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第1回 BL小説アワード

夕焼けの中で

エロなし/切ない

緩く微笑むユキにつられ、和希も一瞬だが笑顔を見せる。涙が浮かぶのを堪えるように、和希は言った。「もうすぐ、着くよ。…俺がユキに一番見せたかった場所。」

エメラルド
7
グッジョブ

薄暗い研究室。
ベッドの上に横たわるユキに、和希はそっと寄り添う。
「なあ。ユキ…もう修理は終わったんだろう…?いい加減、目を覚ましてくれよ…」
和希の声は徐々に涙を含み、シーツを濡らしていった。

もう数日、ユキは目を覚ましていない。
ある日突然、エラー音が鳴り響き、その場に崩れ落ちたユキ。
その時の事を、和希は昨日の事のように覚えていた。
「何らかの異常をきたして、再起不能となったようだ。お前、何か心当たりは無いか?」
「いいえ。ありません。」
和希は首を振る。それを見て、研究員は一つため息を吐き、言った。
「ユキの身体についてはもう心配ない。じきに目を覚ますだろう。だが……」
「だが……?」
「ユキに内蔵されていたメモリーが故障…つまり、ユキの記憶はもう殆ど残っていない。」
「そ、そんな……」
「こちらも思い付く限り方法を試してみたが…バックアップのデータ自体も消滅していた。お前、本当に心当たりは無いのか?」
研究員の目が細められる。それは明らかに、和希を疑っている目だ。
「メモリーが故障する原因は色々あるが…調べたところ、考えられるのは一つ。…プログラムに組まれていた事以上の事をして、安全装置が作動、初期化というところだろうか。」
何も言えず、ただ呆然と立ち尽くす和希。
その時だった。

「…こ、こは…?」
「ユキ‼︎」

ユキの目がゆっくりと開き、辺りをキョロキョロと見回す。
和希はユキの元へ駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。

「あなたは…誰、ですか…?」
「……っ。」
ユキの反応に、思わず抱きしめた腕を緩める。
(ユキの記憶は…殆ど残っていない…)
「もう、帰っても良い。っと、それから……」
研究員は思い出したように和希を引き止める。
そして、ユキに聞こえないように囁いた。

「この先…ユキに寄り添えるのはお前しかいない。全てはお前次第…だ。」

ーー

「もう、何も覚えていないんだな……」
夜、眠ったユキを横に、和希は呟いた。

和希とユキの関係は、和希が小学生に上がる頃に遡る。
元々そんなに身体が強くなかった和希は、よく家で寝込んでいたため、あまり友人と言える存在は居なかった。
そんな時に現れたのが、家庭用のアンドロイド・ユキ。
ユキは和希の家の家事手伝いとして共に暮らす事になったのだが、気づけば、和希の一番の友人として行動を共にするようになっていた。

「ユキっていう名前も、確か俺がつけたんだっけ…今のユキは、それすらも覚えていない……」

ユキが和希の家で暮らすとなった時、この地域では珍しく雪が降り積もっていた。
雪の降り積もった日に来たから“ユキ”。
家族からは「もう少し男の子らしい名前をつけてあげなさい」と言われたが、その時は「ユキがいい」と泣き、ユキに宥められた。
小さい時の記憶は時が経つとともに薄れ、曖昧になっていたが、これだけは鮮明に覚えているし、この先ずっと忘れる事はない。

「…まだ、可能性はあるよな。」
ふと、帰り際に研究員が言っていた事を思い出す。
「全てはお前次第…か。」
研究員は確か、“メモリーが故障した”と言っていた。
「けど、少しでも可能性があるなら…」
少しでも、ほんの1%でも良い。
ユキの記憶が戻る可能性があるのなら。

「俺がユキにしてやれる事はないだろうか…」

ーー

明くる日から和希はユキを連れ、街を歩き回った。
思い出が残る地を回れば記憶を取り戻せるんじゃないかと淡い期待を寄せながら、雨の日も街に出た。
和希が通っていた小学校に中学校。よく遊んでいた河川敷や公園。
電車で街を抜け、海まで行った日もあった。
「で、ここでは……」
歩きながら、和希はその場所にまつわる思い出を語る。
失った記憶をまた焼き付けるように、和希は何回も何回もユキに語った。


その日は、近くの寂れた商店街へと向かっていた。
「よくここでコロッケを買って食べてたよ。美味しいんだよね。ここのコロッケ。ユキ、このコロッケ大好物だっただろ?」
二人はよく学校帰りに寄っていた揚げ物屋の前で立ち止まる。
黄金のような輝きを放ちながら、次々と揚がっていくコロッケ。
ユキはそれに強い興味を示した。
新しいおもちゃを買って貰った子どものように目を輝かせるユキ。
「ちょっと待ってろ。」
和希はユキに待っているように告げると、揚げ物屋へと入った。
しばらくすると、コロッケを手にした和希がニコニコと笑いながら戻ってくる。
「はい。ユキの分。揚げたてだ。」
「ありがとう。」
ユキにコロッケを渡し、また歩き出す。
アンドロイドであるユキにとって、食事は必要無いものである。
が、より人間に近づかせようとする動きが起こり、人間の器官とほぼ同じ働きをする人工器官を持ったアンドロイドが開発された。
今やアンドロイドは人間とほぼ変わりない身体を持っている。その中には、感情も含まれている。
「ユキはコロッケに強い興味を示した。けど…何かが足りない。」
胸の奥がチリリと痛む。
コロッケを齧りながら、和希の表情は暗く沈んでいった。
様子のおかしい和希を心配したのか、軽く和希の肩を叩くユキ。
「そんなに沈まないで下さい。和希は笑顔が似合います。ほら、笑って。」
緩く微笑むユキにつられ、和希も一瞬だが笑顔を見せる。
涙が浮かぶのを堪えるように、和希は言った。

