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抱かれるたび、これが最後って思ってた
BLは一話完結が主で、頁数の兼ね合いがあるからだと思うけど、経緯説明や心情描写が不十分だと思う。
水原さんの「痛いSMもの」を何冊か続けて読んだけれど、この作品は余り面白くない。
高林が歪んだ動機が不明だし、ユウが高林に執着する理由が幼い。
過激なSM場面を書きたいだけの構成だったんじゃないのかな?
心臓病の自分を執刀してくれた若い研修医。
その研修医と10年後に、なんと東京のゲイ専のバーで偶然出会う
二度目に会った時、マスターに「あれはダメ」と忠告されても、本人確認をしたくて、ユウはついていく。
何度も確認されて、SMプレイに同意をしたユウは、自分の決心を後悔するほど傷つけられる。
でも傷が治ると、また高林を探して纏わる。
身近に優しい人が居てもユウの眼中にない。
傷つけたくない高林に何度も別れを告げられても、食い下がる。
高林は、大病院の外科医。
心臓病の子を執刀する裏で、Sプレイでなければ満足できない自分の性癖に悩んでいる。
別れを告げられて、職場にまで行ってまとわりつくユウに、高林がついに根負けする結末。
真から病むS気質なのに、高林はこの先ずっと安心できるのか謎。
あー攻め様が犯罪者にならなくて良かったです。このまま受けを出会っていなければ確実の犯罪者ですよ もー危ない危ない 自分でもわかっているのにやめられなくて悩んでいる攻めが可哀想な気分になりました。こんな攻めを愛してくれる受けがいてよかったです。このまま何事もなく幸せになってくれたらいいなぁと思いますが、もしこの話に続編があるなら私的にはちょっと怪しいというか「どうなの2人?」と疑ってしまいますよ!攻め様のこの思考はどうにかなるのでしょうか?それとも人間はなかなか変わらない生き物なのでしょうか?
ストーリー性のあるSMが読みたくて手にした作品。
攻は生粋のSの医者だけど、受はMじゃなくて一般的感覚の大学生、というコンビで、SMモノとしてはやや珍しいカップリングです。
受が調教、開発されてだんだんMになっていく…という流れはよくありますが、それが成り立つのは受に多少の「Mの素質」みたいなものがあったという人物設定がある場合が多いです。
が、この作品は潜在的な「Mの素質」みたいなものをほとんど持っていないノーマルな子が受キャラだという点でとても新鮮でした!
生粋のS攻と素質のないノーマル受の愛。
創作者からすると、これはなかなかの強敵だと思います。
すべての読者がSよりのSM好きならいいですが、BLには「ラブ」が必要ですからね。
個人的にノリノリなMキャラを喜ばせるようなSMって好きじゃないんですが、何度やってもまったく快感の伴わないセックスを受に許容させるだけ…というのも受の子が可哀想になってしまうのでラブ要素が欠如しちゃう気がします。
そう考えると本当の意味でのSMをボーイズラブとして探求した作品というのは、攻と受の肉体的・精神的満足のバランスをとるのが本当に難しい題材なんだな…と改めて思ったり。
だからこそよくあるSM作品は、イヤイヤ言ってる受けの子も、潜在的にはMでした~という帰結に持っていきがちなのだと。
安易な展開を避け、あえて難しい道をいくような今回の作品は、
自分の意に反してサドという性癖を持ってしまった人物の苦悩と、そんな相手を愛してしまった人物の葛藤を惜しみなく描いており、自分ではどうしようもない『性癖』を抱える人の恋愛の難しさを訴えるものだと感じました。
BL界でSMとくるとどうもエロ重視作品だと思って見てしまうし、それを期待してしまうのですが…笑、この作品は少々方向性が異なる気がします。
SMプレイにも色々種類がありますが、バイブや媚薬などで快楽攻めにするタイプと、ムチや蝋燭などで苦痛攻めにするタイプに分けた場合、今回の作品のSキャラは後者のタイプです。(※蝋燭は出て来ません)
これも、BLのSMとしては珍しいことで、BLの「ラブ」をまっとうするにはハードルになる選択です。
なぜ作家はあえて後者のタイプのSを選んだのか…
快楽攻めタイプのSMはエロいし娯楽要素が強いですが、苦痛攻めタイプはバイオレンスな分不快感もそれなりにあるので、ラブを感じるのは非常に難しい。それこそ生粋のマゾじゃいかぎり…
そういうハードルがあるにも関わらず、扱うには難しい苦痛攻めのSを性癖として持つ攻キャラを選んだということをみても、作者が娯楽としてのSM要素を超えた次元で、描きたかったことが他にあるのだろう…と感じさせます。
斯く言う私自身、苦痛攻めはあまり得意ではないので、快楽攻めのSMにチェンジしないかな~なんて思いながら呑気に読んでたんですが、最後まで読んでみて、そうしなかった理由がなんとなく理解できた気がします。(実際の作家さんの思惑はわかりませんが…)
