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表題作悲しみの涙はいらない

国枝政信、非情な手段も辞さない取り立て屋
上野遙、国枝に囲い込まれている高校生

あらすじ

母親に捨てられ、義父の借金のカタとして金融業を営む国枝に引き渡された遥。その美しく儚げな容貌で借金返済のために売春を強要されてきた。男達からの陵辱に耐えるため、固く心を閉ざしていたはずなのに、気まぐれに自分を抱いた国枝の言葉に何故か傷ついてしまう。端整な顔立ちだが冷たい目をした国枝の冷酷さに怯えながらも、垣間見える彼の孤独と優しさに遥の心は揺れ動き…。
出版社より

作品情報

作品名
悲しみの涙はいらない
著者
水原とほる 
イラスト
ヤマシタトモコ 
媒体
小説
出版社
フロンティアワークス
レーベル
ダリア文庫
発売日
ISBN
9784861342608
4

(23)

(9)

萌々

(7)

(6)

中立

(0)

趣味じゃない

(1)

レビュー数
9
得点
91
評価数
23
平均
4 / 5
神率
39.1%

レビュー投稿数9

辛かったけどそれ以上に温かかった。

1ページ目から暗い雰囲気で、前半は辛かったです。
遥の両親の失敗や無責任さが、何の落ち度もない遥に降りかかりやるせませんでした。
借金の形に国枝に引き取られウリをさせられて、完済までの果てしない未来に絶望する遥。
それでも”普通の生活がしたい”という思いが遥を支えます。
国枝は、挫けない遥に心を動かされ、きまぐれですが彼を引き取ります。

遥と国枝がじっくりと心を通わせていく過程が温かく、とっても萌えました。
萌えたポイントは、遥の揺れる心と国枝の人となりです。
遥は、国枝と一緒に暮らすうちに彼の本心が見たいと思うようになります。
遥の高校や大学進学の援助をしてくれたり、一方で平然と遥を傷つける言動をしたりと国枝の真意が分からず、遥は翻弄されて疲弊していたからです。
国枝に心を許した後で平然と捨てられたら立ち直れないと、揺れる心が切なかったです。

国枝は遥の繊細な気持ちなど気づくはずもなく、彼なりの(非常に分かりにくい)優しさと不器用さで遥を支えます。
傍から見たら、これ愛情の裏返しだろと思しかえないのですが、当事者にとっては金貸しと債務者という立場である限り、大部分が覆い隠されてしまうのでしょうね。
国枝も不遇の過去を持つ寂しい男です。
不器用であったり決して派手ではない渋さなどの佇まいに、頑なな心が滲み出ているようでした。
だからこそ国枝のデレとか素直な愛の言葉は感動しました。
どちらかというと報いを受けそうな悪人なのですが、幸せにもなってほしいと思わせる多面性のある人物像でとても魅力的でした。

2人は年齢が離れてるし(13歳くらい)、金融屋と債務者という合い入れない者同士に思えます。
しかし、お互い似たような境遇を持ち、心の奥の寂しさみたいな物は共通しているようで妙にしっくりきました。

遥にとって国枝は、初めて触れる大きく優しい愛だと思うのですが、国枝にとってもそうだと思います。
遥と出会ってから国枝は人間的な変化が起きたようなので、これから彼がどう変わっていくのかとても気になります。

6

David Loweのように

文語体を使いますのでご注意を。

正直最初はさしたる期待をしていなかったのだが、一読後評者の期待を大きく裏切っていい作品になっていることに驚愕した。
まず、主人公がどこまでいじらしいのだろうかと思えてならない。完膚なきまでに自己を否定された地点からどのような語りが生まれるのかということに大きなスポットが当てられる。
ついで、マスキュランな男性を水原が否定・排除していることも大きな特徴であろう。一見すると攻め役がマスキュランだといえなくもないが、彼もまた自己が感じた痛みを忘却することなく、たとえ「あしながおじさん」モドキになろうとも、である。
そして、痛みと暴力をどう見つめるかという目線が真剣であること。多くの作品における痛みや暴力は快楽の枠内で描かれるが、この作品ではそうしたものと一線を置いた何かで貫かれていることに注目したい。

