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第1回 BL小説アワード

この気持ちをおしえてよ

健気受け/エロなし

和希はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。「……俺さ、彼女と別れた」

ちゅん
6
グッジョブ

 和希の事を考える時、ユキは自分が欠陥品であることを思い知る──。

 早朝。今日も早くから、ユキはキッチンに立っている。
 家庭用アンドロイドであるユキが高梨家に迎え入れられてから、かれこれ十年。いつしか家族三人の朝食を作る事は、ユキの仕事になっていた。
 ユキはアンドロイドの中でも特殊なモデルで、家事手伝いとしての機能が他のアンドロイドに比べるとやや劣っている。その為、朝食作りも初めの頃は失敗ばかりだった。
 『悲しい』感情に戸惑うユキを、高梨家の家族は温かく励まし、何度も挑戦させてくれた。その甲斐もあって、今では料理もすっかりお手の物だ。
 自分の作ったものを美味しいと言ってもらえた時、ユキの中で『嬉しい』という感情が沸きあがる。──そう、ユキはアンドロイドにしては珍しく『感情』に重きをおいたモデルだったのだ。
「おはよ、ユキ」
「わっ……」
 突然の声に驚いて、手元がすべる。ユキの手からするりと抜け落ちた皿は、一回り大きな手によってキャッチされた。
「……あっぶねーなぁ」
 高梨家の一人息子、和希だ。出会った頃は小学生だった彼も、今年で高校二年生になった。
「ありがとう……和希くん」
 おう、と答えた和希はユキに皿を手渡すと、冷蔵庫の中を物色し始めた。ユキも、朝食作りを再開させる。
 和希の朝は早い。所属している部活動の朝練習があるためだ。それに合わせて、ユキも毎日早くから朝食を作っている。
 和希は冷蔵庫から麦茶ポットを取り出すと、おもむろにリビングへ向かった。
 高梨家のキッチンは対面式で、作業しながらリビングが見渡せるようになっている。和希はダイニングテーブルにポットを置くと窓辺に向かい、勢いよくカーテンを開けた。
 朝の穏やかな光の中、大きく伸びをする和希の姿に、ユキは目を止める。
(和希くん……また、背が伸びた)
 出会った頃の和希はまだ小学生で、ユキよりもはるかに小さかった。それが今では、ユキの頭一つ分背が高い。和希を見上げるようになったのは、いつからだっただろう。
(……手も、大きくなった)
 昔は、よく手をつないで歩いた。ユキはアンドロイドにしては華奢な作りで、色が白く手先もほっそりしている。そんなユキの手につつまれていたはずの幼い手は、いつの間にかたくましい男の手になっていた。
 どんどん成長していく和希に、最近ユキは戸惑っている。

