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シリーズ全てを夢中に一気に読んでの感想
これ、20年以上知らないでいたなんて、私は本当に情弱だなって、呆れた
いろんな気持ちになってしまって、しゃくりあげて泣いてしまったり、目頭が熱くなるような感動を覚えたり
素晴らしかった
マリは魚住のことを強いこどもだと評した数年後のハッピーバースデーⅡで優しいとも言っていて、優しい子になって欲しいから名前をつけてって優子さんから頼まれるのってなかなか難題では?と思ったけれど、魚住は素直に真面目に良い名前を贈れたのだろうなって思った
幸せを願っても亡くなった彼女を思わせる名にもしなかったんだろうな
ハッピーバースデーⅠも素敵で、シフォンケーキの大きいピースを久留米にあげようとするのが良くて、魚住のお母さんも一番大きいのを魚住にあげましょうねってしてくれたんじゃないかと、可愛がられていることを感じさせてくれたんじゃないかと思ったんだよね
南雲先生と魚住の会話からさちのちゃんがひどい目にあった上にそれを知った母親に捨てられたのだと解って本当に許せない気持ち
決定的なことを書いていないのにズシッと重たくその事実を知らされてしまうの、凄い
だから前髪もあんな感じで…さちのちゃんがその名前をもらったとき、幸せを願ったくせに…親なら願うだけでは足りてないじゃん
だけど、それこそ免疫の研究の賜物なのか治療を受けているHIVのキャリアがAIDSになることはないんじゃないかと思うくらいになったから、いい意味でこのお話は古くて、HIVについての怯えを記憶で補っている
出た頃に読んだらもっと深く正しく怯えられたと思う
魚住家の人々についても、兄がダウン症てことでダウン症の人の寿命が飛躍的に大きくなった頃のお話だと思うから、両親は老後、兄の面倒を魚住が見ることを期待して養子にしたのかな?とか思ったりもしたんだけれど、それはきっとそこで愛されて暮らす中でいずれ自然にそうなっただろうけれど、打算などではないんだろうと、読んだらそう思った
魚住家の人はともかく岸田夫婦の懐の深さによって養母の人柄を信じても大丈夫なんだと担保されてるもんな
魚住の可哀想な身の上で本人がとても賢く美しいってのは近付くとおかしな欲が湧きそうなの解かる
だから久留米みたいな相手にどう思われたいって動機で動くことのない、自分がどうしたいかだけで関わる人は器がデカいんだなと、マリについても付き合ってもみんなと同じ呼び方のままだったってことで、変な見栄とかもないのね
作中で魚住は色んな人とキスするけれど、なんか若いときってキスしてみたりするよなって、懐かしい気持ちになった
伊東の食い込めない込まないけどいつもいる立ち位置とか、なんか良かった
本当にいろんな気持ちになってしまって、無限に感想が出てきてしまう
このお話を読めてよかった
夏の終わりにふさわしい読書です。
10年ぶりぐらいに読んだかと。あの頃はこの登場人物に目線が近かったはずが、もはやあの人物の年齢を……うん、時が経つのは早い。
久留米みたいなタイプの攻めに弱い。「夏の塩」ではまだまだ大人しかった彼が、ひとたびそうなるともうずっぶずぶで。塩で久留米の「高校生ン時に好きだった女の子にねだられたんだよっ。」ていうセリフがあるんですけど、「好きだった」って言うところが魅力。付き合ってたとか、狙ってたとかじゃなくて「好きだった」という久留米。「夏の子供」では「自分の女が行きたがれば考えるさ」ってセリフもありますね。そんな感じで久留米の挙動全てに雄の色気を感じてしまう。
昔はこんな読み方はしなかったはずなのになぁ。あの頃はもっと泣いた気がしますが、今回は生死にかかわる描写にもかなり冷静になってしまった。若いうちに読んだ方が心に響く気がする一方、フロッピーとか出てくるのよねこの作品。
魚住がおやつを喜んだり、戸締りを確認している様に嬉しくなってしまいます。人間らしくなったもんだ。