イラストのヤマシタトモコもなかなかのイラストを描いている。あとがきコメントさえなければ、なおよかっただろうがそこまでは踏み込まない。

カウントダウンがなる一分間が心の安念になるように、この作品が心の闇を照らす作品であることを願ってやまない。

4

あしながオジさん

最初の方はかなり痛いです、実の母親に捨てられ義父には性的虐待を受けて更には借金のカタに売られて、客を取らされる境遇になった遥〔受〕
ともすれば絶望に流されそうになりながらもそれでもその境遇に身を置いている彼に、遥が売られる借金の原因ともなった金融業の国枝がまるで気まぐれの様に自宅へと遥を連れて来て、学校にも通わせてくれます。
国枝とのセックスは甘いものではないけれど、連日複数の客を取っていた生活と比べれば雲泥の差で遥は国枝の真意を測りかねるまま、彼の元で暮らします。
ラスト近くで国枝の口から語られる言葉で、その行動がどうしてなのかが分かるのですが、ある意味やはりこれは国枝なりのあしながオジさんだったんだなあ、と。

挿絵のヤマシタさんは、木原さんの「薔薇色の人生」の挿絵の時は良いなあと思ってたんですが、なんかこの作品にはあまり合ってない様な気がしました。
ヤマシタさんの漫画は好きなんですけどね、挿絵となるとちょっとなあ…ってのが正直なところ。

6

不器用な足長おじさんと健気な少年の切ない愛

泣けるお話でした。切なさや痛さと優しさが絶妙に調和していて、読後は温かい感動に満たされます。

遥(受)の境遇はひたすら悲惨ですが、彼は「涙はよけいに惨めにするだけ」と決して涙を見せません。健気さがいじらしいです。同時にどこか達観したところが、年齢不相応で、彼の境遇の悲惨さを物語るようで、切なくなります。 

一方の国枝(攻)は、何を考えているか分からない男。気まぐれから遥を引き取り、生活の面倒をみますが、決してやさしく接するわけではなく、時には暴力的に遥を支配する。水原先生いわく「極悪な足長おじさん」。 

表面的には全く正反対に見える二人が実は似ていることが明らかになって行く過程が、二人の気持ちが近づいて行く過程として描かれて行きます。その過程において、「痛い」描写はあるんですが、物語の流れを壊すものではないので、自然に受け止めることができます。この二人が近づいて行くためには、「痛み」を経なければならなかったのではないかと。

国枝が不器用で、遥に執着しているのに、突き放したように冷たく接し(実際はどう接していいか分からなかくてとまどっているのですけどね)、遥は国枝の内面を知りたいと思いながら、それを表に出せず、孤独感を募らせる。傷つけ-傷つけられるという関係でしか繋がることができなかったのは必然じゃないのかな。すれ違いを続けながらも距離が近づいて行く後半以降では、国枝が時々「お父さん」ぽい顔を見せるようになるのがツボでした。

表題「悲しみの涙はいらない」の意味は結末で明らかになり、国枝が遥を引き取った理由や遥に冷たく接していた理由も明かされるのですが、ホント、涙を誘われますよ。遥同様、国枝の不器用さが愛しく思えました。孤独を知る者同士、共に幸せな人生を歩んで行って欲しいですね。

6

極悪な足長おじさん

「極悪な足長おじさん」というのは、水原とほるさん自身があとがきの中で語ってるんですが、まさにその通りだと思いました。
面白かったです。
義理の父親にレイプされた挙げ句、借金を抱えて金融屋の国枝に拉致され、売春させられるハメになった主人公の遥。
その遥がある日を境に国枝のマンションに引き取られて生活や学費など一切の面倒を見てもらうことになる。最初は国枝のきまぐれです。
じわじわとお互いに恋愛感情を持ちはじめる様子が切なく描かれてました。
水原さんはストーリーテラーだと思います。
残虐なシーンを「物語の上での必然」と感じさせてくれる。
痛いけど痛くない、痛いけど切ない、みたいな。

5

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