おまけ付きRenta!限定版
『バラ色の時代』スピンオフ。大和の息子、巽が主人公です。この作品を読み、作家さまの本懐が遂げられたかのように感じました。『バラ』のサイドストーリーというより、『バラ』を描くことでその下に眠っているテーマの根幹が浮き彫りになったというか…。そのテーマを描ききるためには、ヤクザという特殊な世界でなくてはならなかったということも。
先のレビューでみみみ。さまがご指摘されているように、わたしもこの作品には『シュガーダーク』に近いものを感じていて、主人公たちが求めている愛の形とは一体どういうものなのかと読み返す度に考えていました。
ヤクザの長男である巽は、跡を継ぐことにためらいを感じている。家庭では父親不在。彼は半グレで暴力的な辰吾と、彼から巽を守ろうとする実弟、智巳の間で揺れます。
『シュガーダーク』の亜希生がふるう暴力の背景には、実兄への思いがあった経緯が描かれていますが、辰吾については何も示唆されていません。彼はただ「愛する」ことができれば自分を受けいれられるはずだと巽に語り彼を試します。他方、智巳はそんな辰吾から巽を守るといい、兄の愛を乞います。それは近親相姦の様相を呈していますが、家業を存続させるため、一族のために奔走している自分を巽にだけは認めて欲しいという、智巳なりの歪んだ家族愛の発露のように感じました。
巽は辰吾の温かくて大きな手に、ずっと彼が求めていたものを見出すのですが、わたしはそれを父性の象徴として受け取りました。巽が智巳の甘やかしに近いような包容力に満たされず、むしろ理由なく暴力をふるう辰吾に惹かれるのは、父親の望みに応えられない自分を罰してもらいたいという隠れた欲求を満たしてくれるから。今作で辰吾が振るう暴力は「性(さが)」だと表現されていますが、暴力で相手を服従させることが、一番欲していた頃に得られなかった親の愛情を求める哀しい代償行為のように思われてなりませんでした。辰吾が暴力をふるう行為と、巽の自罰行為はどちらも根っこが同じだからお互いに惹かれたのではないのか、と。共依存のような辰吾と巽の関係は、(父)親に存在を認められたいという欲求の表裏を二人のキャラクターに分けて描き出された、愛を求めて彷徨う渇いた者同士。しかしただお互いから搾取し合うだけでは不毛な関係で終わってしまいます。
巽も辰吾も智巳も、愛を求める相手からは自分の望む形で与えられることはありません。一方的に愛を欲しがるだけでは、行き着く先は出口の見えない闇(黒←タイトルの象徴)にしかならないけれど、もし相手の望む形で自ら愛を与え続けることができたら、何かが変わっていくかもしれない…。物語の最後、愛とは与えることだと巽は気付き、その姿を見せつけられた智巳は兄以外にも自分を支えてくれている人たちがいることに初めて目を向けます。エンディングで二人が何かを乗り越える希望を感じさせてくれているんですよね。また、辰吾についても描き下ろしで少し変化が見られ、作家さまによってしっかりとフォローされているのが窺えます。
初めて読んだ時は作家さまの作風ゆえに、筋だけを追っただけでは奥に秘められているテーマやタイトルの示すところを汲み取ることが難しかったのですが、改めて三人のセリフとモノローグをきちんと辿ると、「愛」の答えはちゃんと出ていました。
シビト先生が描くダークな世界観に惹きつけられてやみませんが、ここ最近は先生のシュールなコミカルテイストのお話に飢えつつあります。次はどんなお話を読ませてくれるのか、とても楽しみです。
「バラ色の時代」のスピンオフということで、前作の次世代の話になるのかな?
