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「夏の塩」「夏の子供」セットで読みましょう。何故だかもっとBL未満な作品だと記憶違いをしていました。塩は確かにまだまだ序章ですが、子供ではしっかり甘いBLになります。塩の前半は話の雰囲気を掴み損ねて波に乗れませんでしたが、塩後半から止まらなくなりました。面白かった。
塩では魚住くんがまだまだ人ならざるものの雰囲気で。妖精か、あるいは妖怪か。
当時のBLはこういう話が少なかったのだと思いますが、逆に今ではよく見るパターンといってもいいぐらいになりましたね。先駆者。過去のレビューを見るのが面白い。
この作品の苦手なところをあえて書くなら、結局魚住くんの見た目が良いからこそって部分が大きいんだよなぁ…と。魚住は顔を気に入ってない描写があったり、被害にあったりってのもありますけど、久留米や濱田やマリちゃんの寵愛もこのツラあってこそだと思うと。
序盤でストップしてしまって半年以上放置してしまい、やっぱり読もうと再開してまた止まり。。。2回ほどストップしてしまいました。
止まってしまった箇所は、チャプター1[夏の塩]魚住が飼ってたペットの死体を放置して久留米の家に転がり込んでた事が発覚して処置しに向かったところと、チャプター2[この豊かな日本で]の始まり部分、朝の身支度しながらの魚住と久留米の会話。
なんのお話読んでんだろ?ってなかなか入り込めなかった。ぽやんとしてる魚住くんと、ガサツで大雑把な久留米くん。全然恋愛の気配ないけど、久留米の汗舐めちゃったよ、魚住くん。味覚障害なのに、久留米の汗の味わかっちゃった。
なんか、私の苦手なふんわりしたお話に思えてしまってた。
が、魚住と久留米がお互いの気持ちに気付いてからはグッと面白さが増し、読むスピードも格段に上がりました。新たな登場人物もぞくぞくと登場し、えーーっ!めっちゃやな計算女子じゃない?!なんなの?この子!って思う子も案外その生き方に理由があったり、魚住くん、久留米くんと会話して過ごしていく内に変化していって、やっぱり話してみるとその人の事を納得はいかなくても理解できたりするもんだななんて思ったり。
読み進めていくうちに、魚住くんの割と悲惨な過去が明かされます。何故か近しい人の死に遭遇してしまう。好きな人が突然居なくなる経験。
病院で知り合った中学生のさちのちゃんに「俺のお母さんになってよ」って言うシーンも胸がぎゅっとなりました。家族の愛に希薄な2人の擬似的関係年齢逆転してるけど、許される無邪気さと抱擁力。
これからいい関係築いていけたらいいなと思ってたら。。。
死別は、誰にも起こりうる事態だけど、頻繁に起こるものじゃないし、起こって欲しくない。
なのに、魚住くんは遭遇してしまう。今回は目の前で。もう、このシーンは辛すぎた。
直前に楽しいイベントがあってからの出来事だけに。そして、後日発覚する彼女からの年賀状に書かれたメッセージに泣きました。屋外で読んでたにも関わらず。やるせなさでいっぱいでした。
魚住くんと久留米くんの恋愛は両片想いながら少しずつ進行していっててその部分はきゅんとします、
飴を口移してきたり、キスしてみたり。
なのに、次のシーンではリセットされたかの様に進展しない。
うーん、もどかしい。でもなんか、いい。
人間ドラマの部分が秀逸です。マリちゃんや、サリーム、響子ちゃんに濵田さん、さちのちゃん。
お食事シーンたくさんあり美味しそうに食べてます。味覚障害だった魚住くん、味覚が回復してからは食への執着が出てきてるのも可愛いです。
誰かと食事を共にするって会話するし、同じ時間、味を思い出を共有するって大切でかけがえのない事だな。
もし、序盤で止まっちゃった私みたいな、方は、[夏の塩][この豊かな日本で]以降ぐんぐん面白くなるので先を読み進めてほしいです。
腐女子友達から何度か勧められてやっと読みました。このJUNE?時代のBLのようなBLじゃないような感じがすごく良いですね。商業BLが何でもBL展開過ぎて無理。だったり、最近BL食傷気味かも。という方には特に読みやすいと思います。魚住が受けで久留米が攻めになると思うのですが、受け攻め関係なく二人の関係性や青春の何気ない話にドキドキできます。しんどいシーンもありますけどね・・・。
私が今作で特に好きなのは、「なぜ魚住が久留米を選ぶのか?」について女キャラや他の男性キャラと中立な立場で久留米が描かれていることです。こいつは当て馬、こいつはモブ、というより、みんなが主役でみんなが対等なんですね。久留米は面倒見はいいけど無神経で、他人にはあまり興味がないタイプなんだと思いますが、それが重い過去を背負った人たちにとって気楽な存在なんだと思います。だからいつも話題の中心にいる。特に魚住は久留米の横が一番安心できるんだと思います。また、久留米が変わっていく魚住の恋心を愛しく思う過程がキレイでした。「好き」という気持ちを二人で共有していくほどに「恋人」という関係に居心地の良さを見つけられるようになったんだと思います。良いカップル!
