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第2回 BL小説アワード

誰だって恋をする

ハッピーエンド/エロなし

 彼は魔法使いだ。といってもこの世界の住人はなく、現代と隣り合わせになった違う世界からやってきた。鏡の向こう側のような近いのに混ざり合えない存在。 唯一、魔法使いだけがその鏡を行き来することができるのだ。「この世界の誰かを幸せにする」という研修として。

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グッジョブ


 日に日に寒さが和らぎ、春の気配が濃くなりつつある夕暮れ。
「光希、まだやんの?」
「もう少し走ってく」
 声をかけてきたジャージ姿に満面の笑みを向け、佐沢光希はまた走り出した。
 フォームを確認しながらダッシュを繰り返しているうちに、他の陸上部員もどんどん帰っていく。日が長くなってきたとはいえグラウンドも茜色の夕陽に染まっている。
 光希は周囲をきょろきょろと見回して誰もいないことを確認した。
「バル! どこ?」
「ここですけど」
 音もなく白ずくめの男が突如姿を現した。驚く素振りも見せず、彼に二カッと笑顔を向ける。
「もうちょっと走り込みたいから体力回復させて」
「またですか? 明日の朝にした方が」
「いいの! ほら、早く」
 元気な声にバルは溜息を落として、細い腕を伸ばす。ふわりとした柔らな粒子が光希に降り注いだ。
 サンキュ、と光希がキラキラとした笑顔を浮かべ、また走り出した。
「ほどほどにしてくださいね」
 呆れた表情で、でも長い睫毛に縁取られた瞳は優しく、バルが言った。

 彼は魔法使いだ。といってもこの世界の住人はなく、現代と隣り合わせになった違う世界からやってきた。鏡の向こう側のような近いのに混ざり合えない存在。
 唯一、魔法使いだけがその鏡を行き来することができるのだ。「この世界の誰かを幸せにする」という研修として。
 魔法使いの寿命は人間とは比べものにならないほど長い。たった十数年という短い期間を対象者に寄り添い幸せにする、というのが彼らの研修だ。
 対象者は決められたエリア内から自由に選ぶことができる。十歳だった少年の瞳の綺麗さに惹かれ、バルは光希を選んだ。
 それから月日は流れ、まもなく高校二年生になる光希は、当時の純粋無垢さを失うことなく成長している。
 少年がこのまま真っ直ぐに成長してくれますように。バルは穏やかな気持ちでグラウンドを駆ける横顔を見守った。

 翌朝。朝練を終えた光希が教室に戻る途中、見慣れた背中に気付いた。短距離選手らしい瞬発力でその後ろ姿めがけてダッシュする。
「泉! おはよ!」
 勢いよく背中にぶつかられてもよろけることなく学生服が振り返った。
「はよ」
「今日は朝練ねーの?」
「弓道場に修理入ったから休み」
 残念、と光希がつまらなさそうにその背中から離れた。
 泉野はクラスメートで、光希の憧れだ。平均身長に満たない自分よりもはるかに高い背に、がっしりとした体つき。そして弓道の袴姿がカッコ良くて、何よりもお気に入りだった。
 ただそこに恋愛感情はなく単なる憧れ、と光希は思い込んでいた。

 ストレートに感情を表す光希に泉野は苦笑し、形のいい唇を歪めた。
「明日はあるから。それよりも光希、今日の数学当たるだろ。ちゃんとやった?」
「あっ! 忘れてた! 泉教えて」
 小動物を連想させる大きな目を動かして光希が泉野の腕にしがみつく。
 日本男児や武士、といった言葉がぴったりくる風貌の泉野は基本的に無表情で無愛想だ。そのせいで女子だけでなく上級生からも怖がられている。
 ただ一年間の付き合いで光希をはじめとするクラスメートは、生真面目で頼りがいのある男だということを知っていた。

