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恐らく今年一番売れるであろうBLはこの作品に違いない。
小学館の携帯サイト『モバフラ』にてちまちま配信されていた「窮鼠はチーズの夢を見る」の続編が、この度ついに書籍化された。
もちろん携帯にて事前に全て読みつくしていた私だけども、今回改めて頁を繰りながら、内容は同じだというのにまた胸が熱くなってしまっていた。
前作「窮鼠はチーズの夢を見る」のレビューの中で、
『今ヶ瀬だって「愛してるから傍に居る」のではなく、「愛されてるからここに居る」ことを選びたいはずだ。だって永遠に片想いなのはあまりにも辛すぎるから。』
という感想を残していたんだけども、今回の続編ではたまきに「恭一さんの片想いなんですね・・・」という言葉をかけられてしまうくらい、今ヶ瀬に身も心も囚われてしまっている恭一がラストシーンには居た。
これはすごいことだと思った。
いつも逃げ道ばかり探していたあの流され侍が、戻れるところを失うくらい遠くまで来てしまうなんて。
腹を決めた男の顔はとても精悍だ。
今ヶ瀬が自分を愛しているから一緒に居るのではなく、今ヶ瀬が自分を見限って背を向けてしまったとしても「俺は お前の背中を見送る」と言えるくらいの強い気持ちがそこにはあった。
また3度目はないと言いつつも、それは実のところ今ヶ瀬に逃げ道を作ってやっているんじゃあないかとも思える。
以前なら「さあ これからどうしたらいい」とぼんやり思い悩んでいた恭一が、「・・・これからどうする?」と、愛しい人に微笑みかける。
そして追い打ちをかけるような「指輪を買うよ」には、今ヶ瀬の心中は筆舌に尽くしがたい想いで、溢れて混ざってぐちゃぐちゃになっているんだろうなあと。
あああああ良かったね、今ヶ瀬!。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・(ノД`)
これからは「ぺきんだっくが たべたいです」と言ったあのシーンのように、甘え倒せばいい!!
(個人的に超絶プリティだと思っている今ヶ瀬。)
ちなみに『俎上の鯉は二度跳ねる』というタイトルだが、まな板の上に乗せられた調理寸前の鯉はあまり暴れないと言われているが、一度だけ強く跳ねるのだとか。
そうすると2度跳ねた今ヶ瀬は、やはり往生際が悪い鯉だと言えるのか(笑)
また鯉は恋なのかな・・・と、ちょっとベタだが、そんな置き換えをしてみてもしっくりくるタイトルだと思った。
どうしようもない男とどうしようもない男が、愛し愛され追い詰められて、泣いて喚いて溺れかけて、観念したかと思えばまた抵抗して・・・という、なんとも往生際の悪かったお話だが、人生なんてぶっちゃけ格好悪いし面倒くさいし先行きは闇だ。
そんな2人の道にこれからどんな花が飾られるんだろうかと、たまには覗いてみたい気もするが、それは野暮というものなのかな。
◆あらすじ◆
「窮鼠はチーズの夢を見る」の続編。
その後妻と離婚した大伴は、今ケ瀬との半同棲状態を続けています。
相変わらず今ケ瀬に対する気持ちが愛情なのかどうか分からないまま、今ケ瀬との情事に溺れていく大伴ですが、そんな時、部下の岡村たまきに告白され、たまきにも惹かれ始めます。
大伴の異変に気付いた今ケ瀬は大伴に別れを切り出し、一旦は別れる二人。
しかし、たまきと結婚を前提に付き合い始めた大伴の前に、再び姿を現した今ケ瀬に、大伴は――
恋愛の修羅である一面を描いた後編です。
◆レビュー◆
「窮鼠は~」では今ケ瀬に押されっぱなしの大伴でしたが、後編に入って二人の関係は攻守交替しはじめます。(左右の関係もリバへ!)
