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これで終わりにできると思っているのか?
久しぶりに読み返してます。
この人じゃなきゃ嫌だ、となっていく過程がとても好きでにまにましちゃう。
受け様は、誇りとプライドをもって仕事をしている槙。
一方で、その界隈では"初めてはマキ"と言われているような紳士的なタチ専でもある。
でも、三十路を前に、なんだかタチとしての自分に違和感を抱き、"抱かれてみたい"という気持ちを抱える事に。
そんな時出会ったのが極上の男、攻め様の三隅。
三隅との行為が良すぎてもう会わない、と決めた矢先、職場の先輩として再会。
最初は、ぐるぐる悩んでいる槙がめんどくさいっちゃメンドクサイ(´ε`;)
でも、自身のアイデンティティの問題なんだもの、悩まない訳がない。
自分自身にも、仕事や相手にも真面目なんだねぇ。
で、そんな槙をそりゃもう大きな理解と包容力で受け止める三隅。
いやぁ、ハイスペックな彼らのやり取りがいいです(≧▽≦)
メモ
「ハイスペックな彼の矜持と恋」のSSが、著者ブログにおいてある。
春宵 ――『ハイスペックな彼の矜持と恋』SS
http://yueinfo.blog.fc2.com/blog-entry-98.html
独占欲が強くて嫉妬深い恋人
エリートvsエリート、スーツ、お仕事と個人的な好物が揃ってました。受が性のアイデンティティ問題でちょっと拗れてて面倒くさいことになってたのですが、この面倒くささが面白かったです。受も相当かっこいい男なんですけど、攻がそれを凌駕するさらにかっこいい男ってゆーので、年上攻特有のスケベにおける余裕や言葉攻めにグッときました。(”玉の輿”の印南を彷彿としてしまった。)
タチとしてゲイライフを謳歌してた槇が30目前にして、”このままタチでいいんだろうか…”と悩んでいたところ、最上位の攻(?)三隅に出会い、受の才能を開花させるわけですが、その槇の思考、セックスの概念に、ちょっとジェンダー的なひっかかりをおぼえる方は少なくないのかな、と思いました。そこは槇の単なる人物設定として捉えて読んだので、”自分はタチとして、ネコたちを喜ばせてきた”って古い武勇伝みたいなことに囚われているところとか、抱かれることで自分が考えている”男”じゃなくなったみたいだと思い悩む部分には、もはや滑稽さをおぼえました。そんなしょーもないプライドにこだわっていた槇が、三隅という仕事もできてスケベも上手い男に抱かれ、徐々に気持ちまで持っていかれて(やはり、そこはそもそも三隅にも勝算があったんだろうな~)、自分がこだわってた価値観のしょーもなさに気づき、最終的に解放されていくわけです。セックスにしても、喜ばせてやってる、じゃなくて、お互いに気持ちよくなりたいという視点に変わっていくところは尊いです。今まで”愛する”ことを知らなかったうえに、自分のスペックの高さもあって、どうしても人を見下しだちだった男が自信の拘りの矮小さに気づき、さらに、相手を慈しむという行為を知って、よりいい男になっていくわけです。三隅がピンチに陥ったときの逢瀬の場面で、射精しなかったけどいつも以上に満たされたという槇の気持ちの変化が印象的でした。
そもそもの槇の悩みが、”タチかネコか”ということではなくて、今までのセックスライフの虚しさと年齢的なところからくる、”そろそろ自分にふさわしい一人の人とじっくりお付き合いしたい”という欲求だったんじゃないのかなーと思いました。最後「わたしはあなたのものですが、あなたはわたしのものです」とあるのですが、これが今後の彼の矜持なんでしょうかね。三隅視点の話も読みたいです!