 そんな光希をバルは時には姿を消して間近で、時には遠方から優しく見守っている。
 勉強は苦手だが賢く素直な光希は、魔法使いという異質な存在をそのまま受け入れ、決して口外しようとはしなかった。
 魔法使いになるべくひたすら勉学に勤しんでいたバルの肌は、陽に当たっていないせいなのか透き通るように白い。それに合わせるように上下の服も、その上に羽織る長いローブも真っ白だ。授業中の誰もいない屋上にひとり寝転がり、目を閉じた。緩やかな風がシルバーの細い髪を揺らす。研修中とはいえ穏やかな日常に満ち足りた気分を味わう。
 彼はまだこれから訪れる波乱を知らない。


 短い春休みを終え、光希は二年生に進学した。今年も泉野と同じクラスなり毎日うきうきと通っている。
 今日も朝練を終え、バルと共に教室に入った。いつもなら憧れの泉野の姿がすぐに目に飛び込んでくるはずなのに、黒ずくめの「なにか」に阻まれ、彼の姿が見えない。
「なんだ、あれ」
 首をかしげる光希にクラスメートがおはようと声をかける。教室のほぼど真ん中に異質なものがあるのに、誰も気にした様子はなく昨日と同じ日常が流れている。
 違和感を感じながらも泉野に声をかけるべく、その「なにか」の横を通り過ぎると頭上から低い声がした。
「お前がミツキだな」
「え、」
 それと同時にガタッと椅子を鳴らして泉野が立ち上がる。無表情な彼には珍しく、切れ長の目を見開いて驚きの表情を浮かべていた。まるで彼だけはこの異質さに気づいているかのように。
「泉……これなに?」
「アトラスだ」
 アトラスと名乗る男が長いローブを揺らし立ち上がった。呆気にとられたように長身を見上げる光希の腕を掴んで教室を出る泉野。

 周囲に人がいないことを確認し、大きく溜息をついた。
「なんで光希には見えるんだ?」
「俺しか見えてねーの?!」
「わざとだ。詳しくは逃げたあいつを呼び出して聞けばいい」
 ふん、と人を小馬鹿にしたように唇を上げるアトラス。端正な顔立ちのせいかそんな嫌みな表情さえも光希の目には洗練された絵画のように写る。 
 逃げたあいつ、というセリフに光希はいつの間にかバルが姿を消していたことに気づいた。
「え、っと……バルー! いるんでしょ」
 少し声を張り上げると、ふっと音もなくバルが姿を現した。さすが、というべきか突然の白ずくめの登場にも泉野は何とかポーカーフェイスを保った。
「どうしてあなたがここにいるんですか」
 普段の優しい表情とは打って変わり、冷たく氷のような視線を投げかけるバル。二人のローブの形が似ていることに気づき、光希は大きな目を見開いた。
「どうしてってそれをお前が訊くのか」
「あなたのエリアはここじゃありませんよね」
「そんなもの俺も力を使えばどうにでもなる」
 そう彫りの深い目を細め、艶のある黒髪を掻きあげる魔法使い。全身黒ずくめでその瞳さえも漆黒だ。
 唖然と二人を見つめる光希に泉野がそっと声をかけた。
「あの真っ白なやつも魔法使い?」
「うん! バルだよ」
 屈託のない笑みを向ける光希に泉野は息を飲む。何かを言おうと口を開いたその時。
「ああ、もう! 埒があきません。ミツキは先に教室に戻りなさい」
 イライラしながら教室を指すバルに返事をしながら光希は泉野の手を取った。
「じゃあまた後でね! 泉、行こ」
「あ、ああ」

