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第1回 BL小説アワード

人形の祈り

エロなし/メリーバッドエンド

翌朝、ユキの夢を見て、俺は初めて夢精をした。

秋好む
4
グッジョブ

 そっとズボンの上からそこを確かめる。もう既に反応し始めていた。
 目をつぶり、あの人の指の細い手を思い浮かべる。彼はゆっくりその手を上下させるだろう。
 だんだん焦れったくなる。ズボンを下ろし、下着の中に手を入れて、直にもっと強い刺激を与える。
 息が上がってきた。あの人はどんな顔をしているだろうか。飴色の瞳が欲情をはらむ様子を想像すると、ゴクリと喉が鳴る。邪魔なズボンと下着は蹴り飛ばした。
 もうすぐ、もうすぐだ。
「ああっ……ユキ…っ!」
 コンコンコンとノックの音がして、「入りますよ」とユキの声。同時に俺の手に熱いものがあふれた。
 フリーズ。目と目が合ったと思った。
「失礼しました」
 ユキは、たたんだ洗濯物の山を抱えたまま、部屋からスッと出て行った。
 聞かれた? 聞かれたに違いない。
 で、スルー。いや、何か言われても困るが。

 俺は、高梨和希。17歳で、ごく普通の高校2年生だ、と思う。
 成績は中の中くらい。帰宅部。背は高い方。容姿はそこそこじゃないかな。1年前、初めて女子に告られたし。「自分って満更でもないかもしれない」と思わせてくれたことに、感謝している。でも、断った。
 俺は、ユキにずっと恋をしていたから。
 ユキは、我が家のナニー(乳母)型思考性アンドロイドだ。
 今の時代、どこの家にも家事全般を担う家庭用アンドロイドがいて、家の中は完璧に整っている。しかし、それは汎用型に限るのだ。
 人間は、贅沢になると、自分だけのオリジナルや限定品が欲しくなる。そこで、感情を持ち、接する相手に合わせることが出来る、思考性アンドロイドが開発された。
 だが、思考性アンドロイドは、まだまだべらぼうに高い。だから一部の金持ちにしか普及していない。
 なぜ、ユキのようなお高い思考性アンドロイドが、ウチにいるのかというと、話は簡単だ。
 俺が小学校に入学したばかりの頃、母親が急死した。交通事故だったという。見ていないので知らない。ただ、その頃は泣いてばかりいたような記憶がある。
 たぶん、だからだと思うけど、俺の父さんが、無理をして、「『寂しい子ども』の心のよりどころとなる」ナニー型思考性アンドロイドを、期限付きでリースした。期間は俺が18歳になるまでの12年間。
 その日のことはよく覚えている。
 妙に空が青いのに、ひどく寒い朝だった。
 父さんに「ユキだよ」と紹介されたアンドロイドは、初対面でいきなり俺の前にひざまずいた。それから、俺の顔を下から見上げ、ふわっと微笑んだ。
「はじめまして、和希。ぼくはユキです。あなたに会えてうれしいですよ」
 俺は驚いた。心底驚いた。
 それまで、大人は頭の上から話すものだと思っていたからだ。大人の声が、自分の顔よりも下から聞こえてきたのは、初めてだったんだ。
 ユキは、大人だった。父さんとは違って、きれいなおにいさんのようで。卵型の顎が細い顔。大きな飴色の瞳。細い首を覆うふんわりとした淡い茶色の髪の毛。すんなりした手足。
 一目で「いい人だ」と、思った。思ったのだ、その時は。6歳のガキは。
 今考えてみると、見た目の印象や態度が柔らかいのは、ナニー型ゆえの生産者の計算のうえだった、とわかる。6歳のガキの目線に立って挨拶したのも、ナニーとしてのテクニックだったんだろう。
 現在、俺の背はとうにユキを追い越した。ユキはもう俺にひざまずく必要はない。
 ユキを意識し始めたのは、中学に進学したばかりのことだった。
 その日、俺の部屋に友人たちが集まっていた。ユキはにこやかに挨拶をすると、ジュースとクッキーを置いて、すぐに引っ込んだ。
 そのとき、友人の一人が、
「お前ん家のアンドロイド、セクサロイドになるんじゃないか」と、ニヤニヤしながら言った。
 セクサロイドとは、人の身体の相手をするアンドロイドのことで、思考性アンドロイドには、標準でセクサロイド機能が付いているらしいとか。
「金持ちって、だから思考性アンドロイドが欲しいワケ?」
「やーらしい! ウケるー!!」
 友人たちは、初めて聞いたセクサロイドの話ですごく盛り上がったのだが、俺はなんだかショックで黙りこんでしまった。
 それまで、ユキをそんな風に考えたことはなかった。
 でも、考え始めると、いやらしい想像でぐるんぐるんし始めて、頭から離れなくて困った。
 翌朝、ユキの夢を見て、俺は初めて夢精をした。
 今だってユキのことを思うだけで、身体が熱くなる。
 ユキに欲情する自分。ユキに触れたい。ユキに触れてもらいたい。
 あの細い身体を抱き寄せ、思い切り抱きしめたい。柔らかな茶色の髪に指を入れて、かき混ぜてみたい。薄い唇にそっと触れて、こじ開け、口腔を……
 でも、「性の相手を務めろ」と「恋をしてほしい」は違う。
 俺は欲情もしているけど、恋をしている。体温のないアンドロイドのユキに恋をしている。勘違いなどではないと、思う。
 ユキの俺に対する態度が、ただナニー(乳母)としてプログラムされたものであったとしても。
 プログラムの向こうのユキの気持ちに触れたかった。
 では、どうしたらいいのだろう。
 恋は自分の中の一番自己中心的な感情ではないか、と俺は思う。
 恋をする。相手にも自分を恋しく思って欲しい。
 人間のために作られたアンドロイド。すべてのことは、人間のためがゆえ。
 そんなアンドロイドに、「俺に恋してほしい」と言ったら―――
 人間のためにならなければいけないというシステムと、
 自己の中から発生してくる「恋」という感情を求められた事実とが、
矛盾を生み、人工知能は停止し、おそらくユキは壊れるのではないだろうか。
 この恋は袋小路の恋。決して言ってはいけない恋。

