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第1回 BL小説アワード

恐ろしい温度

エロなし/悲恋

オレは頭をぶんぶん振ってうずくまる。身体を小さく丸めて熱を耐えた。ユキはそんなオレに困ったように溜息をつく。「俺の皮膚が変わったの、そんなに嫌だった?」

さかいもとこ
9
グッジョブ

「なあ、和希。そろそろユキの皮膚を変えないか?」

 父親の書斎は古びた臭いがする。本の日焼けを防ぐために日光の入りが計算された窓は小さく、20畳弱はあるだろうこの部屋の換気は完全に機械で行われていた。そのせいか、なんとなく部屋の空気がすっきりしない。やはり換気は自然の風でするのが一番だ。
 父親はそれを感じないのだろうか。呆れたようにオレを見るその顔をじっと見つめ返す。

「話を聞いているのか?」
「聞いてるけど……その話はもういいって。オレはユキの身体を弄る気はない」

 仕事人間でろくに家によりつかない父親が、珍しく家にいると思ったらこれだ。ここ一年ほどのお決まりのリクエストがまた始まった、とオレは内心でたっぷりとため息をこぼす。

「お前はどうしてあれに拘るんだ。ユキの皮膚は十年前のままなんだ、多少なりとも劣化してきているだろう?」
「新しい人工皮膚は温度が人間に近いだろ。それが嫌だ」
「それのどこが悪いっていうんだ? ロボットが人間に近づいて何が悪い?」
「その質問も聞き飽きたよ。嫌なものは嫌なんだ、ユキの身体はあれでいい」

 ユキとは今から十年前にうちに来たロボットで、家事を仕事とする人型のアンドロイドだ。
 家庭用ロボットはここ数十年で急速に普及した。以前から家事手伝いをするロボットは存在したものの、人型をとるようになったのはごく最近だ。
 不気味の谷、という現象がある。あまりにも人間の見かけに近いロボットは、人間の恐怖心や嫌悪感を刺激するというものだ。
 それは、自動車がまだ地面しか走れなかった時代から存在していたらしい。車が空を飛ぶようになった現代でも、不気味の谷は根強く残っていた。
 だが、近年の著しい技術の進歩で人間はやっとそれから抜け出した。今では人間と人間の姿をしたロボットが当たり前のように共に暮らす世界がきている。
 ユキはロボット工学でそれなりの権威である父親が、一般販売に先立って連れてきた。それが今から十年前、オレがちょうど小学校に上がった時のことだ。

「せっかくの新しい技術を使わないなんて勿体ないだろう。お前はどうしてそう頑固なんだ?」
「オレが頑固なら父さんはしつこいよな、そのままでいいったらそのままでいいんだ。ーーじゃ、もう行くから」
「待ちなさい、和希! 話はまだ」

 父親の言葉を最後まで聞くことなく、オレは書斎のドアを閉めた。
 家の作りが頑丈で防音にも長けているので、分厚いドアの向こうの声はそれ以上聞こえてこない。
 自室への道すがら、ためていた吐息が漏れる。
 ユキはもともとオレのために連れてこられたロボットだ。母親を亡くし、父親が仕事ばかりで留守がちなこの家で、オレは家事を淡々とこなすロボットと二人きりだった。
 ユキがうちに来る前にいたロボットは、ロケットに手足がついたような無機質なものだった。会話はできるが、触れあいはない。シルバーの硬質な冷たさでは、小学生になってすらいなかったオレは満たされなかった。

「おかえり、和希」

 部屋につくと、ちょうどユキが窓を閉めていたところだった。窓辺に置かれたキキョウの一輪挿しが余韻のように揺れる。あのキキョウはおそらくユキが育てたものだろう、庭に咲いているのを見た。

「……ただいま」
「なんだか元気がないね。学校で何かあった?」
「…………」

 夕焼けの色にユキの身体が染まる。柔らかな茶色い髪と、同じ色をしたアーモンドアイ。モスグリーンのエプロンは、オレが今年の誕生日にプレゼントしたものだ。
 ユキがうちにきた春の日には毎年、誕生日と称してエプロンを渡している。中学から始めたことだから、これで5枚目だ。
 いつの間にか同じくらいになったユキの目線。オレはユキに手で合図して、その場で止まるように指示した。
 不思議そうに首を傾げるユキ。それを可愛らしく感じてしまい、少しだけ目を眇める。
 兄であり、友人でもあるロボットのユキ。そんな彼に、こんな感情を持つオレはおかしいのだろう。