ちなみに続編の「夏の子供」も読みましたが、こっちは思ったほどラブラブ展開ではなかったです。どうしても魚住の一番弱い場所に久留米がいて、逃避先が久留米になるのは必然なので、魚住は逃げたくない時ほど久留米に会わなくなるようになります。ただ、この二人にとって「個人の問題は個人で乗り越え、ラブラブする時はラブラブしよう」と大人の付き合いをしているのかなと思いました。丁度いい付き合い方をしているから絶対別れなさそうな安定感があって、すごく微笑ましいです。BLというよりは若者の青春ドラマっぽいですが、その分BL以外の魅力がたくさん魅力が詰まっている作品だと感じました。
よく生きるには?・・を考え直すきっかけになる作品だと思います。
人はひとりでも生きていけるけど、沢山の人と支えあって生きているんだと気づくことで、生きる力が増します。人は、群れで生きて進化してきた猿だからかな。
「宮廷神官物語」シリーズを先に知って、著者名漢字とひらがなの違いで超人気のデビュー作があると知り、興味を持ちました。レビューに「この作品に出会えてよかった」の一文が多いことにもびっくり。
レビューを参考にして、挿絵が美しい中古版を買おうか、電子版にしようか、最新の紙版にしようか迷いました。
この復刻版、上下巻の上には、
夏の塩/この豊かな日本で/ラフィン フィッシュ/制御されない電流/鈍い男/プラスチックとふたつのキス/ハッピー バースデイ Ⅰ(書き下ろし)/彼女のWine,彼のBeer/月下のレヴェランス/メッセージ
・・・文庫本の3巻までと書き下ろしが入っています。
常に読むには電子版・・でも電子版は、挿絵がないんですよー。
挿絵を見たくなったなら、後から絶版本の初版を中古で買うことにしました。
紙本を本屋で確認すると、この本は、真っ白な表紙で帯に人物の絵が入っています・・帯を外すと真っ白。中はぼやけた挿絵だけ→電車やバスの中でも安心して読める仕様。
・・著者はBLジャンルの壁をこの復刻版で排除したかったのかもしれない。
このシリーズの人気は、衰えていない。茶屋町 勝呂さんの表紙絵のメモリアル版の定価950円が、今7万円になっている。・・メモリアルは図書館で探すしかないみたい。
作品については、他の皆さんの感想の通り。
諸々の後遺症に悩む主人公と理解者の物語。生と死を見つめる主人公。
意味が深いのは、下巻。でも上巻を読まなければ、下巻の深みが増さない。
登場する全ての人の人情が織り成す綾が素晴らしい。
下巻にも書き下ろしが入っているので、この復刻版は魅力あります。
榎田先生の作品は何作か読みましたが、この作品が一番心に残るものになりました。
まず、装丁が素敵です。きれいで透明感があり、でもどこかつかみどころのない感じが、主人公魚住のようでした。本を開く前に眺め、読みおわった後にまたじっくりと眺めたくなるような、そんな装丁です。
二冊ともかなりボリュームがありますが、一冊の中に、様々な登場人物にスポットを当てたいくつかの短編が時系列に沿って連なっている構成となっています。なので、短期で読もうというんでなければ、例えば1日1編ずつじっくりとかみしめて読むのもおすすめです。
もともと今作を読む上で、bl的な萌えは期待していませんでしたが、きちんとそういう描写もありますので、活字が嫌いだったり、重めのテーマが苦手という方でなければ、読んで損はないはずです。