「やっぱ、ユキの作る飯がいちばん美味いっ!」
 日に日に成長しているとはいえ、こういうところは昔と変わらない。和希はいつも、ユキの作るご飯を美味しそうに食べてくれる。
 ダイニングテーブルに向かい合って座り、ユキもほっと一息つく。和希の両親はしばらく起きてこないので、しばしの休憩だ。
 和希と二人きり、のんびり流れる時間がひどく心地いい。ユキはこの時間が一番好きだった。前に何気なく和希にそう言ったとき、「ユキはなんか人間みたいだな」と笑われたことがある。
 その時は人間らしいと言わたようで嬉しかったけれど、今はなんだかそれが悲しくて、ユキは視線を落とした。
 ユキはもともと家事手伝いとしてではなく、和希の兄弟分として高梨家に迎えられた。共働きで忙しかった両親が、少しでも和希の寂しさを緩和できればと思っての決断だったらしい。
 家にやってきたアンドロイドを一目で気に入った和希は、その華奢で色白な見た目から、なんの迷いもなくその名を呼んでくれた。
「──ユキ」
 はっと顔を上げると、怪訝な表情の和希と目が合う。ユキは昔からの癖ですぐに口角を上げた。『笑顔』を作らないと、心配させてしまうからだ。
「……なに? 和希くん」
「お前、最近ぼーっとしてね? 皿もよく割るし」
 和希のするどい指摘に、ぐうの音も出ない。
「……ごめんなさい」
 しょんぼりとした様子のユキに、「別に怒ってねぇよ」と和希はぶっきらぼうに返した。
 和希の言う通り、ユキは最近失敗が多い。要領が悪いのはもとからだが、最近は輪をかけている。
「どっか悪いんじゃねぇの? よくわかんねぇけど、メンテナンスとか──」
「か、和希くん、そろそろ出ないと、待ち合わせに遅れちゃうよっ……!」
 早口でまくし立てると、和希は壁掛け時計に目をやり「やべぇ」と慌ただしく席を立った。うまく話を逸らせたことに、ユキは内心ほっとし、そんな自分を可笑しく思う。
(……本当に、いらない機能だ)
 話を逸らさなければと焦るのも、逸らせたことにほっとするのも、全ては自分に備わっている『感情』のせいだ。こんな機能がなければ、きっと『あの事』にだって動揺しなかった。
 バタバタと身支度を整える和希の後を追い、ユキも玄関先まで付いていく。靴を履きながら、和希は独り言を漏らした。
「あいつ、遅れるとうるせぇんだよなー……」 
 『あいつ』というのは、最近できた和希の彼女の事だ。毎朝、待ち合わせて学校に行っているらしい。
「じゃ、ユキ、行ってくる!」
 返事もろくに聞かない背を見送って、ユキはひとり、ぽつんとその場に佇む。
 いつまでも子供でいるわけがない。和希もだんだん大人に近づいているのだ。好きな人ができて、想いを通わせ恋人ができる。自然なことだ。それなのに──。
「……いってらっしゃい、和希くん」
 自分はどうしてこんなにも、『寂しい』と『悲しい』という感情でいっぱいになるのだろう?

 リビングに戻ったユキは、ダイニングテーブルの食器を片付けながらため息を吐く。
(……おれ、やっぱり欠陥品なんだ)
 はっきりとそれを意識したのは、恋人ができたことを和希に打ち明けられた時だった──。
 照れくさそうに「彼女ができた」と言われた瞬間、ユキは自分の中の違和感に気付いてしまった。
 その時湧きあがった感情は、『嬉しい』ではなかったのだ。
 和希に大事な人ができることは喜ばしいことだ。それなのに、ずっとそばにいた自分は──和希の兄弟分であったはずの自分は──そのことを喜ぶことができなかった。
 理由は分からない。考えれば考えるほど、負の感情でがんじがらめになる。もしも自分が人間だったら分かるのかもしれないが、ユキはアンドロイドだ。 
 和希のそばにいられなくなるのが嫌で、ずっと隠してきたけれど──メンテナンスなんかじゃきっと治らない。きっと自分は欠陥品なのだ──もう、潮時なのかもしれない。
 そうしてユキは、ひとり覚悟を決めたのだった──。

