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2025/11/07 16:00

あらすじ
天使である「僕」は、人間が神への信仰心を失い、廃墟となった教会に住んでいた。
ある日、教会に傷だらけの少年が迷い込む。少年の命が尽きかけていると悟った天使は、加護の力を振り絞り、彼を救済する。
美しい少年・ルークは、この出来事をきっかけに天使を崇拝するようになり、その後も教会に足を運ぶようになる。しかし力を使い果たした天使は、二度と彼の前に姿を現せなくなっていた。
やがて来なくなるだろうという予想に反し、ルークは毎日欠かさず教会に通い続け、日に日に天使への想いを募らせていく。そしていつしか、彼の感情は崇拝を超えた執着へと変わっていき…。
※こちらの作品は性描写がございます※
1
「天使様。今日も参りました」
薄暗く廃れた教会に、清らかな声が響く。
その声の主は祭壇の前で立ち止まると、両膝をつき自らの手を重ねる。
輝かしい金の髪、端麗な顔立ちに、長身かつ均整の取れた身体。祈りを捧げる彼の姿は、この朽ちた教会には似つかわしくないほど美しかった。
しかし一方で、その表情は苦悩と悲哀に満ちている。
「天使様……。このまま祈りを捧げていれば、いつかあの時のように会えるのでしょうか」
その言葉すら、教会の中で空しく消えていった。
彼からしたら、ここには自分以外に誰もいない。会いたいと希求する「天使」は、彼には見えない。
――たとえ、その「天使」が目の前にいるとしても。
彼の言う「天使」たる僕は、青年に向かって「ごめんなさい」と呟いた。
しばらく祭壇の前に佇んでいた彼は、やがてゆっくりと立ち上がり、教会の扉へと向かう。
「それでは、天使様。また明日」
その言葉を最後に、再びこの教会は静寂に包まれた。
もう何度同じ光景を見てきたのだろう。
初めて出会った時から毎日かかさず、彼はこの教会へ訪れているのだ。
二度と会えない、僕のために。
……僕は、彼と出会った日のことを思い返していた。
***
十五年前。それは刺すように冷たい雨の日だった。
僕は天井からぽたぽたと滴る雨粒を見ながら、ため息をつく。
「……はあ。これ、もう天井も駄目だよなあ」
軽く飛んで、小さな穴が開いた天井を確認する。
もはや雨漏りは数か所にも及んでいて、どうしようもなかった。
教会の内部を見回すと、窓はくすみ、床にはところどころ植物が這い出ている。教会というより、廃墟と表現したほうが正しいのかもしれない。
これを見て、昔の煌びやかだった教会の姿を想像できる者はいないだろう。
この教会に住む天使である僕も、かつては祈りを捧げる人間たちに、加護を与えるような存在だった。
しかしそれは、ある時を境に一変する。
――魔王の誕生。
それまで平和だった世界に魔王が誕生し、魔族が人を襲うようになったのだ。
長い時を経て、人間側もなんとか抵抗の手段を持ち、魔族に襲来されないような場所へ住処を移すことができた。
しかしその過程で人間は、「神は自分たちを一切救ってくれない」「そもそも神なんて存在しないのではないか」と、神に対する信仰心をなくしていった。
神がこの状況をどうお考えなのか、僕のような天使の端くれには、それすらわからなかった。
とにもかくにも、人間が訪れなくなった教会は朽ち、僕のような末端の天使が持つ力も弱まっていった。
今の僕には人間の前に姿を現し、加護を与えるような力はほとんど残っていない。
それ以前に祈りに来てくれる人間もいないのだから、僕は幽霊のように、ただここにいることしかできなかった。
ざあざあという雨音を聞きながら、床の水溜まりを眺める。
このまま教会が朽ちていく姿を見ながら、無為な日々を過ごしていくのだろうか。
そうして感傷に浸っている最中、バタン!と大きな音が教会に響いた。
「な、なに!?」
すぐさま教会の入口に目を向けると、小さな少年がいた。
少年は急いで扉を閉めると、その場にズルズルと座り込む。
僕は突然の来訪者に目を丸くしながら、恐る恐る少年のもとへ近づき、彼の近くに降り立った。天使の姿は人間には見えないので、当然少年は僕が傍にいることに気がつかない。
「はあ、はぁ……う、ぅ……」
少年は、ガタガタと震えていた。
やせ細った身体、本来なら仕立てが良いはずの服はびしょびしょに濡れており、よく見ると顔や腕、膝には痛々しい痣があった。
伏せられた顔からは、雨粒ではない……大粒の涙がこぼれている。
僕は狼狽えながら少年の姿を見ていたが、ようやく冷静になり、あることに気がつく。
――少年の命が、尽きかけていた。
栄養失調状態のうえに、暴行の跡、そして冷え切った身体。
きっとこの雨風をしのぐために最後の力を振り絞り、この教会に入ってきたのだろう。
「は、はあ……。おれ、ここで死んじゃうのかな……」
少年は息絶え絶えに言葉を発し、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れたエメラルドグリーンの瞳には、絶望しか映っていなかった。
――この子を、死なせるわけにはいかない。
咄嗟にそう感じた僕は、いてもたってもいられなかった。
天使としてかろうじて残っている力を振り絞り、少年の前に自ら姿を現す。
「え……?」
突然現れた何者かに、少年は大きく目を見開いた。そして僕の真っ白な羽に視線を向ける。
「て、天使様……?」
僕はそっと、少年の頬に手を添えた。
少年の衰弱しきった身体に生命力を与えていくと、全身につけられた痛々しい痣も消えていく。
しばらくして完全に生命力が戻ったことを確認すると、僕はぽかんとする少年に向けて笑みを浮かべた。
「大丈夫?」
「えっ、あっ……。天使様、おれの傷、治してくれたの……?」
少年は戸惑いながらも、僕をまっすぐ見つめて言う。
顔に血色が戻った少年は、まるで神に選ばれたかのように、美しい顔立ちをしていた。
僕は少年を安心させたい一心で、優しく頭をなでる。
「うん。もうすっかり治ったから、痛くないでしょう?」
「う、うん……痛くない」
「よかった。ねえ、お名前はなんていうの?」
少年は恥ずかしそうに、少し目を泳がせながら答える。
「ルーク……」
「とっても素敵な名前だね。ルークは、どうしてここに来てくれたの?」
