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第1回 BL小説アワード

スノーホワイト

エロなし/美人攻め/黒髪受け

「でも駄目だ。和希は誰にもあげない」溜息の一つも涙の一滴だって渡したくない。誰にも、誰にだってあげられない。

千月あいか
4
グッジョブ

「ユキちゃんなら、お買い物頼んだからいないわよ」
 台所の方で母のそんな声がする。鼻を掠めるのは醤油の香りで、換気扇が低く呻っていた。
 和希は自分のスニーカーを玄関の右端にぴったり寄せると、二階にある自分の部屋へ向かう。いい加減ちゃん付けは止めてくれと思いながらも、きっと一生無理だろうなとも考える。母が彼をそう呼ぶのは初対面からずっとであり、御本人が受け入れているのだからどうしようもない。
 濃紺の詰め襟の制服を脱ぐと、ラフなシャツ姿になる。
 階下でドアの開閉音がした。
 そして、母の喜ぶ声。
「ユキちゃん、ホントありがとう! マヨネーズ買ってきてくれて助かるわ」
「それが役目ですから。私も手伝います」
 ユキちゃんこと、ユキが高梨家にやって来たのは和希が小学生になる頃だ。祖父の同居話と共に彼は現われた。今は三年前に亡くなった祖父の忘れ形見として、また一人っ子の和希の兄或いは弟のような存在として彼はいる。
「和希、お帰り」
 リビングに向かえば、やや高い位置にある相手がそう微笑む。
 ユキは初めて会った時から何も変わらない。
 当たり前だ。
 ユキはアンドロイドなのだから。



 かつての海外旅行が月面旅行へと変貌するぐらい宇宙が身近になった頃、もう一つ手が届く物ができていた。それがアンドロイド──、俗に言う人型ロボットだ。最初は愛玩用のペットロボットに端を発した存在であるが、瞬く間に二足歩行どころか、単純なルーチンを越えた反応を示し、今やもう殆ど人間に近い物となってしまった。
 何しろ流行歌もコンピューターが適切なものを選び、売れる小説もそう。ドラマも映画の類いも同じ。才能の有無すら断じられ、職業選択の幅を失う代わりに人類はいつも好ましい娯楽を得ることができる。
 お陰、人生の当たり外れも少なくなり、その時々に最適な物を手に入れられるようになった。来年になれば、今度は学校で適正に基づく進路を導き出されるだろう。生まれた時からそういう風になっていたので、和希自身も疑問がわかない。
 むしろ気になることと言えば、近頃は一つだけ。
 南向きの窓からは真っ赤に染まる夕焼けが見えた。赤い、紅い、綺麗な空。ソファに座りながら和希はぼんやりと眺める。台所では相も変わらず、母とユキとが食事の支度をしている。
 ユキは特別製だ。
 通常、家庭用のアンドロイドはいかにもロボット然とした姿形になっている。というのも、人形遊びが過ぎて少子化に更なる加速が付いてしまった為だ。主だった国々は早々に決まり事を設け、人口増加を促している。とはいえ、一度覚えてしまった遊びを悪いからといって、そう易々と人は手放さない。だからだろう。違法とされる性行為に特化したアンドロイドとのイタチごっこは今もなお続き、人に近い姿をしていればいるほど値段も法律も厳しくなっていく。
 かくいう、友人達の反応も概ね同じだ。
「高梨の所のアンドロイドってマジすげーよな」
「まるっきり人間みたいなヤツってさ、高級品だろ」
「何ソレ、高梨ン家ってばそんなに金持ちなの?」
 大抵の人間は聞いてくる。ユキを知れば誰だって必ず一度は尋ね、和希の答えも決まっていた。
「違う。爺ちゃんの趣味。介護用に奮発して買ったんだよ。で、親が税金ヤバいくらい払ってるから全然金持ちじゃない」
 そう、祖父は何を思ったのか莫大な金額を投じてユキ購入したのだ。お陰、死後も税金で持っていかれる額はそれなりらしい。手放せば良かったのだが、なまじ人間そっくりの相手をおいそれと破棄できるはずもない。祖父自身も心配していたらしく遺産は全てユキの維持費につぎ込まれている。
 身の程知らずの高級品アンドロイド、それがユキの正体だ。
 それだけか。
 それだけだろうか?
 否。
 何しろ、和希は知っている。



