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第1回 BL小説アワード

その痛みさえ

エロあり/切なめ

「これ使ってよ」隠し持ってきたローションをユキに差し出す。呆れた顔をされるが、もうどうでもいい。ユキの手をローションが滑り落ちる様子はひどく官能的だった。

仁木たまこ
17
グッジョブ

「和希、ご飯です」
 ふと気づくと自室の戸口に男が立っていた。何千回、何万回と見た光景なのに、胸がよじれるように痛むのを高梨和希は感じる。
「今行く」
 何千回、何万回と見た光景だけれど、この男を見ていられる時間はもう長くない。
「どうしたんですか?」
 行く、と言ったきり立ち上がらない和希を男が不思議そうに見ている。胸が痛くて立ち上がれないのだと告げたら、どんな顔をするだろう。きっとあわてて救急車を呼びでもするかもしれない。想像したら、少し笑えた。
「何でもないよ」
 あと三日で、自分はこの男と決別することができるだろうか。和希は押し込めた思いを逃すように、そっと息を吐き出した。


 二人きりの食卓では、ちょっとした物音がやたらに大きく響く。食べているのは和希だけ。
「ユキも食べたらいいのに」
「用意してません」
「次からは用意しろよ。最後にうまいものでも食えば」
「はい」
 ユキ、と呼ばれた男は、まじめくさった顔でうなずいた。
 ユキは普段は食事をとらない。とる必要がないのだ。彼の身体は機械製なのだから。
 ユキがやってきたのは、和希が小学校に上がるころ、現代技術の結晶であるアンドロイドが家庭向けに発売されてすぐのことだった。ともに省庁に勤める両親は多忙で、昔から家を空けることが多い。その間の家事と和希の世話のために発売当初は高価だったアンドロイドを購入したらしい。そのおかげで、和希は特に不自由を感じることもなく高校生にまでなれたのだから感謝せねばならない。
 だけど、ユキのことを「大好きなお兄ちゃん」として屈託なく慕っていられたのは中学生になるまでだった。和希にとってユキの存在は大きすぎた。それはおかしなことだとわかっているのに止められなかった。
「お風呂湧いてますよ」
 ああ、と生返事をして、食べ終わった食器を流しへ片づける。だが、和希は風呂へは向かわずリビングのソファーに寝転がった。
「和希」
 とがめるような声で名前を呼ばれる。無視して目を閉じていると、ため息が聞こえた。
「そんなところで寝たら風邪をひきますよ」
 ふわり、とタオルケットが掛けられる。いつものことだ。食事の後、すぐに風呂に入ってしまうのはつまらない。小さいころから、こうして駄々をこねるふりでユキに構ってもらっていた。
「……こんなことくらいで風邪なんか引かないよ」
「昔はしょっちゅう引いてたくせに」
「昔の話だろ」
 ユキの言う通り、和希は幼いころ身体があまり丈夫ではなかったので、季節の変わり目などことあるごとに風邪を引いていた。しかし、ユキと一緒なら風邪を引くことさえうれしかった。学校を休めば一日中一緒にいられる。ユキは枕元に付きっきりで看病してくれた。リンゴのすりおろしたのを食べさせてもらったり、汗を濡れタオルで拭いてもらったり。中でもうれしかったのは、熱っぽい額をユキの少し冷たい手で撫でてもらうことだった。そうすると、安心してすぐに眠たくなる。けれど、眠ってしまうのはもったいなくて、ぼんやりとした意識の中でユキの服の裾をつかんで必死で手繰り寄せた。
 寝転がったまま、よくできた身体を眺める。滑らかな白い肌に、切れ長の目元、すっと通った鼻筋。薄いくちびるは見ているだけでたまらない気持ちになる。170センチになったところでぴたりと成長が止まった和希とは違って、ユキは180センチ近くの長身だ。整いすぎているせいで、名前の通りの冷たい印象を受けないこともない。
「とにかく、休むならベッドに行ってください」
 ユキの手が伸びてきて、額に触れる。自分より少し低いユキの体温を甘受しながら、そんなことをしないでほしいとくちびるを噛む。
 あと三日でいなくなるくせに。
 そう思った瞬間、心の底がつめたくなって、ユキの手を振り払っていた。
「うるさいなあ」
 自分の声が震えているような気がして、和希はさらに強くくちびるをかみしめた。
 