僕の問いかけに、ルークはたどたどしい口調で言葉を紡ぐ。
「家にいたら、殴られたり蹴られたりするから」
「……えっ?」
「おれは卑しい庶民との子だからって、家の奴らが虐めてくるんだ。おれだってお母さんが生きてたら、あんな奴らがいる家になんか、行きたくなかったのに」
ぐすっ、と鼻をすする音が聞こえる。これ以上深く聞いてしまったらいけないような気がして、僕は何も言えなかった。
家で毎日のように暴力を振るわれている姿を想像してしまって、思わず顔をしかめる。
たとえ数日間だけでも、僕がルークを保護できたらよかったのに。
しかし、ルークを助けるために天使として最後の力を使い果たしてしまった僕には、保護することも加護を与えることもできなかった。
何もできない歯痒さを感じながらどうすべきかを考えていると、ルークがちらちらと、僕の羽に視線を向けていることに気がついた。
僕はそっと、ルークに話しかける。
「ルーク。羽、気になる?」
「あっ! えっと……!」
「よかったら、触ってもいいよ」
「え、本当!?」
僕が身を屈めると、ルークは先ほどと打って変わって、目を輝かせながら手を伸ばした。
「ふわふわしてる……! それに真っ白で、きれい!」
子供らしくはしゃぐ姿に、口角が緩んでしまう。
ルークは満足いくまで触っていたが、やがてゆっくりと手を戻して僕に声をかけた。
「ね、天使様はお名前、なんていうの?」
「僕? ……特に名前はないから、ルークの好きなように呼んでいいよ」
「そうなの? じゃあそのままだけど、天使様! 天使様はずっとここにいるの?」
「うん、この教会に住んでるからね」
「そうなんだ! おれ、まだここにいてもいい? 天使様ともっとお話したい……」
ルークはそう言うと、恐る恐る僕を見た。
僕が「もちろんだよ」と笑顔を向けると、ルークの表情がぱっと明るくなる。
「やったあ! あのね、おれ……」
それからルークは、ぽつぽつと話し始めた。
まさか天使が存在するとは思っていなくて、僕の綺麗な羽にとても感動したこと。こうして誰かと普通に話すことができたのは、母が亡くなってから今日が初めてだったこと。ルークは僕と出会えたことを、顔を綻ばせ嬉しそうに話していた。
しかしその話は次第に、彼の家庭環境の話へと変わっていった。
ルークは貴族の父親が平民の母親に手を出して、生まれた子供であること。母が亡くなり行き場がなくなったルークは、父親の方に引き取られたこと。しかしその後、継母と異母兄弟に虐げられているのだということ――。
僕はその話に胸を痛めながら、今一度ルークの姿をじっと見つめた。
仕立ての良い服と相反するような、痩せ細った身体と暴力の痕。その姿はたしかに、ルークの状況をそのまま表しているように見えた。
僕はそれからも、彼の話を一度も遮ることなく聞き続ける。
少しでもこの少年の心が軽くなることを願いながら。
そうしてルークは一通り話をしたが、先ほどのように涙を浮かべるようなことはなかった。
むしろ、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「おれ、あいつらの家になんていたくなくて」
「……うん」
「だから家を出て、三日間外にいたの。でも、食べるものもなくて……。天使様が助けてくれなかったら、きっとおれ、死んじゃってたんだ」
「ルーク……」
「でも、今日天使様に会えたから、それだけでよかった! おれのこと助けてくれて、話を聞いてくれてありがとう。天使様と話して元気でたから……やっぱりおれ、家に帰らないとだめだよね」
ルークは、決意を固めたような様子だった。
自分を虐げている「あいつら」がいる家へ、戻ることに決めたらしい。
子供ながら、どれほど地獄のような環境であっても、何の後ろ盾もなく生きていくのは難しいと悟ったのだろう。
僕はなんとも言えないやるせなさを感じながら、応援するようにルークの手を握り、微笑んだ。
「ねえ、天使様はずっとこの教会にいるんだよね」
「うん。そうだよ」
「じゃあ、ここに来れば……また天使様に会える?」
ルークは頬をほんのり赤く染めながら、期待のこもった瞳で僕を見つめた。
その瞬間、胸がずきりと痛む。
「そ、それは……」
一体、どう伝えればいいのだろう。
――僕はルークを助けたことで、残っていた天使としての力を使い果たしていた。
今はなんとかルークの前に姿を現しているが、明日になれば、今後一切人間の前に姿を見せることはできなくなるだろう。
「ごめんね。僕はいつもここにはいるけど、天使は基本的に人間には見えなくて、今日だけ特別な日だったんだ。だからルークが教会に来てくれても、僕を見たり、話すことはできないと思う」
「……え?」
その言葉に、ルークの目が見開かれ、悲しみの色が宿る。
僕はできるだけ優しい声色で、ルークに語りかけた。
「でも、僕はずっとここにいるから。僕の姿は見えなくても、ルークのことずっと見守っているからね」
涙を必死にこらえているのだろうか。ルークは俯いて、微かに震えている。
僕にもっと力があれば、少しでもその孤独を癒せたかもしれないのに。
申し訳なさと不甲斐なさで、これ以上声をかけてあげることができなかった。
ルークはしばらく黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「そっか……姿は見えなくても、天使様はずっとここにいてくれるんだね。ねえもしも……おれがあいつらに負けないくらい強くなって、いい子になったら、またいつか、天使様に会える?」
ルークの瞳に溜るいっぱいの涙が、今にも零れ落ちそうだった。
その姿を見た瞬間、僕は勝手に言葉を紡いでいた。
「そうだね。ルークが、強くていい子になったら……いつか、また会えるよ」
それは気休めにしかならない言葉。しかしそれでも、今この瞬間だけは、この子の心を救ってあげたかった。消えかけていた生きる希望を、少しでも与えてあげたいと思ってしまった。
ルークは涙を必死に堪えながら、大きく頷く。
「天使様! おれ、必ず強くていい子になるから……その時は、絶対また会おうね!」
彼が「約束だよ」と言った後に、僕たちは互いの小指を絡めた。
――この時の僕は、きっと成長するにつれて僕のことも忘れていくだろう、と考えていた。
この約束が、ルークにどれだけの影響を与えるのかを知らなかったのだ。
