水中雅章さんが気になり視聴しました。
水中さんは別の作品で、低音役の時の阿座上洋平さまにお声が似ていると感じたのですが、やはり似ているところがありました。
同性愛を特別視しない環境、健常者と障がい者で成就する恋愛、こうであってほしいと願う理想的な世界が描かれています。
ストーリーは身も蓋もない書き方になってしまうのですが、出会ってから恋愛成就までがハイスピードで、両想い絶頂期に受けが些細なことで自身の障がいに引け目を感じて一方的にその幸せから降りようとし、やっぱり忘れられないからと泣いて元の鞘に収まります。
この間、受けの思い込みだけで進行しており、攻めの心情が細かく描かれていないので、「攻め、貴様はそれでいいのか!(笑)」と思ってしまいました。
性行為をしたとわかる台詞はありますが、絡みのシーンはなく、ライトなリップ音のキスのみです。
女性が2人の関係に大きく関与する役で登場しているのですが、「しっかり台詞を言っています!」的な演技が、舞台演劇ならよいのかもしれませんがBLCDではややオーバーな印象で、性格が良くて好感が持てる役どころなのに、ちと鬱陶しく感じてしまいました。
そして、これは作品の内容とは関係ないのですが、Charme Gattoさんの別作品で、短いシーンにいちいち短いBGMがわりと音量大きめにつくのが耳障りだったのですが、こちらの作品にもそれが反映されていて、イヤホン視聴がメインのBL作品では致命的に苦手でした。
タイトルに使われている「ヤクザ」は冒頭のわずかな部分だけで、インパクトで目を引くタイプのタイトルに、本編の内容を合わせる「戦略」かな?と感じました。
ヤクザものがお好きな方には拍子抜けだと思いますが、そこがネックで躊躇っている方は冒頭の裏切り者への制裁暴力描写さえ耐えれば、あとはヤクザ要素で視聴意欲を削がれることはないかと思われます。
個人的に山下誠一郎さんのお声と演技は「演技感のない等身大の若者役」が一番魅力的だと思っているので、転生してからの受け喘ぎを含めた力みまくり、ガナリまくりが目立つTHEキャラクター演技が好みとは異なっていました。
あくまでも自分の好みとは違うだけです。
織田信長は貫禄と威厳を感じさせる雰囲気が必要な役柄だと思ったので、私が知る増田俊樹さんの他の作品の演技イメージからはピンと来ていなかったのですが、低音で落ち着いた話し方が合っていて違和感なく聴けました。
ストーリーは諸々の設定が表面的にウケるところだけをなぞっているような感じで、おそらくヤクザもの好き、時代物好きには深く刺さらず、キャスト視聴も好みが分かれそうなところです。
私の場合は残念ながら、どこにも刺さる要素がありませんでした。
性交渉に至る理由がズレまくっているのに、それを成立させてしまう碗島子さんの手腕に惚れ惚れします。
読み進めていくと「ズレていると思う私の方がおかしいのか......?」とジワジワ不安になるほど、あれよあれよとアブノーマルプレイをも許容してしまう浜崎ガラン。
坂本の自分への好意と思いやりを知り、自分自身の坂本への気持ちを自覚した途端にせっかちな江戸っ子でも称賛するほどのスピード感で告白するので清々しく感じました。
エロい描写が続く内容なのに、ガランが坂本とスーパーマーケットで偶然再会した際に、ガランのエコバッグからチラリとのぞいていた「生産者が毎日投げキッスをして育てたブランド和鶏『アイシタテ』」に気づいてしまってからがもうダメで、以降のストーリーがしばらく頭に入ってこなくなるほど笑い転げました。
他にも街角の「骨肉の争いを回避!相続のご相談 殴り合えるリング併設 ○○司法書士事務所」というような看板や、眼鏡を外して買い物中のガランが椎茸と里芋を見間違えているところなど、注目し始めると先に進めなくなるくらいに本筋と関係ない部分がいちいち秀逸で(笑)
碗島子先生の笑わせ方は私のツボの深層部に刺さるようで、一旦、忘れていたのに職場や電車の中でふとよみがえり「(顔が笑ってしまうので)マスクをしていてよかった~」と思うことがしばしばあります。
生々しい性行為描写、道具を使った行為には興味がないのですが、碗島子さんの作品はそれ以外の要素の魅力が唯一無二なので惹かれています。
