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本書をあらわすキーワードを並べるとしたら、明治時代、東京の大学、植物学、田舎、妖かし、沼神、口のきけない使用人、といったところでしょうか。
著者の作品としてはとても特異な世界観だと思います。
この本を読んで、本当に振り幅の広い作家さんなんだなと思い知りました。
本のタイトルがタイトルなだけに、いったいどのような小説なんだろうとわくわくしてページをめくりましたが、「意外」という感想をもち、作者名を再確認するほどでした。
本書は、表題作の「牛泥棒」、「古山茶」、「笹魚」の3本が収録されています。同じシリーズです。「笹魚」は「古山茶」の続編SSのような感じです。本の半分が「牛泥棒」、残り半分が「古山茶」&「笹魚」です。
亮一郎は植物学者で、使用人の徳馬といつも一緒にいます。
実家が裕福で坊ちゃん育ちの故か、結構な傍若無人ぶりを発揮し、徳馬のことも自身の所有物のような扱いです。
が、徳馬はそのことになんの不満もなく、むしろ満足しているので、二人一緒にいることが常態であり、もう完璧なニコイチなカップルです。
しかも思いが通じ合った後の亮一郎の溺愛っぷりがすごい。
二人の歴史は長いですし、こんなに薄暗いところが少しも無いニコイチなカップルは、木原先生の作品の中でもかなり珍しいのでは。
恋愛云々よりも、怪異譚に重きが置かれているのも本作の特徴です。
「古山茶」の妖怪の粘着には息を飲みました。どうやって決着するんだろうと思いました。
人によっては「牛泥棒」「古山茶」の決着の仕方が納得いかない、と思うかもしれません。結構な力技で収めてくるからです。
徳馬が使役できる桑葉という鬼がとても可愛いです。普段は緑の鬼で、猫の姿にもなれる。徳馬には服従しつつ亮一郎のことを「ケッ」と思っているのもいいです。
これは痛みのない木原先生作品でした。
何かしら不幸がくるのでは…と勝手に怯えていた自分に笑いました。
最初から最後まで表題作の二人がメインなので愛着もわきました。
牛泥棒って強烈なタイトルですよね。個性的で私は好きです。
攻めは癇癪持ちですが理不尽なことで怒ったりしない根がいい人なのでストレスなく読めました。
受けの徳馬は健気な美人さん…おまけに口が聞けないところが更にしおらしさ増し増しで性癖突かれました。
亮一郎の掌に指で文字を書くところ…キュンときました。
そしてふんどし…たまらん。
妖怪ネタも大好きなので、お話に刺激があって良かったです。
個人的には全然怖くありませんでした。
鬼の桑葉可愛かった。
時代物特有の言葉使いや健気さが良かったです。
母が妖怪に食べられたと言えるわけがなく山に亮一郎と探しに行く徳馬、おしろいの匂いで心移りをしたと勘違いして泣いちゃう徳馬、亮一郎に憑く妖怪を手持ちの鬼にこっそり喰わす徳馬、おぼこいと言われ千枝さんの入知恵を試す徳馬、とにかく健気で可愛かったです。対して亮一郎は脱獄や借金、同僚に関してもかなり行動派だし、気持ちをなかなか言わない徳馬にも強情に問いただすしものはキッパリ言うタイプ。この対比がとても効いていました。おぼこくて敬語な徳馬と意地悪く攻める強気な亮一郎が滾ります。
木原さんの小説は二人の心情の重ならない様子だとか気持ちの変化やズレが読んでいて凄く面白いのですが、この本の二人は小さい頃からずっと一緒にいるので自分の気持ちにはブレません。身分的に使用人の徳馬は亮一郎に対して揺れても、亮一郎は徳馬が疑いをかけられても「そんなはずはない」と断言します。二人の気持ちが決まっているから面白くないとはいかず、人の生活に潜んだ妖怪や周囲が動くので、今回もやっぱり面白くスルスル読めました。読んでいて清潔感溢れ儚くおぼこい一途徳馬に夢中になる亮一郎の気持ち分かります…!
