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抱かれるたび、これが最後って思ってた
帯『抱かれるたび、これが最後って思ってた』
ゲイで大学生有也[受]は一夜限りの相手とかではなく、ちゃんと一人の人と巡り会って優しい恋愛やセックスに憧れてる純粋な部分のある青年。
その彼が行きつけのゲイバーでかつて子供の頃に己の心臓手術に関わっていた若き医師高林の姿を見かけ、彼に付いて行きます。
しかしこの高林はサディストで幼さの残る容姿が好みというやっかいな性癖。
憧れていた優しいセックスとは全く違う、ベルトで打たれ平手打ちされ翌日寝込む程のプレイをされた有也ですが、それでもまた高林に会いに行ってしまう。
虐められていてMに目覚めたとかではなく、ただひたすら高林が好きで好きだから酷くでもいいから抱かれたいんですね。おもいっきり健気受ですよー。
付き合っていく内に次第に見えてくる高林の心の病んでいる部分。
幼さを残した容姿にしか欲情しないという事は、有也が成長したら捨てられるという事。
それも含めて有也は悩みながらもそれでも高林が好きで離れられない。
そしてかつて己が患者だった事も言い出せずに居ます。
切ないんですが、幸い彼は大学でいい友人達に恵まれておりプライベート面では理解ある友人もいるのが救い。
ラストはちょっとこじつけっぽい気もしたけど高林の心の病みに救いの道が出来たんだからこれで良かったんだろうな。
水原さん作品らしくベルト打ちはかなり痛そう、あとグリセリン挿入の排泄もあるので苦手な方は注意。
でもこれが水原さん作品の持ち味の一つでもあると思います、自分は好きー。
更に排泄我慢してる時に宥めてくれるシーンはSMプレイなのに何気に優しくてエロシーンの中ではそこが一番好きでした。
健気受け炸裂な作品でした。
健気なんですが自分の思いにまっすぐな子という印象でした。
ただウジウジと待って受身でいるのではなく、こうしたいと思ったらなんとしてでも頑張る姿もあるし、読んでいてここまでやりきろうとするのはある意味、清々しい気持ちにもなりました。
乙女的見た目・思考の持ち主と描かれていますが、自分の気持ちに正直に突っ走り、泣いたり縋ったり攻めの靴を舐めたり相手の職場まで押しかけたりするのです。
終盤に攻めの高林が
「やめなさい。そんな真似をするんじゃない」
と言っても聞かないところもあり、水原さんは色白・女顔・ヘナチョコの三本柱と言っていますがかなり芯もあります。
文章も綺麗でした。
水原さんのこの作品に対する世界観がとても綺麗で題名通り、
「涙の中を歩いている」
というシーンなんかは、はぁ…とため息が出ました。
普通の乙女でゲイな子が、体の痛みなど心の痛みに比べたらなんでもないことと知ったとあるのですが、その通り一皮むけます。
なんという成長振り。
こんなに分厚い一皮もむけたのに、二人の続きがないのはすごく残念!
続編と言わないから、後日談を少しつけて欲しかった。
ストーリー性のあるSMが読みたくて手にした作品。
攻は生粋のSの医者だけど、受はMじゃなくて一般的感覚の大学生、というコンビで、SMモノとしてはやや珍しいカップリングです。
受が調教、開発されてだんだんMになっていく…という流れはよくありますが、それが成り立つのは受に多少の「Mの素質」みたいなものがあったという人物設定がある場合が多いです。
が、この作品は潜在的な「Mの素質」みたいなものをほとんど持っていないノーマルな子が受キャラだという点でとても新鮮でした!