サドというものについて、性癖というものについて、またそれらを超えて人を好きになるということについて…
社会人としての地位や対面、夢や理想と現実との乖離など、いろんな要素を絡めながらなかなか深く考察された作品だと思います。
難点を上げるならば、生粋のS攻と素質のないノーマル受という、一見平行線な二人が寄り添うことの根拠が、最後の最後にやや強引な三段論法で説明されてる点でしょうか。
攻がSなのに受がMじゃない、という時点で、根本的に肉体の相性は悪いのだから、あとはこじつけだろうとなんだろうと理屈で理由付けして精神的に納得するしかないというのはわかりますが…
それにしても理屈っぽすぎる…
難しいのは重々承知していますが、もう少し納得できる根拠をあたえてほしかったというのが正直な感想です。
まあ、それができれば全世界の「性癖持ち×ノーマル」カップルが悩むことなんてないんでしょうが…^^;
とはいえ、全体を通して難しい題材に果敢に挑戦された作品だという印象が強く非常に好感が持てました。
SMを娯楽として描くのではなく、それを通して人と人との恋愛の難しさにスポットを当てた作品というか…そういう色々を乗り越えてお互いを選んだ二人がこの先どんなカップルになっていくのか、ちょっと続きが気になるような人々のお話です。
《個人的 好感度》
★★★★・ :ストーリー
★★★・・ :エロス
★★★・・ :キャラ
★★★★・ :設定/シチュ
★★★・・ :構成
大学生の有也は、自身の性癖に気づき、田舎から出て、ゲイバーに通っていた。
けれど、通うだけで特に誰かと店を出て行くわけでもなく、ただひたすらに理想の男性を待ち続けていた。
有也の憧れる相手はただ一人、自分がまだ身体が弱かった時に入院していた病院の研修医の高林だった。
彼は、幼い有也の相手をしてくれ、ずっと励まし続けていた。
恋人ができるならあんな人がいい――そう思い続けていた有也だったが、有也の通うゲイバーでその高林と再会する。
まさか、と思う有也だったがどうやら間違いはないらしい。
おまけに、店の仲間の中での高林の評判はあまりよくなく、サディスティックな趣味があり、相手を傷つけてしまうのだという。
周囲に止められたものの憧れてきた気持ちを抑えきれない有也は、ひどくされるのを覚悟で一晩の誘いをかけてきた高林についていってしまう。
ひどくされても我慢できれば、本気で好きになってくれるかもしれない――そう悲壮な覚悟で高林についていった有也だったが、高林との行為は周囲の評判どおりひどいもので、性行為の経験すらない有也はぼろぼろになってしまう。
それでも、高林のことを嫌いになれない有也は――
という話でした。
ちょっとSMちっくな話ですが、かなり本気で痛いので、私の求めるSMの美学とは違うのがちょっと残念。
いや、実際にSMがしたいのとは別に「私の理想のSM像」っていうのが私の中にあるんですよね。
それとは大分離れます。
かなり本気で有也のことを叩く。
それも有也が快感を感じているか、感じていないのか、に関係なく。
もちろん、有也にMの気質なんて最初からないので、それで感じちゃうのもそれはそれで問題なんだと思うんですが、お約束の「実はMの気質があって――」というパターンの方が読んでる側には痛くないかな、とは思うんですよね。
けれど、それはそれでお約束過ぎるので、あえてこういう形にしたのかもしれませんが――
Mじゃない受けとドSな攻めの話。
正直、性の不一致はきついと思うんだけどなー……と思うんですが、それでもくっついちゃうのが物語のいいところだとは思います。
健気受け炸裂な作品でした。
健気なんですが自分の思いにまっすぐな子という印象でした。
ただウジウジと待って受身でいるのではなく、こうしたいと思ったらなんとしてでも頑張る姿もあるし、読んでいてここまでやりきろうとするのはある意味、清々しい気持ちにもなりました。
乙女的見た目・思考の持ち主と描かれていますが、自分の気持ちに正直に突っ走り、泣いたり縋ったり攻めの靴を舐めたり相手の職場まで押しかけたりするのです。
終盤に攻めの高林が
「やめなさい。そんな真似をするんじゃない」
と言っても聞かないところもあり、水原さんは色白・女顔・ヘナチョコの三本柱と言っていますがかなり芯もあります。
文章も綺麗でした。
水原さんのこの作品に対する世界観がとても綺麗で題名通り、
「涙の中を歩いている」
というシーンなんかは、はぁ…とため息が出ました。
普通の乙女でゲイな子が、体の痛みなど心の痛みに比べたらなんでもないことと知ったとあるのですが、その通り一皮むけます。
なんという成長振り。
こんなに分厚い一皮もむけたのに、二人の続きがないのはすごく残念!
続編と言わないから、後日談を少しつけて欲しかった。