お買い得商品、セール品、中古品も随時開催中
ノベルス版『箱の中』の続編。一般書としての文庫版には収録されていない【雨の日】【なつやすみ】を含む完結編ともいえる1冊です。
もし文庫版しか読んでいない方は、ぜひこちらにも目を通されることをオススメします。
■檻の外
長い空白の期間を経て、ようやく堂野を見つけ出した喜多川が再会を果たす所から夢を形にするまでを描いた話。
「家があって、堂野がいて、犬が飼える」
喜多川が抱き続けたささやかな、されど、不可能にちかかった遠い夢。
なぜなら、堂野は結婚し子供がいて、すでに自分の居場所をもっていたから…。
喜多川はその現実に打ちのめされました。だけど、諦めることはできないので、可能な範囲で堂野のそばにいようと足掻きます。
大好きな主人に飛びつきたいのに、ずっと「待て」をしてシッポをぶんぶん振っている犬のごとく、終わりの見えない日々をただひたすらに耐え忍びます。
物語の視点となるのは堂野。
愛する妻と子供がいる堂野からすると、喜多川の出現は歓迎すべきものではなかったはずです。
しかし、喜多川という男の悲しい過去や痛々しいほどの真っ直ぐさを知っているため、突き放すことはできません。
喜多川が望んだ形ではないけれど、友人としてならそばにいたい…。
堂野の葛藤と喜多川の忍耐の勝負のような日々です。
その感情のせめぎ合いは独特の緊張感があり、膠着しているようで、ずっと揺れ動いているのです。
結局、展開を進めたのは、堂野の妻や娘を含め、周りの人間が巻き起こす状況の変化でした。
大きすぎる犠牲を伴うどうにもやるせない辛い事件がきっかけで、二人の距離が近づくというのも皮肉なものです。
万事が万事うまくいくというハッピーエンドが虚構であることを改めて認識させるような、最後まで厳しく甘さのないシナリオでした。
そういう辛い現実に何度もぶつかりながら、堂野も、喜多川も必死に生きていて、そしてこの先も楽な道ではないことを理解しながら、ふたりでいることを決意するのです。
「家があって、堂野がいて、犬が飼える」
たったそれだけで幸せそうに笑う喜多川にどれだけ堂野が救われているのか。
きっと喜多川は知らないでしょうが、そんな喜多川という男がほんとうに愛おしく思う作品です。
■雨の日
シリーズを通して唯一、喜多川の視点で書かれた短編。
堂野と同棲をはじめ、花火大会の話をしたり、浴衣を買ったり…と、何気ない日常を綴った話。
二人のこれまでを思うと、そのふつうに過ごす日常がどんなにかけがえの無いものかがわかります。
堂野が大好きでたまらない、毎日が幸せすぎてたまらない、そんな喜多川が心のなかでジタバタしてる感じがとても微笑ましく、そしてちょっぴり泣けてくる、そんなお話。
補足ですが、作中、スペインに旅行にいこうと約束するシーンがあります。
【番外編・すすきのはら】に、海外旅行に行った時、ホテルのベッドがツインだった、とあったので、きっと二人で建築途中のサグラダ・ファミリアを見上げたこともあったのでしょうね。二人の旅行編も読みたいなあ、と強く思いました。
■なつやすみ
『雨の日』の7、8年後から喜多川の最期までを描いた作品。
堂野の戸籍上の息子、尚(ナオ)の視点から書かれており、離婚したお父さんとしての堂野や、堂野の友人で一見怖いけど子供好きなおじさんとしての喜多川がみれます。
毎年、夏休みの間だけ会える堂野と尚の家族ごっこ。
実は血のつながりがないという事実を尚が知るまで続いた習慣の中で、尚はたくさんのことを堂野と喜多川から教わります。
疎遠になった後、尚が密かに慕い続けたもう一人の父・堂野と再会したのは、喜多川の葬儀の席でした。
思いもよらず早すぎた喜多川の死を悼み、思い出と感傷に泣き崩れる尚の姿を綴った描写は、そのまま自分にも当てはまるようで、2冊を通してずっと喜多川の人生を追ってきた私も泣き崩れました。
怒涛のように涙がとまらず、悲しくてかなしくて仕方なかった。
