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第3回 BL小説アワード「怪談」

浸る、からだの堕ちる先

エロあり

 愛なんて、そんな言葉は使わない。 この感情に付ける名前は、浮世のどこにもないのだから。

白玉あずき
グッジョブ

 三歳の俺が家族と共に、姉の七五三参りで訪れた古めかしい神社。
 家から車で約半日かけて辿り着いた、メチャクチャ辺鄙な山間にある集落の、更に奥だったと思う。
 母方の血縁者がここに多く住んでいるのだと説明されたが、当時まだ元気だった祖父母のいる田舎はもっと別の場所にあった。それと、今思えば世間一般の七五三のイメージからすると着飾り方が尋常じゃない姉の姿。ひな人形の女雛みたいに煌びやかな着物と、しゃらしゃらと柔らかな金属音が鳴る簪に、俺はただただ驚いた。
 確かそこで、ほんの一、二分だけど一人にされたような記憶もある。
だだっ広い敷地内は人の気配がほとんどなく周囲を囲む鬱蒼とした木々の影はどこか神秘的で、三歳だった俺ですら怖いというより畏れ多い心持ちにさせた。無駄にうろつくこともせず、境内の石段にじっと座って家族を待ったと思う。
 明確に憶えていることは、あと二つ。それ以外は、どう頑張っても思い出せない。
『これでもう、終わったんだ……』
 帰りの車内でそう言って大きく息を吐いた、安堵を丸出しにした父親の横顔と、不思議なことにその場を離れてもしばらく鼻孔を掠め続けた、あの匂い。
 甘い、甘い、桃の実。柔らかな、果肉の香りだ――。






「へーえ。すごいねそれって。ちょっとした非日常っていうか、モダンホラーの冒頭とかにありそう。で、家の人は? 結局詳しい説明とかしてくれたの?」
「んーん。なにも。そうなると、こっちもそう簡単には言い出せないよ。でもさ、そこから何年経っても特におかしなこともないし、俺、桃だってがっつり食うよ? 親父が『終わった』って言ったんだから、そういうことなのか……って自分で納得もした。結局は気にしないっつーか、したってしょうがない」
「ふうん。まあアレだよね、そこまで山奥の田舎なら、理解不能な因習の一つや二つ残っていても不思議じゃないか――あ、グラス空いてる。なにか頼む?」
「あー、じゃあ生……」
「了解」
 近くにいた店員を呼び追加の注文をする先輩は、グラスの減りがいつもより鈍い。逆に俺は、酒でも入らないと語る気になれない昔話をしたせいか、明らかにピッチが速かった。うっかり喋ってしまったのは全てが俺の実体験に基づく実話だったけど、どう転んでもオチがないうえに俺的にもやんわりタブー設定されていることなので、普段は他人になんて話さない。相手がこの人だからこそ、俺は……。
「――俺、次でもう四杯目だよ。佑真先輩ももっと飲まなきゃダメー」
「あはは、圭斗、やっぱりちょっとは怖いんだ? 仕方ないな、酔って誤魔化すつもりなら付き合うかー」
「ちがっ、そんなんじゃないって!」
 本当は背筋を一瞬だけ、ぞわりとしたものが走った。
 気にしない。なにもない。なにも起こらない。
 俺を嬉しそうにからかう先輩の笑顔がいつも以上に眩しく見えて、そう思うと、いつの間にか背中の寒気は消えていた。






 大学を卒業し、今の会社に入社してすぐ、一つ上の先輩・三宅佑真さんと親しくなった。とても面倒見がよく、しかもちょっと周りにいないタイプのイケメンで、彼を狙う女子社員は部署内だけでも相当な数だろう。
 背が高くて品があって、貴公子っぽい顔立ちのくせにどこか色っぽい美形。
知り合った時には彼女と別れたばかりだと聞いていたが、結局あれから二年経ってもそれらしい話は本人の口から出てこない。社内でも飲み会でも引く手あまたなモテ男なのに、私生活は拍子抜けするほど淡泊だった。
 贅沢にもそんな独り身を謳歌している先輩とは、一緒に食事をしたり酒を飲んだり、休みの日には連れ立って買い物に行くこともある。
並んで歩くと女性からの視線が集中しまくって落ち着かないが、そう不平を漏らすと先輩は、
『なにそれ。君の言う視線とやらが半分は自分に向けられているっていう自覚、持ってないんだ?』
 などと返してきた。
 よく言うよ、だ。俺なんてちょっと目がデカいだけの凡人だ。自分の雰囲気やオーラが段違いだってことを棚に上げて「普通のヒト」ぶるか?
まあそんな文句はあるけれど、俺は基本いつだって、二つ返事でほいほい誘いに乗った。
 でも今日は、会社帰りに先輩の家へ単独で出向く。
朝から欠勤の知らせを聞けば、そりゃあ仲良くさせてもらっている後輩として、心配しないわけがない。昼間に送ったメールの返信で安否というか様子は確認したけれど、とりあえず、だ。
元気そうなら、顔を見て帰ろう。



