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第1回 BL小説アワード

終わらない想い

甘酸っぱいプチエロ/未来を夢見る二人/がっつり保護者×いたいけ高校生

大きくて滑らかなユキの手のひらが、ぼくの胸をさすると痛みが治まり、トクントクンと再びリズムを取り戻した。

椿 有海
6
グッジョブ


 大きくて滑らかなユキの手のひらが、ぼくの胸をさすると痛みが治まり、トクントクンと再びリズムを取り戻した。
「和希、今夜は眠れそうか? 無理なら寝付くまで歌おうか、それとも話を聞きたいか」
 消灯時間はとうに過ぎて、ユキがベッドを覗きこんでささやく。ぼくは子ども扱いされた気がして少しイラっとなる。
「もう子供じゃないんだから大丈夫だよ。ユキの方こそぼくに付き添っていて全然眠っていないじゃないか」
 そう言ってベッドから腕を伸ばしてユキのためのシワひとつない補助ベッドを指さした。
 ぼくは病院で生まれてから高校生の今日まで、ほとんど病院で育った。生まれつき心臓の病気があるからだ。
 病室の壁にかかっている私立の高校の制服は数えるほどしか袖を通していない。学校は好きだ。忘れた頃に数日しか登校しないぼくに、クラスメイトは温かい。彼らの会話はぼくの日常とかけ離れていて知らない世界を垣間見るようで楽しく、そして少し寂しい。

 ユキは小学校に上がるころに出会った思う。それまでは、ずっと病室に母が付き添ってくれていたが、妹が生まれ、ぼくの入院費も大変なのだろう。三日に一度くらい、仕事の帰りに来てくれるけどだいぶ疲れた顔をしている。
 そんなとき、遠縁の者だと言ってユキを紹介された。大人のくせに少年のような瞳を持ち、大きな体のくせに細やかにぼくの気持ちを汲んでくれる。決してイケメンではないけれど、どことなく味のある顔で見飽きることがない。きっと年の離れた兄がいたらこんな感じなのだろうと思った。
 ぼくはユキのことがすぐに大好きになり、ユキがずっといてくれたらいいな、と両親に言ったら願いが叶えられた。それ以来ずっとユキは、ぼくの病室に付き添ってくれている。けれどユキにも仕事に出かけたり家族との生活もあると思って、ある日、
「ユキがいつもいてくれて嬉しいけど、仕事に出かけないの? 家族の待つ家に帰らなくていいの?」
 と聞いたことがある。するとユキはぼくのおでこを撫でながら、
「和希はそんなことを心配しなくていい。おれはここで仕事ができるし、家族はいない。今は和希が大切な家族だ」
 そう言って優しく微笑んだ。ぼくはそれ以来ユキのことを兄のように慕って甘えた。目覚めるとユキがいて、ユキに見守られて眠る。検査が辛い時にはずっと手を握ってくれる。外出時にもついてきてくれて、ぼくの心臓が暴れやしないかと心配してくれる。
 ユキは過保護だ。自分は食堂で食べるからいいと、お見舞いにもらった珍しいお菓子や、もぎたてのフルーツも一切口にしない。ぼくは美味しさを分かち合って食べたいのに、
「たくさん食べて体力をつけないとだめだ。おれが食べさせるから口をあけろ」
 と優しいけど強引に食べさせる。口からはみ出した果汁がつたって落ちるときは、ぼくが拭くより早くタオルを宛がい、まるで母以上に世話を焼く。
 体力作りにと院内を散歩する時は、転んだり発作を起こしてもすぐ助けられるようにと、トイレまでついてきてドア一枚隔てて待機する。ぼくはもう高校生なのに過保護すぎる。