「圭の方が先でよかった」と、こんな時まで喜多川を案じる堂野に、追い打ちのように泣かされて、それでもやっぱりその通りだなあ、と心から思いました。
喜多川は幸せものです。
誰がなんと言おうと、幸せな人生を生きたんだと。
そう思うのです。
たくさんの登場人物のたくさんの視点を通して、喜多川圭という男の人生を描いた作品。
そんな「ひとりの一生」という大きな時間の流れを感じさせるのはやはり【なつやすみ】があるからです。
【なつやすみ】の収録されていない文庫版では、残念ながらそこまでのスケールは感じられません。
もちろん、一般書として『箱の中』を世に出すのであれば、なくてもいい部分ではあります。
見返りを求めず、性別をも凌駕し「真実の愛」を探求した男たちが、どんな選択をするのかが重要だからです。
その先にある平穏な日常や老いて死んでいく過程は、知りたい人だけが知ればいいことだからです。
私は、ひたすら真っすぐで純真無垢な子供のような喜多川が大好きです。
彼の生き様に心を打たれ、彼の幸せを願ったひとりなので、死の間際まで堂野との愛を貫き、幸せに生きたんだということを読み収めることができて本当によかったと思いました。
読んで後悔することはきっとないと思うので、文庫版しか読んでない方はぜひ、こちらも読んで見てください。
ただただ直向きに、一生懸命愛を貫いて生きた喜多川の人生を見届けてあげてほしい、と心から思います。
《個人的 好感度》
★★★★★ :ストーリー
★★★★★ :エロス
★★★★★ :キャラ
★★★★★ :設定/シチュ
★★★★★ :構成
読んでて、とても苦しかったです。
『FRAGILE』を読んだとき以上に、木原音瀬さんは鬼畜だなと思いました。まさか穂花ちゃんを殺すとは思わなかった。
単純に考えて、妻と娘は、ドラマチックなかたちで主役二人をくっつけるためのアイテムなのだ。不愉快極まりない嫁にすることで、読者の目をそっちにそらし、主役二人が結ばれることで当然感じるべき罪悪感を完全に消した。
以上のことは読み終えてしばらくたってから思ったことで、読んでる最中はまったくそんなことは思わず、物語のなかに入り込んで、ひたすら号泣しながら読んでたんですが。
穂花ちゃんが死んだときの堂野の妻の狂乱も、苛立たしかったはずなのに、再読してこの妻のことを好きになりました。
あわれだとは思った。けど、罪悪感にうちひしがれて落ち込む暇もなく息子が生まれ、その後きっちり息子を育てあげたのは彼女なんだよな、と思って。女は現実のなかで生きている。彼女をイヤなやつだとは思えなくなった。
『なつやすみ』が良かったですねぇ。
『ニューヨーク・ニューヨーク』でも取られた手法ですが、ゲイ夫婦の晩年を子供の視点から描く、という。
喜多川というイビツで不幸な男の、愛にみちた後半生を、心から祝福しました。
良かったね、喜多川。
私はあなたが愛しいよ。
こんなBLをもっと読みたい。
魂が震えるような。
考えさせられるような。
綺麗事ではすまない人間の業、その醜さと優しさの両方を同時に味わうことができるような。
>>かにゃこさーん
そ、そんな謝らないでくださいな!お気持ちだけで嬉しいです(*´∇`*)
そうそう、かにゃこさんのレビューに飢餓感を煽られたんですよ。養子縁組のイキサツ…し、知りたい…。
小冊子短編を追加しては再出版というカタチでもいいので、ファンなら『またかよ!アコギな商売だぜ!』と思いつつも買うので(それでもオークションよりは安いしw)、本当に商業本のなかに入れてほしいです。
私も小さな一歩として、要望を出してみようかな。この場合は木原音瀬さん宛てに出すより、出版社さんに出すほうがいいのかな。両方がいいかな。
『箱の中』『檻の外』の二部作、ちるちるにファンがたくさんいて、こうやってコメントしあえること、本当に嬉しいです。
一人でシコシコ読んでるだけじゃ得られない感動まで得られて二度オイシイって感じですw
>>うえおさん
うえおさんもですか!