こちらの作品は「金のエンジェル」のスピンオフだそうですが、この作品に限らず、本編でいい味を出していた気になるキャラクターでコミック1冊分新作というのはありがたいため、こういうラインナップの出版が増えて欲しいなと思います。
Dom×Subの作品には興味がなくて触れてこなかったのですが、阿座上洋平さんと松岡禎丞さんという二大巨星に惹かれて視聴しました。
内容はDom×Subの中ではおそらくマイルドな部類で、主人公の2人がDom×Subの特殊性を客観的な視点で捉えているので、初心者にも視聴しやすかったです。
「当人同士が幸せであれば世間の価値基準は関係なく『愛』である」という純愛ストーリーですが、DomとSubに関する当人たちの思い込み、世間からの誤解と偏見で傷つけられるシーンが重くもありました。
キャスト目的の視聴だったので、お2人の演技には大満足でしたが、劇中にDom×Subのプレイではなく、理不尽な理由で「気持ち悪い」という言葉が向けられるシーンが数ヶ所あり、そこだけは居たたまれなくなりキツかったです。
軽薄で身勝手な女性が度々登場するのと、松岡禎丞さんの乱暴な口調や怒鳴る演技が上手すぎて気圧されるので、そういうのが苦手な方には影響強めかもです。
私の中の『概念の阿座上洋平さま』は常に「おいで」を言っておられるイメージなのですが、この作品でも世界トップクラスの「おいで」を放っておられました。
Domの神代瀬凪を演じる阿座上さまは、普段はDomとしては思いやりに満ちた優しいトーンでコマンドを展開させているのですが、松岡禎丞さん演じるSubの立花壱哉が、自身のSub性を自覚すること、神代に惹かれていくことへの戸惑いから神代を拒絶する行動を取った際に、「Domの本気見せたる」となり、その時のコマンドの言い方は阿座上さまの声質と演技の真骨頂でした。
ここでシチュエーションボイスを引き合いに出すのは不粋ですが、シチュボを聴いたことがない私ですら、「そういう需要」にも応え得るのでは......と戦慄する破壊力を示していました。
そして、松岡さんの受け演技のリアリティたるや、本当に入ってきているかのような生々しさを喘ぎで表現できるなんて。
阿座上さまの吐息とわずかに漏れる声の絡み、この控えめな攻め仕草がだけでも瀕死なのに、松岡禎丞さんの喘ぎとの相性が良すぎて息が止まりかけました。
あと、これは作品の評価とは関係ないのですが、目で場面の切り替わりがわかる原作と異なり、音声のみだと展開がやや唐突に感じられたので、原作を読んでおいた方がより楽しめると思いました。
ここ最近、古川慎さんのユルくてコミカルなトークばかり視聴していたので、すっかり忘れていましたが、そうでした、この方は本気を出すと鳥肌が立つほどエロいのでした。
古川さんの声質があまり感情的にならずにグイグイ直球台詞を繰り出す攻めの志田の雰囲気と非常にマッチしていました。
受けの水原を演じる山下誠一郎さんはモラトリアム期の青年演技が天下一品だと思っているのですが、こちらでは大人の雰囲気が漂う社会人。好みの役柄ではありませんでしたが、これはこれで魅力的です。
誠一郎さんが受けを演じる作品はほとんど視聴しているのですが、この作品では意図的なのか、やや女性的に寄せた喘ぎのような印象を受けました。
誠一郎さんの受けは役柄が優しくて穏やかだとしても女性的ではなく、「男性」としての受け身に聴こえていたのですが、この作品では何故か女性的に聴こえました。
古川慎さんの雄みのせいだとしたら恐るべしですが、あくまでも個人的の感想です。
低音で落ち着きのある古川さんと誠一郎さんの演技がよかったので、キーパーソンとなる有村の社会人とは思えない幼稚声と話し方が耳障りで、もう少しどうにかならなかったのか......と思ってしまいました。
水原がこの後輩の有村を恋愛対象として好きだったのは意外でしたし、志田はいつからその事を確信していたのか、水原が有村の結婚へのショックを隠していることをズバリ本人に指摘します。
言い当てられた水原が志田の胸に飛び込んで泣きじゃくる展開、その後に関係がいい感じになってきたところで、すれ違わせるためのド定番演出「たまたま女性と居るところに出くわす」「ヨリを戻したそうな元彼の登場」などが続きます。
ここまで定番だと定石通りにハッピーエンドになる安心感があったため、ストーリーは気にせず、誠一郎さんと古川慎さんの掛け合いを堪能しました。