「お前、何なんだよ」
 掠れたのは口内が乾いているせいか。
 飲み込んだ唾液は潤いにならず、和希の喉は引きつれたような心地だった。
 夕食後、和希はユキを自分の部屋に連れ込んだ。今日こそハッキリさせよう、今日こそユキに問うべきだと考え出してから随分と経つ。考える割に行動が伴わず和希はもう何ヶ月も無駄に過ごしてしまった。
「和希?」
「お前、俺に隠していることあるだろう。 父さんや母さんも知らない……爺ちゃんは知ってたのかよ」
 自分の前でアンドロイドが不思議そうな顔をする。それすらわざとらしく見え和希は苛立った。
 ───ユキ。
 彼の名前がユキとは確かにぴったりの名付けだろう。ユキの容姿は白っぽく肌は勿論のこと色素の薄いアッシュブロンドといい、初めて見た時から綺麗だと思った。まるで血統書付の猫のよう。比べ、自分などはそこらにいる雑種の野良の犬ではないか。しかも可愛げもない。
 特にユキの両眼を彩る青は網膜に焼き付くほど印象的だ。
 小学校の頃、図書館で見た何処かの湖を思い出す。透明度の高い湖底は不思議な色で、確かな青なのに輝くラピスラズリのように染まっていた。
 爺ちゃんに聞いたことがある。
 ユキは何でユキと言うのか、祖父は膝の上に座らせた孫にそっと耳打ちした。
『白雪姫みたいだろう』
 全然違うと思ったあの台詞が、今ならぴったしだと和希は分る。
 雪のように穢れのない白い肌、足下を彩る影は黒炭の如き黒、星も月ない闇夜のよう。そして、血のごとく真っ赤な───。
「何で目が赤くなるんだ?」
 最初は見間違いと考え、次に故障だと思った。
「ユキにそういう機能はないだろう。それに、側にいた奴とか倒れた奴とか、みんな背広姿でサングラスしてただろう。あれって何だよ? ………俺見たんだぞ」
 半年前の事だ。
 人目につかない暗がり。ビルとビルとの隙間、烏か野良猫ぐらいしかうろつかないような場所。人口が減って、シャッターばかりが下ろされた街の中にある綺麗な廃墟。人のいない人がいた場所。
 そこで見たことのない瞳と、見たことのない大人達を見た。
 近道なんてするんじゃなかった。自分は今でもそう思う。
「知り合いだよ」
「ばれる嘘つくな!」
 殴りたいわけじゃない。胸ぐらを掴み和希は唇を噛む。ユキの方が自分より高くて、昔から見上げてばかり。今でも変わらず、僅かな十センチ差が埋らない。
「じゃあきっと下手なナンパだ」
「冗談もやめろ」
 和希は口下手だ。
 いや、器用ではないと言うべきか。長所と据えるならば真面目だと評すのだろう。
 そうでなくとも硬い黒い真っ直ぐの髪に太めの眉が、いかにも面白味のない人間だと物語る。初めてのアルバイトの時も、級友との会話も同じこと。思うようにままならない。和希の脳は考えるのに時間がかかって、たわいもない冗談も紡げない。ならばと気の利いた台詞一つ返すこともできない。
 時々自分がどうしようもない出来損ないに思える。だから勉強で補って差し引ゼロにしようとする。天秤を平らにしたいのだ。本当につまらない人間だった。
「また、和希は難しいことを考える」
 眉間の皺を弾かれる。
「和希は今のままでも大丈夫、私はそれを知ってるから」
「誤魔化すな」
 ぶっきらぼうに告げても威力は半減だ。何しろ和希はユキの「大丈夫」に弱い。会った時から何度も繰り返したおまじないは今やもう呪いのごとく和希を支配する。
「ユキは……昔は失敗ばかりでよく家電壊しまくっていたくせに……」
 来たばかりのユキは絵に描いたようなドジっ子で、ご飯の炊き忘れなんて可愛いもの。どころか電子レンジで卵を爆発させるぐらいは朝飯前、乾燥機で父の一番値のはる背広を駄目にしたこともある。
(俺のシャツ、アイロンで焼け焦がしたりもしたよな)
 作ってくれたパンケーキは砂糖と塩があべこべの見事なテンプレ仕様で、実際目にしたのは初めてだった。当時の和希はお店のメニューばりにデコレーションされたおやつに吃驚し、さらに外見に反ししょっぱ苦い味にも驚いた。なかなか色褪せない記憶だ。
(だけど、嫌じゃなかった………結構俺嬉しかったし)
 ユキは幼い和希のことを気にかけ、よく話しかけてもくれた。
 小学生の頃風邪で早退した時、ユキが迎えに来てくれたのが嬉しかった。爺ちゃんのロボットだから一番ユキを独り占めするのは祖父本人で、自分ではない。けれどもその時のユキは自分だけのユキだった。
 熱を冷ます為に掌を冷たくしてくれて、おでこを撫でてもらえて和希は心地良かった。
 時々ユキと出掛けるのも和希は好きで、幼い自分の歩幅に合わせてくれるのも、店内で迷子にならないよう手を繋いでくれたのも忘れていない。誰も彼もがユキを見てて、我がことのように和希は胸を張った。
 年を重ねた今では出来ない無邪気な行為、いや好意かもしれない。
「もしかして、パンケーキのことまだ根にもってる?」
 ユキは微かに口端を上げ、鮮やかに笑む。
「あれはやり過ぎたけど、そうすると和希が懐いてくれると思ったんだ。警戒されてたから」
「……違う」
 怒りで相手のシャツを掴んでいた手が、今度は寂しくて握りしめる。恥ずかしさが言葉となって零れてしまう。和希は居たたまれなく視線を外す。
「綺麗だったから」
 幼心にも気後れしてしまったのだ。
「和希のそういう正直な所は素敵だと思う」
 それからユキは和希の手を解き、手の甲に口付ける。紛い物の唇は、けれども本物以上の質感を和希の神経にもたらした。
「こうやってキスしたいくらいには、大好きだよ」
「他のヤツにしたら誤解されるぞ」
 すかさず突っ込んで誤魔化そうとしても無駄だ。
「私は和希にしかしない」
「そういうの……困る」
「嫌? 駄目?」
「……俺に聞くな」
 首を縦にしたが最期、このアンドロイドはきっと和希の言葉のままにしてしまう。額面通りの絶対服従だ。そんなこと和希にできるはずもなく、だからといって好きも良いも言えない。こんな時和希は胸に横たわる甘い感情に手も足も出ない。
 嗚呼、どうしてユキは酷いんだろう。
 和希にとって兄或いは弟のようなのに。
 否、───それ以上。
 もっともっと大切で大事だと気付かれている。見透かされていた。
「お前、ちゃんと…ちゃんと……説明しろ」
 「待っててやる」という続きは唇をなぞる指先に封じられる。
「いつか」
 囁く声は和希の閉じた瞼の上を滑っていった。
 和希はその「いつか」を待ちわびて、けれども震えながら考える。
 お伽噺よろしく、目の前の白雪姫もきっと林檎を食べてしまうのだろう。その時は間違っても喉に詰まらせたりせず、余さず全て平らげてしまうに違いない。
 ばりばり、むしゃむしゃ、ゴックン───と。