いつかレビューしてくださいな。首を長くしてry
でも好きな作家さんほどレビュー書きづらいって面、絶対にありますよねw
木原音瀬さんの作品もそうなんですが、英田サキさんや榎田尤利さんや高遠琉加さんなどに、私もまだまだ未レビューな既読作品がたくさんあります。
『すすきのはら』は、出品されてるのを見かけることも難しくなってるような…。
小冊子ほどではないですが、木原音瀬さんの作品を集めるのは大変です(涙)
某レーベルから出されてた絶版本の数々は、まんだらけで『ひー』と叫びたくなるような値段で売られてましたし。
投げ売りのような値段で売られてるBL古本も多いなか、コノハラーイジメだ(涙)
乱菊さーん!
うおー!読みたい…!
『すすきのはら』ですよね?ちるちるのこのレビュー欄で触れてるかたもいますが、どのブログを読んでも評判がよくて、読みたくて読みたくて読みたくて。
鼻垂らすどころか、カラダ中の穴という穴からへんな汁を垂れ流しながら読む自信があります!
乱菊さん、ランチどころじゃなかったでしょうねw
掲示板で小冊子レビューがあればいいなという話が出てましたが、レビューだけでも読みたいです。
さらに飢餓感が煽られて死にそうになると思いますが、それでもイイ。
乱菊さんもいつかこの傑作二作品をレビューしてください!首を長ーくしてお待ちしてます。
でも、なかなか書けない気持ち、めちゃくちゃよく分かりますw読み返せないという気持ちも。痛いというより、重い作品で。
こんにちは~。
箱と檻ですが・・・私も数年前に初めて読んだっきり、殆どちゃんと読み返せないシロモノなんですよねえ、これら。
だってすごい切なくなっちゃうから(。´Д⊂)
そしてその後に出た小冊子が、これはね、むつこさん鼻たらして泣いちゃうかもしれん・・・というくらい号泣ものです。
わたくし、待ちきれずにランチしながら読んだのですが、かなりヤバかったです。
ぶわってきました。
この2冊、レビュー書きたいんですけども、なかなか書けないやつらなんです。
だって読み返せないから~。
この人は心底凄い作家さんだと認識させられたこの連作。
当時はそのネームバリューも知らないまま読み始め、現実を完全に忘れ貪るように読み耽り、そして読後は放心してしまいしばらくわたしは使い物になりませんでした。
尚視点の最終話「なつやすみ」を読み終わった瞬間、よく分からない感情の渦が込み上げ枕に突っ伏したのを覚えています。
穏やかな話にも関わらず、涙が勝手に次から次へと…。
喜多川というどうしようもなく寂しい人間が、たった一人の男に取り憑かれたように焦がれ、受け入れられ、生きる喜びを知ることが出来た。
その事実がただただ嬉しかった。
人を殺すことの意味さえ知らなかった喜多川が、一日の出来事を人生になぞらえ「楽しいこともあれば嫌なこともあるってことさ」と言えるようになったことが心から嬉しい。
登場人物が幸せになってくれたことを、これほど嬉しいと思わされたBL作品を他に知りません。
萌えが先行しがちなこのジャンルの中で木原作品は、男同士という以前に人間同士だということを思い知らされます。
男×男の話ではなく、喜多川圭と堂野崇文という二人の人間の話なんだと。
脇の人々も各々の都合と思いがあり、その結果の人生があります。
特に堂野と妻の一件では、人間の浅ましさが目を背けたいくらい迫ってきて、犠牲になるのは(尚や喜多川も含め)いつでも子供たちなんだというリアルさが辛かった。
それでも母親として生きたその後の彼女の強さに、ひどい女だと簡単に切って捨てられないものも感じました。
