電子限定おまけ付き
アルク先生の新刊。お待ちしておりました。
なんだかんだデビュー作から今まで読んでしまっているのは先生の世界観が好きだからなんだよなあ…。
アルク先生のスパダリ攻めと薄幸の受けって組み合わせ最高じゃないですか…
しかも攻めは過去に受けに対して酷いことしてたりするやつ〜!
攻めのした事は最低なんですよ。
しかもそれが人づてに聞いた噂話を鵜呑みにして本人に確認もしないで攻め自身は悪気もなく、多分それを言って今後受けがどんなことになるかも考えずについ言ってしまった!みたいなね。
それを後悔して大人になってから受けに償おうと色々受けを甘やかす展開は好きなんですけど、もうちょっと攻めざまあが見たかったなあという気持ちも多少は…w
登場人物的には攻め、受け、当て馬、性格の悪い女が2人。
この当て馬さんを幸せにしてあげてください〜
作家買い。安定のARUKU節。
読み終わってすぐのため若干放心状態。
相変わらず主人公は幸薄だし、女はクソ。
けれど、お伽話のような儚さ、BLはファンタジーを地で行く潔さがある。
素直になれない五映の心の揺れを丁寧かつ共感できるものとして描いていて、壊れやすいガラス細工のような、繊細な刺繍のような趣を感じた。
この話を胸くそ悪いという人もいるかもしれないが、美しい愛の物語だという人もいると思う。
いずれにせよ、この作品を退屈だと感じる人は少ないのではないだろうか。
私は夢中で読んだ。そして泣いた。
排他的な場所でしか育めない愛もあるのだと感じた。
ARUKU先生の新刊…レビュータイトルどおり、泣けて仕方なかったです。。
心に深く深く刺さる作品。文句なしの神評価です。
以下、ネタバレありのレビューとなります↓
ざっくりと、内容です。
滅んでしまった国の言語であるシュエニア語の翻訳者、五映(ごえい:受)。
彼は高校時代、密かに好意を持っていた人気者・天花寺(てんかじ:攻)にゲイであることをアウティングされ、それが20年経った36歳の現在まで、ずっと心の傷となっています。
ですがある日再会した天花寺は、「赦して欲しい」「恋人にして欲しい」と言い、何度追い返してもしつこく五映の元に通い続けー
と続くお話。
「愛」を意味したり伝える言葉のない(!)シュエニア語。
もうですね、その設定が素晴らしく生かされてます。
天花寺が考えた”シュエニア語の「愛してる」”を五映に伝えるシーンでは、涙が溢れてしまいました…( ; ; )
アウティング事件から20年経った今も忘れられないぐらい憎くてたまらないのに、キラキラ輝いて見える男……
作中に素敵すぎる当て馬役が一人出てくるんですが、その彼に語った五映の言葉が全てを表していて胸に刺さって、ぼろぼろ泣いてしまいました。
”いっそ死ね”と思うぐらい憎んでいるけど、同じくらい強く惹かれてもいて、「オレにとって唯一の男なんだ」
自分の気持ちを素直に認め、二人が手を取り合って前に進めるかと思いきや…そこでまた試練が降りかかるんですね…(不憫受け様をもうこれ以上傷つけないでー!と、グッと唇噛み締めて読みました)
2度目は許されないぞ!!!と、かなり攻め様に厳しい目線で読んだ私ですが、そこからの展開もまた、心に沁み入るものでした。°(°´ᯅ`°)°。
アウティングや、SNSへの心ない書き込み…そんな言葉の暴力が話題になる昨今だからこそ身近な問題に感じられ、考えさせられるー
そんな深い深い、作品でした。
作家様買い。
雑誌で連載を途中まで読んでいたけれど、
そーいや描き下ろしもないかもしれないし楽しみは残しておこう!という事でひたすらコミックスを待っていました。
描き下ろしありました!
先生は最終形態に近づきつつあるようですね。
リアルな貧困やら差別やらと何故か合体するキラキラファンタジー。
いつもながら驚くばかりです。
これは先生にしか描けないです。
語彙力ないんで伝わってほしいのだけれど。
先生のコミックスはいつもいつも変わらず同じでそして世界にとっての不変、普遍を語っています。
もうなんか信者みたいですが信者なのだから仕方ない。
先生の描く攻めがいつもひどく好みです。
初期ではなく最近のですね。
今回の受けの五映も今までになくリアルな、近所にいそうな36才のひ弱なゲイという実態が伴っていました。
彼の20年間の絶対的孤独。
この孤独は彼だけではなく街の描写中にあるあの人、この人、あの孤独死の外国人、人じゃなくてネコたちについても言及されているのだと思います。
わたしは若い頃、都会の地下街を汚れた身なりで歩く女性浮浪者をバカにした顔で嘲笑ったオシャレな若い女の人を見たことを昨日のように覚えています。
五映たちが引き取ってくれてボロ猫にも幸せが来ますように。
キツいです…
寝る前に読んでしまいました。
ARUKU先生〜、なぜまたしてもこんなツラい設定を…?
今回は表紙がパステルっぽくて幸せそうに見えたのに。
ここんとこ、受けが徹底的に悲惨な境遇というか。
「不憫受け」は以前からの作風ではあるけれど、加速している感あり。
今回の受け・五映もしかり。
元々いじめられっ子。
アウティングに遭って笑いものにされ孤立。(ゲイでもないのに?)
暮らしは苦しく。(でもエリート校出身者でしょ?)
家族から邪険にされ。(兄がいる?なぜ兄嫁はこんな態度?何もわからん)
そこに、加害者のくせに眩しすぎる天花寺が登場してストーリーが始まるわけだけど。
この天花寺が曲者というか。
華やかで明るくて五映の存在と乖離しすぎているし、でも一応誠実だし、王子様のようだし、彼をどう解釈して良いのか悩みつつ読む。
一方五映だって天花寺にどんどん絆されていくし。
物語としては不憫すぎた受けが遂に暖かい場所を得る…みたいな流れではあるけれど、どうも釈然としない。
だけど。
これが「煌びやかな天花寺とぼろきれのような五映」のBLではなく、この世界の全て見捨てられたもの、かえりみられないもの、浮き上がれないもの、虐げられたものの可視化と思えば、これは私たちの日常の世界だと腑に落ちる部分がある。
世界では戦争があり、一応戦場では無い日本でも生活の困窮はいつどこにでも口を開けている。
シケモク拾いの老女や店舗裏のボロ猫。そんな存在を、ARUKU先生は見せてくれる。
本作に関して、萌えはあまり感じなかった。だけどこの圧倒感と唯一感、それはやはりARUKU先生だけのもの。その意味で「神」を。