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第1回 BL小説アワード

外待雨が上がる夜

エロなし/初心者の投稿/作者は男

「距離を感じるんだ。一緒に住んでるのに、こんなに近くにいるのに、ユキが遠くにいるように感じる……」

b.kamishiro
5
グッジョブ

「明日は雨が降りますから、雨具の用意をしないといけませんね」
「……ああ」

 聞き慣れた声に俺は振り向く事なく答える。
 どれだけヒトらしく喋っても、内蔵されているスピーカーから出される彼の声は、ヒトの声と比べて耳触りが違う。
 それでも、その声に安心を覚えるのは、九年もの付き合い故の親しさなのだろうか。

「テストの日に雨とは陰鬱ですね。車があればワタシが送り迎え出来たのですが……」
「いや、良いって。それより、親父いつ戻るって?」

 向かっていた課題の手を止め、彼のいる台所の方を見る。
 夏に入りじめじめと暑い中、彼は涼しげに――いや、そもそも彼は温度を体感出来ないのだが――夕食で使った食器を洗っていた。
 少し離れたリビングから見ても、よくわかる手際の良さだ。

「来週の火曜日に戻るそうですよ。和希君と会うのは半年振りですからね。とても楽しみにしているみたいですよ」

 洗い物の手を止めて俺を見ると、彼はふわりと笑った。


 ユキ。この家で家事手伝いをしているアンドロイドだ。
 眩いほどの銀の髪と、透き通るような青い瞳。
 幼さを感じる中性的な顔立ちに、常に絶やさない穏やかな笑みは、どこか儚くも見えて、美しくも見えた。
 ヒトと変わらない身振り手振り、話す言葉も――耳触りを除けば――表情豊かで流暢だ。凛とした声も心地良い。
 知らない人が見れば、十代後半か二十代前半のヒトに間違えるかもしれない。
 しかし、明らかに低い体温が、彼がヒトではなくアンドロイドだと示している。

 ユキが俺の家にやってきたのは、俺が小学校に入って間もない頃。
 今では当たり前となった家庭用アンドロイドが、普及し始めたばかりの頃だった。
 好奇心旺盛な少年だった俺は、すぐに“アンドロイド”のユキに興味を持ち、仲良くなった。
 単身赴任の父に、パートで家にいる時間が限られている母。そんな常に働きがちな両親に代わって、ユキは俺の面倒を見てくれたし、俺の知らない色んな知識を教えてくれた。
 家事をそつなくこなし、何でも知ってる“ユキ”に、いつしか俺は、尊敬にも似た憧れを抱くようになった。
 それは、何も出来ない自分への不甲斐なさからだったのかもしれない。
 それから俺は、ユキの家事を手伝うようになった。
 小学生の頃故に出来る事は少なかったが、少しでも出来る事を増やしてユキの役に立ちたかったのである。
 
 俺にとって、ユキはただの“アンドロイド”ではなく、一番の“友達”であり、大切な“家族”となっていた。
 それは、俺が高校生になった今でも変わって……ない。


「あと、“和希君が赤点取らないか心配だ”って」
「俺、今まで一度も取ってないぞ?」
「でも、良い点も取ってないでしょう?」
「それは……」
「ですから、赤点取らないように勉強頑張りましょう。わからない所があったらワタシが教えますから」

 そう言うとユキは洗い物の手を再び動かし始める。
 その音を背景に、俺も課題に手を動かし始める。
 しかし長い沈黙にどこか居た堪れない気分がして、ふと声を掛けた。

「……悪いな。最近任せっきりで」
「どうしたんですか? いきなり」
「だって、ホントの事だし……」
「良いんですよ。高校も忙しいでしょう?」
「でも……」
「気持ちはとても嬉しいですよ? ですが、せっかくの高校生活を疎かにさせるわけにはいきません」

