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第1回 BL小説アワード

夢から掬う夢

キスのみ/一人称

「じゃあ……和希がやっと素直になってきてくれたから、俺も秘密を教えようか」心臓が跳ねる。息をするのも苦しいおかしな気分になってきて頭の中がうるさく喚くけど、ユキの声ははっきりと聴こえた

びちやまだ
4
グッジョブ

「昔……紙でできた本がたくさん出回ってた時代に、『アンドロイド』っていう言葉があったんだって。ユキは知ってるよね、どうせ。僕は今日、初めて知った」
「――わざわざ学校で、そんな昔話仕入れてきたんだ? 勿論知ってるけど、その呼称はとっくの昔に廃れたものだ」
 この話題にあまり興味はないのか、ユキは乾燥まで終わった食器を棚に戻す。
 家のキッチンは少し古いモデルで、食器類のオート収納機能が備わっていない。だからユキは毎日、アンティーク好きの母さんが選んだ大きな「食器棚」にこうやってそれぞれを丁寧に並べていく。
 いつもの動作。見慣れた立ち姿。
 あの夢を見た日から、そんな光景すらも僕にとっては心がざわめくものになってしまった。
 忘れもしない五日前の早朝、僕は夢の途中で飛び起きていた。
 いわゆる、夢精というやつだった。
 成長するにつれてハグもしてくれなくなったユキが、夢の中では僕の全身を触ってくれた。普通は絶対に触らないような際どい場所も、優しく撫でて気持ち良くしてくれた。
 驚きと、それを上回る幸福感に酔いしれながら目覚め、そこから訪れたのは紛れもない現実。
 あれから毎日、文字通り夢のような出来事を反芻しながら夜な夜な自慰に耽る僕は、昼間は昼間で懲りずに記憶に想いを馳せた。
 人間は、こうやって見た夢を脳内に長く留まらせることができる。
 ユキが、僕らと同じく夢を見、誰かに恋い焦がれたりするなら点…それは奇跡としか言えなかった。