「藤原ですけど――先輩具合は? 大丈夫?」
「ありがとう、平気だよ。あ、ごめん、ちょっと待ってて」
 辿り着いた玄関先で待つこと十秒、開いたドアの向こうには、ただでさえ色の白い肌を病的にまで青白くさせた先輩がふらりと立っていた。
「いやいやいや! 平気なワケないから! あ、お邪魔します、てか寝て! 用があるなら俺がやるし! 病院は? 薬飲んでる?」
「あのね、心配しなくても……」
「するっつーのコレは!」
 案外素直に寝室へと移動する先輩の背中はとても儚そうに見える。これ、かなり具合が悪いんじゃないか? どこかぼんやりとした視線も顔色の悪さも、シャレにならないレベルだ。
 だが、先輩を追いたてるようにして寝室に押し入った瞬間、今度は俺が激しく咽る番になった。
「っふ――、ぐはっ、なにっ――」
 変だ。こんなにも尋常じゃないレベルの匂いが、部屋の外に漏れていないなんて。
 咳き込んで、苦しくて息を吸うとまた苦しくなる。熟れきったその実に全身を埋め込まれてしまったような、毛穴まで浸食する強烈な桃の香り。
「――っだよこれぇ……! どうなって、ん」
 絶対におかしい。芳香剤とか、そんなもんじゃない。それに、嗅いだ瞬間から記憶の底がガンガンに揺さぶられる。あの日の抜け落ちた部分が、むくむくと首を擡げる――。
「圭斗、苦しそうだね」
 当たり前だろう! ――と叫びたくても、俺は首をぶんぶん縦に振ることぐらいしかできない。先輩はどうしてこんなに平然としているんだ? 顔色は相変わらずだけど、寧ろ生気に満ちた表情で俺に近付いてくる。
「僕は、すこぶる気分が良いよ。絶好のタイミングっていうのはこういうことを指すのだろうね――わざわざ仕掛ける手間が省けて、本当によかった」
「ゆぅ、せんぱ……」
 笑顔が怖い。目が、俺を見るその目が無性に怖くて――。
 そして俺は、ぱっくりと開いた先輩の赤い口に、喰われた。



