イラスト入り
沙野さんは作家買いする作家さまですし絵師さんが笠井さんときたら即買いで、あらすじも何も確認せず購入しました。読み進めていくうちに、タイトルといい、出てくる登場人物たちの名前といい、既視感があるなあと思っていたら、『視淫に溺れる』のスピンオフでした。はい。
『視淫に~』で篠束と「天人」の力をかけて戦った弥上のお話。
主人公は精神科医の紺野。彼視点で話は進みます。
紺野の勤めるメンタルクリニックに、頭痛と不眠を訴え代議士である弥上が患者として訪れます。
端正なビジュアルに政治家としても台頭を表している弥上ですが、そんな弥上に主治医として頼られ、放っておけない気持ちになってしまった紺野は徐々に彼に惹かれていきます。
そんな紺野は人には言えない秘密を抱えています。それは不吉なことを予測できる能力を持ち合わせていること。
誰かに危機や不幸が訪れるのを知っていながら無視することができず、かといってそれを告げると相手に不快感を与えてしまう。自分の持つ能力を持て余しているさなかに沸き上がった、彼の恋。
紺野は、その不吉な気持ちを弥上にも抱いているのですが、なにに起因しているかわからず不安な気持ちを持ち続け…。
というお話。
前作の『視淫に溺れる』ではブラックなイメージの弥上ですが、『視淫に~』で天人としての能力を篠束に封じ込められたために、このお話の序盤ではかなりいい人です。
人望も、人気もある政治家。けれど内側には弱い部分もあって。という弥上と、彼の主治医なのに恋愛感情を持ってしまった精神科医の紺野の禁断の恋。
という出だしでストーリーが展開していくのですが、前半はホワイトな弥上なので甘い雰囲気で話は進み、ラブ度は高め。ところが、二人の恋が成就した後から始まる怒涛の展開に圧倒されました。ブラック弥上が降臨してからは一転、シリアス寄りで話は展開していきます。
あらゆるものを凌駕できる能力を持つ「天人」の弥上。
一見羨ましい能力に見えて、「天人」にしかわからない孤独や葛藤がある。
さらに彼には過去に何かあったというのが透けて見えて、いったい彼の何がそんなに苦しめるのか、気になって一気に読んでしまいました。
そしてブラックになってしまった弥上を助けるために全てを捨てて彼に寄り添う紺野の深い愛情に激萌えしました。
か弱いように見えて、弥上を理解し、受け止めようとする彼の男気が素敵でした。
二人の男が、それぞれ持つ不思議な能力。
その能力が彼らを孤独にし、けれどその能力があったからこそ惹かれあったのかな、と。
『視淫に~』に、前作の西賀×篠束のCPと十市兄弟も出てきます。この作品単独でも読めないことはないと思いますが、登場人物がかぶっていますし、人間関係を把握するためには前作を読んでから今作を読まれると理解が深まるかなと思います。
相変わらずナイスサポートをする十市兄弟ですが、次は彼らを幸せにしてあげてほしいな。
タイトルと表紙に「水」が匂わされていますが、読み終わってから見直すとその深さがしみじみとわかります。
笠井さんの挿絵は今回も素敵でした。
表紙も、そこはかとないエロスに満ち溢れていて、なんとも妄想を掻き立てられます。
沙野さんと笠井さん。
このお二人のタッグは、最強だと個人的には思うのです。
『視淫に溺れる』から約半年後ののスピンオフ。
前作では悪キャラだった国会議員弥上と精神科医紺野のお話しです。
前作の内容も多少リンクしているので、前作を読んでいた方がより楽しめると思います。
原因不明の頭痛と不眠に悩まされている弥上は紺野の働く病院に診療に訪れ、二人の距離が縮まっていきます。
弥上の頭痛には天人としての力と弥上の過去が影響していたのですが、
・暗示がかかっている弥上
・天人の力を思い出した弥上(前作に近い)
・本当の弥上
が楽しめます。
今回は自分を犠牲にしてでも弥上を救おうとする紺野の献身愛がすごい(笑)
前作もよりも面白かったです。
「視淫に溺れる」(黒・弥上)→「視姦に沈む」(白・弥上)
・・・の順番で読むと良かったみたいです。関連本があると知らず、また後ろから読んでしまった。
①「視淫に溺れる」美貌の弁護士・篠束灯 天人の力でほぼ無敗。それに気づいた検事・西賀の恋。
②「視姦に沈む」美貌の代議士・・弥上時澄の担当医、精神科医の紺野和基の純愛。
笠井あゆみ先生のイラストが耽美です。でも、あの「オトコの花道」を読んで以来、美少年の絵がギャグに脳内変換されてひよこが見えて、笑っちゃう。(酷い後遺症だわ)
この物語は、無意識層と意識層について触れていて、深層心理学を素材にしたサスペンス、割と真面目な内容でした。暗示を解く為に大事なことを書かれています。
無意識層の呪縛を解く方法は、宗教の洗脳を解く方法にも応用されている大事な鍵です。
タイトルの印象から受ける「視て犯す痴漢が登場する変態物語」では無かった。
この巻は、異能力を持つ政治家「天人」の弥上時澄の恋人になった臨床心理学の医師・紺野和基が、弥上の「天人」を封じる暗示と、弥上の幼少時のトラウマ「黒いもの」を解消して、弥上の酷い頭痛を解消する物語です。
予想外に面白かったので、ヨカッタ!