 ユキを買い替えるという話が出たのは、三か月ほど前のことだった。
「このたび弊社では、この型のアンドロイドは完全に製造中止されることになりまして……」
 定期メンテナンスに来たユキの製造元の社員が申し訳なさそうに切り出した。その日はたまたま母も家にいて、ユキも含めて三人で話を聞いた。
「これまでアップデートを何回か行われたと思うのですが、もうこの型だとOSの更新にマシンのスペックが追い付かないんですね。それで製造中止ということになってですね、もしこれで部品の交換等が必要な故障が出てきてしまうと、修理が出来なくなってしまうんです。ですので、よろしければ買い替えのご検討を」
「いえ、うちは当分はこのままで結構です」
 母が社員の話を遮る。おそらく和希の気持ちを慮ってのことだろう。社員は、その言葉に表情を緩めた。
「そうですよね。……皆さん、そうおっしゃるんです。長年一緒に暮らした家族だから、と」
 あからさまにほっとしたような様子の社員がおかしかった。彼としても、この話を切り出すのは心苦しかったのだろう。
「では、メンテナンスはこれまでどおりにさせていただきますので」
「いいんじゃない? 買い替えても」
 腰を上げかけた社員の動きが止まる。母が驚いた顔でこちらを見ていた。
「今ってもっと性能がいいやついっぱいあるんですよね? それに、こいつが故障したとき修理できないのはちょっと困るし」
 心臓は身体の奥で暴れているのに、言葉はすらすらと出てきた。ちょうどいい機会だった。ユキを手放せば、この気持ちも捨てられる気がした。
「今は状態もいいですし、すぐに買い替えなければいけないというわけでは……」
 買い替えは会社としてはありがたい話だろうに、人のよさそうな男はおろおろとし始める。
「いいんです」
 無理やりにでも離れるしか、自分を救う方法が思いつかなかった。