 泉野の腕を元気に引っ張っていく少年の後ろ姿を見送り、バルは大きく息を吐き出す。
「わざわざこんなことをして何の意味があるんです」
「お前が素直に俺のものにならないからだろ」
 もう何十回も何百回も聞かされた言葉を再び耳にして、凍てつくような目を向けた。
「あなたのものにはならないと何回言ったらわかるんですか。しかも、まさかあの少年に付くなんて」
「ミツキに近い人間だったら誰でもよかったんだがな。あいつの視線が一番強かったから選んだまでだ」
 ニヤリと勝ち誇った表情を浮かべるアトラスに神経質そうに形のいい眉を寄せた。
「本当に最低ですね。あの少年の想いにミツキは全く気づいてないんですよ」
「楽しいだろ。これからどうなるか見物じゃないか」

 バルは泉野の光希への恋心に早い段階から気づいていた。決して表面には出てこない内に秘めた熱く深い感情。それをまだ若いながら顔にも行動にも出さない精神力に感服しながら静観していた。
 そして、同様に光希の心の変化にも。ただ純真無垢に育った少年はまだ恋を知らない。自身に芽吹いた感情に未だ気づいていないことも察していた。
 二人がどうなっていくのか、ゆっくりと穏やかに見守っていくつもりだったのにアトラスという邪魔な存在の出現に頭が痛くなる。
「ミツキを傷つけたら絶対に許しません」
「この俺がそんなことをすると思うか」
 不敵な笑みを浮かべたアトラスが手を伸ばすよりも先にバルはその場から姿を消した。


 バルの不安は的中し、事あるごとにアトラスは光希と接触を持とうとした。不幸中の幸いに悪魔のような魔法使いの横には光希を守る武士がついているから特に問題は起きていないけれど。
「なぁー、どうしたら泉みたいに筋肉つく?」
 そう言いながら身を乗り出してベタベタと上腕三等筋を触る光希の手をやんわりと離す泉野。
「筋トレ増やしたら」
「そしたら走る時間減っちゃうじゃん」
 唇を尖らせる愛らしい表情に、切れ長な目を細める。腹の底から沸き上がる感情から目をそらし、気づかないように振る舞って。
 男同士という倫理観もあるが、この自分のどろどろとした熱情や欲求を無垢な光希に知られるのが何よりも怖いのだ。
 そんなものを見せたらきっと光希は怯えてしまう。彼にそんな目で見られるくらいならこの醜い感情には蓋をし、このまま清い友達の関係を保っていたい。
 触り心地の良さそうな黒髪も、ほどよく日焼けした小麦色の肌も、じゃれつくように抱きついてくる際に密着する華奢な腰も。光希の全てに誘われながらも、鉄仮面と評される無表情の下で触れたい欲求に耐えていた。
 完璧に光希への感情は隠し通せているつもりだったのに、突然現れた自分専属の魔法使いにはどうしてか見抜かれてしまった。
 だからアトラスが光希に声をかける度に何かおかしなことを口走るのではないかと気が気ではない毎日。頼みの綱の純白の魔法使いがアトラスを避け、近寄って来ないからなおさら泉野が前面に立ち、どうにか抑えていた。

 それからそれなりに平穏な時間が流れ、季節は春から夏に移り変わろうとしている。雨のせいで思うように外で走れなくて、この時期の光希はちょっとだけ不機嫌だ。
 今朝も梅雨のせいで朝練は休みになってしまった。毎日の習慣で早く登校してしまった光希は上がらないテンションをどうにかしようと、泉野の弓道姿を見に行くことに決めた。