 高校に入ってからというもの、忙しさが中学とは比べ物にならないくらい増えた。
 予習をしないと勉強についていけなくなるし、課題の量も大量だ――それでいて部活もある。
 その為、俺はそれまで出来ていた家事を手伝えなくなっていた。
 別に俺が手伝わなくても、ユキは一人で全ての家事を行う事は出来る。
 それでも、ユキ一人で全てをやらせるのは、どこか申し訳ない気がした。
 しかし、当のユキは何とも思っていないようで、普段と変わりなく家事をこなしていた。
 アンドロイドの性なのか、それが当たり前だと思っているようだった。

「ですから、和希君は思う存分、高校生活を楽しんで良いんですよ」

 ユキはいつもと変わらない笑顔を俺に向ける。
 その笑顔に、俺は何も言えなくなってしまうのだった……



   ×   ×



 課題を終えて自分の部屋に戻ると、ベッドに横になった。
 まだ風呂に入っていないが、もう寝てしまいたい気分だった。
 しばらくごろごろしていると、半開きのドアをノックしてユキが部屋に入ってきた。

「和希君。お風呂沸きましたよ。あと、雨具は玄関に置いておきました」

 ユキの手には猫の柄の入ったピンクのバスタオルを持っている。
 男が持つには抵抗のある可愛さだが、ユキが持つとその顔立ちも相まってよく似合っている――使うのは俺なのだが。
 ユキからバスタオルを受け取り、とりあえず風呂に入るかとベッドから立ち上がろうとした時だった。

「和希君?」

 ユキが俺を呼び止めた。
 上げようとした腰を再びベッドに下ろし、ユキの方を見ると、いつも穏やかに笑んでいるユキの表情に陰りが見えていた。

「何?」
「……悩み事でもあるんですか?」
「……どうして?」
「浮かない顔をしているように見えたので……。それに、ほら。また唇に手を当てていますよ」
「ぁ……」

 ユキは本当に俺の事をよく見ている。
 無意識に俺は右手を唇に当てていた。
 悩んでいたり考え事をしている時にする癖だった。

「無理に話す必要はありません。ですが、もし力になれるなら、聞かせてくれませんか?」

 俺の隣に座り、ユキはあの優しい笑みを浮かべる。
 その笑みに、俺の中の琴線がそっと撫でられるような感覚を覚える。

「ワタシじゃ……力不足ですか?」

 ああ、ユキは俺の求める以上に俺に尽くしてくれて、優しい言葉をくれる。
 嬉しくて、その言葉に甘えていたくなるくらいに俺の心を揺さぶって……
 けれど、その優しさが今は――

「ちょっと寂しいかな……って」

 ぽつりと、胸の内に隠していた想いが漏れる。
 直視出来なくて、ついユキから目を反らしてしまう。

「距離を感じるんだ。一緒に住んでるのに、こんなに近くにいるのに、ユキが遠くにいるように感じる……」

 それは家事を手伝えなくなったからか?
 いや、それはただのきっかけに過ぎないだろう。
 だが、明らかに何かが変わった。何気ない会話ですら距離を感じるのだ。
 俺がそう感じているだけかもしれない。けれど何かが欠けてしまっている。
 高校が忙しくなって、家の事をユキに任せっきりになって、そんな生活に俺は……

「わかってる、わかってるんだ。欠けたのは俺の感情――素直に自分の気持ちを言えなくなったからだ! ユキに何も出来なくなった自分が情けなくて、せめてこれ以上迷惑かけないようにしたかったから……! それなのに、ユキに尽くされるばかりで俺は――」

 溢れ出す想いは途中で止められてしまった。
 ユキが俺の口にそっと手を当て、優しく抱きしめたからだ。

「自己嫌悪は駄目ですよ。和希君の悪い癖です」

 ユキの体からは温かさを感じない。
 けれど、頭を撫でる優しい手の感触に、熱のこもった体の力は抜け、自然と涙が溢れてきた。
 思えば、ユキにこういう事をされるのは小学校以来のような気がする。
 どこか懐かしくもあり、同時に自虐的な気持ちにも駆られた。

「俺……まだ子供だな」
「子供で良いんですよ。高校生なんですから」
「……それじゃあ、駄目なんだ」
「どうしてです?」
「俺……きっと、ユキが好きなんだ。友達としてじゃなくて、家族としてでもない、もっと大切な“好き”なんだ。ユキといる時間が何よりも好きで、ユキのくれる優しさに甘えていたくて、……ずっとこうしていたくて」