 最近、隣の個室に入院してきた男の子がぼくの病室に遊びに来るようになった。
 廊下で見かけたぼくと年が近かったので、友達になろうと遊びに来てくれたのだそうだ。
 男の子は淳と言った。そしていつも淳の横には弟がいて、カナと言った。カナはまだ幼い弟なのに淳の世話をしていた。淳も当然のように、
「この本を図書ルームに返してきて」
「屋上に遊びに行くからドクターの回診になったら迎えに来て」
 などと命令ばかりする。カナは子犬のように走り回って淳に仕える。
「ねえ淳、カナはずっと病室でいつもきみの世話ばかりしていてかわいそうだよ。でもまだママが恋しい年だろ? それにしてもカナは力持ちだね。まだ小さいのに重い本を何冊も平気で持っていくよ」
 すると淳は不思議そうな表情でぼくを見た。
「何を言ってるの? カナは弟じゃなくてドロイド系のアンドロイドだよ」
「アン……ドロイド? 機械、なの?」
「和希は何も知らないんだなぁ、大抵どこの家にも一体はあるよ。いいかい、アンド系はいかにもロボットという形で工事現場などで働いていて、ドロイド系は人間そっくりで生活の補助をしてくれるんだ」
 アンドロイドと生活するなんて絵本の世界の話だと思っていたから驚いた。そしてカナが仲の良い弟だと思っていたのに、アンドロイドだと知っても信じられなかった。それほど人間と見分けがつかないのだ。
「機能は変わらないけど、いろいろ年齢や性別とか性格が選べるんだよ。ぼくは弟が欲しかったから彼にしたんだ。あと……内緒だけど、大人になるとエッチな相手もしてくれるアンドロイドもあるらしいよ。ちょっと興味あるだろ」
 エッチなことと聞いて、ドキンとなった。先月、登校した時にお弁当を食べながら、キスを済ませた友人が得意気に自慢していたのを思い出したのだ。赤面したぼくの耳元で、
「和希のとこのユキさんだっけ。あれ、和希用のアンドロイドだと思っていたよ」
 そう言って、回診だと呼ばれてさっさと病室に戻ってしまった。
 ぼくは淳の言葉がいつまでも耳にまとわりついていた。ユキがアンドロイド? そんなはずはない。小学校に上がる時からの長い付き合いだけど、ユキに機械を感じたことは一度もない。
 長い入院生活で泣けて仕方のなかった夜、両親も知らない涙をユキは優しく拭ってくれたし、ささやかな幸せには自分のことのように大きく喜んでくれた。
 淳の悪い冗談だと思いながらも、考えが堂々巡りする。けれど、ユキがアンドロイドだからと言って何が不都合なのだろう。現に今の今まで、ユキがアンドロイドだと想像したことさえなかったのだ。
 その夜は久しぶりに熱が出た。
「薄着で廊下を歩くから熱が出るんだ」
 少し怖い顔をしてユキが毛布を余分に掛けた。けれど背中がゾクゾクして寒い。震えが止まらなくなった。
「待ってろ、今あたためてやる」
 そう言ってユキがベッドに入ってきてぼくを背中から抱きしめた。まるで寝袋のように大きな体がすっぽりとぼくを包むと、安心とともにユキの体温がぼくをゆっくりと暖め、やがて眠りに落ちた。寒い時はいつもこうして狭いベッド入ってくれて暖めてくれるし、暑い時は団扇であおいでくれる。
 でも最近はユキに抱きしめられると、心臓がドクッドクッと大きく音をたてる気がする。耳にかかる息づかいに、赤面した顔を見られまいと枕に顔を埋めたりする。ぼくはおかしくなってしまったのだろうか。