 入り口からこっそりと弓道場を眺めているとアトラスが近寄ってきた。
「おはよ。バルは遠くから見てるよ」
「わかってる」
 つまらなさそうに言いながらアトラスが光希の横に腰を落とす。いつもならこのタイミングで駆け寄ってくるクラスメートの武士は、目の前の的に集中していて気付いていない。
「お前、好きな奴はいるのか?」
「へ、いないけど」
「つまらん男だ。イズミノを見習え」
 ふん、と鼻で笑うアトラスに光希は大きな目をいっぱいに見開く。
「えっ?! 泉って好きなやついんの?!」
「あいつは腹に溜め込む奴だからな」
 艶のある黒髪を掻きあげ勝ち誇った表情を浮かべる男に詰め寄る。
「だれ、だれ?! 教えて!」
 勢い付いた光希に長いローブを引っ張られても気にした様子もなくアトラスはニヤリと唇を上げた。
「なんだ、知りたいのか」
「当たり前じゃん! 気になる!」
「後悔するかもしれんぞ」
「なんで俺が後悔すんの? しないから!」
 目をキラキラと輝かせる少年にほくそ笑むアトラス。それと同時に強い力で後ろに引っ張られた。
「こんなとこで何やってんだよ」
 無表情のまま氷点下の声を出す泉野に怯むことなく光希がおはよ! と飛びつく。
「泉の弓道姿見てた! やっぱカッコイイな」
 屈託のない笑顔に毒気を抜かれ、怒りも霧散してしまう。大きなため息をついた泉野が振り返ると悪魔のような魔法使いはすでに姿を消していた。光希の耳だけに「昼にいいもの見せてやる。このことは誰にも話すな」と声を残して。

 そして昼休み。バルには適当に嘘をついて指定された教室へ向かう。
 そこには眠っているのか机に突っ伏して動かない泉野と、その横に悠然と腰かけるアトラスの姿が。
「イズミノは眠らせた。これからその夢を見させてやる」
 そんな夢で泉の好きな奴わかんの、と開きかけた光希の口を大きな手が止めた。
「しゃべるな。バルに見つかる。座って目を閉じろ」
 威圧的な口調に素直に従って光希は近くの椅子に腰を落とし、ぎゅっと目を閉じた。瞼の向こうに柔らかな光の粒を感じる。
 無音の静寂が耳に響く。その不快感に耐えていると、どこからか光が差し込む気配がした。まだ目開けちゃだめかな、とうずうずする光希の耳に聞きなれた低い声が届いた。
 もう我慢できなくて目を開けると、薄っすらと乳白色のぼんやりとした世界だった。不可解な浮遊感を感じる。
 目を凝らし声の主を探していると、眼下に武士のような男を見つけ自分が宙に浮いていることに気付いた。これってほんとに泉の夢の中なんだ、すげぇ……、と感動する。

 もやがかかっていた視界がクリアになるにつれ、泉野がどこか部屋のような場所にいることがわかる。そしてその隣にはどう見ても自分がいた。私服姿の自分が何か話しかけ、遠くからでもわかるくらいに表情を和らげ答える泉野。
 こんな泉、知らない、見たことない。急に心臓が騒がしくなり、言いようのない気持ち悪さに支配される。
 よくわからない感情も、知らない泉野を見ただけでこんなにも動揺している自分も認めたくなくて、ぶんぶんと首を横に振った。これただの夢じゃん、こんなんで泉の好きな奴わかったら苦労しないって、とどうにか自分の気持ちを立て直す。
 その瞬間。泉野が腕を伸ばし、夢の中の自分の頬に手を添えた。え、と目を見開くと同時に、そのまま泉野がキスを落とす。当たり前のように首に腕を回してそのキスを受け入れている自分。
「なに、これ……」
 強い衝撃を受け、言葉を失う。大きな目を限界まで大きくし、唇を震わせた。

