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第1回 BL小説アワード

しあわせなバグ

エロなし

そこにいる「ユキ」は俺が小学生の頃から過ごしてきた「ユキ」とはまるで別人……いや、別のアンドロイドになるのである。

江島或音
5
グッジョブ

「ユキが動けなくなる?」
俺の問いにアンドロイド専門医の水橋先生が深く頷いた。
「ユキくんの脳内記憶チップは正常だ。チップを新しいヘッドに組み込めば、今まで和希くん達と過ごした記憶は引き継ぐことができる。ただ、今まで形成された“人格”だけは」
「すべてリセットされる……」
水橋先生はもう一度深く頷く。
つまり、記憶の保持はオプションのようなものなのだ。新しいボディに移行したとして、ユキの記憶の中に俺は生き続けるが、そこにいる「ユキ」は俺が小学生の頃から過ごしてきた「ユキ」とはまるで別人……いや、別のアンドロイドになるのである。
「ユキ」の記憶を所持した「ユキ」。
想像してもピンとは来なかった。
「1日か2日、考え直してもいいですか」
「もちろんだとも。決心がついたらおいで。でも、ユキくんが起動しなくなれば、記憶チップを取り出す方法は無くなってしまう。そこだけ頭に入れておいてね」
「わかりました」
俺は軽く頭を下げ、病院を後にした。
△▽
小学生になる前に両親は離婚し、兄は父に、俺は母に引き取られた。小学校の入学式に、ユキは俺と母の元にやってきた。
「よろしくね、和希くん」
見た目は20代前半、父よりも背が高いユキに、恥ずかしながら俺は怖気づいていた。しかし、ユキはそんな出会ったばかりの俺をぎゅっと抱きしめ「僕は和希くんが望むまでずっと一緒にいます」と口にした。ユキの胸の部分がやけにあたたかくて、安心したのを覚えている。今考えれば、そこに温まっただけのエンジンが組み込まれていただけなのだが。
それからというもの、ユキは俺の一番の遊び相手になった。サッカーの練習や、テレビゲームだって一緒にやった。苦手な勉強も丁寧に教えてくれた。俺の相手をする合間を縫って、料理、洗濯、掃除、と家事もお手のものだった。
俺とユキが“違う”と気づいたのは、小2の時だ。
母さんは仕事に出ずっぱりでなかなか家に帰ってくることはなかった。その日もいつものようにユキが夕飯を作っていた。毎週楽しみにしているアニメも終わり、ユキに構ってもらおうと台所へ向かった。
「ユキー、ごはんまだー?」
「はいはい、もう少しですよ。危ないからもうちょっとテレビでも見てて下さい」
ユキは真剣なまなざしでキャベツを刻んでいた。
「えー、はやくご飯食べたい」
俺はあの時何を考えていたのかわからない。でも、きっと、ユキに自分を見て欲しかったのだ。キッチンに置いてあった脚立によじ登り、味噌汁の入った鍋の取っ手を少し引っ張った。同時に俺は脚立から転げ落ち、味噌汁が珠の形を帯びて空中にふわりと浮かんだ。
あまりに一瞬のことで何が起きたかはわからなかった。目を開けると俺はユキの腕の中にすっぽりと包まれ、当のユキは頭から味噌汁をかぶっていた。
「……っぷははは」
「バカ!」
何故そんなに怒鳴られたのかはわからなかった。ユキがますます俺を強く抱きしめ、ぬるくなった味噌汁の水滴がぽたりと肌に落ち、思わずびくりと体を震わす。
ユキの頭からプシューと変な音がした。
「なにもかかりませんでしたか」
「……うん」
ユキは俺を席まで担ぎ座らせると「ごめんなさい、少しだけ待ってくださいますか」と頭を下げて隣室へと向かった。
あの鍋を全てぶちまけたのだ。折角作ってくれた味噌汁を台無しにして、大笑いをしたのだ。そんなの怒るに決まっている。ぽつんと取り残された俺の目からは涙が出てきた。
「ごめん……ごめん」
「和希、僕がどんな姿でも驚いたり怯えたりしませんか?」
俺の謝罪に対し、ユキは言った。
「ユキはどんな姿でもユキだろ」
「……」
ユキは少しだけ無言になった。
「それなら、水をコップ一杯注いで、僕のところに持って来て下さいますか」
さっきの失態を挽回するべく、速やかにことをなして部屋へと持って行く。
ガシャンガシャンと機械音が鳴り響いていた。ユキの頭や腕、脚からコードが伸び、大きな機械に繋がっていた。
「ユキ……?」
「和希、僕はこの通り人間じゃありません。子守りアンドロイドYK010230通称ユキ。軽蔑しますか?」
「ケイベツ?」
「……何でもありません。とにかく、僕は何度熱いものをかぶっても問題ありませんが、和希は違います。火傷したらどうするんですか」
ユキは俺の頬をぐりぐりしながら言った。間違えていた。味噌汁を台無しにしたことでも、大笑いをしたことでもない、俺のことを心配して怒ったのだ。
「ごめんなさい。ママさんたっての希望で、僕は和希が高1になるまで『和希にとって人間でいてほしい』と言われていたのです」
ユキは俺の持ってきた水をタオルに染み込ませ、身体を拭いた。
「僕は約束を破ってしまった。だから、この家を出て行かないといけない」
「どういうことだよ……?」
確かに、ユキが人間じゃないなんて思いもしなかった。世の中ではアンドロイドの起こす事件や、不具合の話を聞いていた。なんでもそつなくこなすユキが、そんな「悪い」ものだと思わなかったのだ。実際にユキは普段から人間のような振る舞いをしていたし、いつだって自分の味方だった。
