そう思うと肩を抱き寄せていた。昴も素直に体を松木に預け、顔を松木の胸に埋めている。二人は言葉もなく、誰もいない駐車場の片隅で暫くそうして抱き合っていた。
次の日、ずっとソワソワしている豊橋の視線を痛いほど感じていた。閉店三十分前になり、あとは最後のレジを閉めれば本日の業務は完了だ。
「心配かけたな」
パソコンに向かって入力をしている豊橋に声をかける。
「大丈夫でした?」
「ま、ね……」
豊橋はそれ以上、何かあったのかは聞いてはこない。
「──なあ」
たっぷりと間を作り、
「BL本貸してくれよ」
そう言うと豊橋は糸目の目を見開き、次の瞬間には何かを悟ったように笑っている。
「BL本を参考にすんな」
「ならねえかな?」
「BLの世界って、あたしはファンタジーだと思ってるんで」
「現実にはないって?」
「ないわけではないでしょうよ。実際そういう人もいるし、悩んでる人もいると思うし……何を悩んでんの? 男同士だから? 年の差あるから?」
「どっちも、だな」
豊橋は入力を終えたのか、パソコンをパタンと閉じた。
「俺もあいつも同性愛者じゃない。まあ、俺はある程度の経験はしてきたし、この年だから自分の責任は自分で取ることはできる。けど、あいつはまだ高校生で、これから色んな出会いが待ってると思うんだよ。それこそ、彼女や結婚相手、とかさ……」
「それを自分が奪ってしまうんじゃないかって?」
豊橋の言葉にコクリと頷いた。
「ここで俺があいつの気持ちを受け止めしまったら、この先あいつの人生どうなっちまうのかなって」
「ははは……! 一生愛されていく前提か! まっつんが振られるかもしんないじゃん!」
「まあ、そうなったらなったで仕方ないんだけどよ」
実際そうなったら、酷く落ち込むだろう。
「もし、あいつに別の相手が現れたら、潔く身を引くべきだ、とは思ってる」
「大人ぶって、まぁ、強がっちゃって」
「そりゃ、大人ぶるだろ! 三十二だぞ?! あいつより十五も上なんだぞ?! みっともない姿見せたくねえし」
「面倒臭い男だねえ」
その言葉にムッとし、口を尖らせた。
「そういうの含めて、昴くんはまっつん好きなんでしょうよ。そもそも昴くん、まっつんの何がいいのか疑問だけど」
更に口を尖らせ、首を突き出した。
「確かに同性愛者に対する理解はまだまだだしね。異性を好きにならなといけない、結婚して子供を作らないといけない……でもさ、それが全ての人にとって幸せかって言ったら違うんじゃないのかな? 結局、まっつんと昴くんの思う幸せは何かってことよ」
豊橋の言葉に松木は心のモヤが晴れたように感じた。
「一緒にいたいって思うなら、とことん一緒にいればいいじゃん」
「たまにはいい事言うね……」
「たまにってなんだ」
「ただの腐った人じゃないんだな」
「まあ、腐ってるから理解してあげたいって思うのかもね。男同士で惹かれあって、本来なら友達で済むのに、好きになってしまった……。あたしがBLで尊いと思うのはそこよ。元々ノーマルの人が同性を好きになるって相当想いが強いってことなんじゃない? 素敵じゃん」
豊橋以外にそんな風に言ってくれる人はいるのだろうか。でも、たった一人でもそう言ってくれた事に、随分と肩の荷が降りた気がする。松木の中での覚悟が出来た気がした。
「あいつ……こんな冴えないおっさんのどこがいいんだろ……」
自分で言って、自信喪失していく。
「そこはあたしも理解し難いけど……それは昴くんにしか分からない、まっつんの良さがあったんでしょ。いうても、すぐ振られるかもしんないじゃん」
「なんで二回言うの!?」
「まあ、せいぜい振られない様に頑張んなよ。相談料の代わりに、二人を題材にした薄い本、出させて」
「やめてください」
「あ、昴くん、まだ未成年なんだから、エッチは高校卒業するまで我慢だよ、まっつん」
「!!」
豊橋の爆弾発言に松木は固まる。
「じゃあ、しめまーす」
気付けば閉店時間になっており、慌てて自動ドアの鍵を締めに行った。
昴の自宅前に車を付けると同時に、昴が玄関から出てくるのが見えた。
「おはよー、まっつん」
「はい、おはよー」
昴が乗り込むのを確認し、車を発進させた。
昴は以前のように変わらず店に顔を出すようになった。時間の合間を縫ってご飯を食べるくらいはしていたが、一日一緒にいられるのはN市でのデート以来だ。学校が始まり土日が休みの昴と、基本的に土日出勤の松木ではなかなか休みが合わず、今日やっと日曜日の休みを松木はもぎ取った。