 苦しくない。呼吸も、しっかりできる。
 息を吸って、吐いて。次はなにをすればいい?
「野暮だな……。そんなこと、訊く間でもない」
 ――あれ。俺、先輩と会話してたっけ? 
 目を開けて起き上がる。
「な……野暮ってな、ん……」
「ふふ」
 意味深な含み笑い。
「――あれ……ちょっと待て……なんだっけ……」
 直前まで、俺は得体のしれない恐怖と対峙していたような。噎せ返るような甘い臭気と、先輩の、大きくて赤い口が俺を。
「佑真先輩……?」
「ふ、ふふ」
 状況の説明をする気が一切ないのか、先輩はくすくすと笑うだけだ。
それになんだよコレ! 俺は服を着ていない。全裸、下も丸出しだ。こんな格好で、先輩のベッドに転がっていたっていうのか?
「っ、で、はだか……おれ」
 どうにも呂律が回らない。もどかしいやら恥ずかしいやら、だって、身体を隠せる毛布も布団もさっきから見当たらなくて困る。
それに目下、俺の不安を掻き立てる張本人である先輩は、よく見ると上はシャツだが下は……まさか、こっちも履いてないってヤツか!
男二人が揃ってこんな格好――俺はとっさに両腿をぴったりと閉じ、委縮しまくっている股間を隠す。
「――っ先輩、な、なにした!」
 すると先輩は、更に素っ頓狂な発言で俺を混乱させてきた。
「まだ、僕を「先輩」って呼ぶんだね……? 時間の概念と共に元の名前すら忘れてしまったけれど、僕は、君が現れたことで新しい名前を手に入れたんだ。君に名前を呼ばれると、とても気分が良くなる――本当に、圭斗はいい子だ……あの日、見初めた甲斐があるよ」
 あの日? まるで、俺の体験を――いや、寧ろ俺以上に当事者めいた先輩の様子に心臓が早鐘を打ち、中途半端に開きっぱなしの口の中が急激に乾く。
「君の両親も――対象が娘じゃなくて息子の方だったとは露知らず、よっぽど安心しただろうね……でももう遅い。君は僕に、僕は君に。肉を分け合った以上は逃げるなんて無駄」
「なになにっ! ちょ、変だよ先輩おかしいってば! もう意味わかんねっ――」
 おかしいのは先輩で、俺は至ってまともだよな? 
 思わず自分自身のことまで疑っていると、当の先輩は口元を歪ませてぐっと身を乗り出した。
「ひッ」
 俺の手首を掴んだ掌はほんのりと温かい。それでも、全身の皮膚という皮膚が粟立ってしまう。
「これが、僕に喰われたっていう印」
 べろりと、先輩の舌が右手親指の付け根に這う。目を背けられずにいる俺の視界で、舐められた部分がみるみるうちに生々しいピンク色へと変化した。
「くわれ……てっ、俺、やっぱさっきあの時」
「正しく言えば、僕と君とで肉体の一部分を交換したんだよ。これで君は物理的に存在していながら僕に内包されている――その世界ごと僕に帰依するが如く、だね。今後、例え肉体を失っても永遠に変わらない。そんな、人ではない領域に入ってしまった可哀想な君に、僕が贈るのは――これ」
 シャツの裾をひらりと捲り、先輩が堂々と見せつけた股間。完全な臨戦態勢でお目見えしたモノに、俺は眩暈を感じた。
 完全なオスだ……多分、今まで見てきた他人の性器ってやつの中で、全てが群を抜くビジュアルだった。なまじ雰囲気のある顔立ちに対してその大きさというか雄々しさが妙にアンバランスで、そこだけ別の生き物みたいだ。
 今朝、先輩が欠勤だと知らされてからまだ半日だぞ?
否応なく次々と迫る突拍子もない現実を、俺は正気で受け入れているのかそれともとっくに壊れていて、この思考も自我も空想なのか。
「――足掻いても無理。願っても無理。逃げられないのがその証拠」
 言われた通り、体はベッドから離れようとしない。事の重大さに反して、俺の動きも抵抗も鈍過ぎる。
「愉しもう、ね?」
 膝からにじり寄った先輩が俺の耳元で謳うように囁き、その吐息が微かに首へと移り、顎から――唇。
「ッ――ん!」
 これは、こんなのは、キスと呼ぶより捕食じゃないか。
 かっぷりと唇全体で吸い付きながら舌を根元まで絡め合わせて扱かれる。口の中に湧いてくる唾液も、片っ端から啜り上げられる。
強引で余裕のない一方的な行為なのに何故か興奮してしまうのは、それを「受ける側」にいる特殊性からなのか……?
「ふぁ、あ、ぅ」
 噛み付かれているような感触が緩んだ途端、拠り所のない吐息が漏れた。
「っぐ、どうしてっ」
 俺からの質問に、先輩はよもや正気を逸脱した答えをくれた。
「僕は、半端な混じり者なんだ。不老不死の化け物……とでも言おうか……。こんな肉体を以ってしても本物の神の域になんて届かないんだ。その真似事でこの世と関ることしかできない、ひたすら曖昧な身だからね――そうだ、君、桃は好き?」
