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この作品を読ませていただきました
講談社文庫から来ましたが、ノベルス版の夏休みを読まないと私は心の整理が出来ませんでした
ここから感想です!
夏休みの内容は切ないけれども、安心して読めました それでも、やっぱり号泣ものです
2人はゲイのカップルでどう頑張っても子供は出来ないし どうしてもそういう社会の何かがあるけれど、2人で愛し合っていくことは幸せで何かが必ず残るんだなあと思いました。
ここからはネタバレなのですが、
堂野のラストシーン「一緒に死にたかった」というシーンが辛かったです。尚が父さんが可哀想だと言って、堂野に2週間寄り添ってあげたのがなんというか言葉に言い表せないほどジーンときました
初めてBL本で泣きました。
読み終わったあとはああこの2人を見届けられた幸せに包まれました。けれど、1日おくともうこの2人は見れないんだなと思うと切なすぎました。
喜多川と堂野が幸せに暮らしたことだけでも満足です(泣
もうこの話が新しく世の中に出ないだろうと思うともったいない気持ちでいっぱいです。
いつか美しいことも含めて、木原音瀬先生の番外編をまとめてくださいと深く思いました。
木原音瀬先生ありがとうございました
堂野の娘が死んだのがショック過ぎて、それ以降もう読み進められないです。なので読んでません。
登場人物の死は話を深くする上では好きな展開ですが、作者が邪魔だから殺した感が透けて見えるような退散の仕方は好きではないです。
最後に収録された「なつやすみ」まで読んで、漸く不朽の名作と言われている事に納得しました。
それぐらい「なつやすみ」が素晴らしく、もともと創作物で涙するタイプの人間ですが、この作品には泣きに泣かされました。。。
表題作の「檻の外」も冒頭を読んでいた時には、予想もつかなかった終盤展開が待っていました。怒涛の展開でありますが、わざとらしくなく、淡々と話が進みます。話的には堂野家族の話が中心なので、BL小説で敢えて取り扱わなくてもいい内容かなーと思う所もありました。BL小説として手に取ってるので、そういう面では、意図しているものと違う物が見せられた、そういう側面は正直ありました。
それでも喜多川が泣かせる性格をしているので、話に引き込まれました。喜多川と穂花との心温まるエピソードとかも泣けましたね〜。喜多川の魅力で読み終えました。
「なつやすみ」もBL小説という括りの中心からは外れるけれども、いい読み物を読んだ…という感想です。尚少年を通して見た或る風変わりな二組の家族の歴史がユーモアを交えて描かれています。年齢を積み重ねて、いい形になっている堂野と喜多川の関係を見れて嬉しかったです。二人の日常のイチャイチャを見るよりも、地味だけれど、着実に人生を積み重ねている二人の姿を推測できて、とても嬉しくなりました。
子孫は残せないけれども、着実に尚少年の人生やその子孫へ受け継がれる魂にも確実に影響を与えた二人。何も遺さない、生み出さない人間はいないなーと。生きている限り、誰かに何らしかの影響を与えるものだと感じました。LGBTに世間の理解がもっと深まって欲しいです。この作品が出て10年過ぎて、漸く少しずつ世の中も動き始めている兆しも見えるかな。色々な家族の形態があっていいじゃないかなー、そう強く思える作品でした。これからの時代に益々そぐいそう。
個人的には、上巻にあたる「箱の中」も表題作よりも「脆弱な詐欺師」の方が秀逸した作品に感じました。下巻でも表題作「檻の外」よりも「なつやすみ」の方を素晴らしく感じました。第三者視点から紡がれる主要人物の物語を描くのが上手い作家さんの様に感じました。今更ですが、日常の観察力の鋭い感性に優れた作家さんですね〜。とにかく喜多川という男の懐の深さや味が伝わる一冊でした。
BLが主題でなく、たまたま愛した人が、同性であり、それも人生の一部分に過ぎない、そういう小説も良いかな、と思えました。本人達にとっては自然な事であり、凄く特別な事ではないんですよね。例え周りの価値観と違っていても…。草間先生の挿絵が絶妙で、ここぞというシーンが心に強く刻まれました。とても温かい気持ちになる挿絵でした。
ところで他のレビューアーの人の話により、別出版社から出ている文庫版では「なつやすみ」が収録されていないと知り、驚きました。この話があるから、二人の愛や人生が昇華された作品になるのに。。これを外した出版社の作品愛に疑問を感じてしまいます。「美しいこと」もホーリーノベル版を頑張って入手して正解だと思えました。やはりオリジナル(元祖)版は偉大だ…。
喜多川と再会した堂野は、情を断ち切りがたく、喜多川を家庭に招き入れます。娘・穂花が喜多川に懐き、穏やかな交流が続くかと思われた矢先、穂花が殺害され、堂野の妻の不倫が発覚。堂野の家庭は崩壊してしまいます。
喜多川の堂野への愛は、堂野に妻子がいても、娘の殺害で誤認逮捕されても変わりません。ただ傍に居たいと願い、寂しさをこらえ、堂野の娘を大切に思い、自分の命さえ惜しまず堂野を守ろうとします。その一途な愛に、深く胸を打たれました。愛を知らなかった喜多川が、堂野を愛し、作中の誰よりも深い愛を持つに至ったことに、愛の真理を見たような気がしました。求めなくても愛を与えられてきた者は、きっとその大切さを身にしみてわかることはないのでしょう。
ささやかな幸せで満足できなかった堂野の妻の身勝手さ。娘の死であらわになる周囲の心無さ。困難は、残酷なまでに人の本性を明らかにしてしまう。愛とは何だろうと悩む堂野が、喜多川が穂花を悼んで作る花輪に答えを見出す心の動きが、本当に素晴らしい。今、目の前にいる男が無性に愛しい、ただただ愛しいと。
堂野の服役中も、娘を失ったときも、苦しむ堂野を支えたのは喜多川。喜多川の一途な愛、深い優しさが、堂野に届いた瞬間に、心が震えて仕方がありませんでした。
書下ろしの「雨の日」は、喜多川と堂野の穏やかで幸せな日常が描かれます。浴衣や夏祭り、海外旅行など、喜多川がこれまで経験できなかったことを、堂野が一緒に楽しもうと提案する姿に、喜多川への愛情を感じました。心が温かくなる短編でした。
「なつやすみ」は、堂野の妻が不倫で身ごもった子ども・尚が、堂野と喜多川と毎夏過ごす話。血のつながりは無くても、堂野と喜多川から愛情を注がれて、尚が思いやりある青年に成長していくのが良かったです。そして、喜多川を病気で亡くした堂野の悲しみに尚が寄り添う描写に、涙が溢れました。
尚の中には、堂野の愛情と喜多川の生き方がしっかりと根付いており、尚は自分の息子にもそれを伝えていきます。堂野と喜多川が愛し合い幸せだったからこそ、尚に伝わったものがある。愛はつながっていくのだと、深い余韻に包まれました。
今更の神評価です。
とにかく、より沢山の人に知ってもらいたい。
何度読み返しても感動に震え涙する。
blのくくりの中で納めて欲しくない。
【なつやすみ】の尚は、‘博士の愛した数式’のルートだと思う。博士は喜多川。
できるだけ沢山の人に読んで欲しい。
箱の中の続編。
前回は、攻めである喜多川が6年かけ執念で受けの堂野を探し出すまでのお話でした。
そして今作で再会し、苦悩し、模索しながら関係を作り上げていきます。
本編は1冊の半分ほど。
そこでは相変わらず萌えは行方不明でした(苦笑
ただ萌えを求めず普通の小説として読むならば、昼ドラ並みのドロドロさで面白いです。
女性はとことん嫌なやつとして書かれ、しかもその嫌な部分が本当にリアルなんですよね。
あー、いるよねこういう人ってと読まれた方は感じたのじゃないでしょうか。
胸糞の悪さが本当に良かった(笑
そして後半の『なつやすみ』は受け攻め以外のとある人物の視点で進むのですが、これが素晴らしかった!