お互いの気持ちを確かめた日から、一か月が過ぎていた。現状、付き合っていると呼べる関係なのか、はっきりしていない状態と言えた。豊橋に悟られ、ちゃんとしないといけないと思いつつも思いのほか、改めて気持ちを確かめる事が怖かった。狡いとは思いながらも、昴から何も言ってこない事をいい事に、その話はせずにここまできてしまった。
昴のリクエストで、大型のスポーツショップが入っているショッピングモールに行く事にした。日曜日ということもあり、混雑は思った以上だった。
目の前でウェアを選んでいる昴を見つめる。
「どっちの色がいいかな?」
同じデザインの青のTシャツと白のTシャツを松木に見せている。
「うーん、白?」
「じゃあ、白にする」
そう言って青いTシャツを元あった場所に置いた。
まるで恋人同士のような会話だと、松木は頬を緩める。そんな会話を聞いた周囲の人には、自分たちが一体どんな関係に見えるのだろうか。年齢が近ければ普通に友達だと思うだろう。年の離れた兄弟? 叔父と甥? まさか親子に見えるという事はさすがにない──と思いたい。おそらく、恋人同士という選択肢は最も低い様に思える。だが、松木は気付いた。案外、人は周りに目を向けていないものだという事を。その事に気付いたら随分と気持ちは楽になった。
「お腹すいた」
既に時刻はお昼をだいぶ前に過ぎていた。
「何食べたいだ?」
レストランが並ぶフロアを昴は何回か往復する。
「オムライス!」
オムライス専門店に入り、テーブル席に案内された。
メニューを広げ、昴は目を輝かせて選んでいる。
「ねえ、後ろの二人ってどういう関係かな?」
松木の真後ろの席からそんな声が聞こえた。
「えー友達じゃないの?」
「でも結構、年の差あるように見えた」
向こうはこちらに声が聞こえていないと思っているのか、会話を続けている。
「……カップル? だったり」
その言葉に、松木の頭に血が昇るのを感じた。
「大地兄ちゃんは何にする?」
不意に昴は、隣まで聞こえるような大きめな声でそう言った。
「──なんだ、違うじゃん」
昴のその一言に、後ろの女性客の興味はあっさりと逸れたようだった。
まだ子供と呼べる年の昴に気を使わせてしまった。何より、惨めな思いをさせてしまったかもしれない、そう思うと松木は悔しさで泣きたくなってしまった。
「どうしたの?」
ぼうっとメニューを眺めている松木に昴は声をかけた。
「いや、うん……ごめんな」
昴は少しキョトンした顔をすると、松木が何に謝っているのか察したのか、一つ笑いを溢す。
「気にしてないよ、俺」
普通なら傷付く場面のはずだ。だが、何故か昴は満足そうな笑みを浮かべていた。
帰りに、夜景が綺麗だと評判の高台にある公園に向かった。
車から降りると、昼間は暖かくなったとはいえ夜はまだまだ冷える。昴は薄手のロングTシャツ一枚の姿だ。松木は車に常備していたブルゾンを昴の肩にかけた。
「ありがとう──まっつんって、こういうことサラッとするよね」
「そうか?」
「うん、なんか大人的な」
そう言って昴は笑った。
「この前のデートの時、車をバックさせる時の左手とか、ナチュラルに手繋いでくれたりとか、さ……いちいち、まっつんの仕草にドキドキしてた」
風が一瞬強く吹き、昴の綺麗な髪が風になびいた。
「この間のキスだって……まっつん凄く手慣れてて、あれだけで俺、フニャフニャになっちゃったし……昔の彼女とかにもこういうことしてたのかな、って思ったら──ちょっと嫉妬しちゃた。俺は全然子供で、年も離れてるし、その前に男だしさ……」
昴はそう言って少し悲しげに笑った。
「そうだな……年は縮まる事はないし、性別を変えることもできない。けど、おまえは大人にはなっていくだろ?」
柵に寄りかかると、隣に並ぶ昴を見た。
「昴がせめて、高校を卒業するまで待とうと思った。ある程度、昴が自分に責任を取れる年まで、我慢しようってな……でも──俺は昴が大人になるまで待てない」
少し間を作り、小さく一つ息を吐く。
「好きだよ、昴」
そう昴に告げれば、信じられない様子で見開いた目を松木に向けている。
「おまえは高校生の未成年で、ひと回り以上も年下で、男だけど──その昴を好きになった。おまえが俺に飽きるまででいい、こんな冴えないおっさんだけど、俺の恋人になってくれないか?」
