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貴方の子供でいる。それが、僕の恋の伝え方だと思った――。
好き過ぎて感想を書けない、というレビューがありましたが、完全同意。
初読みが半年程度前なので、発売されてから約10年経っています。
元々、再読が多く気に入った作品は何度も読むタイプですが、短期間にこれほど読み返している作品は、ジャンル問わず、初めてかな、、
攻め・受けともに、それぞれの過酷な過去があります。
7歳の受けを攻めが引き取ってから、世界中を根無し草生活。受けの思春期到来辺りで、ハッとなり日本へ。みたいな感じ。
私自身にはそんな過去はないし、2人に共感する部分などありそうもないのだけど。
どちらの気持ちもビシビシ刺さり、且つ、何故か自分の人生が蘇ってくる不思議。
ほんとに言葉にするのが難しいのだけど、読めば読むほど、色んな視点で世界が見えてくる。
(サブでも主要人物が割と多く、それぞれが軸となるものを持っているため、サブ視点で見るメインカプも味わい深い。)
それぞれのキャラの人物像というか、背景がきちんと作られていて、ブレを感じない。
ので、「この人はこれ言わない(しない)でしょ?」みたいな自分の中のズレを感じることが、私は無いので、それぞれのキャラを掘り下げるのが、とても面白いです。
こちらの作品は、特に。
何度読んでも、その度に味わいが変わる。
私の中で結論が出ない。それが、とても心地良い作品。
是非、読んで欲しい。
ビリー・バリバリー先生のイラストが作品の空気感と非常に合っていて素晴らしいです。
千空が自分自身で述懐している様に、
愛、じゃなくて、共依存じゃないの?と読んでいて思った。
本当の愛じゃないかもしれないけれど、
二人が幸せを保持できるなら、それでいいです。異論ありません。
澄見千空:17歳,
タイの貧民街で、娼婦の母の仕事が終わるのを待っている時、澄見に助けられ、実母から離れる。
母親が千空に児童売春を教えていた。澄見へ性的サービスで恩返ししたいと思う千空。
澄見孝太郎:27歳,
旅行記のルポライター,旅先で千空を拾い、義父となり養う
17才の時に、家族を失う事件があった。事件以後、誰も愛せなくなる。
千空を拾って育てる事で、澄見自身も救われる。
旅行記でもあるので、アジアの貧困とか、盛込み要素が多かった。
読後、未解決のままだったのか、読み逃がしたのか、分からないけど
気になったのは、澄見の実父の動機。
何故あんなことをしたんだろう??
親子BLを求めてこの作品に出会いましたが、葵居ゆゆ先生は好きな作家さんなので、全幅の信頼を寄せてあらすじも何も知らないまま読み始めました。
しかし、冒頭から子供の身売りが当たり前という悲しい背景が出てきたので、勝手に結構昔の話かなと思いましたが、でも飛行機に乗ったり車に乗ったりしながら世界を転々としているからそんなに昔の話じゃないな、じゃあいつの時代だ? と携帯電話が出てくるまで読解力のなさを発揮しながら読み進めるという失敗をおかしてしまいました。
私が見て見ぬふりをしているだけで、実際にどこの国でも子供の身売りが強制されていたりするのかと思うと胸が痛みます。
話が脱線しましたが、そんな悲しい環境が普通の中で生まれ育った千空と、そんな千空を引き取った澄見の物語です。
実は物語の終盤まで中立評価でした。
千空の気持ちはまだ理解できるとして、澄見の気持ちが理解できなかったというか納得できなかったからです。
千空の生い立ちが悲惨だったので、そんな環境から救った澄見に対して身体を捧げたがったり恋愛感情を持つことを「刷り込み」と思う気持ちも、どれだけ言い聞かせても迫ってくる千空に困る気持ちも分かります。
過去の事件のせいで、大切な人を失う悲しみを二度と経験したくないから人を愛したくない気持ちも、大切なものへの破壊衝動を抱えていてそれを実行してしまった父の子供である自分もいつかそうなるのではないかという恐怖もよく分かります。