ずっと積み本にしてたから、そんなことすっかり忘れて読んでいて、前作の右介が唐突に登場したので関連作だったと気付いた。
お話は、「愛することの覚悟とは」っていう、その事だけに対して極めて突き詰めたラブストーリーで、まあ、ぶっちゃけ、徹頭徹尾やりまくっているけど、エロのためのエロとは趣が違う。
お話の舞台も、「愛するということ」だけに焦点を当てるために、ヤクザの家だの半グレのたまり場だのって言う、ある意味極端な舞台を選んでいるのかなと思う。
逆に言えば、愛することのためだけに、これだけ腹をくくるのには、産まれながらのヤクザの血位ないと、説得力がないってことなのかな。
地雷源を突っ走って行く感覚
暴力、モブレイプ、近親相姦…
アウトローな道の先に純愛が見える
愛の伝え方、考え方は人それぞれだなって
地雷を踏みすぎて感覚が麻痺した人は読んでみては。
うーん、業を感じますね…
ヤクザの組長を約束されているのに、違うものを求めている巽。
一心に、兄の巽を好きな智己。
半グレの辰吾。
これ、読んでいて気づいたのが名前。
巳と辰の間の方角が、巽なんですね。この名前からも3人の関係性がわかる。
読み終えた感情は、複雑です。闇の中だとすがるものは、光だけじゃないのだなぁと。酷くされても、巽が辰吾に引寄せられて行くのは何でなんだろう?
もちろん、一心に愛してくれる智己も弟ですから明るい光に何か薄がかった感じですしね。
何を持って人は満たされるのか、わからなくなりますね。
巽と智己の父、情人の右介が登場していてちょっと安心しました。こちらは、穏やかに過ごして居るのでしょうかね?
読み終えたけど、決してすっきりしません。でも、白黒つけなくていーんですよね。きっと。
「バラ色の時代」のスピンオフで、なおかつ、シビトさんお得意の三角関係モノということで、単行本化を楽しみにしておりました。
主人公は大和の長男〔巽〕
そしてお相手2人のうちの1人が実弟の〔智巳〕
タブーを孕む三角関係です。
オマケに残るもう1人はサディストですので、描かれる愛の形はまー歪んでいます。
普通ではない。
シビトさんは過去に「シュガーダーク」という作品を発表されていますが、率直な印象はあの作品を更に掘り下げた感じ。
ただ単にシビトさんが好きなものを描くとこうなるのか、それともあちらで描き切れなかったことがあっての今作なのかは分かりませんが、テーマや主人公の問い掛け、結末など、どこをとってもシュガーダークがちらつきました。
「愛ってなんだろう?」
「普通ってなんだろう?」
この二つの問い掛けはシュガーダークにも出て来ているし、これまでのシビト作品にも何度も出てきているから、シビトさんにとって答えの出ない永遠のテーマなんだろうと思う。(もちろん私にも分からない)
そして今作は今までで一番ストレートな表現で描かれていることもあり、読者の解釈に任すような空白は減り、シビト流の黒さがより一層不気味に渦巻いています。
正直、読み返しても読み返しても評価が定まりません。
あぁシビト作品だなと思う、本質を突いてくるダークさは好き。
そこを気に入って読んでいる作家様ですし。
ただ読後にもやっとしたものも残る。
サディストって私には解らないんですよ…
暴力との違いが解らない。
たぶんそう思われることをシビトさんも理解していて、だから作中しつこいほどに「これは性(さが)だ」と繰り返される。
普通の人には理解されない性癖を持って生まれてしまった人の孤独について描いたものですよと。
普通の人から見たら普通じゃなく見えるかもしれないけど、自分を理解してくれる人を求める気持ちは誰だって同じだし、仕方がないとは解っていても理解されないことは孤独なんですよと。
辰吾は自分を受け入れ寄り添ってくれる巽という存在を手に入れることが出来て良かったと思う。
描き下ろしに登場する辰吾は穏やかな表情をしているし。
けれどマゾではなさそうな巽はこれで満たされるんだろうか?
そんな問い掛け自体がナンセンスなことも頭では解ってるんですけど、そう問い掛けずにはいられない私はやっぱり「普通」なんだろうな。
好きとも嫌いとも決めかねての、消去法での「萌」です。