2
翌日から、ルークは毎日かかさず教会を訪れるようになった。
「天使様! 今日ね、天使様に似た絵が描いてある本を持ってきたんだ!」
ルークはそう言うと、祭壇に向かって分厚い本を掲げた。
きっと僕に見せているつもりなのだろう。
出会った頃とは違って弾けるような笑顔に、僕の口元も緩んでしまう。
「家を出る前にあいつらに取られそうになったんだけど、絶対天使様に見せたかったから、必死に抵抗してたら逃げていったんだよ! おれ、少し強くなったかな?」
ルークの言う「あいつら」とは異母兄弟のことだろう。ルークは僕と出会った日をきっかけに、自らを虐げる兄弟にも果敢に立ち向かっているらしい。
月日が経つにつれ涙を見せなくなり、弱々しい雰囲気も薄れていった。
「ここのページにね、綺麗な羽のある天使が描かれてて……きっと天使様の仲間だよね? 会ったことある?」
その本には挿絵が入っているようで、美しい羽を持つ天使が描かれていた。
『うーん、たしかに天使ではあるけど……。相当高位の天使の絵だね。さすがに僕じゃ会ったことないなあ』
ルークの問いかけに対し、本を覗き込みながら答える。
当然僕の声はルークに届いていなかったが、それでも彼はどこか楽しそうに話を続ける。
「こんな風に、天使様の他にも色々な天使がいるのかなあ。まあ、おれは天使様だけに会えればいいんだけど!」
その言葉に、嬉しさと申し訳なさが入り交じった、複雑な気持ちが湧き上がってくる。
ルークはしばらく楽しそうに本をパラパラとめくっていたが、段々と表情が暗くなってきた。
そうして俯きがちに、ぽつりと呟く。
「おれも字が読めたら……もう少し天使様のこと、詳しくなれるのかな」
彼が手に持つ本には、文字がぎっしりと詰まっていた。
文字の読み書きは貴族の直系の子供くらいしか習わないので、ルークが出来ないのも無理はない。
あまりにしゅんとした様子のルークに、思わず声をあげてしまう。
『そんなに気にしなくても――』
「よし、決めた! おれ自分で頑張るよ。色々な本が読めたら、天使様と早く会う方法が見つかるかもしれないし!」
しかしその瞬間、ルークはきっぱりと宣言する。
ルークの今の環境では、とてもじゃないが家庭教師などつけてくれないだろう。
それをわかっていて、ルークは独学でやると言ったのだ。
『ルーク……』
僕は我が子の成長を垣間見たような気持ちになり、ぽつりと呟いた。
そしてルークは、輝くような笑顔で言った。
「必ず出来るようになるから。おれのこと見ててね、天使様!」
――必ず出来るようになる。
そう宣言したルークは、その日から毎日、本を自宅からこっそり持ち出し、教会で勉強をするようになった。
その成長はめざましく、数か月経った今では簡単な内容なら読み書きができる程度になっている。
とはいえ、毎日朝から晩まで休まず勉強をする姿を見ていると、心配にもなってしまう。
『ルーク、少しは休んだら?』
無駄だとはわかっているが、僕はそっとルークに声をかける。
しかし当の本人は、読みふけっていた本のとある一箇所に目を留め、何度も読み返していた。
「これって……!」
ルークは大きく目を見開き、再確認するように本の記述を読み上げ始めた。
「『天使は、神に対する人々の信仰心によって存在しています。かつてほとんどの国民が神を信じていた時代では、人間も天使の姿を自然と見ることができたと言われています』だって……! 昔は、天使様を普通に見れたの!?」
ルークは驚きの声を上げる。たしかにその本の通りだったが、それはもう随分昔のことだ。
正確には、「魔王」が誕生する前の時代のこと。人間が神への信仰心を持っていた時代は、天使の姿も見ることができた。しかし神が魔族たちから人々を救おうとしない今となっては、信仰心を復活させるのは不可能だろう。
「みんな、神様を信じたらいいのに。でもそう言われてみると、おれも神様に祈ったことなんてないなあ」
ルークは肩を竦ませ、本の続きを読んでいく。
「『天使は人間に加護を与えることができますが、一方で人間に深入りするのは禁じられていました。中には人間と身体を交わらせ、堕天してしまった天使もいたようです』。身体を交わらせ……堕天? 何それ?」
幼いルークの口調と本の内容が不釣り合いで、思わずふっと笑ってしまう。
――人間と身体を交わらせることは、僕たち天使の中では最大の禁忌だ。
あくまで僕たちは、神の使いでなければならない。神の下で人間を救い、加護を与える以外の行為は許されない。
天使としての名を人間に告げることすら、禁じられていた。
「うーん。よくわからないけど、やっぱり天使様に会うには、おれが強くていい子になるしかないのかなあ。……あ、そうだ。今日天使様に伝えたいことがあるんだった!」
ルークは落ち込んだ様子で呟いたかと思えば、何かを思い出したようで、突然前のめりになった。
『どうしたの?』
気になって声をかけると、タイミングよく、まるで会話するようにルークが答えた。
「おれね、『学校』に行くことになったんだ! お父様がお前は賢いからって。学校に行けばもっと本も読めるし、天使様のことも、もっと知れるよね!」
『学校!? ルーク、すごいよ!』
僕は嬉しさのあまり声を上げた。
その出自から蔑ろにされていたルークだったが、本人の賢さと努力が父親に届いたに違いない。
学校に行けば、たくさんの友人に囲まれて、今よりずっと楽しい日々を過ごせるはずだ。
――ルークがこの教会に来なくなる日も近いのかもしれない。
僕は一抹の寂しさを覚えながらも、ルークが成長するまで、変わらず彼のことを見守っていこうと考えていた。
3
学校へ通い出したルークは、僕の予想に反して、教会へ通うのをやめなかった。
いつもルークが教会を訪れるのは、学校の帰り、教会の窓から見える空がオレンジ色に変わる頃だ。
彼は教会に来ると、座学や剣術に取り組んでいること、友人に囲まれて過ごしていることを楽しそうに話してくれる。
そして一点の曇りもない表情で「天使様と、また会える日が楽しみ」と言うのだ。
誰もいない教会で、本当にいるのかもわからない天使に向かって話しかけ続けるなんて、寂しくないはずがない。それでも毎日訪れてくれるのは、ふとした拍子に、いつかまた会えると心から信じているからだろう。
僕はルークが訪れるたびに、罪悪感が身体を蝕んでいくような感覚に陥っていた。
