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神だの悪魔だの呼ばれながら何百万年もの長い時を生きてきた毒舌のアシュトレトは、雨の夜、交通事故の現場に居合わせる。
轢かれたのは親交のあった牧師のアシュレイ。
轢いたのは、気に入っていたパティシエの達朗。
このままではアシュレイの娘マリーが5歳にして天涯孤独になってしまう、と思ったことから、アシュトレトはアシュレイの身体の中に入り、アシュレイとして生きて行く。というお話。
表題作「神さまには誓わない」、その続編「神さまには祈らない」、番外編SS「終わらないお伽噺」の3本収録。
序盤こそ、登場人物がわさわさして分かりにくいと思ったのですが、世界観に慣れてくると、このお話がどう展開していくのか気になって、最終的には熱心にページをめくっていました。
悪魔が牧師の振りをして、父親の振りをして、生きて行くことに危うさを覚え、先行きに暗雲しか感じられないアシュトレトと達朗の恋愛を見守り、残酷とも言える展開に何度か呻きそうになりました。
ミカエルの登場に、ますます悪い展開しか思い描けず、ここからどうやってハッピーエンドに持っていくんだろうと思っていましたが、退場は案外あっさり目で、でもその後の展開の方が厳しいものでした。
これは、最後の番外編「終わらないお伽噺」により、多少の道筋を提示していただけた感じですが、果たしてハッピーエンドと言えるのか寧ろギリギリのラインなのかも知れないと思いました。
安易に幸せな終わり方になるよりは、この結末で良かったとは思いますが、正直すっきりとはしないなと。
読み終わった後知ったのですが、同じリンクスロマンスから出ていた「ファラウェイ」という本のスピンオフという位置づけのようです。「ファラウェイ」では脇にいたアシュトレトにスポットライトを当てたのが本作で、メインキャラ2人もちょこちょこ登場します。
この2人とアシュトレトの絡みが序盤は特に多かったので、お話のメインでもないのに出張っていることから、前述の感想「登場人物がわさわさして分かりにくい」に繋がったのでした。
つまり順番どおり読んでいれば分かりにくくはないはずです。また、単体で読んでもまったく問題ないです。
ファラウェイの続編ですが、こちらの方がより深みがあるような気がします。
あんなに悪魔的?だったアシュレイですが、もう達朗と想いを合わせられてからは人間的に成長しちゃったりして、ニマニマ。
ですが、越えなきゃならない山はやはり天使対決。
対決って言ってももうやられちゃうだけなんですけど。もう何もかも忘れて何もかも考えずに居たい、そんな境地に陥るのですが、達朗への想いが本物だったと賭けに勝つ事で苦しいながらも人生を歩むことが出来ました。
でもやはり人生には終わりがやってくる訳で。
その苦悩を乗り越えて再び出会える、御伽噺まで読めたのは良かったと思います。
ファラウェイよりこっちのが好きかなー
2014年刊。
『ファラウェイ』のスピンオフ作。
前作カップルのアモンと珠樹もがっつり絡んでくる。
アモンとアシュトレトの二人は関わってきた歴史によって神、悪魔と概念が変わる存在なので、その辺りの設定に馴染む為にも元の本編を先に読んでおく事をおすすめしたい。
アシュトレトってば何だかんだ言っていても珠樹の事を気に入っているし。
一見高慢なようでいても、人間の一生というものに愛着を持っているアシュトレトは憎めない男だ。
彼なりの斜めで皮肉な考え方は少しは同意できる部分もあるし。
彼の大雑把な性格は、当人は全く意識していないが、永い年月をかけて人間を観察してきた影響なのだと思うのだけどね。
そんなアシュトレトが、よりによって目の前で即死してしまったノーブルな牧師・アシュレイの中に入り込んで彼の人生を真面目に引き継ぐとはね…
最初、性格の悪さはアシュトレトのまま、元のアシュレイの人柄を無視して一時はどうなる事やらとは思ったものの、残された幼いマリ―と、パティシエとしての腕から惚れ込むきっかけになった達郎への愛情は本物だった。
アシュレイ(アシュトレト)のほうが達郎にベタ惚れだったのが何だか微笑ましかった。
アシュレイとして生き抜いて達郎とマリーへの家族愛を貫いた姿には感動した。
この話も本編同様に輪廻転生が絡んでくるが、アモンと珠樹の時と同じように『魂は引き継いでも人間にとっては前世と今世は違う』といった概念を引き継いでいる。