そこまで激しい性描写はないのに、この作品は本当にキスシーンがうまい。ラストきっちり締めるようなベランダでのキスが最高でした。
「夏の塩」に続き一気に読みました。
この「夏の子供」には8の話が収められています。
「夏の塩」同様、いやより多く周囲の人たちの姿が描かれる。
マリとあの女装少年・馨のエピソード、マリの過去、響子のエピソード、魚住が祖父母にきちんと愛されている事、魚住に恋する男と久留米とるみ子とバーのバーテンとの不思議な縁、魚住を犯した男…
そんな色とりどりの物語たちと並行して、または溶け込んで、久留米と魚住が遂に結ばれる事、また魚住がPTSDを発症する事、魚住に留学話が持ち上がる事が描かれます。
底流に流れるのは、「夏の塩」の死寄りの世界観とは異なって、それは久留米と魚住が恋愛関係になった事が大きく関係しているのか、もっと生に未来に向かった魚住の姿。
辛いPTSDも、今まで傍観していた自分の受けた心の傷が生きるために噴出してきたものに思えたし、そうやって現れてきた心の裂け目のようなものを覗き込む時、魚住は久留米の名を口の中で呼んだりもするけれどそこで久留米に縋り付いたりはしない。
留学も、久留米と離れるのはつらいと思いながらも、自分はずっと久留米が好きだろうとわかったからアメリカに行く事を自分で決めるのです。
そして「夏の子供」には、かつての魚住と同じく施設の子供・太一という子が登場します。10才の太一が、魚住の祖父母・岸田家で魚住や久留米、マリ、サリームと過ごす一夏。
この一編は子供の太一目線で大人に翻弄される子供の無力、反比例するような子供の心の強さが伝わってきます。
ラスト「ハッピー バースデイII」では、魚住の祖父の死、濱田の母の死、一方生まれ出でる新しい命の対比。
『死ぬ人もいるけど、生まれる人もいるんだ』
この「夏の塩」「夏の子供」には色んな死の影が横たわっていたけど、最後未来への光が見えるような終わり方で、それでいて今いる魚住たちがいつか陽炎になってしまう事すら暗示して、一層物語世界に深みがもたらされたと感じました。
「夏の塩」を読み終わった直後に間髪入れずに読み始めて読了しました。
引き込まれる物語です。
小説は時間の流れをうまく切り取ってシーンとしてつないでいくことで、その世界の空気やキャラの思いや関係性を読者に見せていくと思うのですが、切り取られるシーン、会話、モノローグのどれも素晴らしくてどっぷりその世界に浸かった数日間でした。
読み終わった後も何度も気になる箇所を読み返しました。
バッドエンドが読後にあとを引くのはわかりますが、この作品はハッピーエンド(そう片付けてしまうのも少し抵抗があるのですが、一応ハッピーエンド)でありながら心の深い部分に刺さり、余韻を残します。
また、登場人物がストーリーの中で「友人」「悪役」「当て馬」と言った一面的で記号的な役割を担うのではなく、一人一人が多様な面を見せてくれるところに「人は様々な様相を持つ」という、当たり前のことに読者は気づくことができるのだと思います。登場人物が七転八倒し迷っても悩んでも最善を尽くし人生を進まざるを得ない様子から、物語全体が奥深く確かな質量をもって心に迫ってくる気がしました。
なんというか、作者さんのピュアでクールで熱い、ほとばしるような感性をぶつけられたような、そんな感動がありました。
レビューでの高評価を見て、夏の塩と合わせていつか読まねばと思って購入。装丁とボリュームから、これはしっかり態勢を整えてじっくり正面から読むべきだろうと、準備ができるまでお預けにしてから一気に読みました。
夏の塩は色とりどりのざわめきという印象に対し、こちらは終始静かで透明な水の印象でした。夏の昼下がりに遠くに喧騒が聞こえる奥まった場所で、建物の壁に水の波紋がゆらゆらと光を反射している中にたたずんでいるような感覚でした。
皆さんの高評価に納得でした。
お祭りでもらう金魚の入れ物につめた水のように頼りなくきれいでした。
この作品は考察したくない。ただ感じていたかった。
考察もできるけれど、それをするべきではないなぁと。
名作でした。