再販作品なのにマンスリーレビューランキング第1位になっていることに興味を引かれて、うっかり手を伸ばしてしまいました。戦争もの、あんまり得意じゃないのに。しかし、読み始めると物語の世界にたちまち引き込まれてしまいました。
電子書籍で読んだので文庫の物理的厚みはわかりませんが、個人的体感では、休憩なしで読んだとしたら二時間かからず読めるほどの分量だと思います。
でも、そんなに長くはない作品だけれど、あえて小刻みに休憩を入れなければ読めなかったです。物語の吸引力が凄すぎて、どっぷりハマると当分脱け出せず、読後虚無の日々を過ごしてしまいそうな気がしたのです。
それはラバウル島の風景描写が眩しくて、零戦の構造や飛行の様子がまるで本物を見ているかのように詳細に描かれていて、三上と浅群の切実な心情が自分のことのように伝わってくるからです。
戦闘描写や空爆の場面の真に迫る描写には鳥肌が立ちました。残された時間の無いことに追い立てられながら切実に相手を求めて愛を交わす三上と浅群には心臓をギュッと鷲掴みにされたように苦しくなりました。
なんて凄い小説としか言いようがないです。これを、商業BL小説というターゲット層がごく限られた範囲に絞られたジャンルで読めるという贅沢……。
出来たら普段はBLは読まないという方にも読んで欲しい名作です。
上下巻まとめての感想です。
人が豹になる設定に、古のテレビドラマ『闇のパープルアイ』を思い出しつつ、なんか激しい物語なのかな? と思ったらそんなこともなく、ぼんやりとした概念商業BLをまんま絵に描いたような話でした。
絵がめちゃめちゃ綺麗です。豹がけっこうリアルに豹! って感じで、特に膝関節の辺りとか首筋のところとかが最高です。動物好きにはたまらないと思います。
一番好きなシーンは源慈の膝の上でごろんごろんする豹化琥士郎のところです。リアル豹なのに表情がでれんでれんに融けてる。精悍な野性動物のはずなのに、極めつけの駄犬みたいな顔になっちゃって。そんな情けない様に覚える、背徳的な喜びよ……。
ストーリーは上記の通り概念商業BLストーリーなので、端から端まで既視感がすごくて、しかしここまで何処かで見たネタを豪速球でビシバシ投げまくって来るのは逆に凄いのかもしれない……数打ちゃ当たるならぬ数打ちゃ蜂の巣ってやつだ……と正直自分を奮い立たせて頑張って読みました。ぶっちゃけ、頑張らないとちょっと難しかった……。
豹、だと思っていた琥士郎が実は天使のようなものだと発覚したところで、私は考えるのをやめました。これは考えるな! 感じろ!、系のお話なのね!? 固いことは抜き抜き! 固いものは抜き抜き……。そういうことだったのかぁ。
と悟って以降は楽しく読めました。
人生に疲れて息抜きと癒しを求めている、動物好きで疑似親子萌えの癖をお持ちの方におすすめです。
本格江戸BLの5巻です。
今回は、かつての火消し仲間と再会した万次さんが、過去と向き合う話です。ずっと避けていた実家にお百を連れて帰った万次さんは、父親に三つのけじめをつけると宣言します。
というシリアス展開なので、ももまんにしてはエロがやや少なめ。登場人物たちの会話から、江戸時代の人々には男色がどの様に受け止められていたのかが語られます。
現代では、江戸時代の人々は性に奔放で同性愛にも寛容だったかの様に言われることもありますが、やっぱり封建時代がそんなにフリーダムな訳もなく、万次さんとお百の関係性はどこまでもイレギュラーで受け入れられ難いものだったのです。
世間の白い目を承知で、ただ普通の夫婦の様に暮らしたいと素朴に願う二人。一見先のことなど考えないその日暮らしをしている様に見える彼らが、初めて将来のビジョンについて語ります。
果たして彼らの夢は叶うのか。次巻も楽しみですが、その前に、千と兆さんが主人公のお話になるらしいですね。
ほんわかした表紙ですが、中身は重症ガチ兄弟BLです。
本書を読む上で注意しなくてはならないのは、いわゆる「グルーミング」と呼ばれる性的虐待の手口を想起させる表現があることです。そういったことにトラウマがある方は、無理に読まない方がいいと思います。
兄のユキと弟のオミは、二人暮らし。ユキは交通事故の原因で記憶障害を患い、高校生なのに小学生のような知能と精神を持っており、そんな兄をユキが世話しつつ、無知につけこんで性的関係を持っている。有り体にいえばそういう話です。
見た目・精神ともに実年齢にそぐわぬ幼さの兄とは対照的に、逞しい体を持ちしっかり者のオミなのですが、兄の事を「にーに」と呼び、異常な執着心でもって束縛しています。
ストーリーと設定はグロテスクなのですが、絵柄がとても可愛くて清潔感があるのと、脇役達の倫理観がしっかりしているので安心感があり、スルスル読めてしまいました。
作中の台詞にもあるのですが、男同士の兄弟が裏で愛し合っていようが性行為をしていようが、子供が出来る訳でもないし、何ら問題がないと言われれば、反論し難いです。しかし、そういった後ろ暗い関係性に溺れる心理にはやっぱりなんと言うか不健康なところがあるように見えます。
しっかりしていつつも、年下らしい頑是なさで兄に迫るオミ。一方で、自分の欲が弟を正しい道から外し傷付ける事を畏れ、何が弟にとって最適なのかと葛藤し続けるユキ。
歪んでいるようでいて、互いにきょうだいを愛する気持ちは真っ直ぐであるということに心打たれました。
創作の世界にも現実同等の倫理道徳観を要求するのが当たり前の昨今ですが、想像の中では時に道を外れてもいいじゃない、と思う方におすすめです。
長野まゆみ先生の初期作品です。最近は青年同士のBLの様なものやミステリーが多い長野作品ですが、本作品は古きよき少年愛・耽美系の長野作品です。
三つの短編「白薇童子」「鬼茨」「蛍火夜話」が収録されています。どれも大人のお伽噺的な作品です。お伽噺が元は寝所で語られる寝物語であるならば、正統派のお伽噺といっていいのかもしれません。要は、すごくエロスでした!!