「……和希くん、ちょっといい?」
 その日の晩、ユキは和希の部屋を訪ねた。ノックの後に声をかけ、和希の「おう」という返事を確認し、中に入る。
「どうかしたのかよ、ユキ」
 和希はベッドの上に寝そべったまま、ユキに目もくれない。何やら、雑誌を読んでいるようだ。ユキはかまわず続ける。
「……和希くんに、話があって来たんだ」
 すると、和希は何か思い出したように顔を上げた。
「ああ、俺も。ちょうどユキに、話したいことがあったわ」
「……え?」
 思いもよらない和希の返事に、ユキはそっとベッドへ近づく。和希はやおら身を起こすと、ベッドの上に座り直し、ユキにぎこちなく笑って見せた。その表情は、どこか元気がない。
 途端に心配になって、ユキは急き立てるように「どうしたの?」と和希に言い寄る。
 和希はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「……俺さ、彼女と別れた」
 ユキはその場に立ちすくんだ。自分の中に湧きあがっていく感情に、ひどく狼狽する。
「──ユキ?」
 顔をうつむけたまま黙っているユキを訝しく思ったのか、和希は立ち上がり、ユキの顔をのぞき込んだ。そうして、目を見張る。
「なんでお前、泣きそうな顔してんだよ」
 ユキは一歩、後ずさった。
「……見ないで」
 逃げるように顔を背けたユキに、和希はまた一歩つめよる。「どうした?」と呼びかける声は、本当に心配しているようで、優しい。
 ユキはまた一歩後ろに下がって、用意してきた言葉を吐き出した。
「和希くん、おれのこと、捨てて……」
「はぁ??!」
 ワケがわからないと言いたいような和希の声が、室内に響く。びっくりして体が震えたが、ユキは顔を上げて、和希をまっすぐに見つめた。
「……おれ、最近変なんだ」
「やっぱ、調子悪いのか? だったら、メンテナンスに──」
「きっとメンテナンスなんかじゃ治らない! おれは……欠陥品なんだよ」
「意味わかんねぇよ! どこら辺がおかしいのか言えよ!」
 和希の苛立った声に怯んで、ユキは言葉に詰まる。
「……おれ、最近ぼーっとしちゃうし……お、お皿だって、割っちゃうし……」
「んなの理由になんねぇよ。そんなに皿割りたくないなら、紙皿にすればいーだろっ!」
「……っ、そういう問題じゃないよっ!」
 聞き入れてもらえないことにもどかしくなって、気づくとユキも声を荒げていた。「ケンカはやめなさいよー」という和希の母の呑気な声が、一階から飛んでくる。
 勢いを削がれたのか、和希は頭をかきむしって大きくため息を吐いた。そうして、ユキの手をそっと取る。
「……どこら辺が欠陥品なんだよ」
 先に折れたのは和希だった。落ち着いた声でなだめられると、まるで自分が駄々をこねている子供のように思えて恥ずかしい。
 ユキはようやく覚悟を決めて、胸のうちを語り始めた。
「……和希くんに、彼女ができたとき……」
「彼女?」
 ずっと言うのが怖かった。これを言ったら、きっと嫌われる。薄情な奴だと、軽蔑されてしまう。
「おれ、すごく──」 
 でもだからこそ、自分は和希から離れるべきなのだと思う。
「──寂しかった」
 告げた瞬間、和希の反応を見るのが怖くて、ユキは目を伏せた。逃げ出したい衝動を、必死に振りはらう。
「和希くんに、大事な人ができたのに、おれが一番喜ばないといけないのに、おれ、すごく寂しくて……」
 今みたいに『悲しい』でいっぱいになった。人間はこういう時に涙が出るんだと思い知った。そして泣けない自分が、アンドロイドである自分が、何故だか苦しくて仕方なかった。
「さっきだって、彼女と別れたって聞いて、おれ、『嬉しい』って、思っちゃった……」
 ふいに、和希の手が離れた。こうなることは覚悟していたはずなのに、『寂しい』が湧きあがっていく。ユキはしょんぼりとうなだれた。
「……ごめん、なさい 」
 和希は何も言わないままだ。
 きっと嫌われた──そう思っていたのに。
「……ユキ、こっち見て」
 降ってきた声は驚くほど優しくて、ユキを安心させると同時に、ひどく戸惑わせた。言われるまま、おずおずと顔を上げた──その瞬間。
「……えっ?!」
 腰のあたりに手を回されて、ぐっと引きよせられた。あっという間に、和希の顔が間近に迫る。
「か、和希くん、近いよ……」
 和希の胸をそっと押して抵抗するが、びくともしない。
「だって、これから俺、ユキにキスするから」
「……なんで?!」
 わけがわからない。嫌われる、軽蔑されると思っていたのに、和希はユキに『キス』をすると言っている。
「ユキ、俺、さっきのお前の話聞いて『嬉しい』って思っちゃった」
「……なんで?」
 人間がする『キス』は、恋人同士がすることだ。なぜ和希は、そんなことを自分にしようと思っているのだろうか。
「なんでだろうな」
 へへっと笑った和希の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
 どうしよう、わけがわからない。それなのに──。
「どうして、俺も、『嬉しい』の?」
 困惑しているユキに、和希が目を細めた。柔らかく微笑むその表情は大人びていて、ユキの胸をより一層苦しくさせる。
「目、閉じてくれたらわかるよ」
 キスまであと数センチ。目を閉じたら、何かが変わりそうで怖い。それでもユキは、この気持ちの正体を知りたくて──そっと、目を閉じる。

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