どうして箱じゃなくて「檻の外」なのかなあとずうっと考えていました。
生きようが死のうがどうでもいいと言った喜多川に、堂野が打ちひしがれる場面での一文。
『幼い頃、粗末に扱われたことが…これほど人を絶望させるのかと思った。』
喜多川が自分に全く価値を見い出せないことの理由がその生い立ちにあるのなら、確かに喜多川の中には、母親の残した呪縛のような檻があったのかも、と思いました。
その後に続く
『誰か、誰かあの男を愛してやってくれないだろうかと堂野は思った。うんざりするほど愛して、そして二度と死ぬなんて言葉を口にできないように、愛情と責任でがんじがらめにしてくれないだろうかと、そう思った。』
という自身の願いを、結果的には自ら叶える事になった堂野との日々が、喜多川を変えていきます。前編通しての喜多川の変遷が、ほんとに素晴らしい。
二人は男同士だから遺伝子は当然残せません。
それでも、満たされた日々で成長した喜多川が尚に諭した言葉…それが更に尚の子供に伝わるエピソードに、こんな形で二人の遺伝子が残るんだと、胸が温かくなりました。
堂野に会えてほんとに、ほんとに良かったね、喜多川。
それに尽きる本です。
再読です。でも以前読んだのは講談社文庫版で、物語としては一応の完結をみているものの、この作品を評価する上でとても大切な部分が欠けていました。こちらの蒼竜社版を読んで、はじめてスウッと腑に落ちました。後書きで作者の木原さんは言っておられます。「喜多川の人生を書ききった・・・」わたしたち読者の側からすれば、それは「見届けた」となるのでしょう。BL作品では、どうしても身体を含めたLOVEが主題となるために、人が最も華やいで恋に血道を上げる時期を中心に描かれます。1人の人間の一生を丹念に、それこそ当人が亡くなった後まで追いかけるというのはそれ自体とても稀有なことでしょう。この本の最後に収められた「なつやすみ」。ここまでたどり着いてようやく、喜多川圭という人は本当はどんな人だったのか、その波瀾の生涯をどんなふうに受け止めればいいのかが、おぼろげながら見えてきます。
お話は堂野の息子・尚が、小3の夏休み、幼いころに生き別れたお父さんにひとめ会いたいと、堂野と喜多川が暮らす海辺の町を1人で訪ねてくるところから始まる。諸々複雑すぎる事情を抱えて戸惑いを隠せず、ぎこちない接し方しかできない堂野。一見とっつきにくそうに見えて、すぐに子どもの心をわしづかみにしてしまう喜多川。同じ目線で、全力で遊んでくれる彼は、おさない子どもにとって最高の夏休みの相棒だ。でもいけないことをしたときには、大人としてちゃんと叱って、教えてくれる。「いいこととわるいことがわかってりゃ、それだけでいい」
尚はじきに堂野とも打ち解け、毎年夏休みの3日間を2人と過ごす。思い切り遊んで、会えないときは電話して、母子家庭では話しづらい思春期の悩みや、進路の相談もして・・・母の再婚で「新しいお父さん」ができても、尚にとっての父なるものは堂野と喜多川がすべてだった。満たされていた。大学進学を控えて、自らの出生の秘密を母に打ち明けられるまでは。
一方の堂野と喜多川。同性を生涯の伴侶に選んだ時点で、実子をもうける可能性は閉ざされている。失くしてしまったとはいえ一度は妻子を持ったこともある堂野に対し、喜多川の人生は子どもとはどうしたって縁がなかった。いちずに思い続けた堂野と添い遂げられて喜多川的には本望だったろうが、2人の関係が社会的に認められていたわけでもない。(この作品が世に出て10年以上の月日は流れたけど、日本で同性婚が法的に認められるには道なお遠しの感がある。最近になってようやく一つの区で同性カップルに証明書を出すようになって、それが大きなニュースになるような、いまだにそういう国なのだ。)
