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積み本の中に前作「ファラウェイ」もあるにも関わらずこちらを先に手に取ってしまい、シリーズものは時系列に読む派の自分としては「読む順番を間違ったか…」と思ったものの主人公カップルが別ということで読み進めました。読み終えた今、違う意味で「読む順番を間違った!」と思います。あまりにも深く感動してしまい、余韻から抜け出せないので、アシュトレトが無邪気に登場する(らしい)前作を読むのはかなり先になりそうです。
悪魔と人間のラブストーリーという王道といえば王道な設定で、そんなはずはなかったのに、泣き疲れるほど泣きました。泣ければいいってもんじゃないことは重々承知で言いますが、名作だと思います。英田サキさんの底力を私は見誤っていたのだと反省しました。
表題作はあらすじのイメージのとおり、切なさはありつつもハートフルなコメディタッチのドラマになっています。腹黒悪魔・アシュトレトの傲慢で俺様でどこかズレた感覚の一人称で書かれていて非常にテンポがよく、悪魔と人間という生き物としての違いもそこまで深く考えずに楽しめる展開で、この表題作だけなら私の評価はせいぜい「萌x2」だったと思います。
書き下ろしの「神さまには祈らない」「終わらないお伽噺」は、色んなことを考えながら、号泣しながら読みました。私を含め「魂の在処」というようなものに思いを馳せたことのある人ならとても心に響くと思います。答えのない類の話ですが、改めて、幸せとか、いま家族や好きな人が居ることとか…そういうことの意味を噛み締めて、また涙が出ました。
もしも、とてもとても丁寧に作って頂けるならば、CD化や映像化を期待したくなる素晴らしい作品でした。この物語と出会えて良かったです。
円陣先生好きで好きで、英田先生も大好きで。
前作で?とは思っていたのですが、やはり円陣先生の美しさに負けて
購入、読破。あまりに好きなので今頃ですがレビューを。
元作品のカップルが出てきてくれて、そっちの輪廻転生の結論に
人生の選択肢の奥深さを感じ、こっちのカップルの選択した結果に
すごい勇気を感じ、途中から号泣でした。
聖書に昔からなじんでいるので
神には祈らない という考えには、目からうろこでした。
人生なんでも自分の手で勝ち取れるよう努力しよう!という
メッセージを感じたのは私だけ?
きゅんしましたし、おおおお、そう来たかーという感慨深いものもありましたし、とっても印象ふかい作品です。
アシュトレトにはまってしまいました!
炬燵は危険だと言いながらまったりしているアシュトレト。マリーの愛らしさにキューとなっちゃうアシュトレト。ミシュラン並みに舌肥えてて、美味しいモノに惹かれるアシュトレト。…そして惹かれたものには、懸命に対峙して自分すら明け渡す。
愛おしい者の為、子供のように泣いているアシュトレト。…天使こそが、悪魔に見えましたよ。この高次元生命体はホント、人間が面白くて大好きなんだろうな~(ちょっと、歪んだ愛情表現あるけど)
レビュー書こうと思って読んでたら、そのまま全部読み!…ここのところよね~。と、思いながら、また全部読み!!なかなかレビューにたどり着けませんでした…隅から隅まで心惹かれるお話です♪
トピで薦めていただいた作品。『ファラウェイ』のスピンオフで、アモンの悪友アシュトレトという名の悪魔が主人公。彼は悪魔だからかその欲深さが人間より一層人間っぽくって、わたしにはとっても魅力的なキャラクターだったんですよね。魂の一部を預けた相手に忠実なアモンとは対照的に、自分の持つ能力を最大限に謳歌しているアシュトレト。人間だったら不遜で身勝手な快楽主義者かもしれません。何度も生まれ変わり少しずつしか成長できない人間をバカにしながら、ゲームを愉しむように人間の身体を借りて肉体でしか得られない快楽に耽る。でも欲が深い分、欲に動かされる部分も大きいことが彼の弱点だったりするのです。ふふ。