文庫版にこれは収録されていないのでしょうか。
だとしたら絶対読まれた方が良いと思います。
泣きましたから。
この後半も普通のBL的な萌えはまったくないのです。
でも、人間としていかに胸を張って生きれるか、他者の痛みに鈍感にならないかという辺りが胸にグサグサ刺さり、木原さんはやはりBLではなく一般の作品を読みたいと感じました。
わたし自身読む前にノベルス版をおすすめされたのですが、この『なつやすみ』を読むためにノベルス版買われた方が良いと思います。
この部分が本当に文庫版に未収録なのだとしたら、それは彼らの生き方を見守れずひじょうに残念なことだと思いますので。
まるで、一本の映画を見終えたような充足感。愛し愛されるとは、人生とは…そんなメッセージがそこいらに散らばっているのに、この二人が辿る道は特別ではなく、どこにでもある幸福の形でした。
『箱の中』を出て外で織り成す展開は劇的な事件へと発展していきます。少々、唐突感を否めなくもありませんが、冤罪で苦しんだ堂野という男を考えると、こういう結果に妙に納得できる気がしました。
堂野は友人として喜多川を必要としますが、完全に拒絶しない辺りが残酷であり非情になれない彼の狡猾さをよく現しています。喜多川の一挙手一投足に猜疑心に駆られ、娘を嫁に欲しいと言いだす彼に薄ら寒いものを覚えるのは至極当然な反応です。
面白いことに、堂野は喜多川に対していつも疑惑の目を無くす事が出来ずに、自問自答を繰り返しています。疑いの目を向けるべき相手は他にいるにも関わらず。
疑ってかかるという事は相手を理解しようとする事と同義であり、本質を見極めようという事の現れです。信頼しているから疑わないという事は、無関心であるとも言えます。
喜多川も堂野と再会し現実を知らされ、堂野との距離を彼なりに模索していきます。かつて自分勝手に向けた好意も、檻の外では堂野の家族という社会を通じて、箱の中の世界はあくまでも箱の中だけなのだと痛感するのです。堂野のそばにいられるだけでいい、生まれ変わって堂野の子供になりたいと願う喜多川の言葉は、堂野にとっては重すぎるものです。堂野は喜多川の素晴らしい人間性を知っているからこそ、自らを尊ぶ事のない彼に憤るのだと思います。それは同時に喜多川をそれだけ大切に想っている証明です。
やがて事件の真相が明らかになり、喜多川の元を訪れた堂野は、喜多川から過去の罪の懺悔の告白を受けます。娘の死を嘆き悲しみ、深い深い真っ直ぐな自分に対する愛情を目の当たりにしたとき、ようやく喜多川という男を真の意味で理解したのではないでしょうか。不器用で誠実で優しい喜多川は、箱の中から少しも変わらず堂野を裏切る事はありませんでした。愛しいという感情を受け入れるくだりは、ともすれば都合がいいと言われそうですが、絶望に落とされた堂野を救えるのはやはり喜多川しかいないのだと思います。
『なつやすみ』では元妻と別れてから産まれた尚という小学生が、父親に会いたいと母親に内緒で喜多川と堂野の元へ会いに来るという話です。この作品はこのシリーズ最大の要だとい思いました。
尚は自分が生きていくうえで必要不可欠である、欠けてしまったものを求めて堂野に会いにいきます。けれど堂野の不自然な態度に拒絶されたと感じ、理想はただの幻影なのだと落胆します。ですが、ここで尚を温かく見守り堂野へ導いていく良き理解者として喜多川が描かれていきます。
かつての無愛想がいくらかやわらぎ、よく笑い大らかで優しい幸福にあふれた喜多川がそこにはいました。喜多川のお陰で尚が救われていくのは、かつて堂野に救われた喜多川そのもののようです。
堂野は接し方が分からず戸惑っていただけで、尚もまた父親の不器用だけれど真摯な愛情に気付いていきます。
母親に連れられて喜多川の家から離れる場面、尚が喜多川にお父さんに感謝と謝罪を伝えて欲しいと叫ぶと、母親が突然泣き出してしまうところは、母親を代弁しているようで大変泣けました。
やがて尚は真実を知り、思わぬ形で堂野と再会を果たします。
子供を望めない堂野と喜多川にとって、抗いようのない別れはもはや避けようがありません。どちらかが必ず残される。そんな漠然とした不安や哀しみを抱えたなかで、尚という存在がどれだけの希望だったか、察するに余り有ります。本当の子供のように愛しく慈しみ愛した証拠に、尚は結婚後も自分の家族を伴い堂野に会いにいきます。それは遺された堂野が孤独ではない事の証でもあり、そんな宝物を遺してくれたのはまぎれもなく喜多川なのでした。喜多川の途方もないほどの愛情は、彼の死後も続いていくのだなぁと、尚を通して感じさせてくれました。
そしてそんな喜多川を愛する事が出来た堂野も、彼を独り遺す事もなく最期の時まで愛し抜きました。愛されるよりも、無償の愛を与え続けられる幸せは何物にも変えがたい。遺されるほど辛いものはないけれど、他の誰でもない自分が天国へ見送れる幸せ、独り遺す事のない幸せもあるのだと思います。
涙無くしては読めない、語れない。これ以上の幸福はないし、これ以外の結末もない。こんなにも幸せであってほしいと願う二人もいない。
そんな作品でした。
言うまでもない神作品です。
もちろん、『箱の中』も読みました。こっちは自分が堂野の気持ちに何度かシンクロしてしまい、キュウキュウと胸の奥が軋みました。淡々と落ち着いた文章や差し迫る心理描写は、まるで子供が水たまりの上でバシャバシャと跳ね回るように、胸の内をかき乱してきます。
BL小説の中には、ある部分(萌える点)さえ押さえてあれば・・というか、途中で気がぬけたのかな、と書き方に首を傾げる作品もあるんですが(そういうとこに一回引っかかりを覚えると、先を読んでもしらけてくる)、この作品は全編通して、頭の中に絵が浮かび、自分が作中に引きずられていくような・・、小説家がBLを書いてる、作品です。
世間の読書家に『BL舐めんな、読んでみろ』って薦めたい一冊ですね(笑)
エロが嫌なら、そこだけ読まなくてもいいから読んでみてって言いたい(でも最後は、BLって実はいいよねって思い知らせたい)
いえ、すいません。自分の趣味を人に押し付けちゃいけませんよね。はい。
この一冊の本からどれだけの感情を教えてもらえるか。
彼らが、出会えて良かった。普通だったらあり得ない出会い。必然でも偶然でもない。
彼らが悩み、頑張って努力して、やっと、そこまで着いた。
だけど、それは間違ってなんかなかった。
その安堵感に胸が締め付けられます。
読んでる私の方が、切ない現実を前にして苦悶する彼らを見て、諦めた方がいいんじゃないか、その方が、傷つかないで済むんじゃ・・と思っていたのに、狂気とも見える思いを抱え、求める事を諦めない方が正解でした。
自分の予想とは逆の展開が、また心を震わせるんです。
私だったらもうやだって思ったら逃げちゃう。けど、彼らは逃げない。それは、もしかしたら融通がきかないとか、不器用とか、真っ直ぐだからとか、色々理由があると思うんですが、その形を目指そうとする強さに涙が出そうになります。
『箱の中』とセットで、本当にシビれしました。
神作品です。
「箱の中」を読了。続きが気になって、気になって、今作を手に取りました。前作では出所後、堂野(受)が女性と付き合い、妊娠を機に結婚をすることになったところで終わりました。いよいよ堂野(受)と喜多川(攻)の再会。どんな展開が待っているやら。
目次
・檻の外(受け視点)
・雨の日(攻め視点)
・なつやすみ(高村尚クン視点)
あらすじ
堂野(受)は妻子と共に買い物に出かけた帰り、所用で席を外した妻を待つため、幼い娘と公演のベンチに腰掛け待っていました。するとそこに道を尋ねる背の高い男が。紛れもなく喜多川(攻)。とうとう二人は6年の時を経て再会を果たします。子供のように喜び、堂野(受)を抱擁する喜多川(攻)。そこに「パパ」という娘の掛け声。喜多川(攻)の表情が曇ります。堂野(受)は5年前に結婚したことを伝え…。
本当は私、受けに感情移入をするタイプなのです。でも木原作品を読んでから変わりました。攻めの立場に立って読むことが多くなったのです。先生の描く攻めは人間味に溢れていて、魅力的で、純朴で、素直な人が多いように見受けられます。好きにならずにいられません。この作品でも、堂野(受)の娘をめちゃくちゃ可愛がるとても素敵な良い男なのです。
本当だったら、堂野(受)の家族への嫉妬とか、嫌悪とかありそうなものなのに、そういった感情は全くないんですよね。それどころか、堂野(受)の娘をいつか自分にくれと頼んだり。正直これにはピックリしてしまいましたが、喜多川(攻)の、堂野(受)と家族になりたいと思う気持ちが透けて見えて、なんて素敵な愛なのだろうと、とても微笑ましくホットな気持ちになりながら読ませて頂きました。