生粋のS攻と素質のないノーマル受の愛。
創作者からすると、これはなかなかの強敵だと思います。
すべての読者がSよりのSM好きならいいですが、BLには「ラブ」が必要ですからね。
個人的にノリノリなMキャラを喜ばせるようなSMって好きじゃないんですが、何度やってもまったく快感の伴わないセックスを受に許容させるだけ…というのも受の子が可哀想になってしまうのでラブ要素が欠如しちゃう気がします。
そう考えると本当の意味でのSMをボーイズラブとして探求した作品というのは、攻と受の肉体的・精神的満足のバランスをとるのが本当に難しい題材なんだな…と改めて思ったり。
だからこそよくあるSM作品は、イヤイヤ言ってる受けの子も、潜在的にはMでした~という帰結に持っていきがちなのだと。
安易な展開を避け、あえて難しい道をいくような今回の作品は、
自分の意に反してサドという性癖を持ってしまった人物の苦悩と、そんな相手を愛してしまった人物の葛藤を惜しみなく描いており、自分ではどうしようもない『性癖』を抱える人の恋愛の難しさを訴えるものだと感じました。
BL界でSMとくるとどうもエロ重視作品だと思って見てしまうし、それを期待してしまうのですが…笑、この作品は少々方向性が異なる気がします。
SMプレイにも色々種類がありますが、バイブや媚薬などで快楽攻めにするタイプと、ムチや蝋燭などで苦痛攻めにするタイプに分けた場合、今回の作品のSキャラは後者のタイプです。(※蝋燭は出て来ません)
これも、BLのSMとしては珍しいことで、BLの「ラブ」をまっとうするにはハードルになる選択です。
なぜ作家はあえて後者のタイプのSを選んだのか…
快楽攻めタイプのSMはエロいし娯楽要素が強いですが、苦痛攻めタイプはバイオレンスな分不快感もそれなりにあるので、ラブを感じるのは非常に難しい。それこそ生粋のマゾじゃいかぎり…
そういうハードルがあるにも関わらず、扱うには難しい苦痛攻めのSを性癖として持つ攻キャラを選んだということをみても、作者が娯楽としてのSM要素を超えた次元で、描きたかったことが他にあるのだろう…と感じさせます。
斯く言う私自身、苦痛攻めはあまり得意ではないので、快楽攻めのSMにチェンジしないかな~なんて思いながら呑気に読んでたんですが、最後まで読んでみて、そうしなかった理由がなんとなく理解できた気がします。(実際の作家さんの思惑はわかりませんが…)
サドというものについて、性癖というものについて、またそれらを超えて人を好きになるということについて…
社会人としての地位や対面、夢や理想と現実との乖離など、いろんな要素を絡めながらなかなか深く考察された作品だと思います。
難点を上げるならば、生粋のS攻と素質のないノーマル受という、一見平行線な二人が寄り添うことの根拠が、最後の最後にやや強引な三段論法で説明されてる点でしょうか。
攻がSなのに受がMじゃない、という時点で、根本的に肉体の相性は悪いのだから、あとはこじつけだろうとなんだろうと理屈で理由付けして精神的に納得するしかないというのはわかりますが…
それにしても理屈っぽすぎる…
難しいのは重々承知していますが、もう少し納得できる根拠をあたえてほしかったというのが正直な感想です。
まあ、それができれば全世界の「性癖持ち×ノーマル」カップルが悩むことなんてないんでしょうが…^^;
とはいえ、全体を通して難しい題材に果敢に挑戦された作品だという印象が強く非常に好感が持てました。
SMを娯楽として描くのではなく、それを通して人と人との恋愛の難しさにスポットを当てた作品というか…そういう色々を乗り越えてお互いを選んだ二人がこの先どんなカップルになっていくのか、ちょっと続きが気になるような人々のお話です。
《個人的 好感度》
★★★★・ :ストーリー
★★★・・ :エロス
★★★・・ :キャラ
★★★★・ :設定/シチュ
★★★・・ :構成
ラストちょっと食い足りない感があったんだけど、とても面白かったです。
ああやっぱ、水原とほるさんは容赦のなさがステキ、と思いました。