「白薇童子」
貴族の少年が父の代わりに母の敵である夜叉・白薇童子に仇討ちしようとする話。白薇童子の部下である女狐視点の物語です。ユーモアがあり、登場人物の掛け合いにはフフッとなります。
「鬼茨」
武家の少年と能楽師の子が、過失から帝の縁者・蜜法師に呼び出され酷い目に遭わされる話。残酷でありながら背徳的な色気があります。高畠華宵の描いた、緊縛された南蛮小僧の図に萌える人向けです。
「螢火夜話」
将軍家の嫡男として生まれた双子の兄弟。しかし世継ぎは二人も要らないということで、侍女の苅安は双子のうちの一人を人知れず始末するよう命じられます。ところが苅安は預かった緑児に情が湧いてしまい……。というよくある貴種流離譚と見せかけて、ラストは思わぬ展開に。
本書が発表されたのが1994年と、今ほどモラルに煩くなかった時代なのもあり、倫理道徳?なにそれ美味しいの? といわんばかりの突き抜け感。官能と無性別的な少年の美しさを極めています。なので、物語にも現実のモラルや常識を持ち込まないと気が済まない方には絶望的に合いません。現実と空想の区別をきっぱりつけられる方のみお楽しみください。
※めちゃめちゃネタバレします。これから読もうと思ってる人向けの感想ではありません。
深夜の公園で「後輩」の恋愛相談を聴いている「先輩」という、全く同じ漫画のラスト違い。
Aがバドエンバージョン、Bがハピエンバージョンに見えますが……。
もしかして、「後輩」が亡くなるエンド・後輩が生存しているエンド、という二つのif世界を描いた作品なのではなく、両者共に亡くなっているが結末はちょっと違うという話なのでしょうか?
Aのラストでは、「後輩」は明らかに幽霊なのですが、一方「先輩」も幽霊なのではないかと。というのも、ラストシーンで「先輩」は裸足で黒猫と共に星の橋を渡っていくからです。
一方、Bでは「先輩」ちゃんと靴を履いています。
「後輩」は無事「先輩」と仲直りして……もしかすると「後輩」が帰らず引き返して「先輩」に謝ったことにより運命が変わったように思えます。
ところが気になるのが、AとBでの「後輩」の台詞の微妙な違いです。
A「それとも、来世で結、」
B「……それとも、来世まで結婚する?」
世とでの間に「ま」が挟まるだけで意味が大きく違って見えるような?
「来世で結婚する?」は、もちろん、今世では結婚出来ないという意味ですよね。結婚する前に死が二人を別れ別れにしたからです。
一方、「来世まで結婚する?」の場合は二通りに解釈できるかなと思うのです。
①死が二人を別つまで一緒にいたい。
②(俺らもう死んでるので)生まれ変わる時が来るまで一緒にいたい。
ちなみに②の場合、もしかすると「先輩」は死んでいないという解釈もありかもしれませんが。
この台詞の違いを私は②と解釈し、二人とも亡くなっているものとし、Aは「先輩」が「後輩」を殺してやりたいと思ってしまったことを悔やんでいるというパターン、Bは「後輩」が「先輩」に素直に想いを伝えたため、二人は死後の世界で幸せになったパターン、と考えました。
また、Bのラストの「先輩」の一言も気になるポイントでした。
「朝までぶっ殺す!」
ただのギャグにも見えるけど、Aで後悔してい
る様子だった「先輩」とはうって変わって豪快に「ぶっ殺す」と言っている「先輩」。彼は他の場面では、
「殺したら殺せなくなんだろ」
と言っています。死んだらそれ以上死ぬことはないから、罪悪感なく「ぶっ殺す」と言えるのかなあと。絶対不可能だから冗談となる、ということです。
うーん、捻らず読んで、「後輩」死亡ルートと「後輩」生存ルートの二つのif世界と読んだ方がいいのかなぁ。私の深読みしすぎでしょうか?
ともあれ、大切な人に対してでも殺したいとか死ねばいいのにとか思うことはあるものです。
しかし、それを口にしたり、あるいはただ思ったりしただけでも、もしも現実に大切な人が死んでしまったら、いくら後悔しても足りないですよね。たとえ大切な人を死に至らしめたものが、自分の思いとは全く関係ないものだったとしても。