挿絵も素敵でした。印象的なシーンを良い角度で捉えてとても良い雰囲気が作られていて。
木原先生の作品は前から読んでみたいと思っていましたが、とりあえず最初は初心者でも大丈夫と答姐で教えていただいた今作を手に取りました。主従関係、時代モノは好きな要素なので、楽しめそうだなと期待して読みはじめました。
徳馬がいじらしくて可愛かったです。亮一郎の興をそがないように情事の前に褌をはかずにいたり、亮一郎の靴を抱きしめて泣いていたり・・。かといって女性的でうじうじした、恋愛の進退ですぐ寝込んだりして色々投げ出す感じ(私の地雷です)ではなく、健気すぎるほど亮一郎のために自分の役目をしっかりと果たす強さも持ち合わせている、可愛いだけじゃないところがよかったです。こういう強さもある受けこそ、健気受けとよばれるに相応しいよなと思います。亮一郎の短気ですぐ癇癪を起こす俺様な性格も、徳馬とはバランスがとれているように感じました。というか彼は最初から徳馬ひとすじなので、徳馬に対して辛く当たる場面もなくはないですが、全部愛情の裏返しなんだよなと思えてハラハラしつつもどこかほほえましい気分で読めました。
ファンタジーはあまり好んで読む方ではないのですが、今作は楽しんで読めました。多分私がファンタジーが苦手なのは、複雑な設定を理解するのがめんどくさかったり、矛盾点(設定が複雑なほど多い)が少しでもあると結構モヤモヤしてしまうのと、基本的にキラキラした夢物語より現実的なお話を好む方であることが原因だと思うのですが、今回は複雑な設定ではないですし、妖怪との戦いの場面が程良いスリル感と刺激をもたらし、物語に起伏を与えていたので、要素として良い方に作用していたと思います。また、心情の動きの描写が丁寧だったので、私が苦手なタイプのファンタジーにありがちな突飛な設定に頼りきりで肝心な心理描写はおざなりになり、お話自体もどんどん非現実的な方向へ飛躍していくということもなく、人間関係の面ではリアリティを楽しむこともできました。ファンタジー要素の取り込み具合がちょうど良い作品だったのではないかなと思います。
他に木原先生の作品は、美しいことをCDで聞き、本は薔薇色の人生しか読んだことがなく、こちらでも評価の高そうな箱の中、檻の外、coldシリーズなどは、きっと名作なのだろうなと思いつつ、自分の精神力に自信がなくてまだ手を出せていません。恐らく、木原先生は、人間という生き物の描写が巧すぎて、醜い面も含めてその全てを忠実に描くことができる希有な作家さんであり、だからこそ読む側にもその醜さも許容できるだけの精神力が必要なのだと思います。なので、自分がもっと成長して、木原先生の作品の人間の生き方を許容できるだけの器のある人間になるまでは、とりあえずこれらの作品には手を出さず、今作のような程良いファンタジー要素のある作品を読んでいこうと思い、次は吸血鬼と愉快な仲間たちのシリーズを購入しました。届くのが楽しみです。
地方の造り酒屋の一人息子でありながら、東京の大学で植物学の助手をしている佐竹亮一郎。彼は年上の口のきけない使用人・徳馬に密かに想いを寄せていました。幼い頃に母親が行方知らずになって以来、亮一郎の傍にいてくれる優しい徳馬を失いたくなくて、亮一郎は徳馬に気持ちを告げられずにいました。
徳馬には妖が見える不思議な力があり、手の中に小さな鬼を飼っていました。あるとき、その力をめぐって亮一郎は徳馬に腹を立ててしまいます。そんな折、亮一郎の実家が火事に見舞われ、亮一郎は借金返済のために地元の有力者の娘と縁組をしなければならなくなります。亮一郎は徳馬に今まで通り東京で一緒に暮らすよう言いますが、徳馬は夜中に姿を消し、翌朝、牛を盗んだ罪で逮捕されてしまいます。やっと面会すると、徳馬は声が出せるようになっており、亮一郎は、母が自分の命を助けるために沼神様に命を捧げたこと、その母の形見の爪をもらうために徳馬が沼神様に声を差し出したことを知ります。逃避行のさ中、互いに想いを告げ結ばれる二人。追手が迫り、万事休すと思われた時、亮一郎が腹立ちまぎれに母の形見の爪を沼に投げ入れると、これまで徳馬が沼神様に捧げてきた20頭もの牛たちが沼から上がってきて…。
徳馬は、牛を盗み続けた自分は心を鬼に食われているのだ、と言いました。その鬼の名前は「恋」なのだと思いもよらないのでしょう。そんな徳馬に亮一郎は「誰の心の中にも鬼はおる。俺の心の中にも汚い鬼がおるんだろうさ」と言います。癇癪持ちの亮一郎の中にいる鬼は「短気」でしょうか。私も胸に手を当ててみれば鬼がいるような気がします。鬼とは、心を揺り動かす様々な感情のことなのかもしれません。明治時代はまだまだ夜が暗く、夜の闇が今よりもずっと鬼の存在を身近に感じさせたことでしょう。
初めて体を重ねるとき、亮一郎が徳馬の体を、花芯、紅蓮、果実、蓮の花といった植物に例えるのが、植物学者らしくてエロティックで、素敵だと思いました。
沼神様が牛を返してくれたおかげで、亮一郎と徳馬は無罪放免。東京で幸せに暮らす結末に心が温かくなりました。
同時収録の「古山茶」は、亮一郎の部下・原が椿の妖に取りつかれる話。「笹魚」は、原のその後の片恋の話です。
亮一郎と徳馬は、ますます仲睦まじく、亮一郎が徳馬をからかう描写が微笑ましいです。
子どもを産めないからと原の求婚を断る千枝を、徳馬が自分に重ねる場面がとても切なかったです。
作品中には、蒸気機関車、牛飯、マッチ工場、綿織物工場など、文明開化のキーワードがちりばめられ、とても興味深かったです。どうやら、二人の実家は関西方面のようですね。あとがきに書かれていた亮一郎のモデルになった人物のことを調べるのも楽しかったです。
時代背景も併せて、とても魅力的な作品だと思いました。