そこまで言うと昴は、顔をくしゃりと歪ませ、松木の胸に飛び込んできた。
「俺も……好き……だよ」
松木のシャツが昴の涙で濡れていく。
「飽きる事なんてないよ……まっつんはカッコいいもん」
「──昴」
一度体を離し昴の顔を正面で捉えると、昴の頬を両手で包み込んだ。
「さっきみたいに、嫌な思いをする時もあるかもしれない……けど、どんな事があっても絶対に俺がおまえを守るから」
年の離れた同性と一緒にいるというだけで、なぜあんな風に言われなければいけないのか、なぜ、好奇な目を晒されないといけないのか。
きっとこの先も、こんな風に嫌な思いをする事もあるだろう。豊橋のように理解してくれる人間はおそらく稀だ。
自分はいい、何を言われようと耐えてみせる。だが絶対に昴にはそんな思いをさせたくはない。
「さっきって……ご飯の時?」
「ああ、後ろにいた客が変な勘ぐりしてたの、聞こえてただろう?」
昴はキョトンとした顔で松木を見上げると、
「全然、気にならなかったよ。だって、まっつんと一緒にいられる事が嬉しくて幸せだなって思ってたから、その気持ちのが強くて、誰にどう思われてるなんて、頭になかった」
そう言って昴は松木の胸に頬を擦り寄せてきた。
その言葉を聞いた瞬間、目頭が熱くなるのを感じた。涙を見られたくなくて、誤魔化すように昴を強く抱きしめる。
「まっつん、泣いてるの?」
涙を我慢するあまり、体が小刻み震えてしまい、あっさり泣いている事が昴にバレてしまった。
「まっつんが、俺を守ってくれるって言ってくれて凄く嬉しかったけど、俺もまっつんを守るよ!俺だって守られてばかりじゃ嫌だもん。まっつんも俺に甘えてよ。だから、たくさん泣いていいよ、まっつん」
必死に我慢していた涙は、昴のそのひと言で一気に溢れた。
自分より全然年下でまだ子供である昴の方がよほど潔く、男前だと思った。自分は必要以上に考え過ぎてしまうところがある。『昴の為』と言い訳をしながらも結局は、臆病になって、現実と向き合うのが怖かったのだ。
「俺は……おまえに出会えて……おまえを好きになって──うん……良かった……好きだ、昴」
こんなにも泣いたのは、いつ以来か。年甲斐もないと自分に呆れながらも、松木の涙は止まる事がない。思わず昴の肩口に顔を埋めた。
「俺も、まっつんを好きになれて良かった。大好きっ」
──もう、迷う事など何もない。
今、ここにある想いこそが幸せなんだと。
昴を想う自分、自分を想う昴。
年の差も性別も関係ない。
好きになって良かったと、誇れる想いはここにある。
「幸せにするね、まっつん!」
「男前だなよな、おまえは」
そう言って互いの額を合わせて見つめ合う。
『愛してる』
そう同時に呟き、二人は唇を重ねた。
ルームミラーに飾られている人形が、二人を祝福するかの様に何度もクルクルと回っていた──。
豊橋が売場で品出しをしていると、キラキラした男子高校生が笑顔で自分に近付いてきた。
「これ、ありがとう」
そう言ってキラキラな男子高校生──昴は、豊橋に紙袋を手渡した。
「早かったね」
先日、豊橋は健全なBL本を数冊、昴に貸したのだ。その時はただ単に本の虫である昴がとうとうBLにも興味を持ったのか、と思っていた。だが、今なら別に理由があったのだと予想はつく。
「面白かった! また、貸してね」
松木との事がひと段落し、今は純粋にBLの世界を楽しんでいるのだろう。
昴の手元を見れば、何かレンタルしたのか、店のキャリングバッグを手にしている。
松木に頼めば半額でレンタルできるのに、律儀な子だと豊橋は思った。
袋の中を見れば、小さな包みが入っているのに気付く。
「それ、ラスクなんだけど良かったら食べてね」
袋の店のロゴには見覚えがある。隣町で美味しいと評判のケーキ屋のラスクだ。
「ここ、行ってきたんだ」
「うん、この前まっつんと……」
と、そこまで言って、昴は慌てて口を手で塞いだ。その仕草が可愛らしく、自然と笑いが漏れる。
「大丈夫、あたし知ってるから」
豊橋は台車を押してカウンターに足を向けると、昴も並んで歩く。
「そっか……!」
昴は照れ臭いのか、顔を赤くしている。
カウンターに戻ると、松木は電話をしていた。昴は小さく手を振ると、松木はそれに応えるように片眉を上げ小さく頷く。
昴のその表情はまさに、恋する男の子の顔だ。
(くしょかわ……!)
