この作品が心を揺さぶるのは、登場人物の複雑性を極限まで描き出した点にある。墨燃と楚晚寧のイメージは、「無責任な攻め×美しい受け」という平面的な枠組みを完全に打ち破っている。墨燃は生まれついて残虐な「踏仙君」ではなく、「八苦長恨花」によって心が歪められた哀れな人物で、純粋無垢な少年から罪深き存在へ、そして生まれ変わって余生を贖罪に捧げるまでの変化の軌跡には、あらゆる葛藤と痛みが込められている。暖かみへの渇望と根っこにある本性の善良さが、このキャラクターに真実味のある人間らしい輝きを与えている。
楚晚寧はさらに心を打たれる存在だ。「天下一の宗師」という神々しい仮面を身に着けながら、内面には誰にも知られていない劣等感と柔らかな心を秘めている。「衆生を先に、自身を後に」という信念と、弟子への深く抑えられた愛が交錯し、強さと儚さの対比が彼を立体的で生き生きとさせ、高らかな神々の座から、痛みを感じ、涙を流す血肉の躯を持つ凡人へと降ろしている。脇役たちの群像劇も同様に素晴らしく、悪役の立体感のある描写から、門内の仲間同士の真摯な絆の描写まで、ストーリー全体の感情のネットワークをより密やかにしている。