「いやだ、いやだそんなの!」
俺は止まっていた涙をまた流しながら、ユキの身体をぽかぽかと叩いた。すると「ふふふ」とユキは笑う。
「冗談ですよ。僕は和希の涙を見るのが好きなのです。キラキラしていてきれいだから」
俺の涙を指でぬぐいながら「僕からは決して流れることのないものですしね」と寂しそうに笑った。
「僕はあなたが望むまでずっと一緒にいます、と誓いましたしね。あなたがそんなに僕といたいなら聞かないわけにはいきませんね」
「うわっ」
ユキは俺の右脚をひょいっと掴んだ。そしてつま先にキスをした。
「和希も僕のそばにいてくださいね」
「……当たり前だろ」
△▽
「帰るぞ」
ガラリと扉を開けると、ワケアリのアンドロイドがコードに繋がれたままたくさん横たわっていた。ユキも同様だったが、和希だと気付くと目をぱちりと明けて「はい」と微笑んだ。
「どうでした?」
外に出ながら、ユキは今の俺にとって暴力的な問いを投げかける。
「どうって……」
「もう治らないって言われたんじゃないですか?」
ユキは冷静だった。どこからどう見ても人間のような彼の目は、作り物そのものだった。俺はその事実に身を震わせた。その震えを止めるつもりで、俺は淡々と水橋先生から言われたことを口に出した。
「そうですか。まあ、アンドロイドの寿命は10年未満。10年ちょい動けた私は優秀ってもんですよ」
どうしようもないこの気持ちを凌駕するようなユキのその返答に、怒りが込み上げてくる。
「だいたい、アンドロイドなんて、役立つペットみたいなもん」
バチン、と耳の奥で音が鳴り響いた。
目の前には地面に横たわるユキがいた。
右手がジンジンとした。今更になって、俺の痛覚が戻ってくる。
「お前の10年って、そんな軽いもんなのかよ」
頬さえも抑えず無言を決めこむユキに、震える言葉を降り注ぐ。
「……」
「答えろよ!」
「嫌に決まってんだろ!」
ユキが声を荒げるのは、俺が大火傷をしかけたあの日以来だった。
「ずっとそばにいたお前が、私じゃない『私』と生活していくんだ。……嫌に決まってるだろ」
悲痛な顔をしたユキの目に、涙はない。
「こんなに泣きたいと思うのに、どうして泣けないのでしょう」
「だから代わりに泣いてやってんだろ」
俺は手の平で顔を覆った。誰にも見せられないようなひどい顔だと悟ったからだ。
「それなら見せてください。私に大好きな和希の涙を」
ユキは俺の腕を引っ張ると、まぶたに唇を押し付けた。ユキは人間なんじゃないかと、錯覚を起こしそうになるほど暖かなものだった。
「ママさんは、私が10年踏ん張れば、和希に自分がアンドロイドだということを明かしていい、そう言いました。ただし、和希の前で壊れないこと、もし自分がダメだと感じた場合は、自ら消えること。10年以内に壊れた場合は必ず『同じ』ユキのフリをして戻ってくること、10年経って壊れた場合は和希の答えに沿うこと、そう言われたのです。それなのにこの10年で、私にはあなたに添い遂げたいという欲が生まれた……私の本心を貫けば近い将来、あなたを傷つけてしまうというのに」
こんな時に、ユキが俺を抱きしめる力が弱くなっているのを感じた。それは小学生の自分が無力だったからだろうか、それとも。
「それでも、私だけに愛を注いでほしいというのは、アンドロイドとして大きなバグなのでしょうか」
「知らねえよ。俺はお前の記憶が擦り切れるまで一緒にいてやる。お前が動けなくなっても、俺はお前だけを見ていてやる」
……俺がお前を守れるだけの力がついたってことなのだろうか。
ユキの頭を、力いっぱい胸の中にうずめる。
これ以上、お前に泣き顔みせてたまるかよ。これからは俺がお前の望むままに生きてやるんだから。
△▽
「ただいまー」
学校から帰ると、俺は靴も揃えずに部屋へと駆けていく。
「オカエリナサイ」
ユキはとうとうコードに繋がれたままでないと、生活が出来なくなった。
「大好きだよ、ユキ」
「……」
「大好き。愛してる」
「……」
俺は身体じゅうにキスを落としていく。
「だいすき」
「……」
もう、こいつの前では泣かないと決めたのに、これで何度目だろう。
ユキのそばにいるだけで、俺の涙腺は狂ったように活動を始める。
「ユキ、どこ行っちゃったんだよ……」
「ココニイマス」
彼の語彙力は格段に下がった。「好き」という気持ちにはまるで答えが返ってこなくなった。
「お前がいないと、俺なんもできねえんだよ……。誰だよ、こんな風にしたのは……」
「ワカリマセン」
「そうだよな」
いつものようにその場を後にしようとした。『お前だけを見ていてやる』なんて、どの口が言ったことか。俺には空っぽの彼を愛し続けることは到底無理だったのだ。
「カナシイデスカ?」
ユキに質問をされることはあまりにも久しぶりなことだった。俺は頷きながら「はい」と答えた。すると、表情のなくなったはずのユキが右の掌を広げながらふんわりと笑った。
「……イママデアリガトウ」
ジジジと音を立てて、ユキは静止した。
「……ユキ?」
それはあまりにも突然すぎて、ただ、本能から彼の元へと駆け寄った。開いた掌には小さな記憶チップがあった。