「もうすぐ、着くよ。…俺がユキに一番見せたかった場所。」

ーー

見晴らしの良い丘。
展望台からは、和希の生まれ育った街を一望できる。
日は傾き、オレンジ色の眩しい光が二人を照らしていた。

「此処は、俺が一番好きな場所。此処の…あ、そこにあるベンチに座って空や街を眺めると、嫌なことも忘れられるんだ。」
和希はユキの手を引き、ベンチに座る。
戸惑いを見せるユキ。
それを横目に、和希は話し始めた。

「ユキは……記憶を失ったんだよな。研究員は原因の一つとして、プログラムに組まれていなかった事をして、初期化したんじゃないかって言ってた。」
「…プログラムに無い事をすれば、安全装置が作動し、初期化する。それは僕もよく知っています。でもそれは仕方の無い事。そうプログラミングされているのですから、こればっかりは仕方ありません。」
ユキの声は、今までに聞いた事がないぐらい重く、低い声だった。
「…ユキ。ユキはもう忘れちゃったのかもしれない。けれど、俺は覚えている。俺は此処で…そう。ちょうどこんな感じの日に、ユキに告白をした。ユキの事が好きだって。」

ユキの事が好きだって気付いたのは、つい最近の事だ。
それは決して、友人としての好きではない。
最初は一番の友人としか思っていなかったが、ユキの優しさに触れる度に和希は違った感情を抱き、悶え、苦しんだ。

「そこから、ユキは徐々におかしくなっていった。記憶が抜け落ちていたり、動きが悪くなったり。そして、とうとう再起不能になり、ユキの記憶は完全に消滅してしまった。俺は、アンドロイドのプログラムについて詳しい訳じゃない。だから、上手く言えないし、正しいかは分からないけど…」
和希はひと息吐き、言った。
「…プログラムに組まれていない事って、“恋をする”って事なのかもしれないな。誰かを好きになる事とその時の感情。それがプログラムにはなかったのかもしれないな。」
「……‼︎」
見透かしたような和希の言葉に、ユキは目を見開いた。
「僕は……っ…‼︎」
突然、自身の胸を押さえ、ゆっくりと和希の方へと倒れこむユキ。
胸にはユキの生命とも言えるメモリーや装置が内蔵されている。
(そこを押さえたという事は…)
「ユキ⁉︎」
和希はユキの身体を支え、何度もユキの名を呼んだ。
しかし、それも叶わず無機質な機械音と共にユキは目を閉じた。
唐突な出来事に、和希はただユキを見ることしか出来なかった。
「俺は、また……」
和希の瞳に涙が滲み、視界が揺らぐ。
「また、俺はユキを……」
涙が一粒、ユキの白い頰に落ちた。
雫は夕焼けの色を反射し、輝きを放つ。

…その時だった。

「……何故、泣いているのですか?和希。」

和希の頰に、冷たいものが触れる。
見ると、ユキが心配そうな表情を浮かべ、和希の頰に手を伸ばしていた。
「驚かせてすみません。どうやら、僕は………」
そう言って、立ち上がるユキ。
そして、まだ何が起きているのか分からない様子の和希の前へとしゃがみ込んだ。
「僕は…記憶を取り戻したようです。それから、新しい感情を。これは心配かけたお詫びと僕の気持ちです。」
和希の唇に冷たいユキの唇が重なる。
数秒間の間にユキの想いが全て流れ込む感覚に、和希は身を委ねる。
「僕も、和希と同じ気持ちです。」
穏やかなユキの笑顔に、和希は冷静を取り戻した。
「記憶が…戻ったんだよな。じゃあ、俺の質問に答えられる筈だ。」
「ええ。何でも答えますよ。」
「…ユキっていう名前は、誰が付けたか覚えているか?」
和希は記憶を失ったユキに、名前について何も言っていなかった。
もし、本当に記憶が戻ったのなら答えられるし、戻っていないのなら答えられない。
「もちろん、覚えています。ユキ、という素晴らしい名前を僕に付けてくれたのは和希ですね。僕が来た時、この地域では珍しく雪が降り積もっていた。だからユキと……」
ユキが言い終わらないうちに、和希はユキを強く抱きしめる。
堰き止められていた感情が一気に流れ出し、ユキの服を容赦なく濡らしていく。
それを宥めるように、ユキは和希の背中に手を回し、優しくさすってやった。
「確か、家族に“もう少し男の子らしい名前をつけてあげなさい”って言われた時も、こんな風に泣いていましたね。なんだか、懐かしいです。」

…確かに、ユキの記憶は元に戻っていたのだ。
ユキは和希が泣き止むまでずっと、和希を抱きしめていた。

「ずっと一緒ですよ。例え何があろうとも。」
夕焼けが二人を照らす中、ユキは耳元でそっと呟いた。

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