目新しさは感じられない内容でしたが、山下誠一郎さんと古川慎さんの演技はお見事でしたし、絡みのエロさは抜群だったので、定番BLを視聴したい気分の時にはもってこいだと思いました。
登場人物2人とも突き抜けた素直さがスパークしていて憎めません。
「行動」が素でジェンダーレス......と言える気がします(笑)
どちらもゲイやバイセクシャルというわけではないようで「彼女を作る」「男を可愛いと思うなんて」という台詞が出てくるわりには、男性同士の性的な接触をあまりにも抵抗なく実行しまくるので笑ってしまいました。
中島ヨシキさんと斉藤壮馬さんの演技が的確すぎて、「ジェンダー感覚がどこかズレているのに、それがどこかを具体的に指摘するのが難しい」世界観が完璧に再現されていました。
低音で淡々とあっさりすごいことを言い放つヨシキさん、ナチュラルに何かがズレているけど憎めない壮馬さん、狙っていないのにコミカルに感じられたのは、お2人の掛け合いのテンポやトーンが大きく貢献していると感じました。
絡みは、BL作品を嗜むことを公言されていらっしゃるお2人が我々腐女子を満足させない訳がない安定感で、原作紙面では文字情報だった喘ぎと息づかいがエッロく耳に飛び込んできます。
受け攻め演技の相性がよいからなのか、挿入からクライマックスまでやけにリアルに聞こえました。
コミカルとエロさの振れ幅が大きいのに、どちらの状態でも不自然さを感じさせなかったお2人の演技力には感服します。
登場人物の中には女性もいますが、BL作品にありがちなジャングルの奥地から聞こえてくる鳥の奇声のような甲高い声で話すモブではなく、静かな低音の変人で個人的に好感が持てました。
独特の世界観もクセになりますが、そこに中島ヨシキさんと斉藤壮馬さんの演技が加わり、最強の仕上がりに感じられた作品でした。
「キミゲイザー」ってなに??と思ったのが第一印象でした。
読み進めていくと「ああ、そういうことか」と登場人物の態度から理解できました。
イギリスの音楽シーン発祥のスラング「Shoegazer」のもじりで、「君ばかり見ている」という意味だと思います。
「死」を扱っている作品ですが、重苦しくはなく、読み進めているうちに「あの世」であることを忘れるくらいに軽快です。
冒頭で主人公があっさり命を落としてしまうので面食らいますが、すぐに舞台が死後の世界へと切り替わり、生前と変わらない姿で元気に過ごすので悲壮感はありません。
ただし、エピソードの中に愛するペットとのお別れを経験したことがある者を泣かせにくるシーンがありました。
※ペットがこの世を去ることを「虹の橋を渡る」と表現することがありますが、それにまつわる描写。
主人公がたどり着いた場所にいる人たちは全員死者ですが、特殊なのはその空間と「オニヌ」の存在くらいで、現世と変わらない姿で俗っぽい言動のまま過ごしています。
この「オニヌ」は鬼と犬の混ざったような見張り番の動物ですが、ふじとび先生が描かれる小動物の安定の可愛らしさがスパークしていました。
ストーリーは完全なハッピーエンドではなく「未来」に限りなくハッピーエンドの余白を残して終わります。
こういう展開は民話のようで、題材からも現代風の日本昔ばなしのような印象の心に作品でした。
こちらの感覚がおかしいのかと思えてくる世界観が魅力の碗島子さんの真骨頂のような作品でした。
描かれているのは相思相愛のピュアラブですが、どこか不穏な印象を与える表現は好き嫌いが分かれると思います。
冷静な第三者目線だと相当悲惨な目に遭わされているように映る人物がケロリとして元気だったりするので、正常な正義感も思わず揺らぎます。
性的な描写のテクニックはそれほどでもない印象ですが(ごめんなさい!)、変態行為が具体的に描かれているため、どエロく感じられました。
仄暗い淫靡さが漂う中にコミカルな言動が挟み込まれるシュールさも、益々正常な感覚をぐらつかせますが、この唯一無二の世界観がクセになり、碗先生の別作品にも手を出してしまう中毒性を感じました。
このような作品を生み出す碗島子さんというのはどのような方なのだろうと、インタビューやSNSを拝読すると、めちゃくちゃ常識的で気遣いを感じる発言をされる方で好感度が爆上がりしました。
好き嫌いの分かれる作風ではありますが、ハマってしまうと目が離せなくなる魅力です。
あわいろ絵巻の音声作品から入り、後追いで同人作品、商業コミックの一連のシリーズを拝読しました。
