おまけ付きRenta!限定版
ゆき林檎先生、5年ぶりの紙コミックスは、天狗のような不思議な男と少年の和風ファンタジー。
キレイなおとぎ話のようでいて、孤独を生きるほろ苦さも描かれています。
pixivコミックで5話まで読めるので気になる方は試してみてください。
ただし、とっても気になるところで終わるので、続きを読まずにはいられないと思います。
コミックスには6話+描き下ろしが収録されています。
捨て子だった修一郎は、育ててもらった祖母も亡くし独りぼっちで、悪い霊から逃げようとして怪我をしてしまう。
それを助けてくれたのが、山伏の恰好で天狗の面をつけたテン。
行く宛のない修一郎に、テンはここを使っていいと言ってくれた。
一緒に暮らすのだから天狗の面を取って欲しいとお願いすると、テンの顔は、修一郎が繰り返し見る夢に出てくる男に似ていた。
そして修一郎も、テンの好きだった人に似ているらしく…
修一郎はテンと一緒に魚や木の実を取り、魚を売ったりしながら静かに暮らしていたけれど、町で助けた男の居酒屋で働くことになった。
修一郎はいつまでも山で暮らすわけにはいかない。
自立するためには人里のなかで暮らしたほうがいい、テンだってそれはわかってる。
でも修一郎から頼みたいことはないか?と聞かれると、
「どこにも行かず、ずっと私の側にいてください」と本音を漏らしてしまう…
それはテンが心の奥底から絞り出した、たった一つの切なる願い。
妄執に等しいその思いがテンを不老不死の人ならざる者として、今ここに存在させている。
「一緒に生きたい」過去の叶えられなかった願いに囚われたままのテン。
そして修一郎こそが、一緒に生きることができなかったテンの想い人の生まれ変わり。
テンが修一郎を助けたのは偶然なんかじゃない、修一郎が生まれた時からずっと見守ってきた。
テンにとっては修一郎がすべて。
修一郎だって、前世で命が尽きる時にテンと生きたいと願っていた。
共に生きたいと想い合ってる二人が出会えたのだから、一緒に生きていけばいいと思う。
でも不老不死のテンは人に交じって生きていくことはできないし、かといって山の中に修一郎を閉じ込めておくこともできない。
愛しいから側に居てほしい、愛しいから人として幸せに生きてくれることを願う。
何が正解かわからないテンの葛藤は苦しくなります。
愛しいから触れたい、でも触れるわけにはいかない。
そんなギリギリの愛情表現が唇でない頬へのキス。
軽く触れただけなのに、その一瞬にどれだけの想いが詰まっていることか…
今生の修一郎はまだ10代の少年で、恋もしたことはない。
前世の記憶がおぼろげにあって、テンに惹かれ始めてる。
修一郎はまだ子供だから、人と離れて生きていくこと、自分だけが老いていき、いつかテンを置いて逝ってしまうこと、事実としてわかっていても、実感としてはわかってない気がします。
修一郎は、テンの箪笥の中に女物の櫛を見つけ、自分以外の誰かがテンと一緒に居たかもしれないと嫉妬をして、どうしようもなくテンに惹かれていることを自覚する。
テンは昔も今もただ一途に修一郎のことだけを想っている。
その方がお話としては綺麗です。
でも、修一郎と再会するまでの数百年間、テンは別の誰かと踏み出そうとしたこともあるけれど、修一郎への想いを断ち切ることができなかった。
その事実があるほうがテンの長い孤独と苦しみがより伝わってきます。
そして、修一郎は子供だから、恐れを知らずに、思ったままの願いを素直にテンにぶつけることができたんだと思います。
素直な言葉だから、テンの孤独なままの心にも届いたのだと思います。
二人のずっと先の未来のことは描かれていません。
でも描き下ろしでテンが言葉にした新たな願いは、それまでの後悔とは違ったものだから、妄執は消えて、テンは人としての時を取り戻せるのかもしれません。
キレイなおとぎ話の中に、人間の業と孤独を織り込んだようなお話。
ゆき先生の儚げな絵によって世界観に引きこまれていきます。
※ゆき先生、紙コミックスは5年ぶりですが、2018年末に電子オンリーで『セカンドワールド』が発売されています。
こちらも切なく読み応えのあるお話なので、紙本化されて広く読まれるといいのになぁ。
昭和28年が舞台のファンタジー。
天狗のような面をつけた不思議な青年と、身寄りのない少年の出会いから始まるお話は、私がイメージする仏教の世界そのままに、穏やかで慈愛に満ちていながらも、どこか儚げで物哀しい。
優しく綺麗な絵。丁寧な描写。
主人公2人の性格も、穏やかでいい意味でテンションが低いので、刺激を避けたいとき、クールダウンしたいとき…など、落ち着いた読書をしたいときに大変お勧めできる作品です。
以下、ネタバレがあります。ご注意下さい。
捨てられ児の修一郎は、拾い育ててくれた祖母を亡くしたため、育った地を離れ、職を探して一人で生きていくことを決意します。
昔から「何か」を感じる霊感に近いもののある修一郎は、道中感じた念により倒れてしまったところを、天狗のような面をつけた不思議な青年に助けられ、介抱を受けることに。
その男は自らを「テン」と名乗り、二人は山の中の家で奇妙な共同生活を送ることとなります。
実は修一郎には昔から見る夢があり、テンはその夢に出てくる人物にそっくり。
テンに強く慕う人物がいることを知った修一郎は、嫉妬のような感情を抱いたりと、自分の中にある感情の正体がわからず戸惑います。
近づきそうで近づかない、微妙な距離を持った2人がとてもよい。
そんなある日、事件に巻き込まれた修一郎は、夢の正体と自分の前世の記憶に気付き…
ここから今度は過去のテンと修一郎の物語が。
このパートがまたすごくよかった…
修一郎はテンが強く慕う人物の生まれ変わり。
輪廻転生した修一郎に対し、テンは業のために転生の輪から外れた“天狗道”を歩む、人ではない別のもの。
同じように歳を重ねて死を迎えることが出来ない2人の関係が、とても切ない…
優しさと慈愛に満ちているのに、ハッピーエンドなのに、どこか悲しくて不安な気持ちが付き纏う「種」の違う者たちの恋。
どうか2人が次の転生の渦に飲み込まれてくれますように。そう願わずにはいられません。
ゆき林檎先生、ずっと気になっていたのですがこちらが初読みになります。
まずは積み本となっている『玉響』から早速読まねば!!!