 梅雨の晴れ間のある日、ぼくの主治医の櫻木先生が結婚した。先生の薬指に光るリングを冷やかすと、山賊のような髭を撫でながら照れていた。櫻木先生の照れた表情が面白くて、消灯後だというのにユキと笑っていた。ひとしきり笑ったあと、ぼくはかねてからの想いを口にした。
「ぼくは長く生きない気がする。ぼくのことはいいから、ユキはいい人がいたら結婚するべきだ。そして櫻木先生のように幸せな顔をみせてくれよ」
 すると思いもかけずユキは怖いくらい真面目な表情になり、大きな手でぼくの手を包んで言った。
「和希は死なない。もっと大人になって誰かと結婚して子供が出来て、孫に囲まれて暮らす。みんなに愛され、生きて生き抜いて見守られて命を全うする。そしておれも見守る一人として、ずっとそばにいる」
 考えたこともない未来が頭の中に広がる。いつか病室から出る日、大人になる自分なんて想像もつかない。学校にもたまにしか行かれないのに孫までいる未来は遠すぎる。
「ユキが……ユキがいてくれたら、それだけでいい」
 じわり、視界が滲む。不意にユキの顔が近くなる。思わず目を閉じたら、唇にひんやりとした感触が重なった。初めての出来事にぼくの心臓はドクッドクッと大きくなって飛び出しそうだ。
 人間にしては冷たくて滑らかな、そう。スプーンのような舌がゆるゆるとぼくの口腔へ侵入してきて、ぼくの舌をとらえ、からんできた。
心臓が怖いくらいに早く動くのは病気のせいじゃない、ユキのせいだ。ユキの臓器と口でつながっているのかと思うと背中からゾクリと熱が駆け上がる。スプーンのようなユキの舌がやっと離れた。混乱しているぼくに、
「かくさなくていい。和希はもう気がついているのだろう? おれは人間ではない。ドロイド系のアンドロイドだ。だれよりも和希を想い、和希のために生きる。これがおれの人生なのだ」
「だから……ぼくの命が終わるまでいてくれるというの?」
「そうだ。それに和希のおかげで新しいプログラムが生まれた。おれが和希を好きだ、愛しているという感情だ。体内の奥底に組み込まれたプログラムが、和希のおかげで解凍されたのだ。大好きだよ、和希」
 親の愛情以外の愛を受け取るのは初めてで、とても幸せだと思った。けど、もしもぼくが死んでしまったらユキはどうなるのだろう。あの世で一緒に暮らせるとも思えない。
「和希はまたつまらない想像をしているね。おれの人生は和希の物なのだから心配しなくていい。どっちみちアンドロイドのほうが寿命は長い。和希が死んで、生まれ変わってもおれは存在する。そしたら生まれ変わった和希と再び暮らそう。何回も何回も繰り返して、地球が終わるまでおれは和希とともに生きて行こう」
 ぼくは声を上げて泣いた。ユキと出会えてよかった。愛される幸福感に包まれて、生きることも死ぬことも怖くなくなった。

 猛暑が続いた夏を涼しい病室で過ごしていたある日、ユキが珍しく軽やかな足取りで、図書ルームから新聞を持ってきた。ある記事を赤ペンで囲ってある。ユキの仕業だ。
「ユキ、この新聞は私物じゃないんだから……」
 言いかけるのをさえぎって、ユキが記事を指で叩いて指す。
そこには、
『心臓病治療に画期的な一歩、臨床試験で好結果。実用間近!』といった大きな見出しの横に、開胸手術をせずに飲み薬と張り薬で好結果が出たという記事だ。
 いつものクールな表情の欠片もないほどに、笑うユキ。得意そうに鼻の下を伸ばして、
「ほら、な。和希は死なない。さあ、やりたいことがたくさんあるだろ。何からやるか今のうちに考えておくか? たとえば、素足で砂浜を走る。とか」
 一度だけ小さなころに語った夢を覚えているなんて、こっちの方が気恥ずかしくなる。アンドロイドのユキは、きっとどんなささいなことでも覚えているに違いなく、ぼくの夢に一つずつ懇切丁寧につきあってくれるだろう。
「とりあえず……」
 ぼくは、まだ得意気にしているユキの唇にキスをした。

椿 有海
6
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