「和希、起きなさい」
「和希、そろそろ起きろー」
「和希、起きろ! つか、ごらあ、起きやがれェ!!」
 次の朝、俺はいつも通り、階下から響くユキの罵声でたたき起こされた。
 明け方にようやくうつらうつらできた頭に、ガンガン響く。
 いつも通り二階から降りて、いつも通り洗面所で顔を洗い、いつも通り食堂に行く。
 すると、いつも通り、先に父さんが朝食を摂っていた。
 父のワイシャツの背中にはくっきりと1本アイロンじわが寄っていて、食べている目玉焼きの端は少し焦げている。
 家事全般も、ユキの仕事だ。けれど、ユキは、実はあまり家事が上手くない。
 普通の家庭用汎用型ならば、こんなことはなく、完璧に家事をこなす。
 でも、こういう不器用なところもあるのが、個性のある思考性のよいところなのだそうだ。よくわからない価値観だ。
 父さんが急いで仕事に行ってしまうと(帰りはいつも午前様だ)、この家はユキと二人きり。
 気まずい。めっちゃ気まずい。
 昨日の「ユキを想ってナニしてました」一件を見られて以来の初めての邂逅。大げさだけど。
「返事も聞かないで、ドアを開けるなんて、反則だぞ」
 沈黙に耐えられず、ユキの目を見ずに、言った。
「返事がなかったので、留守かと思ったんだ。失礼しましたね」
 ムカッとした。この野郎、どんな顔して「失礼しました」なんて言ってるんだ! 思い切って顔を上げた。
「ユキ!」
「はい」
 ユキは、いつも通りの卵型の顔、ふんわりとした茶色の髪の毛。食卓の真向かいから、飴色の瞳をこちらに向ける。
「俺が何をしてたか、わからなかったのかよ!」
「おおよそ」
「おおよそって……。で?」
「で?」
「何か言うことは?」
「え。ないよ」
「…ないの?」
 聞こえてなかった?
「あのさ、こーゆー時、ふつーの大人は何か言うものだと思う」
「う~ん……。…言うかなあ…… ぼくは言わないと思うけどなあ……」
 ユキは、茶色の髪の毛をがしがしかいた。柔らかな美貌の割りには、物腰はぞんざいなのだ。
「えーとネ、和希」
「うん」
「『うん』じゃなくて、『はい』と言いなさい」
 ナニーは、自分の役目を忘れない。
「う~~~っ! はい、ユキ、何?」
「この次は、ちゃんと隠れてやれ。それから鍵も閉めろ」
「はあ?」
 これは教育的指導というものだろうか。
「青少年の生理現象を無理に止めるのは、ぼくはよくないと思うんだよ。でも人目というものがあるからね。…あのサー、和希」
「なに?」
「ぼくは和希のためのナニー型アンドロイドだろ? なのに、なぜ男性形なんだと思う?」
 それは、俺も常々疑問に思っていた。ナニーと言えば、メリーポピンズのような、優しいおばさんかおねえさんが普通ではなかろうか。
 なのに、なぜ、こんなきれいだけど雑なあんちゃんなの?
「今まで言う必要がなかったんだけど。実はね、こういう事態に対処するためなんだよ。思春期の子どもを育むには、同性育児の方がなにかと都合がいいんだ、と」
「青少年」 「思春期」 「育児」
 これは、「あなたはまだまだお子ちゃまですよ」と言われているも同然じゃないか。なんだか、思いっきり脱力してしまった。
 気を取り直して、朝食に向かうことにする。
 トースト、焦げた目玉焼き、レタスとトマト、カフェオレ。
 カフェオレっていうのが子どもっぽいかなあ。でも、牛乳は好きなのだ。
「和希」
 静かなユキの口調に、俺はふいをつかれた。
「ぼくが和希と一緒にいられるのも、あと1年だ。考えておいてね。ぼくは、『もうあなたにぼくは必要ない』と確信して行きたいからサ」
「……」
 ユキは、やはり聞いたのではないかと、思った。