 下がっていたままの腕をユキの背中に回す。
 その感触に、俺の中で欠けてしまっていたものが埋まる感覚を覚え、次第に強く抱きしめていた。

「でも、それだけじゃ駄目なんだ。与えられるだけじゃなくて、俺もユキに何かを与えられるようになりたいんだ。ユキとは同等でいたいって思うから……!」

 気づけば俺は、肩で息をするほど呼吸が荒くなっていた。
 身体が震え、鼓動が早くなる。
 言ってしまった……
 自分でもいつ自覚したのかわからないこの想い……
 ユキを困らせたくなくて、ずっと隠してきたというのに……
 今頃になって気恥ずかしさが込み上げてきて、俺はユキの肩に顔を埋めた。
 ユキが俺の想いにどう応えるのかが怖かったのだ。

「……ワタシは和希君から色んなものを貰ってますよ」
「……え?」
「何も与えてないと思っているみたいですが、和希君は昔からワタシに大切な事をたくさん与えていますよ」

 思いもよらない言葉に埋めていた顔を上げ、きょとんとしてしまう。
 そんな俺に微笑んで、頭を撫でながらユキは続けた。

「“家事を手伝う”と言い出した時からでした。始めは不思議で仕方がなかったんです。“ワタシがした方が早いのに、何故そんな効率の悪い事をするんだろう”って。ですが、段々わかってきたんです。効率が悪くても、一緒に何かをする事は楽しくて、助けられる事は嬉しい事だと。そんな感情がワタシの中から生まれてきた事を自覚出来たんです。そして、この感情を与えたいと想う感情が“優しさ”だとわかったんです。データの知識でしかわからなかったこの事を、自分の感情として実感出来たのは和希君のおかげなんです」
「俺の……?」
「ええ。和希君は昔から、ワタシに優しさを与えていました。今だって、そうやってワタシを気遣おうとして……その優しさは嬉しいですよ? ですが、その為に自分の感情を抑えるなんてやめてください。大切な和希君の感情を押し殺す必要はないのです。寂しい時は寂しいって言って良いんですよ?」

 真っ直ぐに俺の目を見つめ、ユキは穏やかに、でもどこか悲しげに話す。
 その言葉に、俺は後ろめたさを感じ、何も答える事が出来なかった。

「……ワタシは“好き”という感情を、まだ正確に理解出来ていません。しかし、こういう事なのでしょうか? ワタシは和希君といる時間に喜びを感じています。和希君に何かしてあげられる事が嬉しくて、和希君が喜びを感じている事に、ワタシも喜びを感じるのです。和希君が学校に行っている時間は寂しいです。和希君が高校生になって、一緒に家事を出来なくなったのも寂しいです。何をしていても、その寂しさが何故かワタシの中に残るのです。ですが、短い時間でも和希君といられる時間がワタシには嬉しくて、それまでの寂しさも消えてなくなるのです。何故そう感じるのかは、わかりません。ただ……ワタシは和希君に幸せになってほしいと思っているんです。和希君がくれる優しさはとても嬉しくて、幸せだと感じるんです。ですが、それ以上に和希君に幸せを感じてほしい――その為にワタシは優しさを与えたい。……そんな想いが、ワタシにこの不思議な感情を抱かせているのだと――」

 一体、何度息を呑んだ事だろう。
 ユキの口から絶対に聞けないと思っていた言葉が、ユキの凛とした声で俺に伝えてくる。
 込み上げる感情に任せて、俺は再びユキを抱きしめていた。

「ありがとう、ユキ……嬉しいよ」
「これが……“好き”という感情なのでしょうか?」
「そうだよ……きっとそうだ」
「ワタシ……ワタシも、和希君が好きです!」

 ユキの声は喜びに満ちていて、ぐしゃぐしゃに泣いている俺を優しく包み込んだ。
 それからどれだけの時間が経ったのかはわからない。
 俺は止められない嬉しさを落ち着かせるまで泣き続け、その頭をユキの優しい手で撫でられるのだった……

b.kamishiro
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