僕があの日、「いつかまた会える」と言ってしまったことが、彼をいつまでもここへ縛りつけている。
「天使様……今日は、遅くなりました」
ルークは今日も慣れた手つきで教会の扉を開け、奥へと入っていく。
出会った頃から月日が経ち、ルークは目まぐるしく成長していた。背はすらっと伸び、声は高く可愛らしいものから、美しい響きのある低い声へと変わり始めている。
透き通るような緑の瞳は煌めいているが、一方でその表情は暗かった。
『ルーク、今日もお疲れさま』
僕は絶対に届かない声かけをすることにも慣れてしまった。そして僕たちの視線は一切交わらないまま、ルークは自らの手を重ね、祈りを捧げる。
ルークがこうして祈るようになったのは、一体いつからだったか。輝くような笑顔を見る機会は日に日に減り、僕への言葉はどこか苦しそうに紡がれるようになった。
現に今も、懇願するような表情で目を閉じ祈りを捧げていた。
そしていつもは自らの近況を話してくれる彼が、沈黙を貫いたまま一切口を開こうとしない。
『ルーク? どうしたの?』
いてもたってもいられずに、再び声をかける。僕の気持ちが通じたかのように、ルークはようやく重たい口を開いた。
「天使様。俺、今日言われたんです。……父に、いつまであの古びた教会に通ってるんだって」
ルークは小さな声でぽつりと言った。彼の言葉に、胸をちくりと刺されたような感覚がした。
「それで、毎日教会に通う理由をしつこく聞かれました。あまりにうるさいから、ここであなたに出会ったことを言ったんです。そうしたら『天使なんているわけないだろ』って、きっぱり言われて。俺、この言葉がずっと頭から離れなくて」
ルークの父親が言ったことは、現在の価値観としてはおかしなことではなかった。なぜなら、もう誰も天使が見える人間なんていないのだから。しかしルークは俯いたまま、震える声で続ける。
「だって、ここで実際にあなたと会って話したじゃないですか。だから、今だって俺のこと近くで見てくれてるって、絶対にまたいつか会えるって、信じてるんですよ」
ルークは一度そう言い切ったものの、直後に「でも」と弱々しい口調で呟いた。
「信じてる、はずなのに……。最近、時々思うことがあるんです。もしかしてあの日あなたと会ったのは、死にかけた俺が見た都合の良い幻想だったんじゃないかって」
『っ、違う! 僕たちは本当に』
彼の言葉を聞いた瞬間、思わず叫んでいた。しかしどんなに声を上げたとしても、その言葉は空しく消えていく。
「あの時天使様が、言ってくれましたよね。俺が『強くていい子になったら、いつかまた会える』って。それから俺、頑張って文字も読めるようになって、あいつらにも負けないくらい強くなりましたよ。今では父も俺のことを認めてくれている。座学も剣術も、学校の成績だって全部一番なんです。……でもそれは全部、あなたに会うためなんです。あなたに会えるなら、どんなに大変でも頑張れると思ったんです」
『強くていい子になったら、いつかまた会える』――それは幼い彼に希望を持たせたいがために言ってしまった、何の根拠もない言葉だった。しかし今では、この浅はかな発言のせいで、目の前の彼が苦しめられている。
捲し立てるように話すルークの声は、段々と僕に強く訴えかけるような、張り上げるようなものへと変わっていった。
「天使様、これでも俺はまだ『強くていい子』じゃないんでしょうか? あなたに会えなきゃ、俺が生きてる意味なんてないのに……! あなたに会うために、俺は他に何をすればいいんですか!?」
悲痛な響きに、ナイフで刺されたような感覚が走る。
早く彼を解放してあげたいと思うのに、もう二度と会えないのだと伝える術すら、僕には持ち合わせていなかった。
ルークは声を荒げた自分にはっとして、顔を上げた。そうして自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
「……ごめんなさい、天使様。きっと、俺の努力が足りないだけですよね。あなたと一時も早く会う方法を、もっと考えないと。それであなたとまた会えた時は――」
その言葉の続きを、ルークは口にしなかった。
ルークは、今何を考えているのだろうか。彼の暗く沈んだ瞳は、決して底が見えなかった。
4
それからさらに数年の月日が経った頃。
ルークは、もはや少年から青年と呼ぶのにふさわしい年齢となっていた。
「天使様。今日も参りました」
ルークはそう言って、ゆったりと進み祭壇の前で立ち止まる。
祭壇の前に佇んでいた僕は、ルークと目が合ったような気がして、一瞬ドキリとしてしまう。
青年になったルークは程よく筋肉のついた身体に端正な顔立ちが相まって、彫刻のように完成された美しさがあった。
僕がその姿に見蕩れていると、ルークはその場で両膝をつき、自らの手を重ねる。
僕はその時に初めて、彼の左手に包帯が巻かれていることに気づく。包帯から大きく滲んだ血が、その怪我の痛みを物語っていた。
――ルークは、ある時期から本格的に剣の鍛錬をし始めた。
彼が言うには、国一番の剣士の弟子になったのだという。
それから教会に訪れるのは夜中になり、よほど厳しい鍛錬をしているのか、こうして怪我をしている姿を見るのも珍しいことではなくなった。
僕はルークと同じように両膝をつき、包帯が巻かれた手をそっと撫でる。実際には触れられなかったとしても、勝手に身体が動いていた。
『ルーク。毎日こんなに辛い鍛錬をしてるのに……どうして今でも来てくれるの?』
美しい容姿に加えて勉学や剣術を極めたルークは、今では多くの人々から称賛を浴びているはずだ。もう僕という存在に縋る必要なんてない。
『お願いだから、僕のことなんて忘れてよ』
僕は懇願するように呟く。
――限界だった。ルークを見るたびに、僕の中で抱いてはいけない感情が、段々と膨れ上がっていくのを感じていたから。
願わくば、ルークのことをいつまでも見ていたいという気持ち。これ以上大きくなれば、取り返しのつかないことになるという感覚があった。
だからこそまだ引き返せるうちに僕を忘れてほしい。そして天使という存在に縛りつけられた彼を、解放してあげたいのだ。
じっと見つめる僕に応えるように、ルークはゆっくりと話し始める。