狂言廻し的な役目もしていた前半の冷静さを失い、恋に溺れて壊れていく今ケ瀬。
今ケ瀬の言動が被害妄想的になっていく一方で、大伴は次第に覚醒的になっていきます。
今ケ瀬に対する「持て余すようないとおしさ」が愛情と呼べるものなのか、自問自答を続ける大伴。
同性愛であるがゆえに生まれるこの疑問によって、愛情というものの本質と否が応でも向き合わされていく大伴の葛藤が、とても赤裸々で、リアル。
大伴の葛藤は、恋愛感情というものの、相手を思うばかりではなく実はエゴそのものな部分や、劣情の延長線上である部分、ある種の支配と従属の関係である部分(そうでない形もあるのでしょうが)など、恋愛の喜びよりも、恋愛の苦しみや汚れた側面を読者に容赦なくつきつけてきます。
恋とはそういうものだと知りながら、どうしようもなく恋にはまり込んでしまう「業としての恋愛」が、この作品のテーマになっている気がします。
「少女みたいな可憐さを残しつつ案外しっかりしてて積極的」というたまきは、大伴の理想の女のコ。
彼女を選べば、誰からも祝福され、安定してやすらげる幸せな人生が送れることは目に見えているのに、どういうわけか、情緒不安定で、大伴を愛しすぎているがゆえに大伴を信じきれない、同性の今ケ瀬を選んでしまう。
そこに安定した幸せは望めないにもかかわらず…
「幸せになれる選択」という物差しを見失ってしまうほどの激情を、大伴は知ってしまいます。
そして、二人の関係がいずれ終わりを迎えることを予期しながらのラスト。
ハッピーエンドが求められるBLというジャンルでは、こういう苦みを残したラストは珍しい。ここはレディコミならでは、な気がします。
でも、多くの場合恋が成就した瞬間はその幸せが永遠に続くと錯覚しているだけで、本来恋にも終わりがあるものなんですよね。
恋に溺れて、自称「大伴(への愛)しかないつまらない男」になってしまった今ケ瀬と、今ケ瀬に出会って本当の恋を知り、恋の修羅に堕ちた大伴。
恋は人を幸せにするばかりじゃない――これも、恋愛の真理です。
作者あとがきに「ミクロコスモスとマクロコスモスの大きさは等しい」とありますが、大伴と今ケ瀬の物語は、同性愛というシチュエーションならではの特異なものではなく、あらゆる恋愛が包含している、修羅である側面を描こうとしたもの…そんな気がします。
そして見事にそれを描き切ることができたのは、BLという引き出しを持つ水城さんだったからこそじゃないでしょうか。
「窮鼠は~」同様に、言葉の放つオーラが凄い。
まるで、恋愛がテーマのエッセイを読んだような読後感です。
こういう重みのあるBLに、もっと出会いたくなりました。
本来「抱かれたい側の男」である今ケ瀬の本質が後編に入って見えてくる…という溜めのある展開にも、大満足!です。
怒涛のレビューラッシュに、何を書こうか迷いますねーw
今更なあらすじ等は、もちろん割愛するとして。ちょっと違う角度からレビューしてみます。
私は携帯でちまちま配信されるのを読んでました。で、さらにコミックスを買って――上手い商売に完全にヤラレましたが、ちっとも惜しいと思いませんです。
細切れで配信されるたびにあっちこっちにある掲示板等を覗いて、『たまき妊娠オチの予感がしてきた…もう最悪だ…うあああぁああぁぁ』(←勝手な予想して鬱って発狂する人が続出)『あの言葉の意味はあーだこーだどーのこーの』(←二、三行のセリフに対して、異様に長い解説をする人が続出)『また逃げやがって今ヶ瀬のバカ!もう知らん!』『たまきはさすがメカケの子。根性座りすぎ。まじムカつく』『あれは、たまき相手に弱音はいた恭一が悪い』『リリリ、リバキター!!!!』『リバ嫌いだけど、これは許す!』(←一番盛り上がった、リバシーン配信の瞬間。ただしその後→)『ここでこんなサービスシーン満載なら、やっぱラストは鬱エンドじゃ…』『だよね…まだ配信いっぱい残ってるのに、こんなとこで盛り上がりすぎだよ…逆に怖くなった…』