あんまりにも読みたくて、いつも使っているサイトとは違うサイトで購入しました。
いつも使っているサイトでは取り扱いがなかったので・・・・
お寺の稚児だったテンと前世が阿闍梨の修一郎のお話です。
わかってはいたけれど、阿闍梨の千日回峰行(と思われる)の途中で死を覚悟する
日記をテンが見つけて読んだときに泣けました・・・・
死を受け入れられる人だったけれど、テンのために生きたいと思った
そのときの愛をなんて表現したらいいのかわからないくらいジーンとしました。
阿闍梨の骨のそばで命を絶とうとしたテンが実はその思いを達せず、
命がつきない体(まさに天狗)になっていて・・・・
天狗、って切ない・・・・
修一郎が阿闍梨の生まれ変わりで、本来は阿闍梨×稚児だったのが
受け攻めが自然に逆転してましたね。
時代も昭和20年代、自然と人が共生していた時代なのかなあ。。。と
ぼんやり知りもしない時代に思いをはせました。
絶対絶対二人に結ばれてほしかったので、結末も大満足でした!
モブの変態男はモブとして作品の中で生き切っていましたw
ナイスなスパイスです。
女性もでてきますが、決してガツガツした自分本位の人ではなく
相手を思いやる性格で描かれていたので、幸せになってほしいなあと思います。
私はフィクションなのだから、全員幸せになれー!と思う方なのですが
終わり方が続いていく未来の見える幸せの形もいいなあ・・と思います。
作品の内容と描写線がマッチしていて(玉響もそうですが)
この作家さんにはひと昔前の和の雰囲気のBLをずーっと書いていってほしいなあと
思います。
はー・・・読めてよかった・・・・。
ゆき林檎先生の久しぶりのコミックスです。
さすがとしか言えない、BLとしてだけでなく人の愛や業、様々な思いが先生の繊細な描写と共に読みごたえある作品になっています。
ファンタジックで、愛に溢れた内容でありながら
人間の欲や弱さ、醜さや浅ましさも同時に表現しながら、永遠の愛とはどういう形で存在するのかを主人公二人が百年以上の時を経て教えてくれるのです。
読み進めて行くと、読み手はきっと二人がずっと一緒にいられるよう、彼らの永遠の幸福を祈らずにはいられなくなると思います。
巡り巡って出逢うことができた奇跡を、今の幸せを手放さないで欲しいと願ってしまうのです。
前世で想いを残したまま、死別しているテンと修一郎。
一度悲しい別れを経験しているテン(攻め)は、いつかまた来るであろう修一郎(受け)との別れに耐えられないと、苦しみ続けます。
一方毎夜みる不思議な夢に出てくる男がテンによく似ていることから、ひとつの仮説を立てテンに詰め寄り真実を知る修一郎。
登場人物も多く、それぞれの人物描写もとても細かいので
この人がどんな人物なのか、非常にわかりやすく
ストーリーは複雑で中身は濃い長編ですが
最後まで夢中になって読み続けてしまいました。
とても美しく哀しいお話です。
最後に少しだけ二人の絡みのシーンがありますが
これがまた、非常に美しいのです。
二人の永遠の幸せを願いなから、温かい気持ちで読み終えることができた作品です。
神でした!
素晴らしい作品ほどどう評したらいいかわからない現象が発生してます。
それほど心に響きました。
まず表紙が良い!
ゆき林檎先生の繊細な絵柄が非常に活かされています。
物語的には雪降る寒い冬の印象ですが、表紙は桜(おそらく)が満開で春の暖かい空気を感じます。
テンが人間で修一郎は上人様であった頃雪に埋もれた白骨死体での再開だったことを考えると、緑の草の上花に囲まれた二人のこれからは明るいものだとうかがえます。
ここで二人が抱き合って笑顔で幸せ!ではない所がいい。
テンがお面なのはファンタジー感を出すのにも重要だと思いますが、テンの表情がわからない+修一郎も笑顔ではない。
この状態だからこそ人と人でないものが一緒に生きていく困難で不安定な二人の関係性がよく現れていると思います。
このお話は大団円というわけではないと思います。
テンが死ぬor(自覚なしだとしても)来世でテンと修一郎が出会う1コマがあって終わりかなと予想していたら……さすがゆき林檎先生、そんな甘くなかった。
二人で生きていくと決めたけれど未来がどうなったかはわかりません。
なんなら修一郎は「僕も天狗になれるかな」と言っています。
このほの暗さが簡単にはいかない複雑で切ない関係を表しているようで心臓がギュウとなりました。
読者さえ二人が幸せに生涯を終えたのかわからない、その結末を描かない終わり方はテンと修一郎の世界だけがあるようでとても美しいと感じました。