「天使様。俺、ようやく自分の成すべきことがわかったんです。そのためにもっと強くて、国の誰もが認めるような存在になってみせますから。だからこれからもずーっと、この教会にいて、俺のこと見ていてくださいね。……今も、きっと傍で聞いてくれているんでしょう?」
ルークは甘く蕩けるような笑みを浮かべてみせた。その声色には悲壮感はなく、どこか晴れやかさを感じさせる。
僕が目の前にいることを心の底から信じている……いや、盲信しているともいえる様子に、ぞくりとする。
それはもはや純粋に会いたいという気持ちではなく、絡みつくような執着に見えた。
『ルーク……』
まさかルークは、一生このままなのではないか。そんな考えが脳裏をよぎり、絞り出した声は掠れていた。
***
僕の予想を裏切るように、ルークとの別離は、存外あっけなく訪れた。
それは出会った時のように、身震いするほど冷たい雨の日。
ちょうど空が白み始めた頃に、ルークは教会へやってきた。
「今日に限って雨だなんて。俺もついてないな」
ルークは中に入ると、髪についた水滴を軽く払いながら呟いた。
僕はそんな彼の姿に、思わず目を疑う。普段は夜中に足を運ぶルークが、こんな時間帯に来るなんて初めてのことだった。
彼の出で立ちも普段とは異なっており、黒いブーツにマントを羽織り、腰には長剣を携えている。
ルークは祭壇の前に進むと、今日は祈ることはせず、僕に向かってはっきりとした口調で告げた。
「こんな朝早くにごめんなさい、天使様。実はご報告があって来ました」
『……報告?』
「実は俺、魔王討伐の旅に出ることになったんです」
ほんの一瞬、息が止まる。
魔王討伐? ルークが鍛錬に明け暮れているのは知っていたが、まさかそんなことを……?
魔王討伐なんて人間が本気でやっていたのは、魔王が誕生してすぐの話だ。
その時に何人もの勇者が派遣されたが、あえなく返り討ちにされ、人間は魔王に叶わないことを身をもって体感していた。
まさかルークがそれを知らないはずがない。信じられず呆然とする僕をよそに、ルークは話を続ける。
「天使様、まさか俺がって驚いてますか? 意外かもしれませんけど、自分から志願したんですよ。剣術の腕が認められて、国から正式に勇者として行くことになりました。今日の昼から王都を出発する予定なんです。だから行く前に……あなたに伝えたくて」
ルークはさわやかな笑顔で言う。その表情には魔王への恐怖や怯えは一切感じられなかった。
僕は、ルークから告げられた言葉を思い返していた。
「ようやく自分の成すべきことがわかった」と言っていたのは、もしかしたらこのことだったのか。
誰よりも強くなって、魔王を討伐し、人々を救いたい。
ルークはいつからか、そう考えるようになっていたのかもしれない。
少し前までのルークに、計り知れない執着を感じてしまった自分が、途端に恥ずかしくなった。
きっとそれは、僕の思い違いだったんだろう。
「魔王を討伐したら、またここに来て、あなたに会いに行きます。時間はかかってしまうかもしれないけど……絶対に待っていてくださいね」
その圧倒的な自信は、彼の培ってきた努力から生まれたものなのだろうか。
正直言って心配で仕方なかった。もしかしたら、命を落としてしまうかもしれないのだから。
……できることなら、ここで平和に過ごしていてほしい。
英雄にならなくても、脅かされることのない、ささやかな幸せを掴んでほしかった。
僕は涙を堪えながら、ルークをじっと見つめ、そして気がつく。
ルークの瞳の奥に、以前見た暗く沈んだ色合いではなく、輝きが宿っていることを。
きっと魔王を打ち倒し人々を救うことが、ルークの新しい「生きる意味」なのだ。
そう確信して、どこか胸のつかえがとれたような気がした。
僕と再び会うことではなく、たとえ困難だったとしても、実現の可能性がある未来を選んでくれたのだ。
『ルーク。君なら必ず出来るよ』
もう僕には加護を与える力はない。それでも、いつもルークがしてくれたように両手を組み、出来る限りの祈りを捧げる。
僕の祈りが届いたのだろうか。ルークはどこか幸せそうに笑って、明るく告げた。
「天使様。それでは、行ってきます」
そしてルークはその言葉を残し、雨の降りしきる中、旅へ出た。
5
二年後。さらに老朽化が進んだ教会で、僕は変わらず過ごしていた。
最後にルークを見送った日から、誰一人としてここを訪れる者はいなかった。僕の予想では、もはや外では完全に廃墟という扱いなのだろう。
くすんだ窓からは、オレンジ色の空が見える。
もう夕方なのかと、時間感覚のなさに苦笑いをする。そういえば幼い頃のルークは、いつもこの時間に教会を訪れていた。
ルークが旅立ってから、心にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚が拭えない。
ルークは無事に、魔王を倒すことができたのだろうか。もしかしたらここを訪れていないだけで、既に魔王を倒して、ゆったりと暮らしているかもしれない。いるかもわからない天使のことなんて、旅の中で忘れかけているかもしれない。
いずれにせよここを動けない僕には、確かめようがないことだった。
初めて出会った時の、ルークの絶望に染まった表情を思い返す。
結局のところ僕は、どんな形であれ……ルークが二度とあんな表情をせずに、幸せに過ごしてくれればそれでよかった。
だから、毎日僕のもとへ来てくれなくてもかまわない。けれどもし願いが叶うなら、元気な彼の姿をもう一度だけ見たかった。
僕は何もできないまま、教会の扉をぼうっと眺めていた。いつかあの扉が開かれて、今日こそルークが来てくれるんじゃないか、そう信じて。
――もしかしたらルークも、ずっとこんな気持ちだったのかもしれない。
『天使様と、また会える日が楽しみ』
なんの疑いもなくそう言った幼い彼の声が、頭の中で蘇る。
「また、思い出しちゃったな……」
これ以上考えていたら、頭がおかしくなってしまいそうだった。
僕は自嘲気味に笑って、扉から目線を外した――その瞬間。
キィ、と古びた扉の開く音が聞こえた。
――まさか。
僕は恐る恐る、再び扉へと視線を戻す。
そこには、美しい微笑みを浮かべたルークが佇んでいた。
「ルーク……!」
ルークはただ黙って祭壇前に進んでいく。僕は泣き出してしまいそうな気持ちで、ルークの姿を見つめていた。
よかった、生きてたんだ……!