などなどみんな一喜一憂、鬱になったり盛り上がったりしてたのをロムしたのもいい思い出になりました。
私も、水城せとな作品の鬱エンドの多さ――とくに、結局男女でカップルになってしまうBLにあるまじき鬱エンドがくるんじゃないかと、ラストまでハラハラドキドキ、不安に悶絶しまくる日々でした。
この結末も、完全なハッピーエンドじゃないですよね。いつか別れがあるかも知れないことを色濃く匂わせる、余韻の残る結末だ。でも、ゴタゴタしながらももしかしたらこのまま未来へと続くんじゃないかという夢の残る結末でもある。
ベストなラストだと思います。
てゆーか、ラブラブイチャイチャの完璧大円団な結末より、こっちのほうが好きだな。
水城せとなさんは私の、切ない教の教祖です。非BL作品含め、手に入らない絶版本以外はぜんぶ読みました。大ファンです。
みなみなさま!この機会に、彼女の他の作品も是非試してみてくださいな。素晴らしい作品だらけです。
てゆか水城せとなさん、またBL書いてください。鬱エンドでもいいので…。
素敵な作品をありがとうございました。合掌。
初読組です。
困った。意味のある言葉がありすぎて何度も何度も読み返してしまいました。
それでも心に残るのは「おいで」とか「髪を撫でてやりたい」とか「別れてください」とかの単純でストレートなものだったりするから不思議。
待ちに待った完結編、俎上の鯉は今ヶ瀬でしたか。
自分のような卑怯な男は一生一人でいればいいと言った恭一。
確かに彼は簡単にふらつく流され侍だったが、今ヶ瀬の恋心の真剣さも実はキツイだろう立場もちゃんと理解している。
その上で、煩悶しながらも簡単には「愛してる」と返さない恭一は確かに酷い男だろうけど、果たして本当に卑怯だったでしょうか?
平等に優しく誰もできれば傷付けたくないという思いは、裏を返せばプライドが高く自分が悪者になりたくない、泥を被りたくないとも言えます。
そんな恭一が今ヶ瀬相手だけには、エゴをむきだしにできるという事実は、確実に今ヶ瀬が恭一の中で特別な存在という証拠に他ならないのでは?
けれど今ヶ瀬はそのことを分かっていても、気づいていない。気づけない。
もしかすると今ヶ瀬は相手のことを理解はしていても、実は恭一の気持ちを考えていないのかもと思ったりもします。
今ヶ瀬に対して、たまきに対して、悪者になろうとする恭一の姿は、流され侍だった彼だからこそとても誠実に映しました。
何はともあれ今ヶ瀬の想いは報われました。嬉しい。とても嬉しい。
「さあどうしよう」と恭一の自問で終わった窮鼠だったけど、「どうする?」と今ヶ瀬に問いかけるのが嬉しいです。
ようやく二人の問題になったから。
完結編だが、二人にはここからが本当のスタートなんだと思います。
それから登場する女性がみな素晴らしかった。
BL界でしばしばでてくる都合のいい女でも、馬鹿な女でもありません。
主役達と同じ土俵に立ち、真っ向から駆け引きできる大変魅力的なキャラクターでした。
BLの中での女性の扱いに同じ女として悲しくなってしまう私としては、
今後この世界でもっともっと彼女達のように人格が与えられることを願います。
泣きました。
今ヶ瀬が好きだ。(←話が大伴目線で進むからだろうけど。)