だけど、佐野崎に千空を預けたまま逃げるように何ヶ月も海外へ行ったり、松田に誕生日プレゼントと手紙を預けて千空と別れるのは親としてどうなの? という気持ちが大きくて、幼い千空を救ったのは間違ってなかったとはいえ、そんな独りよがりで無責任なことばかりするなら最初から拾わなければ良かったのにと思わずにはいられませんでした。
誰も愛さない、深く付き合わないと言うわりにいろんな人の手を煩わせているし、言っていることとやっていることが違うようにも見えて、澄見に想いを寄せていた人たち(特に佐野崎)が不憫に見えました。
もうこれは澄見が痛い目にあう展開にならないと気がすまないとすら思いましたが、私と違って千空はそんな人間ではなく、ただただ澄見の幸せを願うきれいな心の持ち主でした。
私はきっと澄見に惚れる側の人間だから必要以上に彼にやきもきしてしまったのかな、と今ならそう思います。
千空は幼少期の環境のせいで、商品価値を損なう年齢になれば大人だという悲しい価値観を持つ子供でした。
無償の愛を知らないから、澄見から与えてもらうだけの優しさに喜びを感じるとともに、恩返しをしなければならないという思いにも駆られていました。
そんな思いと恋愛感情が混同しているのではないか、と澄見が疑うのは当然です。何せ千空はまだ子供なのですから。
しかし、澄見から自由を与えられてしまい事実上の失恋をした千空は、澄見が残したものは自分以外にもたくさんあることを証明するために旅に出るところが意地らしいのです。
澄見を好きになった人たちが千空に嫉妬して邪険に扱わなかったのは、千空の素直さや澄見への無垢な愛情を見てきたからなのでしょう。千空は愛される存在だと言われていたのも納得だし、もちろんその人たちの根本的な優しさがあってこそです。だからこそ澄見は関わったのだと思います。
水谷もとてもいい仕事をしましたね。
オーストラリアまで行って玉砕覚悟できちんと自分の想いを伝え、澄見を好きな千空を好きなのだと、澄見のために自分を押し殺して素直にならない千空に本当の気持ちを気付かせてあげていました。
水谷と千空はこれから先もいい友人関係を築けることでしょう。
澄見は澄見で、千空を突き放してから数年経っても、今でも自分に恋愛感情を持ってくれていることをアレックスが完全に暴いてくれたことも後押しして、ようやく自分の気持ちに正直になってくれました。根負けですね。千空の勝ち。
私は、子から親への愛情こそが真の無償の愛だと日頃から思っているので、どんな形であれど千空は澄見にたくさんの無償の愛を与え、それに澄見は救われていたのだと信じています。
澄見の性格上、一度覚悟を決めたらとことん愛する男だと思っているので、これから千空は澄見にたくさん愛されて幸せに生きていくことでしょう。
この作品は回想が多いので、過去と今がごっちゃにならないように、何度もページを戻しながら丁寧に読みました。
本当は幸せな二人の後日談をもっと見たかったなという思いがありますが、この作品はあの終わり方だからこそ余韻に浸れていいのかもしれません。
葵居先生の執着攻めが好きなので、本編後こそ澄見が本領発揮してくれそうな気配がしているので正直惜しいですが、千空にキスマークをいっぱい付けたところで萌えたので我慢します。
私は旅行は全然しないのもあって、正反対な彼らの生活を見るのが楽しかったです。
さすがに海外旅行をしたいとは思いませんが、国内旅行なら言葉の壁もないので現地の人との会話をするのも楽しそうだなと、一人旅にかなり興味を持ち始めています。
一人旅を経験したら、もう一度この作品を読んでみたいです。
最後に余談ですが、葵居先生は関西出身なのかな? と思ったほど、水谷の関西弁は完璧でした。
あとがきで葵居先生も書かれている通り、ロードムービー的。
短編映画のような映像が頭に浮かぶ不思議な作品でした。
現在と過去の記憶が入り混じる度に、手巻きのフィルムがカタカタとまわっているかのようで、静かで、どこかノスタルジックな切なさを感じる。
この作品、好きな人は本当に好きだと思う。私は好きでした。
ビリー・バリバリー先生の挿画が作品の世界観とぴったりで、とても美しい。