松木でなくとも、昴のその表情を見れば顔が緩む。昴のこの顔をいつも向けられている本人は、さぞかしメロメロになっている事だろう。
(想像したくないけど)
そう心の中で毒づく。
「まっつんとどっか行くの? 今日、珍しくまっつん早番だもんね」
松木の今日のシフトは珍しく、六時上がりの早番だ。日曜日でスタッフの有給休暇が被ってしまい早番の人数が足りず、松木が早番に入ったのだ。時計を見れば、あと五分程で退勤時刻。
「うん、ご飯食べ行ってくる」
そして松木の家で昴が手にしたDVDでも見るのだろうか──そんな妄想を豊橋はした。
「昴くん、うちでバイトしなよ。そしたら、まっつんに毎日会えるよ」
豊橋のその言葉に昴は少し考えると、
「凄く魅力的だけど、そしたら、俺、まっつんばっかり見ちゃって、仕事にならないと思う……」
そう言ってのけた。
カッ、と豊橋の糸目が開眼する。
「てか、ここ高校生は採ってないないじゃん」
「まぁ、そうね。しかし……あんな冴えないおっさんのどこがいいの?」
せっかくこんな可愛い恋人ができたというのに、相変わらず松木は見た目に無頓着だ。今日も髭を剃り忘れたと言っていたし、天パの強いモジャっとした後頭部を見れば寝癖が付いている。
「まっつんも元は悪くないのにねえ」
松木は上背もあり、手足が長くスタイルが良い。意外にも体付きもガッチリとしていて、顔もよくよく見れば整っている。もっと見た目に気を使えばイケメンの部類に入るのではないかと思う。
「まっつんは今のままでいいの!」
「ええ? なんで? 彼ピッピはかっこいい方がいいじゃん」
「だって……」
昴は少しモジモジとすると、
「まっつんがかっこいいって皆んなに分かって、モテちゃったらイヤだもん……」
顔を赤らめそう言った。
──カッ!
そんな昴の姿に、再び開眼した。
「あんな感じでユルッとした風に見えるけど、二人の時はなんか大人? って感じで凄く優しいんだよ。俺、いっつもドキドキしっぱなしだし、キスだって……」
豊橋の閉じかけていた目がゆっくりと開いた。
──カッ!
(してんな、ベロチュー……)
そこまで言って昴はハッとしたのか、両手で口を隠し、喋り過ぎちゃった……、と一人慌てている。
「まっつんに言わないでね」
昴は人差し指を口元にあてると、チラリと松木を見た。電話を終えた松木は、退勤する為か事務所の方に歩いて行く背中が目に入った。
「じゃあね、豊橋さん」
「はいよー。楽しんで来てね」
昴が背を向けたが、くるりとまた豊橋の顔を見た。昴は豊橋の耳元まで口を寄せると、
「今度は、もっとエッチなヤツ貸してね」
小さな声でそう言った。
豊橋は、開眼したまま暫し固まった。
エッチなBL本を読んで一体どうするつもりなのか──そんな事を考えると、仕事中だというのに豊橋のBL脳が暴走してしまいそうになる。
上背のある松木の頭が棚越しに見えると、昴は足早に松木の元へ歩いて行った。
(リアルボーイズラブは、思った以上に尊いねぇ)
出入口である自動ドアに向かう二人は、何か会話を交わしている。笑みを浮かべ、そして松木は昴の頭に手を乗せているのが見えた。店内でいちゃつくなと思いつつも、松木の顔を見て、
(そんな顔、ここじゃ見せないくせに)
昴に対する松木の表情に苦笑を浮かべた。
松木のあんな穏やかな表情は、店で一度も見たことはない。きっと、昴にだけに見せる表情なのだろう。昴もまた、幸せに満ちた表情を浮かべている。
願うならば、二人にはずっと笑顔でいてほしいと、そして幸せで穏やかな人生を歩んでほしいと思う。
もしかしたらこの先、その笑顔を脅かす何かがあるかもしれない。待っている未来は幸せだけではなく、思った以上に前途多難なものになるかもしれない。
せめて自分はずっと二人の味方でいよう、そう思った。