「なあユキ」
「ん? なに?」

 そう返事をしたユキの声は疑問の色を帯びている。その身体は機械なのに、どうしてこうも人間と変わりないのだろうか。
 手を伸ばして耳に触れた。くすぐったそうにするユキには、感度がある。反応もある。
 けれど、その皮膚は人間とは違って冷たい。
 ここ十年で、人工皮膚は温度を生成できるようになった。人間の身体は機械ではないからオーバーヒートすることはないが、ロボットは違う。
 旧来の人工皮膚で温もりを作り出そうとすると、皮膚ではなく皮膚の下の機械を発熱させなければならず、オーバーヒートは免れなかった。
 だが、先ほど父親が言っていた新しい人工皮膚は、皮膚そのものを発熱させることが可能になった。その技術を作り出したのが父親の研究グループだという。
 父親はおそらく、今でも家に一人になりがちなオレを心配して、ユキをより人間に近づけたいのだろう。
 ロボットは死なない。壊れることはあるが、それは死には直結しない。メンテナンスや部品の交換をすれば、再び動き出すからだ。
 父親は父親なりに、母親の死を悼んで、無くなることを恐れている。そして、オレを一人にした引け目も感じている。だから何度も何度も、温もりのあるユキの皮膚の交換を提案するのだと思う。

「……和希?」

 ユキの瞳を見つめたまま動けずにいたが、その声で我に返った。オレはあわてて手を引っ込める。

「ほこり、ついてた」
「あらら。自分では気づかなかったよ、ありがと」

 にっこりと何も知らないように笑ったユキを見て、とたんに息ができなくなった。胸の中に、自分じゃどうしようもない重たいものが転がっている。
 オレのこの恋は叶わない。ユキはあくまでも家事を担うロボットだ、恋なんてできるはずがない。

「そろそろ夕飯の支度しないとね。今日は和希の好きなサンマだよー、いいのが穫れたって魚屋さんがおすすめしてた」
「そっか、楽しみにしてる」
「元気がない理由はあとできーっちりきくからね。ちゃんと言い訳考えとくんだよ?」
「言い訳前提かよ! あーもー、早く家事してこいロボットめ」
「言われなくてもいってきますよ! それじゃあ後でね」

 オレは笑顔で、部屋を出るユキを見送った。一礼に手をひらりと振って、ドアが閉まるのを見届ける。
 オレの指先は冷えていた。
 まだ大丈夫、あれは人間じゃない。人間じゃないなら恋なんてしない。ーー言い聞かせるように呟く。
 オレのこの感情はきっと一過性のものだ。
 ロボットのユキが恋を知ることは永遠にないが、人間のオレがこの気持ちに折り合いをつけることはできる。
 滑らかな、けれど冷たい皮膚を思い出して手をぎゅっと握った。

「ユキの皮膚はあのままでいいんだよ……親父」

 むしろあのままじゃなければ駄目なんだ。
 ロボットに恋をする人間なんて、きいたことがないんだから。


 ***



 その日は雪が積もっていた。いつもは駅まで自転車で行くところだが、さすがに危ないので徒歩にする。

「駅まで送ろうか?」
「一人でいけるっての。ユキこそ寒いんだから気を付けろよ。間違っても関節凍らせんなよ?」
「この気温じゃそこまでいきませーん! ほら、今日も元気に行ってきな」
「はいよ」

 家の入り口でユキと別れ、オレは学校に向かった。
 ……父親から緊急の連絡が入ったと教師に言われたのは、その日の昼休みのことだった。



「父さん!」

 呼び出されたのは父親が働く研究所だった。受付で名前を出せば、父親が知らせていたようですんなりと奥に通された。

「ああ、和希。来たか」
「ユキがどうかしたって」
「問題ない。雪道で転倒して足を痛めたようだ。俺のところにユキから緊急連絡がきて、重傷かと思ってお前に連絡してしまったんだよ」
「……ユキは」
「こっちこっち!」