 父さんが死んだ。
 クモ膜下出血だった。
 馬鹿だなあ、ユキのリース料を払うためにあんなに働くからだ。
 叔父さんが、決定事項として、俺は寮のある高校へ転校するのだと言った。ユキは返却が決まった。
 ユキが行ってしまう。ユキが行ってしまう。ユキが行ってしまう。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。
 俺は、「俺はガキだ」と思った。
 成長したつもりだった。大人になったつもりだった。
 だけど、ほら、ユキを留めることもできない。
 ユキをリースする金なんて俺にはない。力もない。
 6歳の頃と何も変わらない。いや、6歳の頃の方がまだましだ。泣いてわめいて叫ぶことができるじゃないか。
 今の俺にはなにもできない。ただ黙っていることしかできない。
 大人みたいに割り切ればいい。18歳の予定が、17歳になっただけのことだ。それだけだ。それだけ。何度も何度も自分に言い聞かせた。
 最後の朝、ユキは伸び上がって、俺に最後のハグをする。耳元でため息のように言った。
「さようなら、ぼくの和希。
……神さま、どうかこの子の行く先々を灯で照らしてあげてください」
 神さま?
 神さまって言った?
 アンドロイドが神さま?
 これは、ユキが初めて発した、プログラムの向こうから来た言葉ではないだろうか。
 そうか、そうだ、ユキ。俺の記憶は、ユキの人工知能のチップの中に残り続けていくだろう。そして、ユキはこれから何人も何人も、俺のような「寂しい子ども」に出会っていくんだね。何人も何人もの子どもたちが、俺が経験したみたいな時間を過ごすんだね。
 チップのデータが蓄積されていく。
 旅をしていくアンドロイド。
 同じ言葉が、俺の胸にも沸いてきた。
―――神さま
神さま、どうかユキの行く手に灯をともしつづけてください。どうか、どうか……
「ユキ」
「はい」
「俺ね、俺……一生懸命勉強する…」
「和希、…どうしたの? 急にいい子になった?」
 俺の首元に触れるユキの喉がククッと震えた。
「まじめに聞けよ! ま、まじめに言ってんだから…」
「ん、ごめん」
「だから、俺すごくすごく勉強して…、大人になって…」
「ん」
「うんと仕事するんだ……でもって、いっぱい稼ぐ…」
「ん」
「いっぱい金稼ぐから。だから、そうしたら、ユキを買いたい」
 ユキの飴色の瞳に映る自分の姿を見つめながら、泣かないように頑張りながら、言葉を紡いだ。
「買えるくらい稼ぐから。そうしたら俺のところに来て」
「……」
「『寂しい老人』の心のよりどころとして」
「……ハハ、いいな、それ」
「いいだろう、ハハハ…」
 ユキが笑う。俺も笑った。でも、もう無理だった。
 俺は、自分より小さくなったユキにしがみついて、6歳のガキみたいにボタボタ涙をこぼした。
 ユキは泣かなかった。泣けないんだ、アンドロイドは。その代わり、旅立つ刻限まで俺の背中をなでてくれた。
 いつか、いつか、また出会えるだろうか。いや出会うのだ。
 俺は、失った手をふたたび取り戻すために、未来へ歩いて行こうと、思った。
 いつか、空が青く澄みわたった寒い朝。
 アンドロイドが、縮んだ俺の前にひざまずき、俺の顔を見上げて、こう言うんだ。
「また会えましたね、和希。ぼくはユキです。あなたに会えてうれしいですよ」

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