人物のタッチが人によってはノスタルジックに感じられるようですが、動き、コマ割、構成などのテクニックが高くて魅了されます。
感情表現と表情が乏しくクールな印象の「出雲」と対極のイメージである「子供」という組み合わせは、普通に考えると安易なギャップ萌えですが、出雲は幼少期に戻っても影があり、口数も少なく、元々の容姿も美しい設定のため、「子供らしさのない美子供」という、刺さる人には刺さりまくりの萌えに貢献しています。
こぎつねの山吹が汲んできた水が妖怪が涌かせている「若返りの水」だったために、それを飲んだ出雲が幼児に戻ってしまいます。
龍汰や山吹のことは記憶から消えており、両親が亡くなって、あちこちに預けられながら過ごしてきたことなどしか覚えていません。
この悲しい生い立ちのせいで、子供らしい思考や行動をとらない出雲が龍汰の役に立とうとする姿が健気で胸を締めつけられます。
龍汰はどうにかして元の出雲に戻せないかを探りますが、その方法は無く「時の流れに任せるのみ」
愛する人を不慮の事故などで突然なくす作品は多く目にしますが、自分と過ごした記憶がない状態の幼児の姿で存在するというのは、それとは異なる残酷さを持つので、龍汰の心情を思うと苦しくなります。
性的なシーンは具体的には描かれていませんが、クールな出雲が龍汰をダイレクトに求める台詞と性行為が始まる数秒前のような描写はあります。
ふじとび先生の作品の性的な描写は、あったとしてもキスまでで、次のコマは事後というパターンですが「エロいことしなさそうな2人の秘め事」感があり、色っぽく感じられます。
結末について全て語るのは無粋なので、「これまで拝読したふじとび先生の作品に鬱要素はなかった」とだけお伝えします。
読み切りの薄い本なので、あっという間に読み終わってしまうのが惜しく感じられる印象的な作品でした。
現時点での入手は中古市場のみになっていますが、内容に関する情報が少ないので、このシリーズが気に入っている方のなんらかの参考になれば幸いです。
山下誠一郎さん、大塚剛央さん、小松昌平さん、鈴木崚汰さん、好きな声優さん勢揃いなので嬉々として視聴しましたが、「(年不相応と思える)幼稚さ」を無条件に「かわいい」と思える価値観がないと、ちとキツく感じられる作品でした(笑)
価値観の違いや作品の否定、批判では全くありませんので、こんな感想を持つ者もいるのだな、くらいの気持ちでご容赦下さい。
山下誠一郎さんはモラトリアム期の青年演技が天下一品だと思っているので、この作品での幼稚さが際立つ口調は残念ながらわたくしには響きませんでした。
大塚剛央さんは、お声のバリエーションの中では低音で、抑揚控えめの男性的な演技です。
役割的には「受け」となっているのが意外でしたが、作中に性行為はないので、この作品では「受け攻め」を明白することはそれほど重要ではないのかもしれません。
小松昌平さんは高めのチャラ声と演技で、昌平さんの低音好きとしては好みとは異なっていました。
何故か状況、心情、なんでもわかってしまっているエスパーのような存在です(笑)
鈴木崚汰さんは期待していたほど登場しませんでしたが、作品中では一番、自然なトーンの年相応さがある演技でした。
双方の心情や行動の理由はラストで語られる構成で、その間、数年単位の時間経過が一瞬で進むので、音声作品だと展開がやや唐突な印象を受けます。
成就までの2人の進展に必要な部分は全てモブが担う形で進み、当人たちは思い込みや臆病さから能動的には行動しません。
この辺りは昭和時代に流行した純愛ドラマやマンガのような印象だと歴戦の腐女子おねえさまが言っておられました。
すれ違いに胸を焦がし、恋心を表現する恥ずかしい台詞などに心酔できるタイプの方にはたまらないと思われましたが、展開の早い作品に脳が慣れてしまっていると、もどかしく感じる要素でもあると感じます。
長かったすれ違い後にラストでいきなり2人が想いを遂げたので、それまでの停滞感に油断していた脳が面食らっていたら、2人は感動の涙を流すシーンに突入しており、完全に置いてけぼりをくらってしまいました(笑)
今回はキャスト視聴で、ストーリーは二次的な期待だったため予備知識もなく、個人的に「初」の世界観でしたが、色々なカテゴリーがあるものだな~としみじみと感じました。