 明るい声のほうを向くと、ユキは奥のベッドで寝ているところだった。オレの姿を見つけると、なんでもなさそうな顔で手をふってくる。

「久々に自分の回路見たよー。驚いたのなんのって」
「……お前な、なんで転ぶんだよ! 今まではそんなことなかっただろ!?」

 オレは思わずユキに駆け寄ったが、父親の声に足を止める。

「そのことだが、和希。今回の原因はわかっているんだ」

 父親が神妙な顔をするものだから、オレは嫌な予感に顔を歪めた。

「思ったよりもユキの皮膚の劣化は進んでいたようで、転んだ衝撃で中の回路が飛び出したんだ」
「は?」
「そのため、これを機に皮膚は新しいものに取り替えた。古い人工皮膚はもう製造が終わっていることだし」

 絶句してなにも言えないオレの手に、ふと温もりが触れる。
 瞬間的に見下ろせば、そこにあったのはユキの手。
 まるで血が通ったかのような、ユキの手だ。

「俺の手、あったかくなったでしょ?」

 にこにことユキは嬉しそうに笑っている。だが、オレは同じようには喜べなかった。
 温もりがーーオレの気持ちを加速させてしまう。

「……悪い、オレ帰る」
「和希!」

 父親の制止の声も聞かず、オレは走り出した。
 電車を乗り継ぎ、雪道を何度も転びながら全力で走る。
 鞄をどこかに置いてきてしまったと気づいたのは、自分の部屋に着いてからだ。オレは雪のせいでびしょぬれの全身をぶるぶる震わせる。
 ユキの温もりを思い出して下半身に熱がこもった。身体は確かに寒いのに、そこだけおかしくなったように熱い。
 あの身体に触れたら、人間のような温もりに触れたら、オレはきっと。……そう思うことが怖くてたまらない。

「……和希、いる?」

 ノックとともに聞こえてきた声。ユキが帰ってきたようだ。
 返事もせず、息を潜めてユキが去るのを待つ。けれどそんなオレの願いとは裏腹に、「入るよ」の声と共にドアは開かれた。

「風邪ひいちゃうよ。お風呂沸かしたから入りな」
「…………」
「俺の次は和希がおかしくなっちゃうよ? ほーら、早くして。震えてるじゃん」

 オレは頭をぶんぶん振ってうずくまる。身体を小さく丸めて熱を耐えた。
 ユキはそんなオレに困ったように溜息をつく。

「俺の皮膚が変わったの、そんなに嫌だった?」
「…………」
「かずきぃ。ね、話しよ?」

 カーペットの上を歩く音は気軽さを持っている。狭い部屋で、ユキはあっという間にオレの側にきた。

「なんで飛びだしたの。お父さん困ってたよ?」
「……」
「鞄だって置いてけぼりだし。俺が持ってきたけどさ」
「……」
「……和希、俺のこと嫌いになっちゃった?」
「……それは、ない」
「そこは返事くれるんだね!? 嬉しいけどさあ」

 壁に背中をつけるオレの横に、ユキが同じように座った。身体の右側に感じる温もりが、嫌なはずなのに涙が出るくらい嬉しい。
 冷えていた身体を伝う温もり。すべてを与えてくれるのではないかと勘違いしそうになる、恐ろしい温度。

「……ユキって名前なのに温かくなってんじゃねーよ」
「そんなんですねてたの? 泣くほど?」
「…………」

 否定も肯定もしない。でも、それが理由だと勘違いしてくれたらいい。

「……ね、和希。いくら俺に体温ができたからとはいえ、お風呂には勝てないからさ。ほんとに風邪引いちゃうからそろそろ行こ!」

 オレの身体を案じてくれるユキの声に鼻がつんとした。この行動はプログラムされたものだ。家庭用アンドロイドには、家族の健康を保つ機能も備えられている。
 ユキの温かさが痛い。加えて下半身も痛い。馬鹿みたいだ、オレ。ほんとうに馬鹿みたいだ。
 それでもどうにか、言葉を紡ぎ出す。

「…………後で行くから3分待って」
「さんぷん? なんで?」
「いいから……頼むよ」

 オレの声が涙ぐんでいたことに気づいたのか、ユキは息をのんだ。

「……わかった、ちゃんと入るんだよ」

 温もりがふっと消えて、ユキは部屋を出ていった。自分で離れるように言ったのに、胸が苦しくてたまらなかった。ユキの熱を思い出して呼吸が乱れる。

「3分で収まるわけねーのに」

 頬が濡れる。自分の気持ちも、下半身の熱さも、すべてが恐ろしい。
 オレの恋は叶わない。
 何故なら、ロボットには恋愛感情がないからだ。

さかいもとこ
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