こうして戻ってこられたということは、無事に魔王を討伐できたのだろう。
安堵で力が抜けそうになる身体を奮い立たせながら、祭壇前で立ち止まったルークに、僕も近づいていく。
ルークは目立った怪我をしているようには見えず、ほっと胸を撫でおろす。しかし目線を下に落とすと、ルークの手の甲に大きな古傷が残っていることに気がついた。それはきっと、以前鍛錬の際に負ってしまった傷だろう。
この傷は魔王を打ち倒し人々を救った彼が、どれほど血の滲む努力を続けてきたかという証明のように思えた。
彼の努力を認めてあげたい。僕の姿は見えなくても、この想いが少しでも伝わればいい。
その一心で僕は手を伸ばし、ルークの左手に触れようとした。
「天使様。ようやく会えましたね」
――その刹那、ルークは強く僕の手を取った。
痛いくらいに掴まれ、思いきり引き寄せられる。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「ルーク、なんで……!?」
動揺して呼吸が乱れる。目が合うと、ルークは妖艶に微笑んだ。
「はは、天使様は変わらないなあ。よかった……。やっぱり、俺のやってきたことは正しかったんだ」
ルークは僕をじっと見つめている。しかしそのまなざしは熱く、混沌としていて、かつての煌めきはどこにもない。
――ルークは、どうして僕が見えているのか。
たとえルークがいくら強くても、皆から認められていたとしても、僕の姿が見えるわけがない。
きっとこれは、感動の再会のはずだった。
それなのに、不可解な状況と混乱する頭の中で、這い上がるような恐怖を覚えてしまう。
「ル、ルーク、その……」
「天使様。今度こそ、俺の前からいなくなったりしないでくださいね?」
ルークはそう言うと、突然僕を押し倒した。
すぐさま両手首を片手で掴まれ、身動きがとれなくなる。
「な、何して……!」
「こうでもしないと、逃げられちゃうかなと思って」
僕が反論する間もなく、もう片方の手で顎を掴まれ、そのまま噛みつくように口づけられた。
「ん……ッ!」
ジタバタと暴れるが、力の差は歴然だった。
口内に舌を差し込まれ絡めとられる。やっと離れた瞬間、唇と唇の間に銀糸が伝うのを見てしまい、羞恥で身体が熱くなる。
――どうしてこんなことに。
頭がクラクラして、まともな思考ができない。ぼうっとしながらルークを見ると、さらにその瞳に劣情が宿ったのが見えた。
「天使様とこんなことできるなんて、夢みたいです……」
ルークはうっとりと呟くと、僕の服に手をのばす。
その瞬間はっとして、今後こそ身をよじり、抵抗しようとする。
「ま、待って、なんでこんなこと」
僕の抵抗も空しく、纏っていた衣服は剥がされ、上半身が露出した。
ルークはそっと指先で僕の鎖骨をなぞり、首筋に顔をうずめる。
くすぐったさに戸惑っていると、突如として薄い皮膚に吸いつかれ、そこからゾクゾクとした感覚が走った。
僕の存在を確かめるかのように、腹部を優しく手で触れながら、時には肌に吸いつかれ、胸の突起を舌先で撫でられる。
「は……、あッ……」
溢れ出した声に引き寄せられるように、ルークが再び口づけを落とした。
段々と力が抜けてくる。それに気づかれたのか――ルークの手が下へと降りてきて、残っていた部分の服を脱がされた。
下半身も晒され、ルークの手が僕の陰茎を包み込むように触れた。
「あ……、やめ……!」
「あれ……ここ、ちょっと固くなってますね。俺に触られて、感じちゃったんですか?」
「ち、ちが……」
最初は優しく、段々と激しく指の腹で擦り上げられると、先走りが滲み出してしまう。
それをわざと塗りつけるように亀頭部分も愛撫され、刺激に身体が打ち震える。
「あっ……ん、んっ……ぁ」
「天使様、かわいい……一度イってもいいですよ」
――快感がせり上がってくる。
容赦なく上下に激しく擦られ、濡れた水音が響く。
「ァ、もう、ダメ、――……っ!!」
その刹那、頭が真っ白になった。
ビクッと身体が跳ね、ルークの手のひらにあっけなく精を吐き出す。
「…………は……」
僕は吐精後の弛緩した身体を、床に預ける。
恥ずかしさといたたまれなさで、ルークの方を見ることができない。ルークは相変わらず、蕩けるような視線で僕を見つめている。
僕はルークの視線から逃げるように、顔を横に向けた。
――しかしその瞬間、僕は目を疑った。
真っ白だった自らの羽の先端が、黒く染まり始めていたのだ。
「えっ……なに、これ……」
天使の羽が黒く染まる――それは、堕天しかけていることを表していた。
その刹那、脳裏によぎったのは、かつてルークが読み上げてくれた本の一節。
『中には人間と身体を交わらせ、堕天してしまった天使もいたようです』
――まさか。ルークは僕を堕天させようと……?