目で他人の意識を操作する「天人の異能」から自我を防衛するには、視力を失うことだと紺野和基は気づいて、一族のもう一人の天人、篠束灯に自分の視力を奪ってもらい、恋人の弥上時澄が無意識下に閉じ込めた過去のトラウマを引き出します。
紺野和基は視力を失った後、自分が意識して抑え込んでいた第六の能力に気づいて開眼する。肉眼の視力を失ったけど、他人の意識の動き=視線をチクチクと感じて分かるようになる。
それで「視」:「視姦に沈む」/「視姦」という際どい単語をtitleに入れたみたい。直に内容とは深い関連が無いので、紛らわしいと思った。
篠束灯が、紺野の視力を奪う時に粋な条件付けをしていたので、弥上時澄がトラウマを解消すると同時に、恋人の紺野和基の視力が復活します。
入水自殺をした弥上(実父)先代の天人が残した二枚の絵は、実の子の幸せを願う祈りが込められていたものでした。
脳を覚醒する「水鏡」の神道や陰陽道の使い方は、小説に有るような用い方じゃないのですけれど、著者さんは、色々調べて書いたんだなーと感心しました。書く姿勢が真面目な方なんですね。
良い物語でした。結末がハッピーエンドだとホントに読後気持ちいい。
前作の視淫に溺れる、から間が開いてしまい、この作品を読んだときに弥上の立ち位置を忘れてました…
全く素の状態で、和基と弥上のお話に入ってしまい、悪役だったことを思い出せないまま読み進めました。そういう意味では前作読んでなくても大丈夫なのかも。途中、十市兄弟が出てきたり天人という言葉が出てきて思い出しましたが。
弥上の抑え込まれた記憶、抉られてしまった過去の記憶、そういったものが和基と居ることであぶり出されてしまう、その苦悩が描かれていて素晴らしい。和基の「視力を失ってでも」という想いを篠束はちゃんと条件を付けることで(その条件も憎らしい!)弥上の気持ちを開放するという。
悪人弥上はつくられた悪人であって、本来の弥上はイイ奴だったのかと最後には思えるんですよね。そう思うとやはり前作を読んでからの方が楽しめると思います。
最初のやり取りで弥上が紳士的に我慢しているけど我慢できずに和基を食っちゃうトコロは萌えました。和基もクライアントなのに…と思いつつも歯止めが聞かない気持ちとの葛藤も良かったです。
『視淫に溺れる』のスピンオフと言うか、前作のクライマックスの事件を『悪役』として書かれた時澄サイドから見たお話です。つまり『何故〇〇は〇〇という凶行を行うに至ったか』という、あれです。
私としては『視淫~』も好きなんですけれど、よりこちらの方が好みでした。
だって前作にもあった『精神操作』のエロさはそのままで『真直ぐな故に愚かしい精神科医(セラピスト系)の恋』が書かれているのですもの。
優秀な、それも患者に強く共感することの危険性を充分理解している理知的な精神科医が、恋ゆえに愚かになってしまうっていう処にねぇ、激しい萌えを感じてしまったのです。
この『よろめき』!
そうなんですよ。このお話、『よろめきもの』なんですよ。
それもAさんとBさんの間でよろめくなんて半端な話ではなく、理性と恋の間で、あるいは倫理と慕情の間で和基先生(年下だけど)はよろめきまくるのです。
恋の発端も和基が優秀な、そして患者の痛みを取り除いてあげたいという所謂『良い精神科医』であった為に、時澄の抱える欠陥に気づいてしまったからなんですよね。
その為に彼はどんどん堕ちて行ってしまうんですよ。
和基は『精神操作』をされる側ですから、今作では操作される辛さが徹底的に書かれています。
これ結構キツイなと思ったのは、自我が消えてしまうわけではないのね。自分を持ちながら、抗えない力で『やらされる』のですよ。
そこには時澄からの愛を全くもって感じられない訳で。
それでも最終的に和基は自分の意志で時澄と共に堕ちていくことを選択します。
殉教者の様に。
まさに愛だよ、愛。
前作よりもダークで鬼畜なのですけれど、それに故に健気さ、純さがより際立つように感じました。
私的にはとても面白かったのですけれど、疲れている時や沈んでいる時には避けた方が良いかも。
読むのに、気力・体力が必要な一冊だと思います。