「……では、このチップを投入します。プライバシーの侵害を回避するために、私は投入後この部屋を出て行きます。危険を察知したら、壁にある赤いボタンを押してください。私達は廊下で待機していますから」
そう言って、水橋先生は神妙な顔でチップを手に取った。
目の前にはYK010230-AB。10年でマイナーチェンジしたユキの顔をした通称『ユキ』がいた。
俺は再度ユキの記憶チップを、違う『ユキ』に入れることを拒んだ。しかし、水橋先生が記憶チップを確認したところ、記憶ではない、違うデータが混ざっている、というのだ。
首元からチップを挿入し、水橋先生と看護師たちは静かに部屋から出て行った。
新たな『ユキ』は顔を歪め、その場にぺたりと座った。膨大な記憶量を必死で自分のものにしようとうずくまる。
ピー、という機械音と共に、『ユキ』の顔が何もなかったかのように元に戻った。そしてもう一度俺の前に立ちはだかる。
「……記憶ではない、昔のユキからのあなたへの止まらない思いが刻み込まれている」
「ユキに、昔も今もあるかよ」
「やっぱり、あなたを置いて私は消えることなんで出来ません。私は何度だってあなたに恋をする。あなたが私をうっとうしいと思うようになっても、またこの『ユキ』という筐体が壊れても、この記憶を繋げていく。何度も、何度も、だ」
俺の言葉を遮るようにして『ユキ』はそう言った。
言葉に詰まった。
どう見ても、彼は『ユキ』ではなかった。
それなのに、胸が苦しくて、久しぶりに愛おしさでいっぱいになっていた。
「あれ……」
新しい『ユキ』の目からぽろぽろと滴が零れ落ちた。
「なんだこれ……?」
「涙だよ」
ユキは俺のことを強く抱きしめながら大声をあげて泣いた。
「やれるもんならやってみろよ」
どうしようもなく大好きな、俺のただ一人のアンドロイド。
代わりに俺が大声で笑ってやる。

江島或音
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