パーシモンの住民さんのマイページ

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男性パーシモンの住民さん

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悲しいまでの残酷さの向こう側に

読もう、読もうと思いながらもなかなか読む機会に恵まれなかったのですが、ここでようやく読むことができました。
狼伯爵と呼ばれる攻め役と山神の末裔でアニマルドクターな受け役の不器用で互いをフェアにとらえようとがんばる恋愛模様といい、不器用恋愛萌えの私にはたまらない内容になってます。
そして中盤にははさまれる最初の番(つがい)との別離。これがあるからこそ、この作品がきらめく理由にもなるのだなと思わずにはいられません。もっともアカデミシャンな評者である私には、別の意味を伴ってこのシーンが読めてしまうのですが(誰でもナチから逃れられなかったこと・ピンクトライアングルを真正面からとらえたこと・そして「男たちの妄想」からすべての当事者が逃れられなかったこと)、それでもいい作品であることには間違いありません。

不器用さと歴史の残酷さ、その向こう側に位置するはずの二人の恋愛――映画『ワルキューレ』よりも、この作品のほうが味わいと残り香の味がおいしいです。

キワモノすぎて読者選んでる……

悲しいくらいのキワモノ作品です。プロポーズだの障害のある恋というのはよくあるお話。でもさぁ、そこに乳首と乳液とゲロ甘エロ盛り込まれるとかえっておなかを壊しそうになるんですよ。いくらハッピーエンドだからといったって。

実はこの作品、BL好きな図書館スタッフと読みあいっこしたのですが、彼女の感想はというと「ルカには萌えるの。けなげでかわいくてね。 でもねぇ、うちじゃ買えない(言い換えるとうちの図書館では購入できないという意)」と泣き笑いの表情でした。それを見ていると納得せざるを得ないものを感じます。

これ、女体化よりも読者の間口を狭めた作品になってしまっていないだろうかと思えてなりません。男性向けBLのはしくれ、と思えば納得もできるのでしょうが……

David Loweのように

文語体を使いますのでご注意を。

正直最初はさしたる期待をしていなかったのだが、一読後評者の期待を大きく裏切っていい作品になっていることに驚愕した。
まず、主人公がどこまでいじらしいのだろうかと思えてならない。完膚なきまでに自己を否定された地点からどのような語りが生まれるのかということに大きなスポットが当てられる。
ついで、マスキュランな男性を水原が否定・排除していることも大きな特徴であろう。一見すると攻め役がマスキュランだといえなくもないが、彼もまた自己が感じた痛みを忘却することなく、たとえ「あしながおじさん」モドキになろうとも、である。
そして、痛みと暴力をどう見つめるかという目線が真剣であること。多くの作品における痛みや暴力は快楽の枠内で描かれるが、この作品ではそうしたものと一線を置いた何かで貫かれていることに注目したい。

イラストのヤマシタトモコもなかなかのイラストを描いている。あとがきコメントさえなければ、なおよかっただろうがそこまでは踏み込まない。

カウントダウンがなる一分間が心の安念になるように、この作品が心の闇を照らす作品であることを願ってやまない。

いい意味での成長物語?!~触発する言葉・密やかな教育~

萌えとか言っといてなんですが、かなりポイントがずれまくりのレビューでお茶を濁します(いつものことなのに……)
この作品のいいところは、単純なボーイズラブとは違って、受けの子の目線が「恋人」でもあり目標でもあり、好敵手(ライバル)であるという少年マンガの王道にみられる成長物語(これをヒルディングス・ロマンスという)と、ボーイズラブがいい意味でしっかり絡み合っていること。ふつうは失敗してしまいがちなのだけれどもこの作品はまったく違います。一読して、スカッとした爽快感を味わえます。主人公がここまでの一本気な受けというのはおそらく例がないかもしれないですし、主人公に(プラスの意味で)触発される攻めというのもおそらく珍しいのかもしれませんね(ほかの作品だと性的に触発される攻めというのはよく見ますが)。

濡れ場は少なめですがそれでも楽しめました。

神まであと少し!でも面白い

走り屋たちがBLに登場するのはたぶん珍しいのかしら?でも楽しめます。純粋にフツーのアクション小説に「ちょっと濡れ場足しましたよ」程度の軽さなんだけど、でもそこがこの作品のいいところだったりすると一読して思いました。
主人公境一のバイク好きも攻め役の刑事さんも艶っぽさもキチンと描き出しているのに、ふたりそろってガキ大将っぽさがいい感じで出ているので、わたしとしてはサクサクと読めましたね。
そして、相方美作さんの苦労が報われるのはいつのことやら……

ホントは神認定したいですよ、でもそれをするにはいまでも本屋さんで簡単に手に入るという条件があるのでそれが困難なのが惜しいです。本当に復刊希望!