バッとルークを見ると、うっとりと嬉しそうな笑みを湛えていた。
僕が何かを言うより先に、ルークは僕の耳元で囁く。
「天使様、ごめんなさい。許してくれとは言いませんから……あなたの全部を、俺にください」
「えっ……?」
ルークは僕の膝を立たせると、白濁塗れになった自らの手を……僕の後孔へと寄せた。
再び抵抗をするにも、ぐったりとした身体ではうまく力が入らない。
「あっ、ルーク、そこは……っ」
後孔を中指で優しく撫でるようにしてから、つぷっと指を潜り込ませる。
「天使様、痛くないですか……?」
強引な行為のはずなのに、いたわるような優しい声に、頭が混乱する。
甘い響きに、僕の思考までも溶かされていくような気がした。
「い、痛く……ない……」
「……よかった」
ルークは美しく微笑むと、僕の指をさらに奥へ押し進めた。
何かをまさぐるような動作に戸惑っていると、指の腹がある一点を掠めた途端、ゾクッとした感覚が全身を駆け巡った。
「――あッ!」
僕の反応を楽しむかのように、続けてそこを指で撫でられる。
断続的に続く快楽に、声が抑えきれない。
「んッ、そこっ……だめ、だってッ」
「そんなこと言って……腰、揺れてますよ? 指も、もう三本入っちゃいましたね」
気がつけば、僕の後孔はルークの指をすっぽりと飲み込んでいた。
「そろそろいいかな」
ルークはそう言うと、自らの陰茎を露出させ、熱くなったそれを僕の後孔へ当てる。
思わず力んでしまった僕の様子を察したのか、再び僕の亀頭部分に触れて、擦り始めた。
敏感な部分を愛撫され、ビクビクと震える身体。
そこへの刺激へ意識が集中し、力が抜けた瞬間を見計らって――彼のものが一気に僕の中へ入ってきた。
「ン、あぁッ――!」
異物感と衝撃に身体がのけ反る。逃さないとばかりに腰を押さえつけられ、容赦なく責め立てられる。
「はッ、アァ、ゃ、んんッ!」
「天使様のナカ、ぐちゃぐちゃで、気持ちいいです……ッ!」
「い、いわなぃ、でッ」
古びた二人きりの教会に、ぐちゅぐちゅという水音と、僕の喘ぎ声が響く。
神様に祈りを捧げる場所で、幼いルークと出会った場所で――こんな淫らな行為をしている。
背徳感が這いあがり、それすらも快楽へと変換されてしまう。
「あぁ、天使様! 愛してます……ッ! ずっと会いたかった……っ」
ルークは激しい律動を止めないまま、僕の顎を優しく掴み、強制的に自らの方へ向けさせる。
ドロドロとした視線が混ざり合い、そして視界の隅に――真っ黒な羽が舞っているのが見えた。
「ルー、ク……、あッ――、ぼく、天使じゃ、なくなっちゃう……!!」
熱に溶かされた思考と潤んだ視界で必死に懇願するが、途端に、ルークのモノが一層大きくなる。
「あぁ、はァ、そうですよ、天使じゃ、なくなってしまえばいいんです……っ! あなたは、俺の……!!」
一番奥を激しく突かれ、快感が駆け上り、頭がチカチカする。
「んッ、だ、だめ、ルーク、アァ、いッ、イっちゃ」
「は、はァ、おれも……ッ、いっしょに――」
「ンッ――あ、あああアァ!!」
視界が、爆ぜた。
絶頂に達した僕の中で、ルークの熱い精が放たれたのを感じる。
ルークが自らのモノを引き抜くと、僕の後孔からどぷりと精液が溢れ出した。
快楽の余韻と気怠さに、全身の力が抜ける。
ルークはそんな僕の上半身を優しく抱き起こすと、真っ黒になった羽にそっと触れる。
こんな状況なのに、僕の羽を真っ白できれいだと言ってくれた、幼い頃のルークを思い出した。
「俺のせいで完全に羽、真っ黒になっちゃいましたね。でも、すごくきれいです。天使様……」
ルークの瞳の奥には、あの頃とは違う執着と欲望の色が宿っている。
しかし同時に、僕が今まで見たことがないくらいに……ルークは幸せそうな笑顔を浮かべていた。
僕はルークの頬に手を添え、掠れた声で告げる。
「……ミア、って呼んで」
「えっ?」
「僕の名前。もう、天使じゃないから」
――僕は、ルークのせいで堕天したというのに。
彼の幸せそうな笑顔をみた瞬間、全てを許し、受け入れてあげたくなった。
「会いたかったのは、君だけじゃないよ。僕だって、ずっとここで見てたんだ。……今まで、よく頑張ったね。ルーク」
ルークは目を見開くと、少し泣きそうな表情をして、僕を強く抱きしめる。
「ミア……」
ルークが、初めて僕の名前を呼ぶ。
切実なその声に、じんわりと温かな気持ちが込み上げた。
胸いっぱいに広がる感情。
もしかしてこれが、人間が言う「愛している」という感情なのかもしれない。
僕はルークの腕に抱かれながら――出会った頃のように、彼の頭を優しくなでた。
6
魔王を打ち倒した勇者が、王都に帰還した日。
王都の城前ではその姿を一目見ようと、大勢の人間が詰めかけていた。
「すごい数だな」
その様子を馬車から眺めていた俺は、案内人役として同乗している男に話しかける。
男は緊張したような面持ちで答えた。
「そうですね。何と言っても、あの魔王を倒した方を見られるわけですから。ルーク様が王都でお話しすると聞いて、遠方からも人が押し寄せてますよ」
「そうなのか。ところで、俺はどこで話をすればいいんだ?」
「もうすぐ王城に到着しますが、三階の部屋に大きなバルコニーがありますので、そちらでお話ください。そこからであれば民衆もルーク様のお姿を見られますので」
「わかった。……俺の言葉は、帝国全土に広まるんだよな?」
「えぇ、今日は多くの記者も訪れてますから」
「それならよかった」