出逢いを思い返す色褪せた青。
懐かしさと気付きの明るい青。
感情の複雑さが渦巻く、濃紺のような青。
霧がかったような灰みの強い青。
真実を知り、霧が薄まっていく青。
1歩ずつ足跡を重ねた末に広がった、水平線向こう側の柔らかな青。
空と海の間に見えた、忘れな草のような美しい青。
各章のタイトルとなっている、7色のさまざまな青色で綴られた2人のこれまでの足跡を追う物語。
始まりは、どこの国かも分からない貧民街のような場所。
子供たちが大人に身体を売るのが当たり前の劣悪な環境の中で、子に興味がない娼婦の母親にいつ売られるのかと考えながら暮らしていた幼い千空。
千空の手を取って救ってくれたのは、今までこの街では見たことのない、優しい若い「男」だった。
世界中を巡りながらフリーライターとして活躍をする澄見と、澄見に家族として引き取られた千空。
主に千空視点で、澄見と共に旅をした幼少期から日本に落ち着くまでと、澄見に恋心を抱いたまま20歳になるまでの足跡が綴られたお話。
メインとなるのは17歳の千空視点。
立場上では義父にあたる、育て親の澄見にいつしか恋心を抱き、幾度となく好意を伝えても想いを受け取ってはもらえずにいる…そんな一途な片想いの様子が繊細に描かれています。
一般的な17歳って、子供すぎないけれど大人でもない、難しい年齢だと思うんです。
千空という子は、その生い立ちもあってなのか、普通の17歳よりももっと内面が複雑。
澄見に対しては「大人になりたい子供」っぽさが見られるのですが、その他の登場人物とのやり取りの中では、ある意味大人よりも大人っぽいというか…とても危うい雰囲気のある子です。
17歳現在の千空視点の合間に、澄見と共に旅をした各地での様子が時系列がバラバラの状態で淡々と語られていきます。
本当にバラバラなので…うーん、初めは混乱するかもしれません。
ただ、どの過去でも、どの場所でも、千空がひたすらに澄見だけを見て来た想いの強さが本当に丁寧に描かれていて。
各国の人々との交流エピソードと共に、現在と過去の映像を交互に入れ込むことによって、千空の叶いそうにもない片想いがどんどん募っていく様子がさらに切ないものになっていく。
お互いが大切なのに、愛情のベクトルが違うのがどうしようもなく切ない。
過去の回想を読むと、澄見のことをここまで慕うのも自然なものに感じられます。
たしかに、刷り込みにも似たものがあるとは思う。
それでもきっと、澄見は千空にとってのすべてなのでしょうし、彼になにかを返したくて仕方がないのでしょうね。
誰とも特別な関係にはならず、誰も好きにならないと言う澄見。
澄見視点がないので、多くを語らない彼がいったいどんな人で、なぜここまで人と深い関係になろうとしないのか?
千空が寄せる想いや求めるものを知っていて、ぼかして逃げているかのような様子にも疑問がわきますし、そもそもなぜ千空を引き取ったのか?など、分からないことだらけなんです。
語られるのは本人の口からではなく、周囲の人間からのわずかな情報のみ。
この作品はそこが鍵となっていて。
澄見の哀しく壮絶な過去、それによる根深いトラウマ、自分自身への恐れ。
澄見の過去の断片、千空を引き取った理由についてを千空が知り、理解してからというもの、これまでの記憶の中で澄見が語っていた言葉や表情がパズルのピースのようにカチカチとはまり、霧がかっていた澄見という人物の本当の姿が見えて来る。
前半からずっと感じていた、澄見の分からなさがやっと分かってくるんです。
ずるいなと思っていた、千空の恋情から逃げているのに執着心や独占欲めいた感情が見え隠れしていた部分も、背景を知るとなるほどなと。
彼は、千空よりもよほど複雑なものを抱えた危うい人でしたね。
中盤までは千空の切ない片想いに。
後半からは、澄見を想うがゆえに身を引き、恋情ではなく澄見が望むような親愛に似た愛情を持って生きようと、かつて2人で巡った各地に残る足跡を再び1人で辿りながら、別のかたちのお返しを贈り続ける健気な姿に胸をぐっと掴まれて持っていかれるかのよう。