「もも……匂いが……」
「そう。昔から大陸ではね、「西王母の桃」を食せば不老不死が手に入る――っていう伝説があるんだよ。でも僕は、決して自ら望んで口にしたわけじゃない。君の母親の遠い祖先に貶められ、悠久を持て余す身になってしまっただけだ。だからこれはね、君の先祖代々が怖れていた「祟り」なんかじゃない。生身の僕が行ってきた、ただの復讐だ。まあ……とは言ってもこの長い時間に添ってくれる伴侶が欲しくて欲しくて、堪らなかったのは事実。十年毎に血の濃い者の中から一人選んで吟味させないと一族根絶やし――そう脅してから数百年だ。君に巡り合うまで途方もない時間を費やしたけれど、これで漸く報われる!」
 最後には朗々と声を張り、先輩は感極まった様子で俺を抱き締めた。
 話の内容はさっぱり意味不明。誰の桃がどうしたって? 祟りでも復讐でもどっちでもいい。こんなおとぎ話、律儀に信じるヤツなんているのか? 全部が俺を犯す為のでっち上げだろうしおまけに不老不死ってオイ。さすがにネタが壮大過ぎて、ちょっと笑えてくるぞ?
 ああ……でも……でも、だ。もしそれが真実だとすれば、あの記憶は色々と辻褄が合うかもしれない。思い出せない欠落した部分が一つずつ、パズルみたいに嵌っていって――。
「圭斗……委ねてしまえば簡単なこと。ほら、君の淫靡な蜜は、こんなにも熱い」
 俺がどれだけ煩悶していようとお構いなし。先輩の指が、とんでもない部分に伸びてくる。
「ちょ、そこは!」
 腿の間で縮み上がっていたはずのモノは信じられないことに今や完勃ちで、心当たりはあの乱暴なキスしかないし、そう思い当たった頃には先端をぬるぬるとなぞる動きが一層激しくなっていた。
「いぁ! や、さわんなっ、い――やぁ……」
 拒絶らしい台詞をやっと絞り出しても、最後は蕩けて、消えて。
「ただ襲うのもつまらないし、僕だって辛抱強く待ったよ。でも、待つのは辛くないけどその間に肉体はどんどん澱が溜まってね。おかげで最近はめっきり体がだるかったけど、これでひと安心。心置きなく君を堪能できる」
 先輩が前進すると、凶悪なそれが威嚇するようにぶるん、と揺れる。
 あらゆる意味で、刺激が酷い。酷過ぎる。理由はどうだっていいから、俺は無性に泣きたくなった。だって、もう涙はさっきから溢れる寸前だ。
「泣きそうだね――最上の快楽は、これからずっと君と共にあるのに」
「――いやだっ、こわ、いっ」
 とうとう涙は頬を伝って、それでも衰えない下半身の張りが我ながら情けない。
「泣かせてしまって悪いけど、そろそろ多少強引にでも本懐を遂げさせて?」
 しまった。涙が完全に裏目に出た。
 緊張と恐怖が一気に腹の底からせり上がり、しかも鼻先にはあの匂いが徐々に舞い戻り、俺は、
「うぁ、ああ! あああっ!」
 軽く錯乱しながら、叫んでいた。
「――叫んでも暴れても無意味だよ……圭斗、ほんのひと口喰らったぐらいじゃ駄目だ。やっぱり足りない。早く、その身を割って奥まで這入りたい」
「あ、あ――」
 覆い被さってくる体を退けられないまま、細くて硬いものが尻に差し込まれた。
 異物感はあるけど痛くない。反射的にケツに力を入れてしまうと、中にある指っぽいものが、くにくにと内側を押してくる。
 真っ逆さまだ。
 落ちていくのは奈落の底か――いや、底と呼べるような着地点など、どこにもないのかもしれない。
「――圭斗……ねえ、名前を呼んで欲しいんだ。いっぱい、僕の名前を呼んでよ。そうすればするほど、僕は君を、優しく抱いてあげられる」
 先輩の吐息が告げる。首筋に当たる唇の熱は、生身の熱だ。
「せんぱい……佑真、先輩」
 身勝手な提案に怒る気力は既になく、それを躊躇いなく実行してしまえる俺も、最早人から遠ざかってしまった身なのだろうか。
 でも先輩は――先輩の声も手も顔も、今はとても優しくて綺麗で、漂う桃の香りも空気にちょうど良く浸透していて……。
「いい子」
 二度目のキスは、ちゃんとキスだった。エロいし上手い、恋人にするみたいなキス。
 柔らかく食む感触が、中で蠢く指と連動する。生温かい舌が口蓋に触れて、ぬるりと大きく舐め回した。腰が浮き、嘘みたいに綻んでしまった尻の入り口を、数が増やされた先輩の指が突く。突いて、ずぶずぶと潜り込む。
「んッ――ひぅ、あッ」
 俺の勃起した股間は恥ずかしいほど震え、先輩曰く「蜜」をひっきりなしに浮かばせてきた。もう、思考すること自体が面倒だ。行く末をあれこれ考えることも、ここまで来たら無駄に近い。
 行き着く先が沼の底でも暗黒でもないのなら、俺はそろそろ諦めを盾にしてもいいかもしれない。
 ――桃源郷。
 有り得ない場所に、堕ちるのならば。