俺たちの会話がちょうど終わった頃、馬車は城の裏手に着いたらしい。
馬車を降り案内人の男に続くように王城の三階へと上がっていく。
バルコニーのある部屋に到着すると、外にいる群衆のざわめきが自然と聞こえてきた。
俺はバルコニーの前に立ち、真っ白な手袋を身に着ける。
服を改めて整え、いよいよ大きく張り出たバルコニーへと足を進めた。
俺の姿が見えるやいなや、わあっと歓声が上がる。
ガヤガヤとした雰囲気の中、俺はその歓声に応えるように笑みを浮かべた。しばらく何も言わずに佇んでいると、俺の言葉を待つかのように、群衆が静まり始める。
俺はそのタイミングを見計らい、ようやく口を開いた。
「皆様、初めまして。私はルークと申します」
しんとした空間に、自らの声はよく響いた。
俺は続けて、ゆっくりと、明確に言葉を紡いでいく。
「先日、私はこの手で、魔王の心臓を貫きました。配下の魔族も、私と、帝国の騎士たちによって打ち滅ぼされました」
周囲は俺の言葉に耳をそばだてている。
徐々に、その視線や雰囲気に熱気が帯びるのを感じていた。
「魔王が誕生してから、長い年月が経ってしまいました。その間にも、魔族に襲われ家族を奪われた者、帰るべき故郷を無くした者……。皆様の中には、信じがたいほどの苦痛や悲しみを抱きながら、生きてきた方も多いでしょう」
次第に、人々は様々な反応を示し始める。
俺の言葉に聞き惚れるような様子を見せる者、過去を思い出したのか涙を流す者……。
「私は皆様の無念を晴らし、この国の希望を取り戻すために、今日まで生きてきました」
そしてその様子を尻目に、俺は高らかに宣言した。
「皆様。もう二度と、怯える必要はありません。ようやくこの国は、魔王と魔族の脅威から解放されたのです!」
俺がそう言った瞬間、大きな歓声が上がる。そして群衆のうちの一人が叫んだ。
「ルーク様! あなたこそ、真の英雄です!」
響き渡ったその声は、群衆の心を一つにした。他の者たちも俺の名前を叫び、次々と賞賛の声を浴びせかける。
それはある一人の勇者が、国民から「英雄」と認められた瞬間だった。
――俺はその光景に、心の中でほくそ笑む。
そろそろいいだろうか。
歓声が多少落ち着くのを待ってから、再び口を開く。
「もう一つだけ、皆様に伝えたいことがあります」
大衆のために作られた完璧な笑顔。俺はそれを崩さないまま、ハッキリと告げた。
「実は、魔王を打ち倒せるほどの私の力は――生まれながらに『神』から授かったものなのです」
俺が「英雄」でなければ、簡単に一蹴されてしまうような、荒唐無稽な話。しかし群衆は依然として、食い入るように俺を見つめていた。
「私が、この世に生をうける時。神は私の目の前に現れ、『必ず人々を救うように』と仰いました。そして、魔王を滅ぼせるだけの強大な力を授けてくださったのです」
俺は自らの半生において、いかに神との結びつきがあったのかを真剣に語り始める。それはまるで自分が主演する舞台に立っているような感覚だった。
「それ以来私は、この使命を果たすために生き、そして実際に果たすことができました。皆様の中には、神など存在しないのだと、もしくは私たちは既に見捨てられたのだと、考えている方も多いでしょう。しかし、そうではありません。皆様が『英雄』と呼んでくださる私の存在自体が、神の存在を、そして神が私たちを見捨てていないことを証明しています」
俺はそう言って、自らの胸の前で手を重ね、祈るようなしぐさをしながら民衆に微笑みかけた。
「ですから、皆様。こうして人間に力を与えてくださった神に、再び祈りを捧げてください。そうすれば帝国と皆様に、さらなる祝福が訪れるでしょう。信じる者は、必ず救われるのです」
俺がそう言い切ると、どこからともなく、神への感謝を呟く声が聞こえてきた。
そうして、無数の崇めるような視線が集まる。その視線はまるで俺を通して、決して見えない「神」を仰ぐようで……。
――俺はその場で高笑いしたくなる衝動を、必死に堪えた。
多くの人間が俺の名前を呼び、熱狂的な信者のように手を振っている。
それに対し、俺は真っ白な手袋をはめた左手で振り返した。
手袋で隠れた俺の左手には、厳しい鍛錬で負った大きな古傷がある。それは血の滲むような努力の証で、俺が「神に選ばれし者」ではないことを表していた。
……力を神から授かった? 人々を救うのが使命?
なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。
俺の目的は、あの日からただ一つ。
「天使様とまた会うこと」
それ以外に、俺の生きる意味なんて存在しない。
俺は一日もかかすことなく、教会に通い続けた日々を思い起こす。
純粋に「強くていい子」になれば、天使様にまた会えると信じていたこと。しかし時が経つにつれて、そうではないと悟り、侵食するような絶望感を覚えたこと。
そうして俺は、ようやく気がついたのだ。
天使様と会うには、かつてのように――人々の「神への信仰心」とやらを、復活させる以外に方法はないのだと。
英雄たる俺の言葉は、近いうちにこの場にいる民と記者たちによって、帝国全土に広まるだろう。
それから俺は、誰も入れないように封鎖しておいたあの教会に帰って、天使様に会いに行く。
そして、天使様とまた会えた時は……。
二度といなくならないように、俺のところまで堕としてしまおう。
――紡がれた執着は、あと少しで実を結ぼうとしていた。
(END)