一途。これに尽きます、喜多川(攻)の愛は。ところが、それに反比例するかのような堂野(受)の妻の裏切り。そう、私は浮気っていうのは伴侶に対する裏切りと捉えています。裏切られたことで、今までと同じ目で妻を見ることが出来なくなってしまった堂野(受)。めちゃくちゃ分かります、その気持ち。確か堂野(受)は「箱の中」においても、信頼していた三橋に裏切られました。その落ち込みようを知っているだけに、亀裂の入ってしまった夫婦が元の鞘に収まるのは無理だろうなと考えたのは、私だけではないと思います。
しかもこの妻は、二人の関係を知った後、橋の上から喜多川(攻)を突き落とそうとしたのです。普通だったら不意打ちを喰らっても、女性の手によって橋から落ちることはないと思います。でも妻が上手な嘘をつき、喜多川(攻)を絶望に追い落とし「死にたい」と思わせたんですよね。
堂野(受)が気づいて助けに入ったものの、一緒になって橋から落ちてしまいました。でも二人とも無事でした。ここからラストに至るまでが実に良いのです。ようやく堂野(受)から喜多川(攻)への愛の言葉が聞けました。何よりも「君が、いいんだ」と言う堂野(受)の言葉に、子供みたいに泣いて嬉しがる喜多川(攻)が可愛くて、可愛くて。
「雨の日」は二人のイチャイチャぶりを拝むことが出来、心が和みました。
ラストがまた良くって。芝から届いたハガキを握りしめ、ちょっぴりうれし涙を流す喜多川(攻)がとても愛しくて、私の眼にも涙がほんのり。
「なつやすみ」は、堂野(受)が認知した息子、尚の視点で展開します。
喜多川(攻)は堂野(受)の娘の時もそうでしたが、よく子供に好かれ懐かれます。たぶん遊びにしても、話にしても、子供の視点に立って考え行動することが出来るためだと思います。喜多川(攻)がどれほど良い男か、再認識させられる作品となっています。ですが…ラストは号泣しました。涙が溢れ、止まりませんでした。ボロボロ、ボロボロ。あとがきで木原先生が仰ってました。喜多川(攻)の人生を描き切ったのだと。まさしくそれに尽きますね。
この作品を読み終えたとき、そう言えばだいぶ前に読んだことのある大好きな凪良ゆう先生の「おやすみなさい、また明日」を思い出してしまいました。人生を描き切ったというところに共通点があるように思います。忘れられない作品となりました。とても素敵な作品を有難うございました。生涯、私の宝物です。
P.S.読めるものなら「すすきのはら」読んでみたい。誰かコピーをくれないものだろうか (┯_┯)
刑務所で別れて6年後。妻子とともに平凡ながら平和な毎日を過ごす堂野の前に、突如、喜多川が現れます。刑務所にいた頃と同じ、あるいはそれ以上の情熱で堂野に執着する喜多川に戸惑いつつ、彼の一途で不器用な様子を放っておけない堂野は喜多川を自分の日常へと招き入れます。
何も知らないけれど堂野を愛していると言い切る喜多川と、手にしていたはずの幸せを見失って途方に暮れる堂野。二人はそれぞれに傷ついて、最初は真正面から同じだけ想い合っていたわけではないけれど、時間をかけてかけがえのない存在になっていく――。二人の人生がゆっくりと一つになる物語です。
堂野視点の表題作「檻の外」、喜多川視点の後日談「雨の日」、そして尚の視点で書かれた「なつやすみ」が収録されています。
「檻の外」はドラマチックな展開で、人生の波乱万丈が分かりやすい形で語られています。面白いなーと思ったのは、堂野に降り掛かった不幸は喜多川と再会してもしなくても起こり得たことなんですよね。堂野がどうしようもなく弱った時に傍にいる、そのために喜多川が現れたのかも…と考えると、喜多川は天使みたいな男だなと思います。まぁ当の喜多川は堂野こそ天使だと思っていそうですが。
「雨の日」「なつやすみ」は案の定、泣いてしまいました。一番近いのは…嬉し泣きかなぁ。喜多川が大切にされていること、まるで堂野と再会してから生き直したように素敵なおじさんになっていたこと、真っ直ぐな考え方、尚との関係、沢山の人に愛され、幸せに包まれて旅立ったこと。そのすべてが本当に嬉しかった。思い出しても涙が出ます。
私は、死について考えるとついつい涙が出る涙腺弱いマンですが、年を取って、天国で待っている人達にやっと会えるなーと思いながら死ぬのも悪くない、なんて考えるようになりました。そのためにはちゃんと生きて、胸を張って天国に行かねばならないわけですが。「一緒に死にたかったな」と言いながら、あのボロ家で一人暮らす堂野はいい男ですね。強いばかりじゃないけれど、いい男です。彼のことを思うとまた胸が詰まりますが、きっと喜多川は絵でも描いて待っていると思うので、焦らず、残りの人生を穏やかに過ごしてほしいと思います。
BLの域を超えていると思います。
帯に“BL界の芥川賞と称された〜”と書かれていましたが、本当にそうですね。BLというジャンルにとらわれず、BLにご縁のない人たちにもぜひ読んで欲しい!と思いました。
『檻の外』は『箱の中』以上にBLを飛び出してます。いい意味で。
読後の余韻は、相当なもんです。はーってため息が何度も出ます。
血のつながりのある家族、つながりの無い家族。夫婦の愛。親子の愛。などなど、人と人とのつながりって何なんだろうって、考えさせられました。これってよくあるBLを読んだ後の感想とぜんぜん違う!
ふだんは楽しいBL小説を楽しく読むのが大好きだけど、こういう上質な文学みたいなお話しに当たると、やられた!ってなります。
この感動をたくさんの人に知ってもらいたいから、映画化されたらいいのにって思いました。
いやぁ……前作を読んでから、いてもたってもいられずに手を出しました。
翌日仕事で眠くても、眠さなんて吹っ飛ぶくらい引き込まれます。
心をごっそり持ってかれてしまって、真夜中に放心状態です。
心をね、抉られてしまう。
結局はハッピーエンドなんですが、これは単なる恋愛ものではなく、家族愛に恵まれなかった喜多川の生涯の物語だったんだと思います。
堂野が喜多川にむけた愛は恋愛感情での愛ではなく、家族に向ける愛に近かったのではないかと思いました。
『死ぬまで一緒にいてくれ』と、そう願った喜多川の言葉の通り、堂野は
最後まで、それこそ、喜多川が息を引き取るそのときまで側にいました。
喜多川は本当に幸せだったんだろうな、と思うと、読んでいてもう涙が噴き出してくる。
堂野の元妻の子供、尚の視点で書かれた『なつやすみ』に至っては、涙がだらだら流れっぱなしで、こらえきれなかった。
子供・動物・年寄りネタってだけで涙腺が10倍くらい緩くなります。
ドンドコドンのドンデン返しとはこの事。
先が全く予想出来ないし、
読みたくて仕方なくて恐ろしい本です。
魔性の本なんじゃないかと思います。
こんなにキャラクターを描ききる事ができるのかと思うほどに
素晴らしくこんな男に愛されるなら
添い遂げてぇーよ!
と、恋に落ち、受けに対して読みながら嫉妬してしまいました。
2人が幸せならもうなんでもいいよ。
誰も邪魔すんじゃねーよと、泣きじゃくりながら、
人の孤独とは、なんなのか、読みながら心がドン底に突き落とされる
錯覚に陥りました。
これ読んで泣かない人いないと思う。
泣くために読むんじゃなくて、勝手に涙が出ます。
泣けます的なレビューとか書いてるの好きじゃないんです。
もう、胸の中でぐちゃぐちゃって、想いが溢れて
ドビャーって穴という穴から
なんか出てきます。
スゲー本なんだよマジで。
無人島行くなら木原先生の本持ってくもん!
BLを本気で読みたいならこの本だよ。
今まで数々のBLマンガやBL小説を読んできましたが、これほど引きずるというか、余韻が消えないというか・・・今までになかった感覚です。
幼少期の環境のせいで、人間でありながら「人」としての心が欠如していた喜多川が、堂野によって人としての心を覚え、雛が最初に見た者を親として慕うがごとく、自らにとって絶対無二の存在として、ひたすら堂野に執着して。
そんな彼の純粋さや真っ直ぐさが幼い子供の様で、愛しくて、愛しくて(涙)
読んでいくうち喜多川に対しての愛しさが私の中でどんどん膨らんで行って、まるでリアルに生きている人の人生を読んでいる感覚になっていって。
そんな彼の最期までをこの作品で見届けて。
読み終わった後しばらく放心状態でした。
もう3日経ちますが、他の作品を読んでいても、ふとした時に喜多川や堂野を思い出すくらい、余韻が消えない。
「BL」とくくって狭い世界にだけに収めておくには勿体ない。
できるだけ多くの方に読んでもらいたい、本当に素晴らしい作品でした。
再読です。でも以前読んだのは講談社文庫版で、物語としては一応の完結をみているものの、この作品を評価する上でとても大切な部分が欠けていました。こちらの蒼竜社版を読んで、はじめてスウッと腑に落ちました。後書きで作者の木原さんは言っておられます。「喜多川の人生を書ききった・・・」わたしたち読者の側からすれば、それは「見届けた」となるのでしょう。BL作品では、どうしても身体を含めたLOVEが主題となるために、人が最も華やいで恋に血道を上げる時期を中心に描かれます。1人の人間の一生を丹念に、それこそ当人が亡くなった後まで追いかけるというのはそれ自体とても稀有なことでしょう。この本の最後に収められた「なつやすみ」。ここまでたどり着いてようやく、喜多川圭という人は本当はどんな人だったのか、その波瀾の生涯をどんなふうに受け止めればいいのかが、おぼろげながら見えてきます。