面白かった!良い男と良い男の共演が読みたくてBL読んでるところがあるので、まさにそんな小説でした。王様と王子様。
7割ぐらいまで特に面白く読めたなと。槙が恋を自覚する辺りまでですね。そこからは失礼な話ですが槙がいわゆる受けっぽくなりまして、攻め×攻め的な面白さは半減してしまったように思う。告白できない…とか弱気なこと言い出す、しょぼしょぼした槙は可愛いけど。
この"ハイスペック"なお2人がコンビニ弁当だのカロリーメイトだの食べたり、缶ビールで喜んでるのは違和感ありつつ面白かったり。双方の自宅の描写が全然出てこないのも、色々チグハグしてるけど、元攻めが開発される描写が自分は好きです。
良い男と良い男(あるいは良い男ですよ〜と仕切りに描写されてる男とも言う。実が伴ってるかは微妙なところ)がベタベタ仲良くしてくれてるのを楽しんだので、相手を抱いてマウントだの支配欲を満たすだのは、まぁそういう考え方の人もいるかもねぐらいの気持ちでさっと受け流す。引っかかる人も多いのはそうだろうなと。リアリティ無視して楽しめてラッキーってことで自分は萌2。
相手の快楽を優先する紳士的なセックスに疲れ、ネコへの転向に悩むハイスペックなバリタチの前に、圧倒的な雄感を漂わせる男が登場し、あれこれ悩んだ末に己の狭い視野や固定観念に気づけてついに殻を打ち破り、スーパー受け様へと進化を遂げるというのがこのお話だと思うんだけど、何度読んでもモヤモヤするんですね。
モヤモヤが言語化できなかったし、何度か読めば印象変わるかなと時間を置いて読み返してみたりしたところ「仕事のできる男×男同士の話なのに、男尊女卑に通じるような感覚を覚えたり、相手のスペックに拘る槙の姿を通じて男女の恋愛観が頭をちらつかせる」というところが嫌なのだとわかってきました。
例えば今まで槙が抱いてきた仔猫ちゃん達は、三隅曰く「幼稚なネコ」ばかりなんだけど、仕事もできて美人な才女は敬遠し「すごーい!」「こんなのはじめてー!」を連発する小悪魔系ゆるふわ女子を選ぶ男と違いはないように思います。
そういう仔猫ちゃんとかゆるふわ女子のほうが、簡単に男のプライドを満たしてくれるからですよね。
だからぶっちゃけて言うと、そんな相手しか選んでこなかったくせに「完璧なタチ」を自認するのが薄っぺらいというか……。
あと、パワーバランスを槙にはっきり意識させるために、「もう挿れて」的な言葉を要求するんだけど、
「雄の欲望にかられる三隅と、「雌」として雄を欲しがる槙。その関係性を槙に刷り込もうとしている。明確なマウンティング。」
というここが、とにかくすごーーーく嫌でして。
素直になれない槙に対してあえて強気に振舞ってるのはわかるんだけど、セックスのポジションでマウンティングするのが嫌。
雌が下なの?
そして槙の「抱かれても許せる男の基準が高い」というのは、「そんじょそこらの男に抱かれるなんて、プライドが許さないの!」と言う女性とどこが違うんだろうか?と。
抱かれる相手のスペックに拘る槙。
それが端的に描かれているのは、バーにいる男を値踏みして「中途半端な男相手に受け身の立場で組み敷かれるなんて、プライドが許さない」と生理的な嫌悪が湧くシーンだと思うんだけど、「このハイスペな俺様が【ネコなんか】するんだから」という意識があると思うんです。
私が好きなのは、ポジションに上下関係を見出さず「お前が俺が抱きたいと言うなら、いいぜ、抱かれてやる」みたいな男前受けなんです。
同じ夕映先生の作品でいえば「王様、お手をどうぞ」の受けがまさにそれで、そういう受けを「かっちょいーー!!漢だぁぁ!!」と歓喜しながら読む派なので、タチからネコへの転向ごときで(ごとき、というのは暴論かな)「男を捨てる」だの「抱かれたら男の自分は死ぬ」だの悩む槙の姿に、お尻の穴がちっちゃいな!!と思ってしまう。
なぜネコになったら「男」ではなくなるのか…
そもそも「男」って何なのさ‥‥
今まで槙が数多く抱いてきたネコたちは男ではなかったのか…?
と思ったあたりから
「雄として格上なほうが受け」だって良くない?
例えば三隅みたいな受けがいたっていいじゃない!みたいなところまで発展してしまいまして、今や私の脳内では
子猫ちゃんに対する気配りセックスに食傷気味でネコへの転向を悩む槙の前に、雄感全開で男としても最上級なんだけど尻で抱く系のスーパースペシャル受け様が登場
↓
「手ぬるい仔猫ちゃんばかり相手にしてきたくせに、攻めに飽いて嘆くのは100年早い。
お前は攻めとしての快楽を限界まで味わったのか?
それを味わってからネコに転向したって遅くはないぞ」
と言われ、スーパースペシャル受け様を抱く事に。
↓
すると、まさに尻で抱かれるってのを味わった槙は「バリタチのプライド」なんてもんが良い意味で木っ端微塵になる。
↓
もっとフリーダムな攻め様道へ邁進する槙。(Notヤリチン)
こういうのが読みたいなぁという欲求が抑えられません。
あ、吹っ切れてスーパー受け様に変身を遂げた槙にお預けくらってる三隅の姿には萌えました。
スーパー受け様として開花した様子は萌えるのだけど、変身を遂げるまでがどうにもあわないのです。
初回とコミコミの特典SSが電子には収録されてるんだけど、あの三隅が槙相手だとペースがちょいちょい狂うのを自覚してる三隅視点には萌えます。
萌える点もあるけれどモヤモヤする方が大きいので、萌よりの中立で。