生ぬるい、ただただ甘いだけの俺様攻めに少々飽きぎみの今日このごろだったのですが、改めて「水原とほるはすげーな」と思わされました。
容赦のない俺様鬼畜なドS攻めと、ひたすら健気な受け。
この作品のポイントは、攻めが執着攻めではないことです。(ある意味においては執着攻めなんですが)
「イヤなら俺から離れろ」と本心から言い、容赦なく受けをいたぶるのだ。
ベルトで背中を打ちすえるシーンなんて、読んでて貧血起こしそうなほど凄まじいです。
健気受けは必死でそんな攻めに食らいついていくんですよ。
受けの持つ武器は「好きという気持ち」と「耐えること」の、たった二つだけです。
弱々しいそのたった二つの武器だけを心の中に秘め持って、攻めを追いかけ食らいついていく。愛すべき健気馬鹿です。
物語は天国から地獄、地獄から天国へと移り変わる。
精神的な意味でも肉体的な意味でも。
この天国と地獄の緩急のつけ方が抜群でした。
こういう緩急のつけ方って、まさにSMなんだよね。
SMってホラ、いじめ抜いたあとの優しさが大事っていうでしょ? ご褒美があるからM奴隷は頑張れるのだ。「ひたすら甘さを与えられる」んじゃなく「いじめられた後に甘さを与えられる」からこそ、快感を感じられるのだ。
つまり、水原とほるさんは、読者にSMを仕掛けてるに違いないですよ。
そう、読み手はみんな、水原さんのM奴隷なのです。
苦痛まみれのセックスシーンを胸をヒリヒリさせながら読み、そのあとに「ご褒美」のようにして書かれてる甘いセックスシーンに歓喜を感じる。
ご褒美が嬉しくて切なくて、渇いた心を癒すオアシスのようで、むさぼるように読んでしまう。
なのにそのあと、また突き落とされたりしてさ。
もう勘弁してください!みたいな。
ヘロヘロです。
読んでる最中、私はすっかり女王水原とほるのマゾ奴隷と化しておりました。
そういうお話ですw
我こそは活字のドMだ!といわれる方にオススメです。
ともに水原とほる女王様にイジメられましょう。
大学生の有也は、自身の性癖に気づき、田舎から出て、ゲイバーに通っていた。
けれど、通うだけで特に誰かと店を出て行くわけでもなく、ただひたすらに理想の男性を待ち続けていた。
有也の憧れる相手はただ一人、自分がまだ身体が弱かった時に入院していた病院の研修医の高林だった。
彼は、幼い有也の相手をしてくれ、ずっと励まし続けていた。
恋人ができるならあんな人がいい――そう思い続けていた有也だったが、有也の通うゲイバーでその高林と再会する。
まさか、と思う有也だったがどうやら間違いはないらしい。
おまけに、店の仲間の中での高林の評判はあまりよくなく、サディスティックな趣味があり、相手を傷つけてしまうのだという。
周囲に止められたものの憧れてきた気持ちを抑えきれない有也は、ひどくされるのを覚悟で一晩の誘いをかけてきた高林についていってしまう。
ひどくされても我慢できれば、本気で好きになってくれるかもしれない――そう悲壮な覚悟で高林についていった有也だったが、高林との行為は周囲の評判どおりひどいもので、性行為の経験すらない有也はぼろぼろになってしまう。
それでも、高林のことを嫌いになれない有也は――
という話でした。
ちょっとSMちっくな話ですが、かなり本気で痛いので、私の求めるSMの美学とは違うのがちょっと残念。
いや、実際にSMがしたいのとは別に「私の理想のSM像」っていうのが私の中にあるんですよね。
それとは大分離れます。
かなり本気で有也のことを叩く。
それも有也が快感を感じているか、感じていないのか、に関係なく。
もちろん、有也にMの気質なんて最初からないので、それで感じちゃうのもそれはそれで問題なんだと思うんですが、お約束の「実はMの気質があって――」というパターンの方が読んでる側には痛くないかな、とは思うんですよね。
けれど、それはそれでお約束過ぎるので、あえてこういう形にしたのかもしれませんが――
Mじゃない受けとドSな攻めの話。
正直、性の不一致はきついと思うんだけどなー……と思うんですが、それでもくっついちゃうのが物語のいいところだとは思います。