 秋から十六歳になった僕は、適性試験をパスして受けられる講義も増えた。新しくカリキュラムを組み換えられ、今日の授業は近代史がメインになっていた。
 解説モニターに連動する個人用ディスプレイに、資料映像として過去の遺産が紹介された。紙で造られた本なんて、最近では実物を見るなら博物館に行くしか方法がない。
 身分証明から買い物、あらゆる趣味、娯楽。
全てが個人専用に至急された端末で済む現在だというのに、物語ひとつの為に「本」を必要とした時代はそれでも僅か、一世紀ほど昔のことだ。
 映し出された本のタイトルと単語の意味が気になって調べてみると、アンドロイドとユキが一本の線で繋がった。
 艶めかしい言葉の響きがまだ記憶に新しい夢とリンクして頭から離れなくて、僕は本当にどうにかなってしまいそうだった。
恋愛感情というやつは、自分でコントロールできるような生易しさなんて持っていなかった。
 でも、ユキはエスパーではない。AIヒューマンという、人間に限りなく近く、そして人間から完全に区別された存在だ。
 僕が常識外の葛藤を抱える今も、ユキは与えられた仕事を着々と熟していく。
棚の奥にしまわれたカップを手際よく取り出し、これもまた母さんの趣味から始まって家族全員の習慣になった、焙煎した豆から淹れるコーヒーの準備を始めている。
 彼の指は長く、滑らかな動きだ。
黙り込んだ僕に向かって再び語り出しても、その動きが止まるようなことはない。
「そもそも、俺達が人間を凌駕するような現象は先ず起きない。万が一でもそんな不測の事態はあってはいけない……ってね、全ての機能バランスは万全に保たれているし。開発当時に学者や政治家が言ってた『彼等は人間と同等に扱われるべき存在だ』なんて、それはただのパフォーマンス。綺麗ごとでしかない。AIHっていう括り自体、区別を目的にしてるだろう? ――でも、アンドロイドか。そう呼ばれるのは悪い気がしないな」
 穏やかで明瞭な口調、綺麗な手、身体。そして整った顔。
 AIH――身体機能は僕らとほぼ同じで性欲はあるのに生殖機能はなく、人間との恋愛は基本性能の時点で除外されている存在。
その特徴として、多少の個体差はあっても慢性的な不眠。正確には「眠る」ではなく生体機能を極限まで落とす「スリープ状態」なのだという。
 そう。僕の気持ちは報われず、ユキが夢を見ることもない。
 彼の柔らかな皮膚の奥、その核にあるチップを以ってしても、僕はユキが与えてくれる優しさの出処をどこかで期待してしまうのだけど。
「でも最近、一部の政治家が俺達の為に水面下で動いたもしてるらしいけどな」
 湯気が立つカップが僕の座るソファセットの前に置かれると、視界がぼんやりと白く霞む。
 隣に座ったユキの輪郭もゆらりと滲んで、この「男」がここにいる事実も揺らいでしまいそうな不安に襲われた。
 思わず僕は、言わずにはいられない。
「――ねえ……ユキは、どこまでが本当のユキ?」
 溢れそうな感情を瀬戸際で止めて、代わりの問いはあまりにも曖昧なものになる。
「本当の? 俺の構成物質の話か? ああ、それとも自我がどうこう……って言いたそうだな。どうしてそんなことが気になるんだ? 和希はわだかまりなく俺を受け入れてくれる、人間の、まだ十六にしては聡明な子だと思ってたんだど――」
「そんな話はしたくないんだ! もっと――だって、考えたらすごく不思議で……。今までは、ユキをユキとして普通に見てた。家族単位で一家に一人はもうAIHがいるし、もう当たり前すぎて色んなことを真剣に考えたりもしたことがなくてっ……でも、僕、アンドロイドっていう言葉に出会ってからどうしても……」
 言えない辛さと言ってしまいそうな怖さ。
 喋りながら鼻の奥がツンとしてきて、涙が出そうだ。ぐちゃぐちゃの頭が胸騒ぎと連動して、言い表せない興奮まで引き起こす。
「泣きたいって顔してるけど、和希は俺がこんな、偽物の人間だっていうことが受け入れられなくなったのか? でも俺は、そこに対して文句はおろか結局はどうすることもできないんだぞ? どんなことでも和希や、和希の両親が決めてくれないと」
「ちがうっ!」
 そうんなこと、僕にできるわけがない。嫌われたくないのは僕のほうだ。
「違うよユキ、そうじゃないんだっ! 僕は――僕はユキと兄弟みたいに育ってきたけど、今の僕はユキを兄弟みたいに思えない。それよりもっと大事で、家族とは違うけど大事で――ううん、家族にしたくないとか、そういう意味じゃないんだ……ああもうっ、ユキっ!」
 全てをぶちまけられない苛立ちで、僕は強く握った拳でテーブルを叩いた。
 カップが小刻みに揺れて、コーヒーが波立つ。
 こんな真似をしてしまった僕を、ユキはどう思っただろう。しばらく隣に顔を向けることもできず、僕は握った拳をひたすら見つめたままで数十秒を過ごした。
 やがて聞こえた短い笑い声は、いつもよりも乾いた響きで心臓に悪い。
「っは……、今の子供は年齢に見合った精神の成長が遅い傾向だって話だけど――和希も、漸く思春期めいた難しい時期になったか」
「な、え? ちょ、ちが」
 思春期? 今がまさにその真っ只中なのは認めるけど、ユキの口ぶりだとどうも様子が違う。
「これは自然にそうなるもので、恥ずかしいものじゃない。でも、いくらあれこれ思い悩む時期とはいえ、俺達のアイデンティティをどうにかしてやろうなんて思う必要はないんだからな? 「モノ」でしかないこの身体……人工細胞を注入された作り物だ。物質としてここにある、それだけなんだし」
 ユキがこう返す予感はあった。
 哀しくて、身体の力が抜けそうになる。
 今までの僕らは、もっともっと、互いの意志が説明しなくても通じ合うような心地良い会話ができていた。こうなってしまったのは、どうすることもできない捻じ曲がった事実に邪魔をされているから。