 すると突然強い力に引かれ、視界が急転する。思わず目を閉じると、全身に重い圧力を感じた。暖かかな場所にいたせいなのか、湿り気を帯びた空気に肌が粟立つ。
 怖くなって開けた目に飛び込んでくる真っ白な肌とシルバーの髪。同じくシルバーの睫毛に囲まれたアイスブルーの瞳には静かな怒りが宿っていた。
「大丈夫ですか?」
「バル……」
「まったく。あれはアトラスの作り上げた偽物ですからね」
「にせもの……」
 がばっと光希が起き上がるもそこには誰もおらず、窓の外には暗い雨が降り注いでいた。
「な、んだったんだ……あれ」
「悪い魔法使いの悪戯と思って忘れなさい。これからは気をつけること」
 揺れる真っ白なローブを縋るようにぎゅっと掴み、声を震わせる光希にバルは整った眉を顰めた。手段を選ばないアトラスのやり方に腸が煮えくり返る思いだ。
「バル……」
「どうしましたか?」
 不機嫌を悟らせないように上手く隠し、優しく尋ねる。その目は慈愛に満ちている。
「うちに帰りたい」
「仕方ありませんね。体調不良ということにしておきます」
 普段の光希であれば絶対しないであろうお願いにバルは素直に頷き、弱った少年を家に連れ帰った。
 見慣れた部屋にほんの少し落ち着きを取り戻した光希はそのままベッドに潜り込む。
「ちょっと休む」
「なにかあったら呼んでください」
 穏やかなバルの声を聞きながら目を閉じた。

 もちろんこんな状態では眠気もやってくるはずもなく、光希はただただ混乱の波に飲み込まれていた。
 あれはアトラスの悪戯で、泉野の好きな相手が自分ではないということは理解している。それなのに、仮想の世界での泉野のあの表情やキスの衝撃が未だに抜けない。あの時に生まれた心臓を掴まれるような痛みの理由も不安定な泣きたくなるようなこの感情の名前も何もわからない。
 ただひとつ確かなのは、一年以上隣にいた自分でも見たことのない表情を向けられた相手を妬ましく思ってしまったことだ。外見は自分なのに全くの他人に感じた。
「もう、わかんねぇ」
 小さなうめき声をあげ、現実から自分だけの夢の世界に逃げた。

 翌朝、昨日の暗い雨は止み久しぶりに太陽が顔をのぞかせた。けれど光希の心は曇天のままで。
 体調は悪くないはずなのにいつもの何倍も重い身体を引きずり学校へ向かう。その横で心配顔しながら何も言えないバル。いつもなら元気いっぱいに朝練に励む光希も、今日はそんな気になれず軽いウォーミングアップに留めた。
 やる気のない朝練を終え、のろのろと教室に向かう小さな背中に声がかかる。深みのある低い声、ずっと聴いていたくなるお気に入りの声。
「早退したのに朝練なんてやって大丈夫なのか」
「あ……うん。だいじょ、ぶ」
 泉野の顔を見るのが怖くて顔を上げることができない。普段とは違いすぎる姿に違和感を覚えた泉野がさらに一歩進む。
「元気ない。保健室行くか?」
「大丈夫だから!」
 もう我慢できなくて、大声を出してその場から逃げだした。
 そのまま光希は自分の席に座り、誰からも声をかけられないように机に突っ伏す。それを心配そうに見つめる泉野の視線にもバルの視線にも気づかずに。

 それからも光希は事あるごとに泉野を避けた。あからさまな泉野への態度の硬化にクラスメートの誰もが驚いた。
 全く心当たりのない泉野はそんな態度に頭を悩ませ、ある結論に達した。自分が必死に隠し続けてきた光希への恋心が本人へ伝わってしまったのではないか、と。
 そうだとしたらあの明らかな拒絶の態度にも納得がいく。単なる友達だと思っていた男が自分に恋心を抱いているなんて気持ち悪いよな。そう考えるともう光希に近寄ることができなくなってしまって。
 二人の間に見えない大きな溝ができ、日に日にその溝が深まっていく。
 バルはそんな二人に心を痛めながら、見守り続けている。今もその端正な眉間に皺を刻んで誰もいない屋上に座り込んでいた。あれからもう一ヶ月近くが経とうしていた。