 
 それから両親や製造会社と打ち合わせて、ユキを処分してもらうことにした。ユキが他の誰かのものになるのは耐えられなかったから下取りに出すのは断った。新しいアンドロイドの購入は、まだどれにするか迷っているという理由で保留にしている。だったら、まだユキを手元に置いておけばいいと言われたが、ここで手放さなかったら決心が鈍りそうだった。
 この最後の三日間は、両親がともに出張で出かけていて、奇しくもユキと二人きりで過ごすことになった。激情を飲み込んで、表面上は穏やかに時間は流れた。
 押し込めていた気持ちを解放できたのは、最後の夜のことだった。
 深夜を過ぎてから、ユキの部屋を訪ねた。ベッドにもぐりこむと、「なんですか」とユキが即座に目を覚ました。
「最後だから」
 今夜何が起きても、朝になったらお別れだ。だから、もうどうなってもいいとようやく思えた。
「昔を思い出します」
 眠れない夜にこうしてユキの布団に忍び込んでいた日々のことを考える。どうしてあのままでいられなかったのだろう。どうして、好き、だなんて、恋人のように愛したい、愛されたいなどと途方もないことを望むようになってしまったのだろう。
「ユキ、お願いがある」
「何でしょう」
「……俺を抱いて」
 意を決して言った言葉は、早口で震えていた。ユキの目がこれ以上ないくらいに丸くなる。
「何を言って……」
「もう高校生なんだからそういうことに興味あるんだよ。俺、女はだめみたいだし、男同士だったら抱かれる方がいいかなって。一回試してみたくて。ユキはさ、ちょうどいいじゃん。どうせ明日いなくなるんだろ、お前」
「そんなこと言われても」
「うるさいよ。アンドロイドは人間には逆らえないんだろ」
 わざと軽薄に笑って、ユキのシャツに手をかけた。首筋に顔をうずめて、くちびるを滑らせる。待ち望んでいた感触だった。
「頼むよ、ユキ。最後に協力してくれよ」
 ため息の後で、ユキの腕が背中に回る。「いいんですね?」と念を押されたから頷いた。寝巻も下着も一気に脱がされて、ユキの冷たい指先に胸をまさぐられる。アンドロイドの人工知能にはあらかじめさまざまな知識がインプットされている。ユキはセックス用に特化してはいないが、「人間」として過ごすのに不都合がないだけの知識は持っているはずだった。
 胸の先を引っ掛かれると、じわりと甘い痺れがそこから広がってゆく。
「これ使ってよ」
 隠し持ってきたローションをユキに差し出す。呆れた顔をされるが、もうどうでもいい。
 ユキの手をローションが滑り落ちる様子はひどく官能的だった。まずは陰茎を撫でさすられる。触られる前から十分に高ぶっていたそこは、少ししごかれただけで雫をこぼし始める。ローションと混ざって糸を引く様子はみっともなくて、いやらしくて、直視できなかった。
 ぬるぬるとした指先が、今度は後ろの方にのびてくる。実は自分でも触ったことがあるが、やり方がわからなくて、少しも気持ちよくなれなかった。だけど今はユキに触れられていると思うだけで、もうだめだった。
「痛かったら言ってください」
 指が和希の中に押し入ってくる。人間を決して傷つけないように作られているアンドロイドだけあって、さすがに優しい手つきだった。まるで愛されているみたいで、胸がいっぱいになった。
 思い返せば、本当に愛されているみたいな毎日だった。世話を焼いてくれて、さみしいときにそばにいてくれて、だからユキなしでは生きていけなくなってしまった。
 じれったくなるくらいやわやわと中をほぐされて、下半身がとろけたように感覚がなくなってくる。
「早くして」
「まだ早いですよ。痛くてもいいんですか?」
 渋るユキを急かして、下着を引き下ろした。まだ反応していない性器を両手で包んで刺激する。どんどん硬くなるそれに、渇望感がひどくなった。
 股を大きく開いて濡れた粘膜をさらすと、ユキは困った顔のまま、性器の先端をそこにあてがった。ゆっくりと穴が広げられる感覚に、和希はうめいた。痛みはあるが、それよりも足りなかったものがようやく満たされたという感覚で胸がいっぱいになった。根元まで埋まった瞬間、その思いが瞳から零れ落ちた。
「和希? 痛いんですか?」
 和希の涙を見たユキが焦って腰を引こうとするが、しがみついてそれを許さなかった。離したくない、離さなければいけない。もう心臓が破れてしまいそうだった。
「痛いよ……どうしてくれるんだよ、痛いよ、治してよ」
 つながったまま、子供のように泣きじゃくる。
「どこが痛いんですか。だからやめた方がいいって言ったのに。今からでも病院に行きましょう」
 切迫した表情でそんなことを言うユキに、今度は笑い出したくなった。悲しくなるくらいに、ユキはわかっていない。痛いのは身体じゃない。
「ユキは、痛くない?」
「私はどこも……」
 当たり前だ。ユキは機械なのだから、誰かを想って胸を痛めるなんてことがあるわけない。なのに期待するのが止められない。同じ気持ちを返してもらうことを望んでしまうのが苦しくて、だからユキを手放すことを決めた。
 最後の思い出にしようと思ったのに、台無しだ。心が震えてしまって、この先が出来そうにない。もういいよ、と言おうとした瞬間、痛いくらいに抱きすくめられた。
「……ユキ?」
「最後まで心配させないで。もう危ないことはしないと約束してください。もう私はいないんだから。風邪を引いても、けがをしても、……あなたが泣いていても、そばにはいられないので」
 それはアンドロイドとして使命が言わせたセリフかもしれなかった。だけど、強い波に心がさらわれて、和希はこのどうしようもない運命を受け入れなければならないことを悟った。痛みさえ手放せない。
 好きになったのは、人間でもなく、アンドロイドでもなく、ユキなのだ。それは和希にとって唯一の男で、取り替えはきかない。
「……やっぱりお前がいないとだめかもしれない」
 ユキがきょとんとした顔で、こちらを見つめている。
「お前が面倒見てくれないと、だめになる。だからそばにいてよ」
 命令のつもりだったのに懇願になった。ユキはしばし考え込んだ後、大真面目にうなずいた。
「和希が望むなら、ずっとそばにいます」
 この先ずっと一緒にいるとしてそれがどんな形になるのかはわからない。不安要素を数え上げたらきりがない。それでも、もう離れたくない。和希は祈るような気持ちで、目の前のくちびるにくちびるを押し当てた。

仁木たまこ
17
グッジョブ
1
りんこ☆RINKO 15/10/23 21:28

最後の最後までハラハラしながらも、楽しく読める作品でした!

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