お話は堂野の息子・尚が、小3の夏休み、幼いころに生き別れたお父さんにひとめ会いたいと、堂野と喜多川が暮らす海辺の町を1人で訪ねてくるところから始まる。諸々複雑すぎる事情を抱えて戸惑いを隠せず、ぎこちない接し方しかできない堂野。一見とっつきにくそうに見えて、すぐに子どもの心をわしづかみにしてしまう喜多川。同じ目線で、全力で遊んでくれる彼は、おさない子どもにとって最高の夏休みの相棒だ。でもいけないことをしたときには、大人としてちゃんと叱って、教えてくれる。「いいこととわるいことがわかってりゃ、それだけでいい」
尚はじきに堂野とも打ち解け、毎年夏休みの3日間を2人と過ごす。思い切り遊んで、会えないときは電話して、母子家庭では話しづらい思春期の悩みや、進路の相談もして・・・母の再婚で「新しいお父さん」ができても、尚にとっての父なるものは堂野と喜多川がすべてだった。満たされていた。大学進学を控えて、自らの出生の秘密を母に打ち明けられるまでは。
一方の堂野と喜多川。同性を生涯の伴侶に選んだ時点で、実子をもうける可能性は閉ざされている。失くしてしまったとはいえ一度は妻子を持ったこともある堂野に対し、喜多川の人生は子どもとはどうしたって縁がなかった。いちずに思い続けた堂野と添い遂げられて喜多川的には本望だったろうが、2人の関係が社会的に認められていたわけでもない。(この作品が世に出て10年以上の月日は流れたけど、日本で同性婚が法的に認められるには道なお遠しの感がある。最近になってようやく一つの区で同性カップルに証明書を出すようになって、それが大きなニュースになるような、いまだにそういう国なのだ。)
ごみ溜めに放り投げられるようにして育ち、母に請われるまま10代で殺人犯となって、20代のほとんどを刑務所で過ごすという、あまりに過酷な喜多川の前半生。それでも誰を恨むでなく懸命に生きて、人を愛する心も喪わなかった男に、人生の後半は少しくらい神様のご褒美があってもいいじゃないか。大人たちの複雑な事情を知らず、ただ愛されるために飛び込んできた尚は、まさにそういう存在だった。
物語は、大人になり、結婚して父となった尚が、5歳になる息子を連れて再びあの海辺の町へ向かうシーンで終わる。このとき喜多川はもうこの世にはいない。かつて自分が喜多川に言われた言葉そのままに、息子を諭す尚。血のつながりなんてなくても、そこには確かに、喜多川が手渡し、尚が受け取ったものが息づいている。それはもう立派に「子育て」だったんじゃないだろうか。ゲイカップルの地平をひとつ広げた作品だったと、あらためて思います。草間さかえさんのイラストも、質実剛健なくせに色っぽくて、ほかは考えられないくらいハマってました。
ハッピーエンドがこんなにも嬉しくありがたいと思うなんてBLを読んで初めてでした。
もちろん沢山泣きました。(レビュー読んでも涙が出たくらいw)
喜多川の一言一言に心が抉られるようでした。
人を殺すことに何も感慨も示さなかった喜多川が、小さい女の子の死を悼んでいる姿に胸がつぶれるようでした。
しかも自分が疑われたことは脇に置いて。
そこのところが堂野妻と正反対でしたね。
堂野の奥さんの被害者側に逃げたい願望は、全く理解できないわけじゃないからこそ余計に嫌悪感がありました。
その厚顔無恥とも言える逃避はある意味防衛反応ですが、だからこそ尚を生めたのかなと思うと少々複雑です。
でもこういった人間のずるさが生々しくて目が離せませんでした。
喜多川を消そうとするなど、どん引きレベルをはるかに越えますが…
奥さんの裏切りがなければ、堂野と喜多川は結ばれなかったと思いますが、かといって決して”棚からぼた餅”な恋愛成就ではありません。
喜多川の愛が堂野のすぐ傍になかったら、堂野は愛とはなんなのだろうと不信感を抱き続け、巻き込まれた娘のことも引きずって次に踏み出すことはできなかっただろうと思います。
皮肉にも、あの状況が呼び水となって喜多川からの愛と喜多川への愛がはっきり自覚できたのかなと思います。
喜多川は自分の力で夢を叶えたのですよね。
幸せという概念すらなかったと思うと余計に感動します(>_<)
過去(生い立ち)の穴を埋めるような、堂野との優しい暮らしぶりが喜多川本人から伺い知れて涙が止まりません。
そして、尚の息子の名前や尚が息子に諭すセリフなどに喜多川の息吹が受け継がれているようで感無量。
最後の最後まで喜多川の幸せに浸ることができました。
本当に喜多川という男を生み出してくれてありがとう、喜多川を幸せにしてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。
草間さんの挿絵もどれも本当に素晴らしかったです。
人物の影が滲み出ていて切なさも凄く伝わってくるし、絵柄の良さがとても活かされていると思います。
私は、尚と喜多川が浮き輪で海に浮かんでる絵に幸せが凝縮されているような気がして特に好きです。
草間さんが更に好きになりました。
「雨の日」と「なつやすみ」目当てで買いました。
以前本編は読んでたのですが、心が痛すぎて勇気が出ず、やっと買えました。
読後は号泣、そして神棚へ。
普段生きてて、たまに幸せってなにとは思っていました。
でもすぐに忘れて普通に暮らしてた。
さすが木原先生、がっつりもっていかれました。
心の中空っぽにされちゃいました。
「なつやすみ」が凄いです。
まさか喜多川の人生まるごと見せられるとは思いませんでした。
ゲイカップルの晩年ってこんな感じかなとちょっと思いました。
闇から光へ必死で歩いている人の物語だと思いました。
喜多川の人生が幸せであったのかどうか、評価は分かれると思います。
晩年は先生と呼ばれ良い伴侶に恵まれ幸せだったと思う。
だがいかんせん前半が悲惨すぎる。
生い立ちが不幸すぎて幸せになればなるほど何故か悲しい。
堂野に惚れ激愛し最期まで添い遂げられたのは幸せだったでしょう。
たった一人の人間を愛し抜くって凄いことだし。
本気で人を愛せないまま人生終わる人もいると思うし。
でもなんかね、声を大にして言いたいんです。
他に誰かおらんかったんかい、と。
喜多川の人生の登場人物少なすぎだろ、もっと誰か彼を愛してやれよ!
と、おせっかいにも思ってしまうんですね。
トータルで考えると彼の人生は幸せだったと思います。
そう思いたい。
堂野に出会えて良かった。
やはり人生を左右するものは愛の力なんだね。
と、つくづく思った作品でした。
神評価が半端ないので読んでみたら、素晴らしい作品でした。
ただ、幸せより不幸せだと思えることが前後半ともに多すぎて、ちょっと痛い。
明らかにご都合よくハッピーエンドになる話よりも現実味があって私は好きですが。
前作の箱の中の感想も少し合わせてみます。
刑務所で知り合った喜多川に、情を抱いた堂野が、喜多川の出所日に迎えに行かなかったことが切なくて、その後の脆弱な詐欺師では、何でこんな辛い目に遭わなきゃいけないのかと号泣するほど、喜多川がかわいそうでした。(木原先生むご過ぎる・・・。)
それに続く今作では、堂野の家庭と親しく付き合いながらも、喜多川の寂しさはますます募り、二人の関係も平行線に思われた。そこへ訪れる悲劇。そんなことがなくても、奥さんの裏切り発覚だけでも堂野は喜多川を選べなかったのか?と若干思う。(先生やはりむご過ぎる・・・。)
しかし、二人にとっても耐え難い事件があったからこそ、奥さんの曖昧な愛情より自分だけを愛してくれる喜多川が唯一無二の存在だと実感したからこそ二人は結ばれた
そんな簡単にはいかない現実と、苦しみを乗り越えた時に待っている幸せ、出会いから時に迷いながら、揺るぎない愛へと成長していく模様が丁寧に描かれていて素晴らしい作品でした。
夏休みに登場する喜多川は、人間としても見違えるように変わっていた。それは2人で過ごした間に堂野が喜多川に愛情をたっぷり注いでくれたのかなあと思えて良かった。
結局喜多川が堂野より長生きしなかったことも、本当に良かった。(先生ありがとう)
出来れば、もっと二人が幸せに過ごした時の話をたっぷり読ませて欲しかったな。
読後感としては、泣きはらしてしんどかった。
辛い場面で泣きまくっていたので、幸せキュンキュンしながら読める場面がもっとあれば・・・。
でも読み終わって暫くその作品のことが頭から離れず、思い出して泣いたり、色々想像してみたり、セリフをかみ締めたり、ようやく納得したり、色んな意味でこの作品に出会えてよかったです。
最後に。
喜多川が堂野に養子縁組されていましたが、そのいきさつは番外編だったそうですが・・・
今頃知ったのでは読めないじゃん!!作者むごすぎだってば!!