散歩の途中に立ち寄った教会で、アシュトレトは牧師のアシュレイと知り合う。その娘で五歳のマリーにぞっこん惚れ込んでしまったのが運の尽き。よもや彼を生まれ変わらせる出会いを呼び込むことになろうとは…。マリーがお気に入りのケーキを作るパティシエ、上総達朗から気持ちを向けられ、アシュトレトは人間と恋に落ちる。何度も何度も同じ人に惹かれてしまうのは、前世でも出会っていたから?言い古されたセリフに説得力を与えてくれる二人の愛の軌跡は映画のようにドラマティックです。
書き下ろしの「神さまには祈らない」ではアシュトレト側の世界について触れられていて、大天使ミカエルとアシュトレトの愛憎関係が示唆されていたり(実はここに萌えた自分がいる)、人間と人間ならざる者の結びつきに課されたリスクや天界の秩序なんかを分かりやすい物語にしてくれています。やっぱり悪魔は天使さまに懲らしめられるのよね。個人的にはラファエル推し。でも登場しないので、彼だったらどんなキャラとして登場したんだろう?とか妄想するのもまた楽しかった。
極めつけは最後の「終わらないお伽噺」。もう、感想を書くこと自体が野暮な行為になりかねません。とにかく実際に触れて、味わって欲しくなります。随分昔、学生時代に友人から教えてもらったブライアン・ワイスの『魂の伴侶』を読んでいて、ここにきて「転生」がBL設定として最大限に生かされていることに少々複雑な思いがしましたが(苦笑)、もし魂や愛の力を信じているのならば、楽しませてもらいつつ、こんなに気持ちが救われる物語はありません。
オススメしてくださった方、本当に素敵な物語との出会いをありがとうございました。
実は前作『ファラウェイ』が今一歩私には合わなくて、このお話は読んでいなかったのですよ。
読んで良かった!
流石、御大。
名作!
今までも素敵なレビューが沢山ありますので、感想のみを。
アシュトレトは『悪魔』とされていますが、本人は『人知を越えたエネルギー体』と自分を定義づけています。時間や空間の観念を超えるものなのですね。だから死なないし、空間移動は出来るし、人の記憶を弄ったり、魂が人間の体から抜け出さない限りは肉体損傷をした生物を修復することも出来ます。
そういうエネルギー体を人が勝手に『悪魔』とか『天使』とか『妖精』とか、勝手に呼んでいると、アシュトレトは言っています。
だから、不幸な事故で牧師のアシュレイが死んでしまった時その体に入り、幼い娘マリーを育てようと思ったのも、事故を起こしたパティシエの上総と体の関係を持ったのも、ある意味『単なる気まぐれ』だったんだろうな、と思うのです。
でも、気まぐれから始まった3人の暮らしを意外なほど彼が気に入り、そこに安らぎを見いだしてしまうんですね。マリーの成長をずっと見届けたいと思ったり、上総の真っ直ぐな気持ちに応えたいと心底、思ってしまうのです。
これは『ファラウェイ』で主人公だったアモンと珠樹の関係に影響された所為もあるかもしれません。
全能の存在として人間社会を俯瞰する立場ではなく、自分もその中で喜びを感じたかったのではないかと。
『天使』との諍いがあり、3人の暮らしはアシュトレトが思い描いていたものとは違った形になります。
未読の方にはお手に取って読んでいただきたいので詳しくは書きませんが、これがね……泣けるのよ。
どんなに大切なものでも、人として生きる限り必ず、別れの日は来ます。
だけど、それは全ての終わりなのか?
慈しみあった日々、輝いていた日々は雲散霧消してしまうのか?
もしそうなら、私たちが今生きて感じていることがとても軽く哀しいものになってしまいます。
上総がアシュトレトに残した言葉は、一つの回答だったと思うのです。
いや、私も「このお話と全く同じ様になる」と言うつもりはありませんよ。
ただ、生きたこと、愛したことは何らかの形で残るということを信じたい。
永劫の時を生きるエネルギー体であるアシュトレトの存在を通して、英田さんが伝えたかったことはそれなんじゃないかと思いました。
恋愛を通した『生と死』や『生きる意味』に直結する感動的な物語です。
いやー、やっぱり御大の皆さまが繰り広げてくれるお話は良いなぁ。