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第1回 BL小説アワード

アンドロイドは色彩のある夢を見るか

エロなし

「だけど、死んだ人間をアンドロイドとして蘇生させるのは違法だって知っているよな」もはや和希の顔には微笑はなく、ユキを断罪するかのような強い口調がユキを黙らせた。

クエリ
7
グッジョブ

 泥のような眠りから目覚めると、慣れ親しんだ疲労感が和希の意識が覚醒するのを阻んでいた。自分の部屋への突然の来訪者を機に和希はやっと自分を取り巻く世界の輪郭を捕らえることができたが、その来訪者が自分の母親であると認識するまでに数秒の時間を有した。母親は遠慮がちな笑顔で和希に朝の挨拶をし、和希は無意識のうちに笑顔を顔に貼り付けてそれに答えた。この問答は彼女にとって和希の存在と自分との関係を再認識し、普段通りの日常を送るために必要不可欠な儀式であることを和希は認識していた。そしてその儀式の一部となることは、彼女の血のつながらないたった一人の息子としての和希の義務であった。
 母親が部屋から出ていくと和希はベッドからのそりと起き上がり、高校の制服に着替えゆっくりとした足取りで父親と母親が滑稽なままごとを繰り広げている居間へと向かった。毎日飽きもせず繰り返される茶番。和希はもううんざりしているのだが、かれらは依然としてそのままごとに飽きる気配はなく、もはや和希にある種の感銘を呼び起こさせるほどそれは完成度を増していった。
 ここ数年、和希にとって世界に色はなく何を食べても味がなかった。顔の筋肉はその本来の責務を忘れて常にだらりと弛緩しているか、ひきつったような作り笑いを作り出すことしかできない。和希にとって何を見ても誰と話しても何を食べても、それは永遠に終わることのない罰であり、生きることそれ自体が拷問にも等しかった。ではなぜ自分はまだこうして生き続けているのか。それは和希にとってあまりにも簡単な問いかけであると同時に永遠にとけない謎でもあった。

 両親と型通りの会話をしていると、ユキがキッチンから出てきた。そこではじめて和希は緊張感から解放され、自分が息をしていると実感することができた。
「おはよう、和希」
「おはよう」
この短い会話の中からでも、ユキは和希の体調から精神の状態まですべてを察知することができた。それは家事手伝いアンドロイドとしてユキに搭載されている機能だけでなく、和希と過ごしてきた10年以上もの長い年月がなせることであり、それは和希も同じだった。
 ユキの声音には無気力な和希への心配とある種の感情とがはっきりと現れており、和希にはその感情が一体何であるのか和希には分からなかった。和希はユキが持つ「感情」を心の底から憎んでいた。アンドロイドでありながら感情を持つユキは世間からは忌み嫌われる存在であり、この高梨家の中でしかその存在を許されてはいなかった。ユキを誰よりも憎んでいるのが和希であり、また同時に誰よりも欲しているのもまた和希であるという矛盾が余計に和希を縛り上げ彼から声を取り上げてしまっていた。自分とユキとの関係に意識を奪われていた和希は、ユキの口調に普段はないもうひとつの感情が込められていることに気が付かなかった。

「和希」
声の方に顔を上げると、そこには久しく見ない表情を浮かべた父親の顔があった。こんな男は知らない。まだ見ぬ未来への不安とそれと同程度の期待に胸を高鳴らせている、こんなにも高揚した表情をしている男は、和希が知っている父親ではなかった。
 和希が知る父親は常にたったひとつのものに取り憑かれているような、そんな歯車が狂ったような人間だった。義母と再婚してからは少しなりを潜めてはいたが、父親の目の中に確かに存在していた執着という名の影はもはや消え去り希望すらたたえているようだった。
「何、父さん。ずいぶん嬉しそうだけど、何かあったの」
 和希は父親と、その横で何やら恥ずかしそうに父親と笑顔を交わし合っている母親とを交互に見つめながら、自分の後ろにユキが音もなく寄り添うのを感じた。ユキがそのまま和希の自制心となったため、声が震えるのをやっとのことで抑えることができた。

「母さんが妊娠した」

 父親の声が遠くで鳴り響き、和希には自分の鼓動とそれに重なるユキの鼓動しか聞こえていなかった。和希は自分の肩に置かれたユキの手の体温を感じ、どうしてユキの手はこんなにも暖かいのかとまったく関係のないことをぼんやりと考えていた。


 ふと時計を見ると針は夕方5時を回っており、夕食の買い出しに行かなくてはならない時刻になっていたことにユキは驚いた。今朝の和希の様子が気になり、やらねばならないことが遅々として進まず、ユキはたっぷり半日ほどぼんやりと考え事をして過ごしていた。和希は父親と話した後そう、おめでとうとだけ返事をしていつものように家を出たが、ユキにとっては和希がいつものような心持であったとは到底思えなかった。和希はいつのころからか心を閉ざしユキに対してもどこかよそよそしくなっていたが、それは和希のことを考えれば当然のことだとユキは理解していたし、そのことに対して不満を感じることはないはずだった。和希がユキにどんな態度をとったとしても、和希がユキにとって唯一無二の存在であることには変わりはなかったため、ユキは和希のそばにいることで十分満足していた。というよりも、そう思うように自分に言い聞かせていた。そしてこれからもずっとそうして、アンドロイドとしての永劫の生に耐えなければならなかった。
 半日間考えあぐねたことをさらに反芻しながら用事を済ませようと家を出てしばらく歩いていたとき、ユキは視界の端に和希の姿を捕らえた。家とは反対の方向に無心で歩いている和希を見て、ユキはとっさに後をつけた。今の和希を一人にするのはまずいと思わせるほどの危うさが、和希の全身を覆っていた。和希は迷うことなく歩を進め、細い路地で立ち止まった。そこは3年前に交通事故があった場所で、その時に破損したガードレールは真新しいものになっており痕跡は全く見当たらなかったが、夕日があたりを真っ赤に染めておりその色だけが事故があったという事実を彷彿とさせた。