何故そんな大切なお話をプレミアム限定版にするかな。(怒)
見つけてもプレミアム価格15000円とかになってるし。
BL界の最も許せない点ですね。おまけやら限定版にはもっとどうでも良い(対して大事ではない)ストーリーを持って来るべきです。読めなくても残念とか思わないくらいの。
作品全体は神ですけど、作者のむごさ3点盛りでマイナス1にしました。
挿絵を描いておられる草間さかえさんのファンになり、草間さんが携わられた作品に触れたいと思い、この「檻の外」を手に取りました。
木原さんの紡ぐ言葉も好き。
草間さんの描く景色も好き。
そして、両者が組み合わさったことによるこの作品の雰囲気が、切なくも愛しいです。
前作『箱の中』でおよそ「人間」とは思えなかった喜多川。
そんな彼が堂野の娘・穂花を想い涙する姿、
堂野に愛し愛された彼が、書き下ろしの「なつやすみ」に登場する尚(なお)に惜しみない愛を注ぐ姿を見て、
「誰かを愛し、誰かに愛されることで人は変われるんだ。素敵になれるんだ」
と思いました。
「檻の外」「夏の日」「なつやすみ」いずれも素敵な作品ですが、
個人的には「なつやすみ」が一番好きです。
思い出すだけで目頭が熱くなってきてしまいます。
堂野に愛し愛された喜多川が、とても人間臭い男になっていること、
(草間さんの挿絵に描かれた喜多川の満面の笑みには、
「あの喜多川が…!」とノックアウトされてしまいました)
そして堂野と喜多川に惜しみなく愛された尚の成長した姿は、
「人を好きになるっていいな、人を愛するっていいな」
と心から思わせてくれます。
「なつやすみ」最終盤の堂野・喜多川・尚の再会の場面は、
あのような形でしか再会が叶わなかったことが凄く悲しくて、とてもやり切れませんでした。
しかしその後の、過去に喜多川が尚に言った言葉が、尚の口から語られる場面で、
「悲しい」とは別の何かがこみ上げてきて、感動で胸がいっぱいになりました。
最後の場面の描かれ方は、まるで「なつやすみ」冒頭部にリンクするかのようです。
この場面は、堂野と喜多川が尚に与えた感動が、尚から次の世代に伝え、与えられて、
それがまた次の世代にどんどん伝えられていくことを感じさせてくれます。
とても感動的で、自分はこの場面大好きです。
喜多川と尚の交流の場面はまるで本当の父子のようで、
読んでいて胸が温かくなりました。
そして堂野と喜多川が尚に接する様子は、読んでいて
「結婚して家庭を持つことができたら、自分も堂野や喜多川のような親になりたいなぁ」
と思わせてくれました。
ずっと手元で大事にしていきたいし、、
前作「箱の中」と併せてたくさんの方に読んでいただきたい作品です。
この作品、ずっと読むのが恐ろしくて1年ほど押入れにしまいこんだままでした。
その予感は的中。読まなきゃよかったと後悔しきりでした。
だってあまりにも良すぎて他の作品を読む気がしなくなるんだもの。
(この感想は、2008年当時自分のブログに上げたものなのですが、それを書くまでにも更に数ヶ月かかりました)
獄中で出会ってから、死が二人を分かつまでのお話ということを知ってはいましたが、何度も胸が締め付けられ泣きまくりました。
きっと幸せだったよね、と思わずにいられず、二人が私の心に永遠に住み着いてしまいました。
素晴らしい作品です。素晴らしすぎて何言っても陳腐になってしまうので、もうやめておきますが、酸いも甘いも経験したこの年になってから読めて、良かったのかもな~と思った作品です。
「箱の中」の続きです。
冤罪で服役した堂野崇文は、出所したあと結婚して家庭を持ちました。
妻の麻理子、4歳になる娘・穂花とささやかながら幸せな日々を過ごしています。
一方、時を別にして出所した喜多川圭は、会いたい・・・その一心で堂野を探していました。
手がかりは、大江(探偵)が喜多川に渡した公園の地図だけ。
堂野が、家族と買い物に出てその帰り道、娘と遊んでいた公園でふたりは6年振りに再会します。
再会を喜び、しかし、堂野の妻と娘を見て複雑な心境になる喜多川。
そして、喜多川の自分に対する尋常ではない執着を知っている堂野も不安を隠せません。
それでも喜多川の思いはとても強く、堂野の住む町に引っ越してきます。
『芝はやめろって言った』
『あんたに家族がいたって近くにいるくらいいいだろ』
『同じ雨の降っている場所にいるんだって思うくらいいいだろ』
『顔が見たいって思う時に、歩いていける場所にいたっていいだろ』
ただそばにいたい。
そんな喜多川の強い思いに心打たれます。
それは堂野も同じでした。堂野は、人としての喜多川を嫌いなわけではないのです。
けれど、喜多川の思いには応えられない。
そばにいることを許して堂野に執着させることが喜多川にとって良いことなのかどうか・・・。
答えがみつからないまま、堂野は、家族の中に喜多川を招き入れます。
堂野の一人娘、穂花は喜多川に懐きます。
つかの間の平穏・・・けれど、それは本当につかの間のことでした。
事件が起きて堂野の家庭は、木っ端微塵に砕けます。
娘、穂花の死、妻、麻理子の裏切り、慟哭の中で堂野は愛について考えます。
そして、麻理子と離婚して喜多川と暮らすことを決心するのです。
橋の上から川に落ちそうになった喜多川の手をつかみ、その手を離すくらいなら一緒に・・・と、喜多川とともに川へ落ちた堂野。
助かったときに堂野が喜多川へはじめて告げた言葉と喜多川の涙。
二人で暮らすようになって「犬を拾ってきていいか」とたずねる喜多川。
『夢が、かなう』
『家があって、あんたがいて、犬が飼える』
せつない、ハッピーエンドでした。
「雨の日」
「檻の外」のその後のふたりの生活です。
喜多川視点で書かれています。
木原さんいわく、担当さんに頼まれた?二人のらぶらぶ
他愛のない日常の中で、幼い頃の良い思い出を持たない喜多川に、堂野が、浴衣を着せたり、今度花火を見にいこう、海外旅行にも行こう、と誘ったりします。
『圭の人生はこれからもっと忙しくなる』 ← 呼び方が「喜多川」から「圭」に変わっています
そのときに崇文は一緒にいるのかと喜多川にたずねられて堂野は応えます。
『・・・いるよ。一人より二人の方が楽しいだろう』
二人が飼った犬の名前は「アオ」です。
雨が上がった夕方、アオの散歩から帰った喜多川に一通の暑中見舞いが届いていました。
芝からでした。
その芝からの葉書を握りしめた喜多川の涙。
喜多川が大切にされていて本当に良かったと思える「雨の日」でした。
「なつやすみ」
「雨の日」のさらに後のお話です。
高村尚という少年の視点で書かれています。
尚は、麻理子の子どもです。戸籍上の父親は堂野崇文。
尚は9歳になりました。
生まれてから一度も会ったことのない父親にどうしても会いたくて、母と祖母に嘘を付いて堂野を訪ねてきます。
喜多川は、その頃には、現場で大怪我をして力仕事ができなくなり、挿絵を描く仕事をしていました。
ここまで触れませんでしたが、刑務所にいた頃から「絵」は喜多川の特技でした。
尚は、訪ねた家で最初に喜多川に会うことになります。
いきなり訪ねてきた息子にとまどう堂野。
尚は、喜多川に懐きます。大好きなおじさん。
そして、大切なことを喜多川から教えられることになります。
麻理子が迎えにきて別れたあとも、麻理子が再婚したあとも、「なつやすみ」のたびに堂野と喜多川を訪ねる尚。
そして、大学進学の時、尚は、真実を知ることになります。
物語は最後まで尚の視点で書かれています。
尚は、大人になり、結婚をして子どもが生まれ・・・夏に子どもをつれて堂野と喜多川との思い出の海に出かけます。
大好きだったおじさんは、ずっと尚の心の中に生きている。
木原さんは、あとがきで「喜多川の人生を書ききった・・・」と書かれていました。
辛いこともたくさんあったけれど、きっと幸せな一生だったのではないかと思います。
どれもBLというくくりにするには、重いお話でした。
人の弱さ、狡さ、残酷さ、そんな見たくない現実を見せ、ちゃんと考えなさいと常に言われているような試されているような作品だったと思います。
読み進めるには、辛いお話かも知れません。何度泣かされたかわかりません。
でも、読み終わったときには、きっと涙以外のものも心に残ると思います。
必ず「檻の外」まで読んでくださいね。
二人の愛のかたち、こころ・・・読んでください。
※ まずはじめに。
本の内容をお知りになりたい、もしくは感動を共有したいという方は、
どうぞ他のレビューをご覧ください。
「箱の中」と「脆弱な詐欺師」を読んで、すっかり堂野に悪感情を持ってしまったのですが、
だからこそ、この本を、正確に言うと「なつやすみ」を読めてよかったと思いました。
喜多川が堂野と共に生きて、ただ息をするだけの人生ではなく、
充足した日々を送っていたのがよく分かったので、いくらかわたしの気持ちも和らぎました。
母親に頼まれたからと言って人を殺し、良心の呵責も感じていなかった男が、
小学生の男の子と一緒に遊び、その子に愛され、お手本にさえなる様子は、わたしの心をも癒しました。
堂野が喜多川に正邪を教え、沢山の愛を注いだことがよくわかる心温まるエピソードでした。
最期を迎えても、喜多川は幸せだったと思います。
もっと長く一緒に…そう思わないでもないですが、若いときに酷使した身体です。
自然なことのようにも思いました。
不思議とそのこと自体は、あまり悲しくはありませんでした。
子供が生まれ、その子が成長して大人になる、その期間は決して短いものではありません。
その同じ時間だけ、喜多川は堂野と共に生きて、きっととても毎日が満たされていたことでしょう。
好きな人と一緒になっても、20年以上そんな幸せな日々を感じ続けるのは、簡単なことではありません。
ふたりには「箱の中」「檻の外」で失った時間と失ったものがあり、
だからこそのことなのかもしれません。
でも、正直なところ思ってしまいます。
刑務所にいるときよりも身体を酷使した、あの5年程の月日がなければ、
もっと喜多川は長く生きられたかもしれないと。
そして、堂野もそんなことを考えただろうか?と。
ひとり残されて刑務所で過ごした日々や、自分を探すことしか考えられなかった、