 そしてその後ろには黒い魔法使いが不機嫌極まりないといった表情で校舎の壁にもたれかかっている。艶のある黒髪を掻きあげ不満の声を出した。
「そんなにミツキが気になるならお前がどうにかしてやったらどうだ」
「絶対に駄目です。ようやくミツキが自分の恋心に気づいたんですから」
「それなのにどうしてイズミノを避けるんだ?」
 ふん、と人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべるアトラスに初めてバルが振り返り、冷たい目を向けた。
「男同士という葛藤が芽生えてるんです。これはミツキが自身で乗り越えなければいけない壁ですから」
 シルバーのさらさらとした髪が陽の光に反射するのを見つめながらアトラスは大袈裟な溜息を吐いた。
「恋愛経験のないお前に何がわかる。こういうものは勢いも必要だ」
「それとこれとは別問題でしょ。あなたこそ恋人がいるのをここ百年以上見たことありませんけど」
 そう勝ち誇ったようにアイスブルーの瞳を細める純白の魔法使い。
「ほう。これでもバルの気持ちを尊重していたつもりなんだがな。じゃあ、もう俺の好きなようにさせてもらおうか」
 アトラスの形のいい唇がニヤリと弧を描き、シュッと小気味よい音と共にその姿が消えた。

 そして卓越した魔力を惜しげもなく発揮し、空き教室を作り上げ問題の光希と泉野をそこに押し込んだ。唖然とする二人に無言のまま腕を振り、眩い光の透明な矢を心臓めがけて打ち込んだ。
 透明な矢は衝撃を与えることなく胸を貫通し、音もなく消えた。
「え、なに今の?!」
 光希が大きな目を丸くさせると同時に、空き教室の扉が開きバルが飛び込んできた。白い肌を怒りに赤く染め、切れ長な目は険しくつり上がっている。
「今後一切ミツキに魔法をかけるなと言ったはずです」
「好きなようにすると宣言しただろ」
「解きなさい! 今すぐに!」
 白いローブを揺らし怒りのまま右手を振り上げる。漆黒の魔法使いはその魔法が発動される前に素早く動き、いとも簡単に細い右手を捻りあげた。
「この俺に勝てると思うのか」
 圧倒的な力の差を見せつけられ唇を噛みしめるバル。その耳元に唇を近づけ悪魔のように微笑み、囁いた。
「お前の使命は何だ? これでミツキが幸せになれるのならば問題ないだろ」
 その言葉にバルは返す言葉が見つからず詰まってしまう。一瞬の隙を狙い、アトラスが華奢な身体を抱え上げた。抵抗むなしく腕力でも魔力でも敵わない純白の魔法使い。愉悦の笑顔を浮かべたアトラスにそのまま連行されていった。
 泉野の耳に「お前ら二人には真実しか言えない魔法をかけた。そろそろ腹を括れ」と声を残して。

 一気に静まりかえった教室。
 バル大丈夫かな、の光希の言葉でハッと我に返った泉野は押し黙ったまま開けっ放しになっていた扉へ急ぐ。
「泉? どうし……」
 光希が言い切る前に泉野は勢いよく走り出した。アトラスのいう魔法が本当であれば光希にこの汚い感情をぶつけてしまうことになるだろう。何としてもそれだけは避けたかった。
 ただでさえ光希に敬遠されているのにこれ以上亀裂を深くしたくない。既に自分の恋心が光希にばれているとしても、秘めた熱情や欲望だけはどうしても知られたくないのだ。
 長い足を活かして階段を駆け降りる泉野の耳にバタバタと大きな足音が届く。走りながら振り返ると光希が猛スピードで追い上げてきていた。小柄ながらも日々の練習で培った脚力で逃げる男を追いつめていく。
 そのスピードにぎょっとしながらも、絶対に捕まるわけにはいかず泉野も走り続けた。振り返る余裕もなく足を進め、一階の中庭を抜けて昇降口へ急ぐ。
 ふと真後ろから響いていた足音がなくなっていることに気づき、諦めてくれたのか、と首を動かした。すると中庭の真ん中でうずくまる光希が目に入った。石につまづいて派手に転んでしまい、今にも泣き出しそうな目で泉野を見つめていた。

