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表題作平安情瑠璃物語

左中太,家臣,従者
槐丸,源氏,志田先生義廣の子の十六郎廣信

同時収録作品『平家落人伝説まぼろしの旗』

あらすじ

平安末期、源氏と平氏が絶え間ない争いを続ける戦乱の世。
ひなの家に、源氏の血を引く少年、志田十六郎廣信がいた。左中太は彼の圧倒的なまでの誇り高さに引かれ、ただひとりの従者となる。戦乱に散った主従の崇高な愛の物語。

作品情報

作品名
平安情瑠璃物語
著者
竹宮恵子 
媒体
漫画(コミック)
出版社
小学館
レーベル
プチフラワービッグコミックス
発売日
5

(1)

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萌々

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中立

(0)

趣味じゃない

(0)

レビュー数
1
得点
5
評価数
1
平均
5 / 5
神率
100%

レビュー投稿数1

丁寧で美しい耽美作品 

★不条理な時代の主従の純愛-耽美作:
竹宮恵子先生の絵がとても綺麗、こまの割り方や描写の工夫がされていて素敵でした。頁数の割りに安価です。1999年の作品なのに古さを感じないのが凄い。丁寧で綺麗な絵で主人公が不幸に落ちていく様の描写は、不条理の無常観を深めます。

★武士に関わる二つの話・・
武士の世界で育った武将の教経は、武士を捨てて一族を守り、
父を知らず志田の認知に拘った槐丸は、孤立無援のまま武士の誇りに縋って死滅する。

★武士の台頭を疎み、朝廷の計略で武士の共倒れを仕掛けていた戦国時代は、農と商が強かった。(時代は「どろろ」と同じ。どろろは加賀。槐は関東から京都が舞台)
この時代の物語は、病か戦か飢えて死ぬか、生き残りが難しい時代。不条理を乗り越えられない熾烈な淘汰によるバッドエンドが多いです。

---【平安情瑠璃物語】
⚠この物語は不条理による非業死が結末、哀しすぎて私は読後に強いトラウマを抱きました。

▼「志田先生義廣(しだ せんじょう よしひろ)」と、「左中太」
「槐丸」は幼名。「志田十六郎廣信」。父の志田は槐を認知しない代わりに、毎月生活費の料を届けていた。志田の下人の左中太は、料を志田から槐に届ける者。槐に家臣になれと強要された後の左中太は、庇護欲と愛を抱く。槐の憐れな姿を見る都度に母を思い出し、母と同じ慈愛で槐に接する左中太は、槐を捨てたいのに捨てきれない。

▼槐は元服を済ませ「志田十六郎廣信」の名で、参軍する。
あっけなく敗退となり、幼名;槐を名乗り、都を目指す。槐は、京都へ向かう道中に暴行されたり、飢えたり・・左中太は何度も槐を捨てようとするが、できない。次第に槐は、狂気を帯び死を求めるようになる。
死を望む槐 京に着き、残党狩りの関所で「志田十六郎廣信」と槐は名乗る。槐を左中太は抱えてその場を逃げ、その晩槐丸は死を望む。

★感想:
父を知らない槐が得たものは、左中太の忠愛と左中太への愛。 左中太は、葛藤しながら誇り高い槐を護る事に徹して生きた愛の人。
でも左中太があの時に殺すなら、もっと早く自害させて槐丸を楽にしてやるのが、従者の愛だと思う。
書評に「左中太がもっと美男だったら萌える」の意見がありましたが、槐丸の儚げな美と憐れさを強調するなら、あの逞しいブサメンで不器用な愛を貫く姿で良いのではないかと思います


-----【平家落人伝説まぼろしの旗】
もう一話の『平家落人伝説まぼろしの旗』は、武士を捨てて生きる道を選んだ話。

▼身代わり
幼い安徳帝を守り、身代わりを立てて逃避行を命じられる。平教経は幼名の国盛と名乗り、安徳帝を息子と偽り、四国へ落ちる。
元服を終えた頃、幼い帝は発熱、一晩であっけなく逝ってしまう。

▼生きる目的を失い、酒浸りになる国盛
ある日、剣を収めた峠で観音と清盛の幻想を見た。「一族を守れ」
そして、国盛は生前の安徳帝の、聡く思慮深い言葉や振る舞いを思い出す。
「朕はとっくに死んだ亡霊・・」
国盛を父と呼び、抱っこを喜んだ安徳帝。「手をつないで・・」「父上と呼びたい」
「これで最後にするから 父上と風呂にはいりたい」
平国盛は安徳帝に、平家再興ばかり考えて、淋しい人生を強いていた。
ここは、切ない。回想する国盛の後悔の場面で、泣かない人はいるのかな? 私は大泣きしました。

▼隠れ里で平家を継承
郎党と静かに暮らすことを選んだ国盛。
身代わりを引き受けた幼馴染も生きていて、隠れ里を探している。


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▼槐の父
「平安情瑠璃物語」の中に村上知彦氏による寄稿が有ります。
「吾妻鏡 マンガ日本の古典」竹宮恵子著 の「志田先生義廣」の10頁がこの作品の元。
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志田三郎先生:【志田義弘の反抗と木曽義仲と頼朝の対立】
源 義広/ 源義広/志田 義広/志田三郎先生(しだ さぶろう せんじょう):平安時代末期の武将。源為義の三男。頼朝の叔父。常陸国志田庄を本拠とし、帯刀先生の職にあったので「志田三郎先生」とも呼ばれる。

1180年(治承4年)、頼朝が挙兵して、鎌倉に武家政権を樹立。しかし、志田は加わらない。
1183年(寿永2年)2月20日 源頼朝討滅を企て、志田義広は常陸を発ち、下野に到着。
野木宮合戦で本拠地を失った志田義広は、その後、木曽義仲に合流、・・・翌1184年(元暦元年)正月、義仲が源範頼と源義経に討ち取られると、逆賊として追討を受け 同年5月4日、逃亡先の伊勢国羽取山で斬首される。

▼帯刀先生の職:【皇太子の護衛官の長」の職】
源氏・平氏の重代の武士が任じられた「皇太子の護衛官の長」の職、帯刀先生(たちはきせんじょう)/若年時に志田義弘は、都で帯刀先生の職にあり、後年関東に下向し常陸国信太荘(茨城県稲敷市)を開墾し本拠地としたため、通称を志田(志太、信太)三郎先生と呼ばれる。源義朝は異母兄、帯刀先生義賢は同母兄、左衛門尉頼賢、鎮西八郎為朝、新宮十郎行家らは異母弟にあたる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/源義広_(志田三郎先生)より引用

▼「槐」:花言葉「幸福」「上品」「 慕情」
原産地の中国では立身出世の縁起木 病魔を払い寿命を伸ばすとして延寿や縁寿と呼ばれる
種は漢方の材料

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★平 教経(たいら の のりつね)
平家一門の武将。平教盛の次男。平清盛の甥。初名は国盛。壇ノ浦の合戦では、八艘飛びの源義経を追い詰める。

★もう一つの平家物語:
文治元年(1185年)頃の阿波国(四国徳島県)祖谷地方の平家落人伝説。
https://nishi-awa.jp/heike/html/story/

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