そんな喜多川の寂しい日々を思い描き、堂野がひとり泣く日もあるだろうか?と。
あってほしいと思いました。
喜多川を想って、涙が枯渇するほど泣いてほしい。
何よりも辛い、愛する人を亡くすという経験をした男にそんなことを思うなんて、
きっと、わたしこそ残酷な人間ですね。
堂野に対してわきあがる感情を通して、自分の弱さも考えさせられた本でした。
今さらながら・・・完結版として読みました。
泣けました。
「箱の中」を読んでも泣けましたが、
崇文の、たった一言に・・・比じゃないほど泣けてきました。
普通であれば変人を通り越して犯罪に近い執着から始まり、
人として変化していく喜多川。
その喜多川を許容し、自然と変えさせたのは堂野。
この1冊にはその『人』としての変化が書かれていて、
読んでいてとても面白かったです。
2人は幸せになったわけですが・・・・・
結末は、他作品と違って決まっていました。
良くあるのは、その後こうなったんじゃないか?こうなっていて欲しいな、
と、読む側が好きなように思い描き楽しむところもあると思うのですが
そうではなかったので、ちょっと複雑な読後感となりました。
ノベルス版『箱の中』の続編。一般書としての文庫版には収録されていない【雨の日】【なつやすみ】を含む完結編ともいえる1冊です。
もし文庫版しか読んでいない方は、ぜひこちらにも目を通されることをオススメします。
■檻の外
長い空白の期間を経て、ようやく堂野を見つけ出した喜多川が再会を果たす所から夢を形にするまでを描いた話。
「家があって、堂野がいて、犬が飼える」
喜多川が抱き続けたささやかな、されど、不可能にちかかった遠い夢。
なぜなら、堂野は結婚し子供がいて、すでに自分の居場所をもっていたから…。
喜多川はその現実に打ちのめされました。だけど、諦めることはできないので、可能な範囲で堂野のそばにいようと足掻きます。
大好きな主人に飛びつきたいのに、ずっと「待て」をしてシッポをぶんぶん振っている犬のごとく、終わりの見えない日々をただひたすらに耐え忍びます。
物語の視点となるのは堂野。
愛する妻と子供がいる堂野からすると、喜多川の出現は歓迎すべきものではなかったはずです。
しかし、喜多川という男の悲しい過去や痛々しいほどの真っ直ぐさを知っているため、突き放すことはできません。
喜多川が望んだ形ではないけれど、友人としてならそばにいたい…。
堂野の葛藤と喜多川の忍耐の勝負のような日々です。
その感情のせめぎ合いは独特の緊張感があり、膠着しているようで、ずっと揺れ動いているのです。
結局、展開を進めたのは、堂野の妻や娘を含め、周りの人間が巻き起こす状況の変化でした。
大きすぎる犠牲を伴うどうにもやるせない辛い事件がきっかけで、二人の距離が近づくというのも皮肉なものです。
万事が万事うまくいくというハッピーエンドが虚構であることを改めて認識させるような、最後まで厳しく甘さのないシナリオでした。
そういう辛い現実に何度もぶつかりながら、堂野も、喜多川も必死に生きていて、そしてこの先も楽な道ではないことを理解しながら、ふたりでいることを決意するのです。
「家があって、堂野がいて、犬が飼える」
たったそれだけで幸せそうに笑う喜多川にどれだけ堂野が救われているのか。
きっと喜多川は知らないでしょうが、そんな喜多川という男がほんとうに愛おしく思う作品です。
■雨の日
シリーズを通して唯一、喜多川の視点で書かれた短編。
堂野と同棲をはじめ、花火大会の話をしたり、浴衣を買ったり…と、何気ない日常を綴った話。
二人のこれまでを思うと、そのふつうに過ごす日常がどんなにかけがえの無いものかがわかります。
堂野が大好きでたまらない、毎日が幸せすぎてたまらない、そんな喜多川が心のなかでジタバタしてる感じがとても微笑ましく、そしてちょっぴり泣けてくる、そんなお話。
補足ですが、作中、スペインに旅行にいこうと約束するシーンがあります。
【番外編・すすきのはら】に、海外旅行に行った時、ホテルのベッドがツインだった、とあったので、きっと二人で建築途中のサグラダ・ファミリアを見上げたこともあったのでしょうね。二人の旅行編も読みたいなあ、と強く思いました。
■なつやすみ
『雨の日』の7、8年後から喜多川の最期までを描いた作品。
堂野の戸籍上の息子、尚(ナオ)の視点から書かれており、離婚したお父さんとしての堂野や、堂野の友人で一見怖いけど子供好きなおじさんとしての喜多川がみれます。
毎年、夏休みの間だけ会える堂野と尚の家族ごっこ。
実は血のつながりがないという事実を尚が知るまで続いた習慣の中で、尚はたくさんのことを堂野と喜多川から教わります。
疎遠になった後、尚が密かに慕い続けたもう一人の父・堂野と再会したのは、喜多川の葬儀の席でした。
思いもよらず早すぎた喜多川の死を悼み、思い出と感傷に泣き崩れる尚の姿を綴った描写は、そのまま自分にも当てはまるようで、2冊を通してずっと喜多川の人生を追ってきた私も泣き崩れました。
怒涛のように涙がとまらず、悲しくてかなしくて仕方なかった。
「圭の方が先でよかった」と、こんな時まで喜多川を案じる堂野に、追い打ちのように泣かされて、それでもやっぱりその通りだなあ、と心から思いました。
喜多川は幸せものです。
誰がなんと言おうと、幸せな人生を生きたんだと。
そう思うのです。
たくさんの登場人物のたくさんの視点を通して、喜多川圭という男の人生を描いた作品。
そんな「ひとりの一生」という大きな時間の流れを感じさせるのはやはり【なつやすみ】があるからです。
【なつやすみ】の収録されていない文庫版では、残念ながらそこまでのスケールは感じられません。
もちろん、一般書として『箱の中』を世に出すのであれば、なくてもいい部分ではあります。
見返りを求めず、性別をも凌駕し「真実の愛」を探求した男たちが、どんな選択をするのかが重要だからです。
その先にある平穏な日常や老いて死んでいく過程は、知りたい人だけが知ればいいことだからです。
私は、ひたすら真っすぐで純真無垢な子供のような喜多川が大好きです。
彼の生き様に心を打たれ、彼の幸せを願ったひとりなので、死の間際まで堂野との愛を貫き、幸せに生きたんだということを読み収めることができて本当によかったと思いました。
読んで後悔することはきっとないと思うので、文庫版しか読んでない方はぜひ、こちらも読んで見てください。
ただただ直向きに、一生懸命愛を貫いて生きた喜多川の人生を見届けてあげてほしい、と心から思います。
《個人的 好感度》
★★★★★ :ストーリー
★★★★★ :エロス
★★★★★ :キャラ
★★★★★ :設定/シチュ
★★★★★ :構成
文庫版「箱の中」より、本作を読まずして完結しない、とのことで読みました。
再開の喜び、失望。
愛しい人の近くにいられる幸せともどかしさ。
家族の温かさ、夫婦の幸せ、それらの断絶。
愛しい人に触れられる幸せ、共に歩む幸せ。
無垢な繋がりと、拒絶、再開。
そして、幸せの色褪せ。
そういった移ろいを感じる1冊です。
なんといっても、各ストーリーの喜多川の変貌に心打たれました。
そして、短すぎるその人生に涙が止まらなかった。
短いと感じるのは、単なる数字に過ぎないのかもしれませんが。
「なつやすみ」では、喜多川と堂野のやりとりはほとんどないため、終結の件が歯痒く感じます。
だからこそ、涙が溢れてとまらなかったのかもしれません。
晩年も喜多川はきっと幸せだったのだと想像しています。
「雨の日」の最後の2行が、続いたのだと。
自身は、はまるとどっぷり世界観に浸ってしまうため、今回もなかなか浮上できずにいます。
今回も、と言うよりも、過去最大だと思います。
「心が萎んだみたい」になっています。
死がテーマにあるのと、死がストーリーにあるのとでは、心にくるものが全く違いますね。
ましてや、主人公の死など、想像を超えています。
それでも、心に響く素敵な作品です。
喜多川の気持ちが報われた時は
嬉しくて、ホットしたけど同時にモヤモヤした。
人生の終わりまで書かれているので、結ばれた後の
二人を好きに想像できない、なので重みのある作品として
ラストのかたちは個人的に、あまり好きな方ではない。
穂花のことや、事件の後に尚を産み、育てていた元妻の
たくましさを感じたからか、本人達は感じていなくても、
幸せそうに見える半面、孤立感を感じ「男同士」という関係を
初めて虚しく感じた。それでも、読み終えた後
これで良かった、と私も思えた。
前巻「箱の中」を読み終わったあと、すぐにでも読みたかったのに買ってなかった…!! と悔やんでいましたが、逆に良い間ができてうっかり得した気分です。
読了直後にこれを書いているんですが、正直涙が止まらなくて困っています。
喜多川と堂野が再開した後……喜多川のあまりにも純粋で真っ直ぐな愛にゾッとしながらも目を潤ませていました。
そして、「なつやすみ」
「箱の中」「檻の外」堂野が冤罪を受け刑務所に入りそこで喜多川と出会い、そして別れ、六年たってようやく再会し―――ここに行き着いたか…、と。
もう胸がいっぱいです。
著者あとがきにもありましたが「人生を書ききった」と、まさにそうだと思いました。
読んで損はないです。
ぜひともおすすめします。
BL名作小説は数々あれど、この「箱の中」「箱の外」の前後編はBL好きとしては読んでおいて損はない名作だと思う。
自分は木原さん崇拝者という訳じゃないんだけど、これを読むと崇拝読者が多数居るのも思わず納得してしまう。
「箱の中」でも冤罪で刑務所という堂野という男の人生をしっかり描いてみせてくれたけれど、今作では更に喜多川の人生、堂野の人生、そして最終的には喜多川と堂野の人生まで描ききっているのは見事。
堂野の妻は多少都合が良く処理されたかなという感じも少しだけしたけれどそこも許容範囲内。
BL小説における名作である事は間違いないと断言出来る名作。
草間さかえさんの挿絵が実にこの空気感に合っていてそこも良いのですよ、はい。
