電子限定かきおろし付
よく練られたセリフや腹の探り合いが「何それ愛かよ」のようで読み応えありました。
理屈こねくり回しだなと感じる手前のバランスがいいですね。
ただ秦野のツンツン独りよがりが長くて途中イラッとしましたが、臆病さの表れだしこの先の覚醒のためのフリだしなと思いながら読みました。理屈っぽいのは小説家だからしょうがないし。
そんな秦野に対しても古河の温厚なやさしさ、中にある繊細さがいいですね。タレ目も好きなタイプ。
小説を書くこと、眠ることが2人の生き方や仕事、ストーリーにしっかり絡んでいてそこが好きでした。
小説と睡眠の共通点、寝具以前の問題などをもう少し具体的に掘り下げて頂けるとよりおもしろそうとは思いました。
内容ノーチェックで読み始めたら
主人公の恵人になんとなく既視感を感じ、
どこかで見たような…?と思っていたら、
なんとろじ先生の既刊『ぼくのパパとパパの話』の
2巻に登場していたあの恵人でした!!
一応本作はスピンオフ枠にはなるのだと思いますが、
オリジナルの登場人物たちにはほぼ触れられていないので、
スピン元未読のままでまっさらな状態でこちらから読んでも
全く不都合はないのかなと思われます。
オリジナルの方はメイン二人がとにかくお互いが大好き同士で
あまあまかつほのぼのな空気感だったのに対して、
こちらは恋に不器用な大人二人の駆け引きという印象でした。
絶賛スランプ&不眠中の小説家の恵人はひょんなことから
行きつけの喫茶店の常連である古河と添い寝をする関係になります。
一見人当たりは良いものの、いつも冗談めかして本音を隠す古河を
警戒していた恵人でしたが、一緒に添い寝をしてデートを重ねるうちに
古河に惹かれていってしまいます。
恵人にしろ、古河にしろ、互いに意識していることは間違いないのに、
過去の恋愛がトラウマで素直になれない恵人と、
幼い頃の苦い記憶から本心を曝け出せずに逃げてしまう古河。
あと一歩、いや半歩踏み出せば両想いなのに!と
じれったい思いで読み進めました。
くっつきかけたところでまた後退し、あわや破局かと思ったところで
最後の一歩を踏み出したのは意外にも恵人の方でした。
いつも飄々としているのに古河ってば肝心なところで逃げ腰なんだから!
対してこれまで臆病だったのが嘘みたいに古河に縋る恵人が必死で、
胸に響くものがありました。
恋に不器用な二人ではありますが、だからこそ、
恋に踏み出すことができた二人ならもう大丈夫と思わせてくれるのでした。
「ぼくのパパとパパの話」のスピンオフで、寝具メーカー社員の古河と、不眠の小説家恵人とのお話。
それぞれの立場というか、睡眠に対する設定が正反対なのが、まず面白いこちらの作品。
読み進めていくと、さすがハートフルヒューマンBLを描かれる、ろじ先生だなあ!という感想でした。
ふたりとも、そのパーソナリティを形成するまでに、形は違えど深く傷ついたというか、印象深い出来事があり、
そして、自分なりにその傷ついたものをどうにかしようとして、今にたどり着いたという、、
不器用な生き方しかできないふたりの恋模様が、もどかしくもあり、また成就した際のなんともいえない胸に拡がった熱い感情に、
よかったね、と月並みな言葉ですが声を掛けてあげたくなりました。
また、古河も一件、うさんくさい要領いい攻めかと思いましたが、そうではなかったというこの設定に、
現代の日本ではこういう人間がけっして少なくはないのだろうなあと。。。
誰もが闇をどこかに抱えていて、それでも好きな相手に選んでもらいたくて、過去のトラウマに抗うように必死にもがき、けれど後悔したりして、、
けれど最後には意中の相手に受けいれてもらえることができ、救済されたことで恋人としてスタート地点に立てたふたりが、この先心許して愛し合えるふたりとなりますようにと願いたくなりました。
いつもろじ先生の作品を読むと、そんなリアルな日本人の心の裏表を上手に描写していて、
痛いけれど、目が離せない。
そんな、ついつい手を伸ばしたくなる作品ばかりのような気がします。(まりあげはの感想)
とくに今回の作品では、ずっと不毛な平行線を辿るのかと終盤までヒヤヒヤしていましたが、
きちんと相手と向き合い、
タイトルの伏線回収までして、お見事すぎる(上から目線な言い方すみません汗)と、ラストの喫茶店からのくだり感極まった1冊でした。
スピンオフですが、問題なくこの1冊だけでも楽しめるストーリーです!
ろじ先生の『できれば愛をつづりたい』、拝読しました。
先日読んだ『何それ愛かよ』でも感じましたが、今回の作品の主要キャラである二人も、思い悩みながらも自分の気持ちを言語化することに長けているなぁと思います。
言語化したその気持ちを直接相手に伝えるのか伝えないのか、またどのタイミングで伝えるのかはそのキャラクターそれぞれです。
とはいえ、彼らのその言語化能力の高さには驚かされます。
そしてそもそも「気持ち」という曖昧になりがちなものを曖昧なままにせず、 “これが一体なんなのか言語化しよう” とする懸命なもがき、そこに今作のきらめきがあるように感じます。
この言語化に関しては、現実世界でも誰もが得意とするものではないと思います。
また創作世界の中でも、明確に言及されることで行間や絵からの想像の余地が減ってしまう、というようなことが起こりうるかもしれません。
しかし、思い返してみれば、今作の主人公の一人である秦野さんは小説家です。
まさに言語化を生業とする人。
言葉に書き表わすことで物語は立ち現れ、進んでいくのです。
ここに、彼らが必死になって言語化にこだわる理由もある気がします。
秦野さんが「喋るとまた間違えるっ」と言うシーンが良かったです。
確かに、同じ言語化でも書くと話すには大きな差異があります。
話すのが苦手で、すべてのお願い事や連絡などを詩にして綴っていた、といわれている杜甫を思い出しました。
たぶん秦野さんもすべてを小説にすると良いんですよ(?)
今後もろじ先生の作品を楽しみにしています。