 足を痛めたのかもしれないと光希が心配になり、大慌てで中庭に引き返した。
「大丈夫か?!」 
 動く気配を見せない姿に泉野は端正な眉を寄せ、その横にしゃがみ込んだ。
「足痛めたのか?」
「泉……ごめん」
 涙が今にも落ちそうなくらい潤んだ目に真っ直ぐ見つめられ思わず息を飲む。
「ごめん。俺が避けてばっかりいたから怒ってるよな……嫌いにならないで、ごめん」
 その言葉がきっかけになり大きな目から大粒の滴が零れた。その濡れた頬を拭ってあげたいと思いながらも、身体は石のように固まり動かない。唯一動いた唇を開く。
「泣くな。嫌いになんてなれるわけない」
「じゃあなんで逃げんだよ。名前呼んでも無視するし」
 悪かった、と謝って曖昧に逃げてしまいたいのに。
「あいつが真実しか言えなくなる魔法かけたって言うから」
 黒い魔法使いのせいで唇は本当のことを告げてしまう。
「え、さっきの魔法が?」
 何も知らされていない光希はきょとんと首をかしげた。泉野はスッと目をそらし、動かない身体を叱咤しどうにか立ち上がろうとする。
「だから光希から離れたかった」
「え、待って。なんで離れようとすんの? つまり嘘つけないってことだよな」
 咄嗟にしなやかな筋肉のついた腕を掴んだ光希が潤んだ目で見上げた。そうだ、と頷く泉野に光希が喉を震わせる。
「嘘がつけない魔法かぁ」
 そう小さく呟き、目を伏せた。
「俺は……」
「泉はちょっと黙って! 今、告白しようとしてるんだから」
 告白、の言葉に泉野が無表情を崩し、目を見開いた。自分のことに精一杯で目の前の動揺に気づかない光希は、耳まで赤く染め視線を上げては下げてを繰り返す。長い睫毛が揺れる。
「あの、俺……泉が好きなんだ。男にこんなこと言われたら引くよな。だからどうしたらいいか悩んでて……避けたりしてごめん」
 まさかの告白に頭が真っ白になる。ウソだろ……と泉野の唇から小さな声がもれた。
「だって今はほんとのことしか言えないんだろ」
 だからもう気持ち伝えようと思って。そう視線を合わせないまま唇を尖らせる光希にたまらなくなり、強い力で引き寄せた。
「好きだ。ずっと好きだった」
 低い声が耳元で聞こえてきて光希は嬉しそうに微笑んだ。昂っていた気持ちが落ち着いていくのと同時に手の平の擦り傷にやっと気づく。
「うわぁ、必死だったから痛くなかった」
「保健室行くぞ」
 赤い血が滲む手を取り泉野が立ち上がった。
「そういえばバルたちどうなったんだろ」
「大丈夫だよな……?」
 泉野はアトラスの圧倒的な強さを目の当たりにし、連れ攫われた白い魔法使いが気がかりだった。晴れて光希と想いが通じ合い、精神的に余裕ができ、今さらながらそのことを思い出したのだ。
「アトラス強かったね。でもあの二人は大丈夫だよ」
 懐かしそうに目を細めながら光希はバルと出会ったばかりの頃の話を始めた。
 気高い純白のローブをまとった彼にはずっと昔から目標としている憧れの魔法使いがいた。誰に対しても上から目線で傍若無人、けれどその魔力は絶大で抜きん出た才能の持ち主。
「その人ね、黒いローブがトレードマークなんだって」
 そう無邪気ににっこりと微笑んだ。

【完】

ai
グッジョブ
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センチミリ 16/02/21 21:04

可愛くてほっこりする話。
視点が頻繁に切り替わるので読み進めるのが少し大変でしたが、
最後まで読んでよかったと思いました。
お約束ながらもやっぱりそうでしたか!
と心地よくニヤニヤできるようなオチ(おまけ?)が嬉しかったです。

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