それでももう一度達郎に逢いたいと願ったアシュトレトの想いには涙がでてきた。
まさかこの一冊が『泣けるBL』だとは思わなかったよ…
アシュトレト、人間を好きになってくれてありがとう。
ちなみに、巻末の『終わらないお伽噺』は粋な話だったけれど、何だか次の転生をいうよりも、パラレルワールドのような不思議な感覚だった。
あとがきによると、随分前からリンクスロマンスから要望を受けて居たファンタジーもの二作で、ファラウェイが先、
①「ファラウェイ」 発売日 2013/07/31
②「神さまには誓わない」 発売日 2014/02/28
「ファラウェイ」に登場した脇役のアモンの友人 アシュトレト
「神様には誓わない」は、ポールの体に飽きた悪魔のアシュトレトが、神父の体に入って知り合った、一途で真面目なケーキ職人と恋に落ちる。
「ファラウェイ」のあとがきに「人間を好きになった時、悪魔側の辛さや苦しみがあり、書いていて切なくなった」・・とあるように、人間以上に人間的な悪魔です。
「神さまには誓わない」・・悪魔だから、「愛を君に誓う」
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冒頭は、珠樹の家で炬燵に入りながらTVを観て、アメリカに帰るのが億劫になっているアシュトレトと珠樹の会話。アシュトレトは最近珠樹が生意気になってきたとぼやく。でも珠樹が住む下町が気に入って、珠樹の手料理も大好き・・アシュトレトは、人間臭い悪魔になっている。
アシュトレト視点で進捗する物語は、コーヒー のCM「宇宙人ジョーンズ調」に似ていて面白い。
悪魔が自分の気持ちが変っていく事にうろたえる展開
生れ変っても達朗を探して、愛したい悪魔。
やっと見つけたら・・可哀そうだけど、見つけられたんだから幸せ。
珠樹は永遠に一緒にいる事を選んでいました。
この作品の方が面白かった。
実は前作『ファラウェイ』が今一歩私には合わなくて、このお話は読んでいなかったのですよ。
読んで良かった!
流石、御大。
名作!
今までも素敵なレビューが沢山ありますので、感想のみを。
アシュトレトは『悪魔』とされていますが、本人は『人知を越えたエネルギー体』と自分を定義づけています。時間や空間の観念を超えるものなのですね。だから死なないし、空間移動は出来るし、人の記憶を弄ったり、魂が人間の体から抜け出さない限りは肉体損傷をした生物を修復することも出来ます。
そういうエネルギー体を人が勝手に『悪魔』とか『天使』とか『妖精』とか、勝手に呼んでいると、アシュトレトは言っています。
だから、不幸な事故で牧師のアシュレイが死んでしまった時その体に入り、幼い娘マリーを育てようと思ったのも、事故を起こしたパティシエの上総と体の関係を持ったのも、ある意味『単なる気まぐれ』だったんだろうな、と思うのです。
でも、気まぐれから始まった3人の暮らしを意外なほど彼が気に入り、そこに安らぎを見いだしてしまうんですね。マリーの成長をずっと見届けたいと思ったり、上総の真っ直ぐな気持ちに応えたいと心底、思ってしまうのです。
これは『ファラウェイ』で主人公だったアモンと珠樹の関係に影響された所為もあるかもしれません。
全能の存在として人間社会を俯瞰する立場ではなく、自分もその中で喜びを感じたかったのではないかと。
『天使』との諍いがあり、3人の暮らしはアシュトレトが思い描いていたものとは違った形になります。
未読の方にはお手に取って読んでいただきたいので詳しくは書きませんが、これがね……泣けるのよ。
どんなに大切なものでも、人として生きる限り必ず、別れの日は来ます。
だけど、それは全ての終わりなのか?
慈しみあった日々、輝いていた日々は雲散霧消してしまうのか?
もしそうなら、私たちが今生きて感じていることがとても軽く哀しいものになってしまいます。
上総がアシュトレトに残した言葉は、一つの回答だったと思うのです。
いや、私も「このお話と全く同じ様になる」と言うつもりはありませんよ。
ただ、生きたこと、愛したことは何らかの形で残るということを信じたい。
永劫の時を生きるエネルギー体であるアシュトレトの存在を通して、英田さんが伝えたかったことはそれなんじゃないかと思いました。
恋愛を通した『生と死』や『生きる意味』に直結する感動的な物語です。
いやー、やっぱり御大の皆さまが繰り広げてくれるお話は良いなぁ。