 それを、どうやって元に戻せばいいんだろう。
「ねえユキ、少し、僕の話を聞いて?」
 そう言ってみると、ユキはただ静かに頷いた。
「――僕は、ずっとユキと一緒だった。遊びも勉強もユキから教わって、身の回りのことだってあまり家にいない父さん達に代わってほとんどユキにしてもらってた。距離感とか、そういうものをなにも自覚しないままずっと頼って、甘えて……。ユキが、僕をどう思って接していたのか、そんなことすら考えなくて嫌な思いをさせていたのなら……」
 弁解。言い訳。きちんとした理由は説明できない。
 僕の不可思議な態度を前に、ユキがそれをどう感じるのか。それでも、僕は必死だった。
長くて支離滅裂な言い訳をこんなふうに少しずつでも昇華していけば、本当に伝えたいことが段々と形になるかもしれないと思いたかった。
「そんなにしおらしくされたら、俺は本気で困るぞ?」
 困ってるのはこっちなのに、ユキはどれだけ意地悪なことを言うんだろう。回りくどく誤魔化すことにも疲れてしまい、僕の思考はそのまま外に漏れだす。
「――ムリ、ムリだってば、考えたらもうずっと終わりが見えないんだ、この気持ちを自分から終わらせることなんて、僕にはできないんだよっ」
「和希。落ち着け」
 至って冷静に、ユキが宥める。
「――本当に困ったな、こんな事態は初めてのことだし、上手く説明しようにも……でも、うん……」
 冷静なのかと思ったら、ユキも案外そうではないみたいだ。
まるで僕のもやもやがうつったみたいに、珍しく言い澱んだりしている。
 でも、僕に身体ごと向き直ったユキは、とても真剣な眼をしてゆっくりと口を開いた。
「和希は、俺のことをどう思う?」
 いきなりの質問。
 さっきのあんな言い方では、やっぱり通じなかった。家族よりも大事――それでダメなら、これか?
「えっと――その、僕は、ユキはとても綺麗だと思う。すごく綺麗で堂々としてて、家にいるとユキのことばかり目で追うことも、たまに……」
 そろそろ、ここまでどうにか守ってきたつもりの砦が崩れてくる。
だって、僕はどうしてもAIHを宗教的に崇める一部の集団が言う「人工的なるものの美の尊さ」がピンとこなかった。僕の隣にいるユキは、いつだってとても自然だ。
「そうだな――追われてるのは、結構前から知ってた」
 こんなことを言って僕の反応を見る時も、そうだった。
 けど、これは。
「じゃあ……和希がやっと素直になってきてくれたから、俺も秘密を教えようか」
 心臓が跳ねる。
 息をするのも苦しいおかしな気分になってきて頭の中がうるさく喚くけど、ユキの声ははっきりと聴こえた。
「――俺は、実は不良品なんだよ」
「え」
「AIHが抱くはずのない感情が、俺の中にはしっかりと存在してるってこと。それはどんな、誰に対するものか――わかるだろう?」
 この流れで、ユキが僕に言わせたいことがわからないほど鈍感でもない。
「――ユキ、僕のこと、が……?」
 もっとはっきり喋りたかったのに、唇の震えは想像以上だった。
 身体のものすごく奥から激しく込み上げるものがあって、しばらくは震えも止まらなそうだ。
 そう思った。
 でも、すぐに止まった。
「っ――……」
 生まれて初めてのキスを、生まれて初めて好きになった相手にされた。
 肩に置かれた手が、優しく僕を引き寄せる。ユキの唇は温かくて柔らかで、この感触が全身に這うことを一瞬でも想像したら、もう負けだった。
「ユキっ! ユキ、ユキっ……! 大好きなんだ、本当に好きで、僕、ユキのことがっ!」
 そう叫んでしがみ付くと、ユキが僕の背中に両腕を回してきた。
「この感情が、漸くきちんと陽の目を見たか……。まさかと思って賭けてみて良かった――俺は、和希が愛おしい。和希の心も身体も俺で充たして、ずっと俺だけを好きでいて欲しい」
「うん……うん、ユキ」
 熱い気持ちは二人だけのもの。
 そう実感すると涙は自然と零れ、すると、ユキが濡れた目元に優しいキスを寄越す。
「俺がこんな身なのは変えようのない事実だけどそれは二人にとっては些細なことで、和希のことを愛して……幸せにしたい気持ちは人間と変わらないんだ」
 語り掛けてはキスをくれるユキの胸に、頷きながら顔を埋める。
 僕の心臓の音と同じ、生きる証はしっかりと伝わる。
「眠りも夢も、俺は望まない。和希を手に入れたっていう現実こそが、夢よりも夢みたいな話だろう?」
 やっぱりユキは夢を見ないけど、僕はそれを哀しいことだとは思わない。
 今ある全部を実感したくて、今度は僕からキスをした。
 たどたどしく唇を合わせ、上手くなんてできないけど、ユキが言ったように充たされたいと伝わるだろうか。
「んっ! ふ……ぁ」
 平然と差し入れられる舌に驚いたら、ユキは笑った。
「嫌か?」
「い、やじゃない」
「もっとしたいけど、いいか?」
「ん」
 耳元で囁かれて、背中がぞくぞくした。短い返事はユキに届いたみたいで、僕の身体はそのまま横抱きにされて浮き上がる。
「抱くよ、和希……。全部、最後まで」
 ストレートな表現に、僕の心臓は悲鳴を上げそうだ。
「和希、返事は?」
「うん……ユキに、して欲しい。いっぱい、全部……」
 これから待ち受ける夢以上の現実に、僕は既に浮かされてしまったみたいだ。
 ユキがまた、小さく笑う。
その笑い声がさっきよりもずっと色っぽく聴こえるのは、多分気のせいなんかじゃない。


                                       〈完〉

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