妻は悪役だけど彼女のような人間はどこにでもいる。堂野は信じられないくらい優しい人間だが、情熱的な愛情を持てる人間ではない。女がものたりなさを感じるくらい。だから妻が浮気をしたのもわからないではない。それが殺人事件にまでなってしまったのは運が悪いと言う彼女の言葉もわかる。私が嫌いなのは妻の浮気相手ぐらいだ。ただ堂野の優しさを受ける資格はない女だろうが。といって圭が受ける資格があるかというと、前作の檻の中のことを考えるとちょっと。ただ圭が堂野の優しさを誰よりも必要としているのだとはわかる。そして最後、圭が死ぬところは、悲しいというよりこれでよかったという堂野の言葉に賛同する。圭は堂野を失っては生きていけないだろうから。予定調和という言葉が最後に浮かんだ。
この人は心底凄い作家さんだと認識させられたこの連作。
当時はそのネームバリューも知らないまま読み始め、現実を完全に忘れ貪るように読み耽り、そして読後は放心してしまいしばらくわたしは使い物になりませんでした。
尚視点の最終話「なつやすみ」を読み終わった瞬間、よく分からない感情の渦が込み上げ枕に突っ伏したのを覚えています。
穏やかな話にも関わらず、涙が勝手に次から次へと…。
喜多川というどうしようもなく寂しい人間が、たった一人の男に取り憑かれたように焦がれ、受け入れられ、生きる喜びを知ることが出来た。
その事実がただただ嬉しかった。
人を殺すことの意味さえ知らなかった喜多川が、一日の出来事を人生になぞらえ「楽しいこともあれば嫌なこともあるってことさ」と言えるようになったことが心から嬉しい。
登場人物が幸せになってくれたことを、これほど嬉しいと思わされたBL作品を他に知りません。
萌えが先行しがちなこのジャンルの中で木原作品は、男同士という以前に人間同士だということを思い知らされます。
男×男の話ではなく、喜多川圭と堂野崇文という二人の人間の話なんだと。
脇の人々も各々の都合と思いがあり、その結果の人生があります。
特に堂野と妻の一件では、人間の浅ましさが目を背けたいくらい迫ってきて、犠牲になるのは(尚や喜多川も含め)いつでも子供たちなんだというリアルさが辛かった。
それでも母親として生きたその後の彼女の強さに、ひどい女だと簡単に切って捨てられないものも感じました。
どうして箱じゃなくて「檻の外」なのかなあとずうっと考えていました。
生きようが死のうがどうでもいいと言った喜多川に、堂野が打ちひしがれる場面での一文。
『幼い頃、粗末に扱われたことが…これほど人を絶望させるのかと思った。』
喜多川が自分に全く価値を見い出せないことの理由がその生い立ちにあるのなら、確かに喜多川の中には、母親の残した呪縛のような檻があったのかも、と思いました。
その後に続く
『誰か、誰かあの男を愛してやってくれないだろうかと堂野は思った。うんざりするほど愛して、そして二度と死ぬなんて言葉を口にできないように、愛情と責任でがんじがらめにしてくれないだろうかと、そう思った。』
という自身の願いを、結果的には自ら叶える事になった堂野との日々が、喜多川を変えていきます。前編通しての喜多川の変遷が、ほんとに素晴らしい。
二人は男同士だから遺伝子は当然残せません。
それでも、満たされた日々で成長した喜多川が尚に諭した言葉…それが更に尚の子供に伝わるエピソードに、こんな形で二人の遺伝子が残るんだと、胸が温かくなりました。
堂野に会えてほんとに、ほんとに良かったね、喜多川。
それに尽きる本です。
「箱の中」の続編です。
先に出所した堂野を探し当て、喜多川が訪ねてくるところから始まります。
六年ぶりの再会ですが、堂野は五年前に結婚し、幼い娘もいます。
ただ一途に堂野を求める喜多川と、自分の生活を大切に思い、喜多川も彼自身の家庭を持ってほしいと思う堂野の思いはすれ違います。
そんなとき、堂野の娘穂花が行方不明に。
堂野は過去にも冤罪を受けて刑務所暮らしをするという不幸に遭っているし、喜多川の方などは生まれてからずっと不遇だったけれど、彼らにはまた不幸な事件が降りかかります。
ひどく辛い話ですが、悲しみの末に堂野が選んだ道は、恋ではなくて愛なのだと思います。
心にしみ入るストーリーでした。
他に2編に収録されています。
『雨の日』は、一緒に暮らすようになった二人の日常。
喜多川の幸せが伝わってきました。
『なつやすみ』は堂野の元妻の息子視点の話。
これもすごくよかったです。
ラスト、泣きました。
泣きました。
もう泣けて泣けてしょうがなかったです。
自分でも巧く言い表せない感情でぐちゃぐちゃになりながら泣き、読み終わった後も、ふと泣いてしまうぐらい心に残った作品です。
こういう作品を書いてくれた木原さんや、出版してくれた出版社に感謝します。
帯の、、BL極北、最果ての地へようこそ。
まさに異端のBL作家、木原音瀬。
愛どころか人の善意すら知らない喜多川という人間が愛を、乞い、知る。
愛とはなんぞや?愛が在ってこそ人なのだ。
愛というものについて考えさせられます。
それにしても、、喜多川が堂野を手に入れたきっかけが穂花の死というのがやりきれなかった。
喜多川は本当に穂花を可愛がっていたし、はじめて堂野以外に愛した人だろう。
穂花を思って涙を流す喜多川に人間らしさがみられて嬉しくもあったが、愛しい穂花を代償に堂野を手に入れるなんて、なんて残酷なんだ~!
なんだかこの作品はいろいろ考えさせられすぎて、なんと言ったらいいのかよくわかりません。レビューが難しい。
ラストがよかったです。
喜多川は堂野だけでは無く、尚にも愛されていたのだな。人を愛し、愛されたのだな。
そう思うと胸がいっぱいになりました。
コノハラーむつこさんからのコメント、嬉しいッス!!
私、ちるちるきっかけで最近木原さんを読み出して、ハマリ中です!
本来、本好きで、特にミステリースキーなんですが、むつこさんもレビュってた通りこのミスに入れたいですよ。この作品。
腐女子あるまじきですが、木原さんミステリーデビューしないかなあ、、なんて思っちゃう程。
腐女子以外の方にも読んでもらいたいんです。
因みに、異端の、、か孤高の、、と書くか迷った。(孤高の漢字が出て来なかったんだけどさ)
神評価キター!
この作品、ほんとうにイイですよね。
レビューが上がるたびに読み返したくなって、困りますw
またゴソゴソ段ボールあさって、部屋がしっちゃかめっちゃかに。
>>異端のBL作家、木原音瀬
このコピーにニヤニヤ笑いが止まりません。
まさしく異端!
そんな木原さんが好きだー☆
読み終わったあと、しばし放心状態でした。
それくらいズンと心のに響くお話でした。
「箱の中」に引き続き、最悪キャラの登場でしたね。
それは、堂野の妻。
多分、この人の行動って、決して計算ずくじゃないんだろうけど
だからこそなおさら腹立たしい。
結局、堂野の娘・穂花が死んだのも、元はと言えばコイツのせい。
でも、コイツは自分のやってた事を棚に上げて
「自分だけが悪いんじゃない」みたいに言うんだよ。。。
それでも、決して妻を責めようとしないやさしい堂野。。。
こんなやさしい人は、幸せになってくれなきゃダメだ!
って強く思いました。
その間にも、喜多川が人間としてどんどん成長して言ってる様子がうかがえて
この人も幸せになってほしい、って思っていたので
「雨の日」の二人の何気ない日常が幸せそうで安心しました。
そして「なつやすみ」。。。
読み終わったすぐは、すべてを息子・尚にばらしてしまった母親の身勝手で
今までのように年に1回の再会さえ果せなくなってしまって
ここに来てまで、堂野たちを苦しめる麻理子を恨めしく思ったりもしたんですが
あらためて物語を思い返すと
いろんなことがあったけど、この2人はとっても幸せだったんだろうなと思えて
読み終わったときに流した涙とは別の種類の涙がまた込み上げてきます。
しばらくは、草間さかえさんの描く表紙を見ただけで泣けて来そう。。。
その位、心に深く刻まれた名作でした。
読んでて、とても苦しかったです。
『FRAGILE』を読んだとき以上に、木原音瀬さんは鬼畜だなと思いました。まさか穂花ちゃんを殺すとは思わなかった。
単純に考えて、妻と娘は、ドラマチックなかたちで主役二人をくっつけるためのアイテムなのだ。不愉快極まりない嫁にすることで、読者の目をそっちにそらし、主役二人が結ばれることで当然感じるべき罪悪感を完全に消した。
以上のことは読み終えてしばらくたってから思ったことで、読んでる最中はまったくそんなことは思わず、物語のなかに入り込んで、ひたすら号泣しながら読んでたんですが。
穂花ちゃんが死んだときの堂野の妻の狂乱も、苛立たしかったはずなのに、再読してこの妻のことを好きになりました。
あわれだとは思った。けど、罪悪感にうちひしがれて落ち込む暇もなく息子が生まれ、その後きっちり息子を育てあげたのは彼女なんだよな、と思って。女は現実のなかで生きている。彼女をイヤなやつだとは思えなくなった。
『なつやすみ』が良かったですねぇ。
『ニューヨーク・ニューヨーク』でも取られた手法ですが、ゲイ夫婦の晩年を子供の視点から描く、という。
喜多川というイビツで不幸な男の、愛にみちた後半生を、心から祝福しました。
良かったね、喜多川。
私はあなたが愛しいよ。
こんなBLをもっと読みたい。
魂が震えるような。
考えさせられるような。
綺麗事ではすまない人間の業、その醜さと優しさの両方を同時に味わうことができるような。
>>かにゃこさーん
そ、そんな謝らないでくださいな!お気持ちだけで嬉しいです(*´∇`*)
そうそう、かにゃこさんのレビューに飢餓感を煽られたんですよ。養子縁組のイキサツ…し、知りたい…。
小冊子短編を追加しては再出版というカタチでもいいので、ファンなら『またかよ!アコギな商売だぜ!』と思いつつも買うので(それでもオークションよりは安いしw)、本当に商業本のなかに入れてほしいです。
私も小さな一歩として、要望を出してみようかな。この場合は木原音瀬さん宛てに出すより、出版社さんに出すほうがいいのかな。両方がいいかな。
『箱の中』『檻の外』の二部作、ちるちるにファンがたくさんいて、こうやってコメントしあえること、本当に嬉しいです。
一人でシコシコ読んでるだけじゃ得られない感動まで得られて二度オイシイって感じですw
>>うえおさん
うえおさんもですか!