彼と歩いた6色の青色の足跡を辿り、目印のように新たな足跡を残していく。
それは、タイトル通り千空の恋の足跡でもあったのかもしれない。
7色目の青色の先に見えたもの、2人の結末は果たして。
作中に登場する、千空がラララで口ずさむ曲。
おそらく"ちいさい秋みつけた"なのではないかなと思うのですが。
あの国のあの場所で、ラララを口ずさむ小さい秋を見つけてしまった澄見と千空の出逢いは運命だったのではないでしょうか。
正直、すっきりしないという方も多いのではないかと思います。
しかしながら、個人的には物語全体にうっすらとくすんだ青みがかったベールを被せたまま進むような心理描写が好みでした。
BL的な萌えを感じることをメインに楽しむ作品ではないかもしれません。
感じるものは沢山あるのですが、上手く言葉に出来ないような…なんとも言えない味のあるお話です。
人間の感情の複雑さ、愛の種類、関係の複雑さを丁寧に描いた作品をお求めの方におすすめの1冊です。
人に執着することを恐れひとつの場所にとどまっていられないライターの澄見と、劣悪な環境の中で彼に拾われて育てられた千空の『ロードストーリー』とでも言うべき遍歴。
千空が拾われてから日本で高校に通うまで2人が各地を巡るお話と、日本に来て高校に通っている17歳から20歳にかけてのお話が並行して書かれます。
澄見が千空を見つけた国が一体どこなのかは書かれていません。でも、澄見に拾われなければ千空は体を売ることになったであろうし、多分長くは生きていられなかっただろうと千空は思っています。
だから澄見に会ってからの人生は千空にとって『おまけの人生』。
その時間を千空は大好きな澄見のために全て使おうと考えています。
最初は、自分に出来る唯一のことだと思っていた性的な奉仕をすることで。
澄見がそれを全く望んでいないと解ってからは、彼に子どもとしてではなく大人として愛され、ずっと側にいることで。
でも、澄見はそんな風に千空を愛してはくれません。
千空の想いを『刷り込み』だと言い、自分以外の人とも深い関わりを持つように勧めます。
澄見は自分の家族に起きた凄惨な事件の経験から、一人の人をずっと愛することを恐れているんですね。
でも、たったひとりで生きていくことも辛い。
そんな風に思ったから千空を拾ってしまったのでしょう。
人を愛する形というものは千差万別だと思います。
澄見が言う様に千空の思慕は実際に刷り込みなのかも知れない。
でも、だからといってその愛情が『悪いもの』とは言えないと思うんです。
子どもが自分を守ってくれる者に寄せる愛の強さはとてつもなく大きいものですから。特に、千空の様に縋るものが少ない子どもには、捨てられる事は恐怖以外の何物でもありません。
澄見の様に、真っ当なことを言えばよいというものではないと思うのです。
でも、澄見の気持ちも解らないではないのですよ。
自分がどうなってしまうか解らない恐怖を抱えていたら、人を愛することは出来ない。愛する者に執着することが、その人を壊すことにつながってしまうかもしれないというのは、とてつもない恐怖だと思うのです。
2人は、物理的にも心情的にも長い長い旅をします。
一緒の時もあれば、別々の時もあります。
そして何人かの人たちに会って、その人を通して互いのことを考え、理解しようとします。
一緒だから経験できたこと、離れていたからこそ解ったこと。
それがあって初めて、澄見は恐怖を抱いたまま千空と一緒に過ごすことを選択でき、千空は自分の望む愛され方でなくとも澄見と共にあろうと決意することが出来る様になったのだと思うんですね。
『嬉しいとか楽しいとか思うこと自体が何だか悲しい』
『懐かしいのと寂しいのって似てる』
一緒に居たいのに、互いに大切だと思っているのに、人はひとつにはなれません。いつでもひとりです。
そんな寂しさや哀しさが、お話のあちこちで千空の言葉から零れ落ちます。
だからこそお話のラストでの『苦しいのよりつらいのより、幸せなのが大きい』と言う千空の言葉が胸に沁みました。
読み終わってからの余韻も素敵な物語で、今もかなりジーンと来ています。