BLに含むのはどうなんだろう…と思わなくもない。BLはファンタジーだと言うが、少なくともこれはファンタジーではない。
恋愛の相手が自分だったならどんなに楽だろう。
2人はお互い、そう思ったに違いない。
だって自分の感じたまんまの気持ちが相手に伝わるわけないし、言葉なんてなんの確証もない。
相手が自分だったならどれくらい大事にしているのかわかるのに。自分にはそれを理解してやるすべはない。
自己中に生きるしかすべがない。
恋愛の永遠のテーマですよね。
自分を好いてくれる相手のことを、自分も同じだけ愛したい。(作中では「対等」でいたいと表現されています。)
でも「同じ」なんて永久にわからない。わかるわけない。
つらい。やめたい。やめたくない。
あらすじとか語るの野暮なんで省きます。
他の方が十分に書いてますし(笑)
「窮鼠~/俎上~」で私が好きだったのは、大伴と今ヶ瀬が最後の方まで両想いになりきれてなかったところ。
BL小説なんかでは受け視点ストーリーで、肉体関係はあるけど攻めはきっと俺のことなんてどうでもいいんだ…と一人で勘違いする「始めから両想いだっただろww」パターンが多いですが(笑)、「窮鼠~/俎上~」はそうはいかない。
大伴がノンケでありストーリーテラーたることで話はすごく厚みを増している。
白黒グレー恭一も一役買って、大伴の気持ちが私たちに擬似体験されてくる。
大伴は最後の方まで自分の気持ちを否定し続け、女を愛すべき立場にある自分をたしなめる。
でも心を本当に裏切ることはできない。
その葛藤たるや、まさに恋。
ヤマシタトモコ作品でも思ったけれど、男を愛することがタブーであればあるほどBLとしては深みを増す気がする。BL特有の溝が存在を現すというか。
男同士がアリな世界なら特にBLで描かなければならない理由はないと思うのよ、持論的には。
乗り越えるべき壁があってこそのBLかな。なんて思います。
乱菊
>ミドリさん
『俺の人生なんかどうにでもなるんだからさ』
くーーーーーっ!男だよ~、先輩!!
バス停でのラストシーン・・・泣けました。
恭一の言葉や想い、もうその全てに今ヶ瀬が楽に生きてゆけるように・・・という気持ちが込められているように感じました(´Д⊂ヽ
いっぱい逃げ道作ってやって、今ヶ瀬が袋小路でキリキリしないように、なんかもうすごい愛だぜーーー!って思いつつ読んでました。
そう言えば「男だから」っていうのはすごい2人のネックになってましたね。
「男だから」どれだけ愛しても愛し足りないんじゃないかって迷う恭一と、「男だから」いくら愛してると言ってもらっても、それは相手の一時の気の迷いじゃないかと疑心暗鬼になる今ヶ瀬。
ぶっちゃけ隘路はノンケとゲイという性嗜好の差でしょうか・・・身も蓋もない結論ですが。
ならそれは埋まらないですよねえ、でも橋をかけ続けるんですよね( ノД`)
私もバブル期、そして安定期、そして倦怠期を経てまた激闘編(笑)まで見てみたいです!
あああああこれ以上書いていると、またレビュー1本分くらいいってしまいそうなのでこの辺で・・・。
ミドリ
恭一の「俺の人生なんかどうにでもなるんだからさ だからお前は…心配すんな」にやられました、ミドリです。
ほんとに恭一はイイ男になりましたよね。今ヶ瀬も、粘った甲斐があった。
あの恭一があのたまきと別れ、男である今ヶ瀬を選んだっていう時点で、それが今ヶ瀬への愛の証ですよね。
窮鼠では「男だから」って理由で一度は今ヶ瀬をつっぱねましたもんね。。
これからの二人は見てみたいけど、やっぱり怖いから、ここで終わってくれてちょうど良かったような気もします。バブル期は是非見てみたいけど。
弾けた後は怖くてみれない…!