いつかレビューしてくださいな。首を長くしてry
でも好きな作家さんほどレビュー書きづらいって面、絶対にありますよねw
木原音瀬さんの作品もそうなんですが、英田サキさんや榎田尤利さんや高遠琉加さんなどに、私もまだまだ未レビューな既読作品がたくさんあります。
『すすきのはら』は、出品されてるのを見かけることも難しくなってるような…。
小冊子ほどではないですが、木原音瀬さんの作品を集めるのは大変です(涙)
某レーベルから出されてた絶版本の数々は、まんだらけで『ひー』と叫びたくなるような値段で売られてましたし。
投げ売りのような値段で売られてるBL古本も多いなか、コノハラーイジメだ(涙)
乱菊さーん!
うおー!読みたい…!
『すすきのはら』ですよね?ちるちるのこのレビュー欄で触れてるかたもいますが、どのブログを読んでも評判がよくて、読みたくて読みたくて読みたくて。
鼻垂らすどころか、カラダ中の穴という穴からへんな汁を垂れ流しながら読む自信があります!
乱菊さん、ランチどころじゃなかったでしょうねw
掲示板で小冊子レビューがあればいいなという話が出てましたが、レビューだけでも読みたいです。
さらに飢餓感が煽られて死にそうになると思いますが、それでもイイ。
乱菊さんもいつかこの傑作二作品をレビューしてください!首を長ーくしてお待ちしてます。
でも、なかなか書けない気持ち、めちゃくちゃよく分かりますw読み返せないという気持ちも。痛いというより、重い作品で。
こんにちは~。
箱と檻ですが・・・私も数年前に初めて読んだっきり、殆どちゃんと読み返せないシロモノなんですよねえ、これら。
だってすごい切なくなっちゃうから(。´Д⊂)
そしてその後に出た小冊子が、これはね、むつこさん鼻たらして泣いちゃうかもしれん・・・というくらい号泣ものです。
わたくし、待ちきれずにランチしながら読んだのですが、かなりヤバかったです。
ぶわってきました。
この2冊、レビュー書きたいんですけども、なかなか書けないやつらなんです。
だって読み返せないから~。
「箱の中」の続編。
喜多川が堂野を見つけ出します。
堂野には妻と娘がいて、そこに喜多川がやってくる。
堂野と妻と娘と、喜多川という図式で
お話はすすみます。
BLに出てくる女って、馬鹿な女で本当によかったーって思いました。
心底思いました。
喜多川と堂野は、箱の中(刑務所)からでたのに
高い塀に囲まれた借家でsexをしてるのが
なんだかすごく不思議な感じがしました。
とにかく、喜多川も堂野も、どうしょうもなく優しい人たちで
何度も何度も涙を拭って読みました。
若い盛りを箱の中で過ごしたふたりだけど
年齢なんか彼等には意味もなく、ゆっくりとふたりだけの時間を紡いでいる。
老いは、愛することの障害にはならないんだなぁというところまで
じっくりと彼等の人生の傍観者でいさせてもらえました。
喜多川圭という人生。
父も知らず、母の愛を知らず、ただ堂野だけを求めた男が
最後にたどり着いた先・・・幸せな家族の息子に生まれ変れたと思っていいんですかね?
「檻の外」と「なつやすみ」の間の話が非売品の小冊子「すすきのはら」になるのですが
喜多川が養子に入るいきさつが書かれてあります。
それと芝さんが亡くなったというくだりもサラっと書いてあります。
もっとたくさんの人が読めるように、まとめてもらえるといいと思います。
挿絵の草間さかえさん
喜多川の面差しがどれもこれも絶品でした。
木原さんのお話には、よく泣かされるのですが
“痛い”というよりも、どこまでも“優しい”そんな印象です。
優しく心に突き刺さるお話。
いつの間にか堂野の家庭に馴染んでしまっている喜多川。
でもけして幸せじゃない喜多川。
そしてここでも脳天気……鈍感?
「箱の中」で堂野が可哀想じゃない……と思っていたのが、
堂野あんた馬鹿じゃない?に感想が変わってくる。
幸せな家庭が実は見せかけで一気に崩れるなんて、案外普通の話なのかも。
自分が不幸になって喜多川に縋るってどうなのよ?と思ったけれど、この人は箱の中にいたときもそうだった、と思って納得。
結局あんたみたいな人には喜多川みたいな人でないと駄目なのよ。と読みながら人生相談に乗っている気分に。
やっと収まるとこに収まったかと思ったら続編「なつやすみ」
だけどいいとこ付いてくるなぁ~~と感心。
別れた子供目線の展開。
しかもこの子供、曰くありすぎの子供なのに。
でも子供に罪はない、しかももの凄くいい子。
ここで何となく奥さんが酷い女に見えてきた。
本編でも悪い人っぽい展開だったけれど、それでも人間の弱さよ……と思えたのに。
今回は図々しい女に見えてしまうのは狙ったのでしょうか?
それともこちらの受け止め方なのでしょうか?
人間模様に読んでいるものも振り回されすぎです。
でも喜多川、いい人生だったねと最後に言ってあげたかった。
そして「涙」でした。
前巻が重く深い内容だったために、この本を手に取るのにも勇気が必要でした。
でも読んで良かった!!!やっとふたりの幸せそうな姿を見れたから。
そこまでの過程がさらに辛く切ないんだけれど、
今までが辛かった分、些細な二人の幸せがどんなに大きいことかを感じます。
しかし、前巻では共感することへの怖さがあったのに対して、
今回はどの人物の気持ちにも共感できてしまう恐ろしさがありました。
それほどに本で起こることが身近であり、自分が小説中の人物になりうる可能性がある。
そのせいでもあるのか、気持ちが違和感なく話についていけました。
だからこそ泣けた。
最後の1ページは、ここまで頑張って読んだ自分への木原さんからのご褒美かと思うほどに。
読み終わった後でさえ涙が止まらず、一週間は頭から離れませんでした。
特に最後の「なつやすみ」の雰囲気は素晴らしかった!!
読む間は苦しいけれど、読み終えたあと心に残るものには代え難いはず。
積み上げられた重く清々しい思いと眩しいくらいの海が目の前に広がる情景をぜひ味わってください(´・ω・`)ノ
刑務所の中で出逢い……別れてから6年。
平和な家庭を築いていた堂野の前に姿を現した喜多川。
あの時と変わらない一途な想いをぶつけてくる男に妻も子供もいる堂野は応えることが出来ない。
一方で拒絶もできず、喜多川と一家は微妙な距離を保ち続けるが……
せーつーなーい!!
思わずそう叫ばずにはいられない木原マジック。
不器用でまっすぐな喜多川の想いと、堂野が築いていた本当に幸せな(そう見える)家庭のコントラストが胸にずーんと来ます。
二人が幸せになるにはこの家庭が壊れなければいけないわけでって、最初の方はびくびくしながら読んでいた。
途中~雲行きが怪しくなりだすのですが、それを安易だと攻めることはできそうにない。
だって喜多川には幸せになって欲しかったんだ。
というわけで、表題作のラストと、「雨の日」には大いに満足でした。
そう、この二作品には!!
問題はもう一本の「夏休み」ですよ。
堂野別れた妻の息子の視点で描かれるこのお話。
色々訳ありの息子と上手く距離感がとれない堂野とは違い、喜多川は本当に優しく接します。
あの人付き合い下手だった喜多川がこんなに成長して!!とまた涙です。
息子が家に帰ったところで終わるものだと思っていたし、普通はそうなのでしょう。
でもそこでさらにその後まで書くあたりがほんと木原さんらしいといえるのかもしれません。
ハッピーエンドの向こう側まで。
読み終わったあと胸にずーんと来ます。
ここまで見たくなかったという思いと、ああ喜多川は幸せだったんだろうなという思いがうずまいて、自分でどうしたら良いのかわからなくなってます。
あああ。
恐るべし木原音瀬……
死ぬまで
一緒にいてくれ。
死ぬまで一緒に。゚(゚´Д`゚)゚。ハラハラ
この言葉だけで涙ぐむ。
感想書くにもちょっとした落ち着く期間が欲しかったので読み終わってから少々放置してましたが、やっぱり泣きそうです。
最後が最後だっただけに余計に。
ストーリーは、前作『箱』で、喜多川に堂野の居場所がわかったと伝えられた後。
地図が書かれた紙を握って喜多川が走り出した後に続きます。
視点は堂野視点。
近くの公園。
何処にでもある家族の風景。
堂野の奥さんに、小さな娘。
その光景が目に痛いです(*ノД`*)・゚・。
だって、喜多川は6年も必死に探したんです。
探す為だけにお金をつぎ込んだ。
莫大なお金。
そのお金を稼ぐ為に昼夜問わず、食うものも食わず。
着る服や、布団まで売って・・・・・。
そしてついに堂野を見つけた。
それなのに・・・・それなのに・・・・・
これほど泣いたBLって無いんじゃないかと思う。
ぼろ泣き。
一途な想いと、裏腹の現実。
堂野も堂野で、運命に翻弄されつつ~な話。
最後、二人が一緒に暮らし始めて~のくだりがホノボノで一番好きです。なによりも、嬉しそうだし。喜多川。
最後の最後。
結末はまたすごく切ないような幸せのような終わり方でしたが。
普及の名作。
もう一度読み返したいようでもあり、心痛くて読めないと思うようでもあり。