どの短編も心に響くものがありましたが、私にとって中でも印象的だったのは、夏の塩のメッセージと、夏の子供の表題作です。2つについて書くと長くなりすぎるので、メッセージをメインに、感想を書こうと思います。
メッセージでは、さちのちゃんというHIVキャリアの中学生の少女に対する久留米の回想に心打たれました。何も悪いことをしていないのに、たくさんの不幸を経験しなければならず、でもその不幸に対して抵抗したり、怒りをぶつけたりすることもなく、ただただその中に佇んでいるような生き方が魚住とどこか似ていたさちのちゃん。そんな彼女が本当に欲しかったものは、慰めでもその場限りの優しさでもなく、自分が誰かの助けになることだったのではないか。助けてもらうのではなく、助けたかった、与えたかったのではないか。それが、自分も彼女と関わりを持ち、魚住と彼女の血縁にも似た深い関係性を聞き、久留米が思い至ったことでした。
これはあくまで私個人の意見ですが、人間という生き物は、誰かに必要とされていないと生きられないのではないかと思うのです。仕事というのは、どんな仕事でも、必ずどこかにいる誰かのためになっていて、だから、働いている人はそれだけで自分以外の誰かの役に立っている、誰かに必要とされているということになるのではないかと思います。仕事というものを持っていない学生や、今は仕事がないという人でも、自分のことを心から愛してくれ、必要としてくれる家族や友達がいるという人が多いのではないかと思います。
でも、母親に捨てられ、HIVキャリアということで学校でもばい菌扱いされるいじめを受け、教師達も遠巻きに見ているだけという中学生のさちのちゃんはどうだったでしょうか。もちろんさちのちゃんにだって、母親がわりをしてくれているお祖母ちゃんと、リストカットする度に真剣に叱ってくれる南雲先生という存在もいました。でもやはりさちのちゃんにとっては、必要とされているというより助けてくれているという認識の方が大きかったのではないかなと思います。そんなさちのちゃんが魚住にお母さんになってよと頼まれて初めて、自分も誰かに必要とされている、誰かを助け、何かを与えることができる存在になれると思い、戸惑いつつもそれを受け入れたのだと思います。
夏の子供に収録されているアイ ワナビーア フィッシュという短編内のさちのちゃんに対する南雲の回想にも、「ますみといると、なんか楽チンなの。ひとりだと、かなり頑張ってないと立ってるのがしんどい感じなんだけど、ますみといると、なんにも考えないで歩ける。いつまでも、お散歩していられる。意味のないお散歩だけど、なんか楽なの。」というさちのちゃんの台詞があります。それは、夏の子供の表題作でのマリと太一くんの会話にある通り、魚住が、自分の受けた痛みを誰にも転嫁せず、数々の悲しみから自分を守る殻として持っていた鈍感さがあることをきっかけになくなって痛みに敏感になってからも、憎しみを育てたりしない強さを持っているけれど、大人らしくはなく、無垢な子供らしさがある、弱い大人よりずっといい強い子供だったから、大人が苦手なさちのちゃんでも頑張らずに一緒にいられたのだと思います。でもそれに加えて、魚住に必要とされている安心感というものも過ごしやすさにつながっていたのではないかなと私は思いました。
テーマが深いだけに、それなりに読むのに精神力がいるので、そう頻繁に読み返すタイプの作品ではないと思いますが、手元に残しておきたい作品となりました。