「なあユキ」
 突然話しかけられユキは一瞬ぎくりと身を縮めたが、何よりもこの場所に来たにもかかわらず和希の声に何の感情も伴わないことがユキを総毛立たせた。

「早いよな、もう俺がここで死んで3年か」
ユキが何と言っていいか分からず黙り込んでいると、和希は続けた。
「俺は一体、何のためにこうしてまだ生かされているんだろうなあ」
そう言いながら振り向いた和希の顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。その穏やかさには、すべてを諦めてしまった投げやりさもどこかに感じられた。
「・・・お父さんはどうしても君に生きていてほしかったんだ。それは僕も同じだよ」
「だけど、死んだ人間をアンドロイドとして蘇生させるのは違法だって知っているよな」
 もはや和希の顔には微笑はなく、ユキを断罪するかのような強い口調がユキを黙らせた。
「なんであいつの手助けなんかした。お前、そんなにあいつが大事なのかよ。普通自殺までしてあいつの実験材料になるか。お前おかしいんじゃないか」
「君のお父さんの研究は必ず人の役に立つ。僕はそう信じていたからあの実験に参加した。後悔はしていないよ、だってあの実験があったからこうして君はまだ生きているんだ」
「建前はいい、お前がなんで自殺したかくらい俺にだってわかる。それに俺は生き返らせてくれなんて頼んでない。こんな体にしてくれとも一言だってあいつに頼んでねえよ。俺はもう歳も取らないし病気もしない。人間として生きていくことは出来ない。こそこそ隠れて人の目気にして、みんな死んでも一人で生きていかなくちゃなんねえんだよ。それでも俺は父さんが俺に生きていてほしいって・・・分かっていたからこうして我慢していたのに・・・」
 どんどんか細くなっていく声とは裏腹に、和希はこぶしが白くなるほど強く手を握りしめていた。ユキは反射的に和希を抱き寄せようとしたが、和希は激しく身をよじってそれを拒んだ。
「触るな!!」
 涙にぬれた和希の顔を見て初めて、ユキは自分が本当は何を欲しているのかをさとったが、それを言葉にするのを和希の絶叫が遮った。
「なんだよ、妊娠したって。じゃあもう俺はいらないんだ。アンドロイドの子供より普通に成長する子供の方がいいに決まっているもんな、それならなんで俺は生きているんだ、なんでこうまでして生きているんだ、代わりがいるんじゃ俺はこれからどうすればいいんだよ」
「僕のために生きてよ」
 ユキの口をついて出た言葉を、和希はしばらく理解できないようだった。
「お父さんのためじゃなくて。僕が和希にそばにいてほしい。僕のために生きてよ」
「なんだよそれ。お前は父さんのために生きているんだろ。父さんのそばにいるために、自分からアンドロイドになったんだろ。違うかよ」
「そうだね、あの時はそうだった。和希には隠し事できないな。でも今は違うよ」
 そう言いながらユキは和希の肩を抱いて自分の方へと引き寄せた。今度は和希が抵抗しないことにほっとしながら、ユキは続けた。
「僕は確かに君のお父さんのために今まで生きてきたし、何でもした。君の世話をするのもお父さんの命令だった。でも今僕は自分の意志で和希といる。それは和希がこの世でただひとり、僕と同じで人間から作られたアンドロイドだからっていうのもある。いわば僕らは共犯者だから」
 子守歌のように独白を続けてきたユキは、ここで言葉を切り自分の話に黙って耳を傾けている和希をじっと見つめた。自分よりまだこぶしひとつ分背が低い和希の身体は熱と匂いを持っていて、言われなければアンドロイドだとは分からないほど人間と変わりがなかった。
「でもそれだけじゃなくて、うまく言えないけど、僕は和希と一緒にいたい。一人で生きていくなんて思わないでくれ。和希にも僕のそばにいてほしい、和希に僕のこと特別に思ってほしい。僕がいるから生きているんだって思ってほしい」
「お前、わがままだなあ」
 黙って聞いていた和希が、突然笑いながらユキを見上げた。その顔を見た瞬間、ユキは自分の中に今までにない切なさがともるのを感じた。唐突に泣きたくなり、心の底から目の前にいる少年の幸福を祈った。たとえ自分がいなくなることがあったとしても、この少年にだけはこの笑顔を絶やさずにいてほしいと思った。
 和希はするりとユキの腕を自分の肩から外すと、今日の夕日はずいぶん赤いなと言いながら二人を照らす夕日を眺め、ユキにもう家に帰ろうと促した。そうだねと答えてユキが歩き出すと、その後ろから和希がつぶやいた。
「俺はたぶん、もうずいぶん前からユキがいたから生きてこられたんだ、きっと」

 ユキは振り返り、まだ夕日を眺めている和希の、赤い光線を受けてきらきらと輝いている瞳をじっと見つめていた。

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