ごみ溜めに放り投げられるようにして育ち、母に請われるまま10代で殺人犯となって、20代のほとんどを刑務所で過ごすという、あまりに過酷な喜多川の前半生。それでも誰を恨むでなく懸命に生きて、人を愛する心も喪わなかった男に、人生の後半は少しくらい神様のご褒美があってもいいじゃないか。大人たちの複雑な事情を知らず、ただ愛されるために飛び込んできた尚は、まさにそういう存在だった。
物語は、大人になり、結婚して父となった尚が、5歳になる息子を連れて再びあの海辺の町へ向かうシーンで終わる。このとき喜多川はもうこの世にはいない。かつて自分が喜多川に言われた言葉そのままに、息子を諭す尚。血のつながりなんてなくても、そこには確かに、喜多川が手渡し、尚が受け取ったものが息づいている。それはもう立派に「子育て」だったんじゃないだろうか。ゲイカップルの地平をひとつ広げた作品だったと、あらためて思います。草間さかえさんのイラストも、質実剛健なくせに色っぽくて、ほかは考えられないくらいハマってました。
刑務所で別れて6年後。妻子とともに平凡ながら平和な毎日を過ごす堂野の前に、突如、喜多川が現れます。刑務所にいた頃と同じ、あるいはそれ以上の情熱で堂野に執着する喜多川に戸惑いつつ、彼の一途で不器用な様子を放っておけない堂野は喜多川を自分の日常へと招き入れます。
何も知らないけれど堂野を愛していると言い切る喜多川と、手にしていたはずの幸せを見失って途方に暮れる堂野。二人はそれぞれに傷ついて、最初は真正面から同じだけ想い合っていたわけではないけれど、時間をかけてかけがえのない存在になっていく――。二人の人生がゆっくりと一つになる物語です。
堂野視点の表題作「檻の外」、喜多川視点の後日談「雨の日」、そして尚の視点で書かれた「なつやすみ」が収録されています。
「檻の外」はドラマチックな展開で、人生の波乱万丈が分かりやすい形で語られています。面白いなーと思ったのは、堂野に降り掛かった不幸は喜多川と再会してもしなくても起こり得たことなんですよね。堂野がどうしようもなく弱った時に傍にいる、そのために喜多川が現れたのかも…と考えると、喜多川は天使みたいな男だなと思います。まぁ当の喜多川は堂野こそ天使だと思っていそうですが。
「雨の日」「なつやすみ」は案の定、泣いてしまいました。一番近いのは…嬉し泣きかなぁ。喜多川が大切にされていること、まるで堂野と再会してから生き直したように素敵なおじさんになっていたこと、真っ直ぐな考え方、尚との関係、沢山の人に愛され、幸せに包まれて旅立ったこと。そのすべてが本当に嬉しかった。思い出しても涙が出ます。
私は、死について考えるとついつい涙が出る涙腺弱いマンですが、年を取って、天国で待っている人達にやっと会えるなーと思いながら死ぬのも悪くない、なんて考えるようになりました。そのためにはちゃんと生きて、胸を張って天国に行かねばならないわけですが。「一緒に死にたかったな」と言いながら、あのボロ家で一人暮らす堂野はいい男ですね。強いばかりじゃないけれど、いい男です。彼のことを思うとまた胸が詰まりますが、きっと喜多川は絵でも描いて待っていると思うので、焦らず、残りの人生を穏やかに過ごしてほしいと思います。