本気で将来が楽しみになる作家

美郷さん自身は「タイトル倒れ」だとお考えのようですが、実際のところはそうでもないのかなというのが率直な感想としてもっています。読んでいて不快に感じることもないですし。

逆に、美郷さんの書き方から感じてみえるのは「異性愛」のストーリーの土台無理なな脚色や設定がいかほどまでに虚構性をはらんでいるのかということを皮肉な意味でオーディエンスの前に提示できているということ。新鮮な発見でもなんでもなく、だれかが気づいていればすぐにでも分かるようなことかもしれないのだけれど、これを作家がしようとなると早々うまくいくものではないので(もちろん、わたしがやってもうまくいくわけではない)。

だからこそ、そこに何を求めるかが大きな問いとなって現れてくる。美郷さんの今後に期待でもしようかとおもいます。

Not サクリファイス・but 一途な愛

きゅーんとくるものがあります。愛おしいというのか、美しいというのか。

加納さん自身、下僕という言い方を逡巡する一こまがあったようで(あとがき参照)、まぁ恋の下僕ということでいいだろうとしたみたく。でもそれでよかったかもしれません。

下僕や忠誠の裏にある「サクリファイス」ではないけれど、一途な愛ならまだいいことがあることを祈りつつ。

後味の悪さだけが残る、大風呂敷ぶり(と予定調和)

正直、木原さん好きの方にはものすごくいただけないシリーズになっていたというのはあるのですが(木原さんの魅力がこれでもかというほどスポイルされていてうんざりしていたのです)、最終巻とされる本書を読んでなるほど原因はそこにあるのねと思いました。
どこにあるのかというと、そもそも組織の動機のまずさ。(木原作品との比較になってしまうところが悲しいのだけれど)単純な動機では人間が回らないはずなのに、このシリーズで登場する人々皆がそれで回っている。このまわし方はおそらく岩本薫さんやひちわゆかさんのプロットに近く、結局は予定調和の世界でぐるぐる回っているだけ。予定調和からぶっ飛んだところで何やらかすかわからない木原作品とは大きな違いとなってあらわれてくるのです(予定調和の世界で回しても結局は打開点がない。組織潰すとかのストリーがあったほうがむしろ私には受け入れられたかもしれない)。

木原さんの名前さえなかったらこんな評価はしないです、少なくとも。ということもあって、読み終わって評者としては後味の悪いものが異様に残っています。

ダマされた、でもまぁいいか

すいません、正直ダマされた!と思ったのですよ。
まさか攻め様入れ替わりになっているなんて!(未読の方すみません)あらすじがすでに崩壊している世界の中で、けなげにご主人様のことを思い図る受け様の痛々しさが可愛らしいのなんのって!思わず応援したくなっちゃうじゃないですか(あらすじが崩壊することがすでに既存の作品との明確な差異になっていることに注目せよ)。

早瀬さんも書き方がしっかりしてくるようになってきました。そろそろ本業のまな板の鯉にしてもいいかなと思えてきました、いいことです。

ただ惜しいのは、時代考察が少し甘いかなという部分と、スペシャルショートストーリー(正直おかしいものが多数あるんです、未読の方は確認を)。あれさえなかったらもっといい評価はしたんですけどね。

三角形でぐーるぐる

少々小難しい話も交えながら評価をしていきますのでそのつもりで。

一読して嫌なものを感じているのです。もちろん、大和名瀬さんの絵に文句を言っているわけでもなく、愁輔・彰史・そしてさつき(愁輔の姉)の関係が「三角形」になっていることが嫌なのです。というのも、(ルネ・ジラールが言うところの)「欲望の三角形」に見られる「主体・対象・媒介」が見事に当てはまってしまうこと。この作品で愁輔を主体として考えると

対象:彰史(攻めでも対象になるんですね、ジラールは言ってないけど)
媒介:さつき(たとえ、偽装結婚でもそうなる)

になってしまい、これから先がまったく無いのですから。
評者である私は、どうしてもこの外側で描いてほしいと思えそうなシーンでなぜそうしないのか(水城が何に恐れているのか、理解できないししようとも思わないにせよ)がわからず只今混乱しています。

ついでに。
「電車にも乗れない大学生って結構いますよ」と本書を読んだ某私鉄駅係員の友人がボソッとつぶやいていました、ハイ。