     ***

 空にはフルムーン。
 カーテンさえなければ随分と明るいだろう。室内には人間が一人眠る。
 和希だ。
 ユキの利き手が辿るのは髪の毛、額、鼻筋、頬、顎を滑り最期に耳朶へ到着する。ユキはこの世でたった一人のために作られたアンドロイドだ。奇跡のような生を受けた孫を守る為、祖父が用意した美しくも禍々しいお人形。
 否、彼が祖父であるものか。実際は血など繋がっていないし、本当のところ和希はこの家の誰とも血縁関係を持たない。その身の内に宿る血の希有さ故だ。
 あのジジイからしてみれば、薬剤投与で母体ごと弄くり回したかいがあっただろう。和希の血は特定の処理を行うと、類い希な毒となる。解毒は不可の万能アイテムで液体は勿論、気化に塗布といかなる形でも死を発揮する猛毒だ。
 だからだろう。この世に和希を欲しがる人間は盛りだくさんでうんざりだ。
「でも駄目だ。和希は誰にもあげない」
 溜息の一つも涙の一滴だって渡したくない。誰にも、誰にだってあげられない。
 ユキが和希を裏切ることはない。ユキをユキたる物にしているプログラムに和希の存在が刻み込まれているからだ。この世で和希だけの味方になるように、遍く全てと敵対したとしてもユキの中心は和希だった。
 この戒律の前ではいかな思想も思惑も色褪せる。たとえそれが恋だとしても、たとえそれが愛だとしても、決められたことなのだ。
 いつかなんて来ない。
 いつかなんて訪れない。
 それでもアンドロイドは夢を見る。
「お伽噺みたいに魔法の鏡があるというなら教えて欲しい。この世で最も美しい物は何だと思う?」
 例えば、今触れる確かな温もりや人工回線を焼き切るような熱源なのか。
 ユキは呻くように和希へ口付けた。

千月あいか
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