「――もっと欲しい? 欲しいよね? その顔、僕にはそう見える」
 どうせ、先輩だってまだ抜く気はない。
 喋るのも億劫になった俺は、精一杯の表情で答えを示す。
「笑う余裕がある? なら、いいか……」
「ひッ……ぃ、いぁ、いやぁ」
 こんなの自分の声じゃない。厭々と駄々を捏ねるくせに、もっと気持ち良くしてくれと甘えてねだる。
初っ端――指の時点であれだけ違和感がないなら、いざ俺の後ろを犯す先輩のモノが硬かろうが長かろうが、問題なんてなかった。それまで誰にも暴かれたことのない初めての場所を、指で解されぐずぐずにされ、女と同じように突っ込まれたというのに。
『だって僕らは既に、生身の一部を繋げた状態だよ。そうなると性行為っていうのはもっと、原始的な欲望かな――欲情する相手次第でその質は変わるけど、圭斗には、僕の全てを捧げたい』
 全てって? 答えは、言わずもがなだ。
 執拗に打ち込まれる凶暴な塊に翻弄され、俺はひたすら射精の回数を重ねていった。俺自身、体と感覚に変化もあったと思う。だって、こんなの普通じゃない。
 尻の中を擦る存在がもどかしい動きをする度に、腰を揺らして奥へと誘った。
涙と汗、唾液と精液は至る所を濡らし、俺は既に死んでいるのか半死人なのか、それとも生きているのか。
「死にそう」、「もっと」と喘ぎ散らして、いやらしく誘うように身を捩った。
 眉唾だと思える話でも、身を以って体験してしまえば真実になる。
 俺の体はこの男に抱かれる為に存在していて、身に降りかかった一切を覆せない現実に、そりゃあ悔しさだってあるけど。
『僕は、君を快楽で縛る。それが一番容易くて卑怯な手段だっていうことも承知のうえで、この手を使わせてもらうよ』
 赤裸々に吐露された本音は、そんな悔しささえ粉々にしてしまった。
「――ね、圭斗ほら……君のここ、まだこんなにたくさん溢れてくるよ。どうしようか、またさっきみたいに僕の口に出す? でも、こっちを抜くのが嫌なら」
「やだぁ、ン、ぬかないでいいっ、先輩の、で――イくっ」
 今はダメ。抜いて欲しくない。正常位で繋がる濡れた場所を、自分の指で何度も擦った。すると先輩の抜き差しも緩急が激しくなり、腹の奥はいいように打たれて掻き回される乱雑な刺激に震えた。
 ねっとりと舌を合わせ、互いの唇に齧り付き、俺は先輩の背中にしがみ付く。
「ぅ、むぁ、あんッ! ひあッ――……」
 一晩だ――。たった一夜で、俺の世界と存在は激変した。
愛とか、情とか、そんな生易しい感情論では太刀打ちできない力の上に成り立った行為が俺を支配して、淫乱な獣を引き摺り出した。
 ああ、でも、すごくいい。
 全身が性感帯。果ては、このまま孕んでしまいそうな錯覚。
「い、きもちい、ゆぅ――せんぱい、なか、きもちいっ」
「うん――圭斗、もっといやらしくなっていいよ……」
「は、あぅ、ゆうませんぱぃ――こするの、そこもっとしてぇ」
 元々の名も今の存在をどう表すかも不確かな彼が、俺に「佑真先輩」と呼ばれるといつもと変わらない笑顔になる。
せめて、じゃあ俺は人として接してあげたいとか、そんなふうに思うと何故かやるせない気持ちになり、もう一度名前を呼ぶ。
「――佑真先輩」
 ほら、嬉しそうに目尻が下がって、どうでもいい冗談を言い合った時に見せる、あの笑顔と同じで。
「ッあ! あァ――!」
 穏やかな笑みで油断させながら、先輩がとんでもない深さまで腰を使ってきた。
 腹の中に溜まっていた先輩の精液が、一際濡れた音を立てながら撹拌される。根元までずっぽりと突っ込んだ直後に引き抜く寸前まで後退して、俺の粘膜を思う存分蹂躙した。
 行きつ戻りつ。好きなように奥の奥まで嬲られる快感は、最上のものだ。
「っはあ、やあンッ! でる、もうでるぅ……!」
 股の間から、白いものが撒き散らされる。
俺に汚された先輩の引き締まった腹が、二、三回引き攣って前兆を示す。
「んっ――」
「は……ぁ、なか……でた」
 この瞬間も、俺と先輩はあの匂いで包まれている。
 桃源郷よりも遠い場所に、俺は確かに堕ちたのだろう。
定められた生を生き切って死ぬ――そんな「寿命」と決別して、俺は現実と異界の狭間でこの人と。
「ね、先輩……。全部、信じるよ……信じて、俺は、自分を見失わずにいられればそれで――」
 死が存在しない魂を思うと哀しくなる。でも、望みさえすればいくらでも与えてもらえる快楽を思い返せば、抱いたはずの哀しみは卑猥な欲に塗れていく。
 愛なんて、そんな言葉は使わない。
 この感情に付ける名前は、浮世のどこにもないのだから。







「お客様、そろそろ閉店時間になりますが――」
 カウンターに突っ伏していたスーツ姿の男性は、店主の呼び掛けでふと我に返った。
勢いよく顔を上げ、開口一番で謝りながら、思い当たることでもあるのか辺りを見回す素振りを見せる。
「えっと……俺は一人で……?」
「はい。お一人で来店されてます、けど……」
「違う?」
「申し訳ありません、私も何故かよく思い出せないのですが、確か――お隣にいた男性二人連れのどちらかと、随分長い間お話なさっていたような……ああ、会計は済んでいるようですが、いつ頃お帰りになったんでしょうねぇ……」
「――そうなんだよ。誰かに赤裸々な惚気を聞かされたような、妙に背筋が寒くなる話を聞いたような……マスター、他に憶えてることは?」
「ううん……こちらには何度かお見えになっているお客様、のはずなんですけど――あの、まあ店の場所柄でしょうか同性のカップルでして、背が高くてかなりの男前な方と、とても人懐っこい笑顔が印象的な、目の大きな――」
 ジェスチャーを交えて懸命に説明をする店主と客の男性は、二人で顔を見合わせた。
「俺の夢じゃ、ないのかなあ?」
「私の思い違い――でもないような?」
 お互い困ったように首を傾げ、しかし悩むのはそこまでだった。
「今度ご来店するまでになにか思い出せていたら、その時にお話しましょうか。こんなこと今までなかったのに……いやですね、齢なのかな」
「またまた、マスター絶対俺より若いでしょ? じゃあ、俺も思い出したらすぐにでも顔出そうかな――うんでも、そうでなくてもまた近いうちに寄らせてもらうわ――こんな時間まで悪かったね。ご馳走様」
「はい、是非また。お待ちしております」
 こうして最後の客を送り出し、最低限の照明だけを残した店内に、店主の独り言が響く。
「あ――ああ、そうか……そうなのかなあ……」
 ここ数年、折に触れては耳にした都市伝説とも怪談話とも言い難い、奇妙な噂。
 新宿界隈で十年も店を続ければ一度ぐらいは巡り合うという、その存在をどうにも説明し難い不思議な二人連れ。
 出会えばその店は必ず繁盛するとか良い客が付くとか、座敷童にも似た尾ひれまで付いた噂だったがなるほど、この状況でも確かに恐怖は感じない。
「ここが、新宿からかなぁ……? 「るつぼ」みたいな街だもの」
 さっきまで男性が座っていたスツール。その隣にいた相手。
どちらも楽しそうに喋っていたことだけは鮮明に思い出せる。幽霊でも精霊でも、楽しく飲む場所は必要だ。彼等が再びここに座ったら、常連としてもてなすだけの話だろう。
 お客様は神様――。
 静かに佇む店主の脳裏に、そんな言葉が過った。

白玉あずき
グッジョブ
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